「フジバカマ」

基本情報
- 学名:Eupatorium japonicum(Eupatorium fortunei)
- 科属:キク科ヒヨドリバナ属
- 原産地:東アジア(中国~朝鮮半島、関東地方以西の本州、四国、九州)
- 分類:多年草
- 開花時期:8月~9月(残り花は10月ごろまである)
- 花色:淡い紅紫色、白色
- 草丈:約80cm~150cm
- 生育環境:日当たりのよい湿った場所を好む
フジバカマについて

特徴
- 秋の七草のひとつとして古くから親しまれている。
- 細い花びらがふわりと房のように咲く、やわらかな印象の花。
- 古代には香料や入浴剤として使われ、「蘭草(ふじばかま)」の名でも万葉集に登場。
- 蝶(特にアサギマダラ)が好む蜜源植物としても有名。
- 葉や茎にほのかな芳香があり、乾燥させても香りが残る。
花言葉:「ためらい」

由来
- フジバカマの花は、群れて咲くのにひとつひとつが小さく、控えめな印象を与える。
- 花が完全に開くまでに時間がかかり、つぼみから満開までがゆっくりなことから、決断をためらう姿にたとえられた。
- また、古くから恋心を秘めて香を残す花として詩や歌に詠まれ、
「想いを伝えきれずためらう心情」と重ねられたとも言われる。
「ためらいの香(か)」

駅前の花屋の前で、千紗(ちさ)は立ち止まった。
ガラス越しに並ぶ秋の花たちの中に、淡い紫色の小さな花が揺れている。
――フジバカマ。
札にはそう書かれていた。
彼がこの花を好きだと言っていたのを思い出す。
「派手じゃないのに、ずっと香るんだ。なんか、いいよな」
そのときの彼の横顔が、夕暮れの光といっしょに蘇る。
あの日、彼は転勤の話をしていた。
「迷ってる。行くべきだとは思うけど、ここを離れたくない」
その言葉に、千紗は何も言えなかった。
ただ頷いて、フジバカマの香りが混じる風の中で笑ってみせた。
――その笑顔が、きっと“ためらい”の形だったのだろう。

彼がいなくなってから一年が経つ。
連絡はときどき来るが、互いに「元気?」で始まり「仕事がんばって」で終わる。
それ以上の言葉を紡ぐことが、なぜかできなかった。
ためらいが、心のどこかに根を下ろしてしまったのだ。
千紗は花屋の扉を押し、フジバカマを一束買った。
包み紙の向こうから、かすかな甘い香りが漂ってくる。
家に帰って花瓶に挿すと、部屋の空気が少しだけ柔らかくなった気がした。

夜、机の上のノートを開く。
そこには、去年書きかけてやめた手紙が挟まっている。
――「あなたがいない秋が、こんなにも静かだとは思わなかった。」
その一文のあと、ペンは止まっていた。
窓を開けると、風がカーテンを揺らす。
フジバカマの花が小さく震え、微かな香りが漂う。
“伝えきれずためらう心情”――花言葉の由来を、ふと思い出した。
まるで自分の心そのものだと思った。

ペンを取り、インクの匂いを確かめるように深呼吸する。
書き始める。
「元気ですか。こちらも、なんとかやっています。」
当たり障りのない言葉が続く。
でも、そこで一度、手を止めた。
――ためらいの先にある言葉を、書かなければ。
花はゆっくりと咲いていく。
それと同じように、自分の想いも時間をかけて、やっと形になるのかもしれない。
「あなたのいない日々にも、秋はちゃんと来ています。
でも、フジバカマの香りだけは、去年のままです。」
書き終えた文字を見つめると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
送るかどうかは、まだ決められない。
けれど、ためらいの中にも、確かに“想い”がある。
花瓶のフジバカマが、月明かりを受けて静かに揺れた。
その香りが、ゆるやかに部屋を満たしていく。
まるで「もういいよ」と言うように――。