「アンズ」

基本情報
- 科名・属名:バラ科 サクラ属
- 学名:Armeniaca vulgaris
- 原産地:中国西部〜中央アジアとも言われる
- 開花期:3〜4月頃(サクラよりやや早い)
- 果実期:6〜7月頃に橙黄色の実をつける
- 特徴:
- サクラやモモに近い仲間で、日本では観賞用・果樹用の両方で植えられる。
- 樹高は3〜5mほど。花は淡い紅色〜白色で直径2〜3cmほどの5弁花。
- 果実は酸味が強く、生食よりもジャムや杏仁豆腐の原料として使われることが多い。
アンズについて

特徴
- 早春を告げる花
桜より少し早く咲き、まだ寒さの残る季節に淡い色合いで花を開く。 - 可憐な花姿
花は小ぶりで、枝にぽつぽつと咲き、派手さよりも控えめな美しさを感じさせる。 - 実との二面性
花ははかなく上品である一方、実は鮮やかな橙色で力強い存在感を放つ。
この「花の可憐さ」と「実の豊かさ」の対比も、アンズの魅力。
花言葉:「乙女のはにかみ」

由来
- 花の色と咲き方から
アンズの花は、桃よりも淡い紅色や白色で、花びらの外側にほんのり紅が差す。
その色合いが、恥じらいで頬を染める少女のように見えることから、「乙女のはにかみ」という花言葉がついた。 - 咲く姿の控えめさ
枝いっぱいに豪華に咲く桜に比べ、アンズはぽつぽつと咲き、静かに春を知らせる。
そのおしとやかで奥ゆかしい花姿が、恥じらいを持つ乙女に重ねられた。 - 短い花の命
アンズの花は咲いている期間が短く、すぐに散ってしまう。
このはかなさが「一瞬の赤らみ」を思わせ、はにかむ乙女のイメージを強めた。
「乙女のはにかみ」

春の訪れは、ふとした瞬間に気づくものだ。
まだ冷たい風が頬を撫でる三月の朝、遥は裏庭の小さな畑の隅に目をやった。
そこには、祖母が生前に植えた一本のアンズの木がある。冬の間はただの枯れ枝のように見えていたが、今朝は白とも淡紅ともつかぬ花が、枝先にひっそりと咲いていた。
「……咲いたんだ」
遥はつぶやき、少し胸が熱くなる。
桜のように華やかに並木を彩るわけではない。桃のように人目を惹く艶やかさもない。アンズの花は、いつもおずおずと咲き、気づいた者だけに春の到来を教えてくれる。
その控えめな姿が、遥にはどこか自分に重なる気がしてならなかった。

中学二年の春。遥は、同じクラスの湊に淡い気持ちを抱いていた。サッカー部に所属する彼は、いつも明るく仲間の中心にいて、遥のように目立たない存在とは正反対だ。廊下ですれ違うたびに声をかけられると、答えようとしても喉が詰まってしまう。そんな自分を情けなく思うが、どうしても勇気が出なかった。
放課後、ノートを抱えて校舎を出た遥は、ふと立ち止まった。校門の近くで、湊が友達と笑い合っている姿が目に入ったのだ。
その笑顔は春の陽射しのように眩しく、遥は一瞬で胸が跳ねるのを感じた。
「……バカみたい」
小さく呟いて俯くと、足早に家へ向かう。頬が熱い。まるでアンズの花の外側にほんのり紅が差すように。

家に戻り、裏庭の木を見上げる。数日前にはなかった花が、またひとつ増えていた。
祖母がよく言っていた言葉を思い出す。
――アンズの花は、乙女のはにかみ。恥じらいながら咲いて、すぐに散ってしまうんだよ。
そのときは意味がわからなかったが、今なら少しだけ理解できる気がする。
次の日。帰りのホームルームで先生が言った。
「明日から三日間、臨時休校になるから、宿題をしっかりね」
教室がざわつく中、遥はカレンダーを思い浮かべた。……三日。アンズの花は長くもたない。このまま何も言わずにいたら、また散ってしまうのではないか。
その夜、枕元で遥は決心した。勇気を出すのは苦手だけれど、はにかんだまま何もせず散ってしまうのは、アンズの花と同じだ。

三日後。休校明けの教室。湊は教科書を机に放り出し、友達と話している。遥の心臓は早鐘を打つように鳴り、膝が震える。
――今しかない。
放課後、彼が一人になった瞬間を狙って声をかけた。
「……あ、あの!」
湊が驚いた顔で振り向く。遥の頬は熱く、視線を合わせることもできない。
「えっと……この前、ノート見せてくれてありがとう。その……また、一緒に勉強とか……できたら、嬉しいなって」
一瞬の沈黙。遥の耳に血の音が響く。
しかし湊はふっと笑った。
「いいよ。俺も助かるし。じゃあ、今度図書室でやろうか」
その笑顔に、遥の頬はさらに赤くなった。
帰り道、裏庭のアンズの木を思い浮かべる。
花はもう散り始めているだろう。でも、その短い命の中で確かに春を告げた。
遥の胸の中にも、小さな勇気の花がひとつ咲いていた。