うなぎの未来を考える日

5月21日はうなぎの未来を考える日です

うなぎの未来を考える日

2009年5月22日、マリアナ諸島付近で天然ニホンウナギの卵を採取することに世界で初めて成功し、うなぎの完全養殖化への道が開けてきました。それにより、株式会社鮒忠が提唱する「うなぎの未来を考える日」普及推進委員会がこの日を記念日として制定しました。この日の目的は、限りある天然資源のうなぎを絶滅から守り、うなぎの生態と正しい食文化を広め、後世に残すことだそうです。

日本人とうなぎ

うな丼

日本人にとって昔からなじみのあるうなぎは、約5000年以上前の縄文時代から残る貝塚にもその骨が出土していることからわかります。また、今の日本でも夏の時期で立秋前の「土用の丑の日」に暑さを乗り切るためには、うなぎを食べると滋養のあるとされてきた風習(諸説あります)が定着しています。実はこの「うなぎ」、これまで生態があまり明らかではなく、「どこで生まれて、どこを経由して、日本にやって来るのか」が謎でした。しかし、日本人の食文化に深く愛されてきたということから、絶滅しそうな資源の見直しや研究が着々と進められてきました。

ニホンウナギ

二ホンウナギ

現在では、世界に19種類のうなぎが存在していますが、日本人が食しているうなぎの殆どが「ニホンウナギ」で、その中の99%が養殖物です。しかし養殖とはいえ、その養殖うなぎの種苗は100%を天然のシラスウナギに依存しています。そのおかげで「ニホンウナギ」資源は年々減少し、2013年の環境省によれば近い将来、絶滅する危険性が高い生物としてレッドリストに登録されているそうです。また、世界の野生動物専門家などによって構成される国際自然保護連合(IUCN)でも、2014年に絶滅の危険性が高いということでレッドリストに指定されています。

完全養殖が実現

うなぎの完全養殖研究

現在のうなぎは、産卵からふ化、そして成長までを2010年に研究によって完全養殖は実現しています。しかし、まだまだ商業化するレベルではないようです。それが実現できない理由がいくつかあるようなので紹介します。

サメの卵である餌の問題

うなぎの餌

まず一つ目は、餌の問題です。長年の調査研究の結果、サメの卵が有効であることが判明したそうです。しかし、そ餌の資源が豊富ではないためにサメの卵の代わりとなるものの開発が必要となっています。

性成熟させる技術

うなぎは、人工の水槽では殆ど雄になってしまうため、普通に水槽で飼っているだけでは受精できません。そのために、うなぎの産卵を促す生殖腺刺激ホルモンを与えます。しかし、この技術が難しく現在では、遺伝子レベルでうなぎ自身のホルモンを合成し、卵や精子を安定して得られる技術開発が進んでいるそうです。

大型の水槽が多数必要!?

水産総合研究センターでは、1000リットルの大型水槽で卵をシラスウナギにまで育てることに成功しています。しかし、仔魚からシラスウナギまで育つ確立は5%ほどだそうです。そして、大量のシラスウナギを育てるには、多くの水槽が必要とされています。

これから夏に備えて!

ビタミンBが豊富なうなぎ

うなぎは、ビタミンB群が豊富に含まれていてます。それが不足すると、せっかく重要な栄養を摂取してもエネルギーに変換されず、結果疲れやだるさか起こるといった夏バテ症状になります。このように、うなぎはただ美味しいだけではなく、これから夏の猛暑に向けて重要な栄養源になります。だからこそ、今後は限りある天然資源のうなぎを絶滅から守るとともに、いかに日本の食文化を維持できるかを考え、世界に発信していきたいと思います。

リンドバーグ翼の日

5月21日はリンドバーグ翼の日です

1927年5月21日、アメリカのチャールズ・リンドバーグ(1902~1974年)が、「スピリット・オブ・セントルイス号」という名の飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功し、パリの「ル・ブルジェ空港」に着陸しました。実は、その前日20日の午前7時52分にニューヨークを離陸し、その時の単葉単発単座のプロペラ機に非常用パラシュートを所持していなく、サンドイッチ4つと水筒2つ分の水、1700リットルのガソリンを積み、睡魔と寒さと戦いながら命がけの飛行を行ったそうです。

歴史的偉業を達成したリンドバーグ

チャールズ・リンドバーグ

リンドバーグは、この偉業を達成したことで、世界的な名声とニューヨーク―パリ間を無着陸で飛んだものに与えられるオルティーグ賞とその賞金25000ドルを獲得しました。当時の感覚ではそれほど大変な出来事であり、無着陸飛行を達成した時に「ル・ブルジェ空港」に75万人から100万人の観客の数が押し寄せたともいわれています。

プロペラ機「スピリットオブセントルイス号」

スピリットオブセントルイス号

そのとき使用したプロペラ機「スピリットオブセントルイス号」は、リンドバーグの指示で長い距離の飛行を可能にするため、大量のガソリンを積めるカスタマイズが施された機体でした。また、操縦席の前方に燃料タンクが設置されたことで、座席から直接前が見えなかったとそうです。高性能の大型機材を準備すれば、こういう設計にはしなかったと思いますが、当時彼は無名のパイロットであったため、リンドバーグには出資者が少ないのが現状でした。そのために、前方の視界を犠牲にして燃料タンクの大きくするという方法を取ったそうです。

たった一人の過酷な飛行

大西洋単独無着陸飛行が成功

今回の飛行では、バックアップのパイロットを乗せることができなかったため、ニューヨークからパリまでの全行程をリンドバーグ一人で操縦する過酷なものでした。そのリンドバーグは単独の飛行「大西洋単独無着陸飛行」を初めて成功していますが、実は1919年に「ジョン・オールコック」と「アーサー・ブラウン」の2人が既に「大西洋無着陸飛行」を達成していたそうです。リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行を成功させた日が5月21日だったため、その偉業に敬意を表して、この日が記念日となったとのことです。

「翼よ、あれがパリの灯だ」

翼よ、あれがパリの灯だ

ちなみにリンドバーグの名言で、「翼よ、あれがパリの灯だ」という言葉が日本語で広まっていますが、『The Spirit of St.Louis』という言葉の和訳で英語圏では存在しないセリフだそうです。これは後世になり、脚色されていますが実際には、着陸後に最初に発した言葉は、「誰か英語を話せる人はいませんか」説と、「トイレはどこですか」説のどちらが2つの説が存在しているそうです。

命がけの過酷な単独飛行

リンドバーグの奇跡

いずれにしても彼が成し遂げたことは、ライト兄弟人類初宇宙旅行に匹敵する偉業です。いずれも危険を顧みず、決して現在のようなバックアップ体制も充実していない状況下でも人類の第一歩を成し遂げてくれてくれました。そのことは、誰でも簡単にできるようなことではなく、また我々人類の未来を変えてくれたことに敬意を払うべきだと思います。