日本の通貨、円の日

3月4日は円の日です

円の日

1869年のこの日は、明治政府が貨幣を円形として金銀銅の貨幣を鋳造し、円で表す硬貨の制度を定めた日です。当時通貨政策担当の大隈重信は単位、「元」を提案していましたが、最終的に公文書で「円」が採用されて以後このまま定着したといわれています。

「新貨条例」で江戸時代の通貨が廃止

1871年には、「新貨条例」を制定し、江戸時代からの通貨単位「両、分、朱、文」が廃止、そして、「円、銭、厘」に変更されました。また、硬貨の製造原価は公表してませんが、「1円玉」の製造コストは2~3円(アルミニウムの価格により変動)と言われています。

江戸時代のお金、小判

江戸時代までの硬貨としては、その頃発行していた金貨(小判など)や銀貨(丁銀、豆板銀など)、銅貨(1文銭など)でしたが、その他も全国各地の大名は独自の「藩札」という紙幣も発行していました。そして、幕末時代になると外国製の銀貨が大量に流入しています。このために明治の初期には日本のお金の制度は大変混乱したといわれています。

小判から円へ

明治政府は、これまで使用されていた小判や両をやめ、日本全国で使われるお金の制度を統一することに着手します。そして、1871年5月に「新貨条例」というルールが公布され、「円、銭、厘」という新しい単位が決定します。さらに、古いお金を新しいお金に換算するのに便利なように「1両=1円」とし、円滑にお金の単位が移行されてきました。その当時は、アメリカの通貨である1ドルは、1両金貨と交換されていましたから、円の為替相場は「1ドル=1円」だったということです。

小判の価値は?

過去の文献によれば、天正19年(1591年)3月当時の「1石(150kg)」あたりの米価は833文で、現代のお米5kgの価格を2,000円と仮定した場合「2,000円(5kg)×30=60,000円(1石)」となります。このようにお米の価値から換算すると「833文=60,000円」、「1文=約72円」という式ができます。小判→1両は4,000文ということなので「4,000文×72円=288,000円」。つまり当時の小判は、1枚あたり29万円ぐらいの価値があったということになります。

硬貨や紙幣から仮想通貨へ

通貨の価値

昔から人は、外食したり物を購入するときは、全国共通の価値があるお金を、目に見える百円硬貨や紙幣などを使っていました。ところが現在では、キャッシュレス化が世界的にも広がり始め、さらにはネット環境が整い、仮想通貨が現れ、世界単位での貧困差を生む各国の通貨さえ必要か!?とさえいわれ始めています。この先の未来では、このグローバル化が世界を一つにまとめ、差別のない秩序ある世の中ができるのを願います。

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