旦過市場、その歴史と魅力

大正時代に起源を持ったこの市場は、入り口に足を踏み入れると、昭和の時代を思い浮かべるほどレトロな佇まいで、どこかしら懐かしさを思い浮かべるでしょう。そして、鮮魚を中心とする野菜や果物、新鮮でお買い得な食材がずらりと並ぶ店舗があり、さらに枝道が延びた迷路のような場内の大半の建物が昭和30年代築の超年代ものです。


市場は、まさかの2度の大火災に!

旦過市場の火災跡

しかし、この建物も2022年4月19日未明、旦過市場を襲った大規模な火災があり、その後は復旧作業が進みましたが、4か月後の8月にも再び大火に見舞われ、2度の火災で傷ついた市場は、誰もが「元に戻るのだろうか!」と不安の声がたくさんあったようです。しかし、被災店主や市場の関係者らは「忘れもしない悪夢」と思いながらも必死に復旧作業を行っていました。そして、4月の火災から1年、大正時代から100年以上続く市場は、現在もなお復興へのあゆみを突き進んでいます。


旦過市場の歴史について

旦過市場は大正時代の初頭、隣接する神獄川を昇る船が荷をあげ、商売を始めたことから始まったと言われています。市場の近所には古くからの住宅街もあり、近郊や田川方面からの荷も寄るようになり、次第に市場的な機能を持って、現在のように賑わうようになったといわれています。中でも、現在は河川法で許可されてない敷地に市民のために食料品を供給する根を張った商売の経過から、条件付きで認められ、その店舗は旦過市場の軸として今日の繁栄を築いてきたといわれているそうです。


旦過市場の魅力に迫る

北九州の台所と呼ばれる旦過市場は、大正時代に起源をもち、レトロな雰囲気も魅力的。食に特化した市場で、鮮魚からお惣菜、おやつまで揃います。特に美味しいものに目がないカップルにはぴったりだと思います。また、通うほどに距離が縮まり、お店の人だからこそ知っている情報や調理のコツなども教えてもらえるような雰囲気です。


旦過市場の再開発に向けて

旦過市場は、昭和30年台の木造建築物が集積し、建物が市場の横を流れる神嶽川の上に張り出しているとこが、特に火災が発生するとこれらの建築の特性上、消火活動が困難となるため、今回の大火災のように広範囲に被害が及んでいます。そこで、再開発に向けて市民と市場関係者が一つになって動き出しています。


課題を解決して安心で安全な住みよい街に!

建物の老朽化や密集した建築状況により、度々起こる水害や火災に見舞われていた旦過市場の一帯を再整備し、防災や防火面での課題を解決して安心かつ安全な住みよい街を構築するために2021年2月、「旦過地区土地区画整理事業」が決定しています。


市場は復旧、そして再開発へ

再開発の課題として、観光客の減少や若い世代の関心の低下が挙げられます。活性化に向けては、観光施設やイベントの充実、交通の便利化などの取り組みが行われています。また、地元の方々や関係者との連携も重要ですが、まずは市場の魅力をSNS等で上手に活用し、情報を広く発信していくことが求められています。


再開発の道筋

再開発は、「神嶽川の河川改修」、「旦過地区の再整備」が主な内容です。まず、河川の改修には川幅の増幅が必要ですが、実際にその改修だけを行えば既存の店舗の大半が消失し、市場のメイン通りを失うことになります。そのため、河川改修と同時に市場の再整備をすることが必要となるそうです。


地区内を5つのステップに分ける施策

店舗の移転先として、建築する新市場の建物ができあがるまでの工事期間中は、仮設営業期間を短くするために地区内を5つのステップの工夫が取り入れられます。また再整備後は、北九州高速鉄道(北九州モノレール)の旦過駅と新市場を直結する構想もあるようです。さらには、雨に濡れずに市場へ行けるようになるなど利便性が高まるようです。


市場の名物、大學堂

市場の中で名物となっていた「大學堂」は、北九州私立大学の人類学ゼミの学生を中心として、2008年から運営しています。「大學堂」は様々なイベントをはじめ、カフェ営業などをおこなっていたようです。その中でも、丼に白米をよそい、市場内を歩き周り、各店舗で好みの具材を購入して丼に乗せる「大學丼」は、自分だけのオリジナル丼を味わえることで話題となっていました。


まとめ

北九市民には有名な市場ですが、全国的にはその魅力や歴史についてはあまり知られていないようです。「ぬかだき」「焼うどん」など、様々な地元の特産品を観光客も新たに知っておらう機会にすることで、大火災で衰退していたこの市場を、以前よりバージョンアップした市民の台所として、今後はさらに発展していくことを願っています。

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