カチューシャの唄の日

3月26日はカチューシャの唄の日です

1914年3月26日、「島村抱月」と「松井須磨子」が起こした劇団「芸術座」が、トルストイの「復活」の初演を行いました。この演劇で歌われた「カチューシャの唄」が大流行しました。

島村抱月

島村抱月と松井須磨子

島村抱月は、評論家であり、新劇指導者でもあります。東京専門学校卒業後には、「早稲田文学」の記者になり、文芸評論を発表します。1897年、雑誌の「新著月刊」を創刊し、小説も執筆していました。35年にはヨーロッパに渡り、帰国後の38年には早稲田大学教授となります。そして、「早稲田文学」において多くの評論を発表する中、42年からは「坪内逍遥」(つぼうちしょうよう)の文芸協会に参加して海外作品の翻訳や演出を行っています。1913年に文芸協会を退会し、松井須磨子らと芸術座を立ち上げ、近代劇の普及に努めています。

松井須磨子

松井須磨子

日本で初の女優「松井須磨子」は、1886年に長野県埴科郡清野村(現在の長野市松代町)に生まれました。養父と実父を相次いで亡くし、上京しての嫁ぎ先からすぐに離縁させられ、自殺未遂を起こしています。その後、「坪内逍遙」と「島村抱月」が率いた文芸協会付属演劇研究所の第1期生となり、1911年5月に帝国劇場の最初の公演で「オフィリア」を演じ、「女優」デビューを飾っています。その後の須磨子は、32歳で亡くなるまで30作以上の芝居に出演しています。そして、「舞台では捨身」で「体当たり」の演技を見せたと、その「命がけの芸」は観客を魅了したそうです。

カチューシャの唄

カチューシャの唄

カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて淡雪 とけぬ間と
神に願いを(ララ)かけましょか

カチューシャかわいや わかれのつらさ
今宵一夜に 降る雪の
明日は野山の(ララ)路かくせ

カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて又逢う それまでは
おなじ姿で(ララ)いてたもれ

カチューシャかわいや わかれのつらさ
つらいわかれの 涙のひまに
風は野を吹く(ララ)日はくれる

カチューシャかわいや わかれのつらさ
ひろい野原を とぼとぼと
ひとり出ていく(ララ)あすの旅

「カチューシャの唄の日」に関するツイート集

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