ヨーロッパ戦勝記念日

5月8日はヨーロッパ戦勝記念日(VEデー)です

ヨーロッパ戦勝記念日

1945年5月8日、第二次世界大戦を起こしたドイツが、連合国軍に対し、降伏文書に調印して無条件降伏をした日です。また、この日は連合国がヨーロッパの勝利を記念して制定した日でもあり、VEデー(Victory in Europe Day)とも呼ばれています。

第二次世界大戦

第二次世界大戦は、1939年9月1日にドイツ軍のポーランド侵攻から、1945年8月15日の日本の敗北までとされています。世界大戦の中、ドイツ・イタリア・日本を中心とした同盟国に対し、イギリス・フランス・中国に加え、後からから参戦したソ連・アメリカ合衆国などが加わった連合国(総勢52カ国)と、2つに分かれた世界を巻き込んだ大戦争でした。主にヨーロッパとアジア、太平洋地域の戦いであり、約500万人の死者を出すことにとなりました。

ヨーロッパ戦での戦況

1944年6月、連合国軍が「ノルマンディー上陸作戦」を敢行し、その作戦によりドイツ軍は追い詰められます。一方で太平洋戦争では、同じ年の7月にはサイパンが陥落。このことでアメリカ軍が、日本本土爆撃が本格化したといいます。次に連合軍は、44年8月にパリを解放します。1945年2月、連合国軍首脳はヤルタ会談で戦後処理で合意しました。西から迫ったアメリカとイギリス軍、東から迫ったソ連軍が、4月25日にはエルベ川で合流し、米兵とソ連兵が握手し「エルベの誓い」の不戦の誓いをしたそうです。

ついにドイツが降伏

ベルリンでは、ソ連軍に先着されて包囲し、首相官邸の地下壕にこもって抵抗を続けたようですが、遂に4月30日にヒトラーが自殺し、ベルリンは陥落します。その後、5月8日に正式にドイツが無条件降伏し、この時ようやくヨーロッパの戦争は終わりました。

最終的には日本の敗北で終戦

ここからは、我々日本人のほとんどが知っている現代人が悔やまれてる終戦の日、完全敗北までのドラマが繰り広げられます。もっと早く敗北宣言をしていれば、神風特攻隊や長崎広島の原爆投下などの罪無き人達の犠牲、ソ連による北方領土の侵攻も最小限に済ませることができたかもしれません。とにかく、同じ事を繰り返さないように我々、一般市民が声を挙げ行くことが今一番大切なことだと思います。

世界エイズ孤児デー

5月7日は世界エイズ孤児デーです

世界エイズ孤児デー

2002年、アメリカはニューヨークにて開催された国連子ども特別総会でこの日が記念日として制定されました。英語は「World AIDS Orphans Day」。この記念日は、エイズ孤児問題への意識を高めることを目的としています。そしてエイズ孤児とは、片親あるいは両親をエイズによって失った孤児、HIV感染、あるいはAIDS患者の孤児の両方の孤児を意味します。

エイズ孤児

エイズ孤児

日本での孤児の意味は、両親を失った子どもを一般的に示し、感覚としては「遺児」と置き換えた方が理解しやすいようです。また、エイズ孤児の全てがHIV陽性であるように思われるかもしれません。しかし、母子感染などにより親から感染している可能性はありますが、必ずしも感染しているとは限りらないそうです。

世界中の孤児は何人か?

国連合同エイズ計画(UNAIDS)によれば、エイズ孤児は全世界に1,220万人入るといわれています。その内の多くが、サハラ砂漠の以南のアフリカ地域で、PLASが活動するケニアはウガンダのエイズ孤児の数は推定、各国50万人以上になるそうです。

エイズ孤児の問題は?

差別や偏見

エイズ孤児は、感染による健康上の問題と、他の大きな問題である偏見や差別が最も重大な問題となります。本人が感染していなくても、親がエイズで亡くなったことが理由で差別され、引き取り手を失うなど、たくさんの孤児が精神的な不安を抱えています。また他にも、子どもの学校中退という根深い問題もあります。

片親になるケースが増加

エイズ治療薬の普及で、両親より片親を失うケースの割合が増加していますが、その時もまた、稼ぎを失い貧困から、学校に通い続けることが困難になり、仕方なく学校を中退する羽目になるという事です。例えば、ウガンダで小学校教育は原則無償化ですが、実際のところ制服代や進級テスト代を家庭が負担しなければなりません。このお陰で、学校を中退する子供は2人に1人とも伝えられています。その果てには、学習機会を逸失したまま大人となり、このまま貧困の連鎖が始まります。

分かち合う心が世界を救う

世界中には、まだまだ知らないことが山ほどあります。それらを我々は、一つでも多くこの不幸な状況を知り、そして分かち合い、今は誰もが可能になった世界へのネット配信によって声を挙げ、それらを解決に繋げることができるでしょう。援助も重要ですが、人種差別偏見ののない平等な教育を周りの人々が声を挙げて無くして行くことも大切なのだと私は思います。