母親大会記念日

6月7日は母親大会記念日です

母親大会記念日

1955年のこの日、東京・豊島公会堂で第1回母親大会が開催された。前の年の1954年3月1日、アメリカがビキニ環礁で水爆実験を実施したことで、日本婦人団体連合会国際民主婦人連盟に原水爆禁止を提案しています。そして、世界母親大会がスイスで開催されることになりました。また、これに先ち日本国内でも第1回日本母親大会が開催されています。この記念日では、「生命を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることを望みます」のスローガンを掲げて、「生命と暮らし」「子供と教育」「平和」「女性の地位向上」などに関する分科会や講演会等が開催される日でもあります。

日本母親大会

日本母親大会

1954年3月1日にアメリカによるビキニ環礁の水爆実験を実施した際、「平塚らいてう 」らが国際民婦連や各国の団体に向けて「原水爆禁止のための訴え」を送った事から始まったといわれています。母親は、「平和」や子供を守る活動を原点にし、これまでのように女性が黙って耐え忍ぶ「母親」ではなくて、 子供の権利保障を担うことを意味します。その為には、女性が自立して人権を保障されることを願っている「母親」運動が日本母親大会ということなのだそうです。

3度目の核による悲劇

ビキニ環礁、水爆実験

1954年の3月1日、ビキニ環礁でアメリカ軍の水爆実験が実施され、それに巻き込まれた第五福竜丸をはじめとする数百隻の漁船乗組員が被ばくしました。ビキニ環礁は、日本から南東に約3700km離れた、太平洋上のマーシャル諸島の一部です。アメリカ軍は、1946年から1956年まで核実験場として利用していて、その回数23もの核実験が行われたそうです。1954年に実施された水素爆弾の実験では、米軍が水素爆弾の威力を最大で8メガトン(TNT爆薬800万トン分)と見積もっていて、これに対応できる範囲の立ち入り禁止区域を設定したそうです。しかし、実際の威力が15メガトンにも及び、その禁止区域外で操業していた第五福竜丸の船員や近隣の島の住民など、たくさんの人々が被爆しています。

「死の灰」を浴びた第五福竜丸の船員

放射性物質を含んだ「死の灰」を浴びた第五福竜丸の船員は、歯茎からの出血や火傷、さらには脱毛など急性放射線症に苦しめられたそうです。また、無線長の久保山愛吉氏は、「原水爆の犠牲者は、自分たちで最後にしてほしい」というような言葉を残して、その半年後にこの世を去ったといわれています。この事件は、まだ占領から幾年も経ていない日本でしたが、アメリカに対して反核運動が盛り上がりました。しかし、アメリカ政府がこの事件の責任を認めず、謝罪はしませんでした。

「母親が変われば社会が変わる」

「原水爆から子どもを守ろう」と世界母親大会の開催から、第1回日本母親大会、そして日本各地の炭鉱や農村から1円募金などで送り出された2000人の母親が集まっています。それ以降から現在まで、毎年この大会を開きつづけ、『母親が変われば社会が変わる』と母親の願いの実現のため、根気強くこの運動も続けられているそうです。今や一昔前の偏見や考え方が変わりつつあるこの状況であれば、身分や立場も関係なく誰でも、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると言える世の中になっているからこそ、この願いが叶う日がすぐ目の前に来ていると信じます。