ナイチンゲール・デー

5月12日はナイチンゲール・デーです

ナイチンゲールの像

1920年に赤十字社が、イギリス看護師であったフローレンス・ナイチンゲール(1820~1910年)の誕生日であるということで、この日を記念日として制定しています。この日の目的は、近代看護の基礎を築いたナイチンゲールの功績を称えることです。

ナイチンゲール

ナイチンゲール

ナイチンゲールは、1820年に両親の新婚旅行中にトスカーナ大公国の首都フィレンツェで生まれました。名はフローレンスという名が付けられ、イタリア語のフィレンツェを意味するといわれます。古代ローマ時代に、花の女神フローラの町としてフロレンティアと名付けたことが語源となっているそうです。またナイチンゲールは、裕福な家庭で育ち、「フランス語」「ギリシャ語」「イタリア語」「ラテン語」などの外国語から、経済学と数学、天文学と美術など家庭教師による英才教育を受けて育っています。しかし、後のイギリスでは飢餓が蔓延し、貧困層の酷い暮らしぶりにその時、ナイチンゲールは心を痛め、病気や飢えに苦しむ人々のために奉仕活動をしたいと決心し、また天命であると確信したそうです。そして、そんな彼女が一念発起して1849年に看護婦になりたいと決意したそうです。

病院は病人が集う不潔な場所!?

この当時は、医者が家へ行き往診する形態が一般的であり、病院はむしろ社会的地位も生活水準も低い階層である病人が集う不潔な場所となっていました。そして看護師といったら、専門知識のない御手伝いやお世話係的な存在で、下級の無教養な女性がする仕事になっていたそうです。当然、彼女の家族は看護師になるという決意に対して猛反対しますが、意志の強いナイチンゲールは家族の反対を押し切り、1851年31歳にドイツのカイゼルスベルト学園で看護師の勉強を始めます。その後は、イギリスのロンドンで医療や看護や病院の運営などの教育を受け、イギリス各地の病院の状況を把握して専門的教育を受けた看護婦の必要性を訴え始めたといわれています。

クリミアの天使

クリミアの天使

彼女の運命を変えた1853年は、オスマン帝国トルコとロシアの間で勃発したクリミア戦争でした。南下を目指すロシアに対し、脅威を感じたイギリスとフランス軍がオスマン帝国を支援し、黒海に突き出したクリミア半島で激突しました。そして戦闘で負傷兵たちは、イギリス軍の基地に置かれたイスタンブールのアジア側スクタリ(今のウスキュダル)の陸軍野戦病院にて治療を受けます。そこでナイチンゲールは1854年に、イギリス24名のシスターと10名の志願看護婦とともにイスタンブールに向かって、兵士の看護を行ったといわれています。

過酷な状況でも献身的な看護

ナイチンゲールとクリミア戦争

しかし、野戦病院に着いたナイチンゲール達は、当時の男社会からお嬢様たちの御遊びと馬鹿にされて軍医から軍からも歓迎されません。それでも、傷病兵が病院の床に直で寝かされている状況から、生き残っても傷ではなく感染症で命を落とすとして、看護につけなくても掃除や食事など衛生状態の改善に努めたそうです。こうして過酷な状況下でも、様々な献身的な看護を行ったことが天使のように思われたのでしょう。

彼女の意志を忠実に受け継ぐ看護師

病院に行くと必ず看護師が居て、優しくサポートしてくれますが、これらの医療は赤十字社などが世界中で活躍されています。そして、この時のサポートがまさにナイチンゲールより受け継いだ看護に対するノウハウをでしょう。また、2020年から今年2021年は、新型コロナの感染者が増加し、医療が崩壊寸前の時期ありました。自分が感染しないよう、せめて地元の看護師さんだけでも苦労をさせないようにすることも大切ですね。

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