六日年越し

1月6日は六日年越しです

1月6日は六日年越し

六日年越しは、古くから日本の伝統的な正月行事の一つとして、毎年1月6日に行われていました。この行事は地方によって「神年越し」や「女の年越し」、「馬の年越し」といった異なる名前でも親しまれており、それぞれ独自の風習が見られます。六日年越しの歴史や各地方の特徴を詳しく解説し、現代における意義を探ります。

六日年越し

蘇民将来

六日年越しは、大みそかに似たことをする地域が多く、この日は麦飯を食べ、サワガニをチガヤの串に刺して家の出入口に挟む地方があります。他にも「蘇民将来」と書いた札を出入口にはる地方や、柊木などトゲのある木の枝を出入口に差し、「かに年取り」といってカニを食べて、そのハサミを勝手口などに差したりする地方もあります。またこの日の夜は、翌日の七草粥に入れる七草をまな板に載せて、神棚の前で包丁でたたきながら「七草なずな、唐土の鳥と日本の鳥と、渡らぬ先に…」などと唱える行事を東京でも、近年まで行われていたそうです。

蘇民将来符とは、信濃国分寺が1月7日・8日の縁日の参拝者たちに授ける護符のことです。

蘇民将来符、その他の信仰と伝承より引用

蘇民将来とは

蘇民将来とは

蘇民将来(そみんしょうらい)は、護符の一種で、八角柱の木片に『蘇民将来子孫也』と書いたものです。「京都の祇園」「上田市の国分寺」「新発田市の天王寺」等で発行し、水沢市(現・奥州市)の蘇民祭は裸祭でこの護符を取り合います。

蘇民将来の由来

お礼に茅の輪と護符

ある日、厄病神が旅に疲れて宿を頼んだが、金持の巨旦(こたん)将来は拒絶しました。貧しい弟の蘇民将来は茅(かや)の床に粟(あわ)の飯で歓待したそうです。神は、そのお礼に茅の輪と護符を残して、これを手にしたものは無病息災と告げたという話に由来するそうです。

地域によって行いは違うが

この習わしは、地域によって違うようですが、全国的にも意味合いは同じようです。今でこそテレビやネットで全国に広げることはできます。しかし、当時は何もない時代からの言い伝えは、神様が絡んでいるためか、何か神秘的な感じさえさせてくれます。


「六日年越し」に関するツイート集

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