小倉のシンボル、小倉城

小倉は、陸海の交通の重要な拠点とし、古くから城が構えられた地域です。そして、この地を手にするために多くの豪族たちの攻防が繰りひろげられたという歴史も残っています。


歴史的背景

小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種(たかはし・あきたね)や毛利 勝信(もうり かつのぶ)が居城、関ヶ原合戦後に入国した細川 忠興ほそかわ ただおきにより、1602年に本格的に築城が始まり約7年の歳月が経過しています。


慶長の改修

1587年、豊臣秀吉が九州平定を果たし、豊前(福岡県東部と大分県北西部)は二つに分けられ、8郡のうち6郡は黒田孝高(官兵衛)、小倉を含む残りの2郡は毛利勝信(森吉成)に与えられました。こうして秀吉の采配により、毛利勝信に小倉城は改修されたといわれているそうです。


城の構造

小倉城の天守閣は、「唐造り」と呼ばれ、4階と5階の間に屋根の庇がなく、5階が4階よりも大きくなっているのが特徴です。 城下町を囲む外堀は、現在の砂津~中津口~香春口~豊後橋~金田~竪町を結ぶと約8㎞になります。


小倉城庭園

小倉城庭園は、小笠原氏の別邸だった下屋敷(御遊所)跡を復元したもので、大名の庭園と典型的な江戸時代の武家の書院を再現。この庭園は、それに茶室や展示棟を備え、その礼法の歴史などを紹介、そしてそれを中心とした伝統文化を後世に伝えていくための日本唯一の施設。


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