「白いフリージア」

基本情報
- 学名:Freesia refracta ほか
- 科名:アヤメ科
- 原産地:南アフリカ(主にケープ地方)
- 開花時期:3月〜5月(春)
- 花色:白(ほかに黄・紫・赤などもある)
- 香り:甘くやさしい芳香がある
- 用途:切り花、花束、鉢植えとして親しまれる
白いフリージアについて

特徴
- すっと伸びた茎に、片側だけに花が並んで咲く独特の姿
- 花弁は薄く、透けるような繊細さをもつ
- 白色はとくに清潔感とやわらかさが際立つ
- 強すぎない香りが、人の気配に寄り添うように広がる
- 派手さはないが、視線を自然と引き寄せる静かな存在感
花言葉:「あどけなさ」

由来
- 白く小ぶりな花姿が、無垢で幼い印象を与えることから
- 花弁の柔らかさと、今にもほどけそうな形が、守られるべき純真さを連想させたため
- 強く自己主張せず、そっと咲く様子が、子どものような素直さを思わせた
- 甘くやさしい香りが、計算のない感情や初々しさと結びついた
- 清らかで飾り気のない美しさが、「大人になる前の心」を象徴すると考えられたため
「ほどける前の白」

駅前の花屋の前を通るたび、遥は足を緩めてしまう。目的があるわけではない。ただ、店先に並ぶ花の中に、白いフリージアを見つけると、視線が自然と吸い寄せられるのだ。
白く、小ぶりな花。大げさな咲き方はせず、他の花の陰に半分隠れるように並んでいる。それなのに、なぜか心の奥に触れてくるものがあった。
花弁は薄く、光を受けると少しだけ透ける。指で触れたら、ほどけてしまいそうなほど柔らかそうで、遥は無意識に息を詰めた。守られるべきものを見るときの、あの感覚に近い。
それは、昔の自分を思い出すからかもしれない。

小学生の頃、遥はよく黙っていた。意見がなかったわけではない。ただ、言葉にする前に胸の中でほどけてしまう感情が多すぎた。悲しいとも、嬉しいとも言い切れない気持ちを、どう扱えばいいのかわからなかった。
周囲が騒がしくても、自分の中には静かな場所があった。誰にも見せず、誰にも触れさせなかった、白い部屋のような場所。
大人になるにつれ、その部屋は少しずつ形を変えた。主張することを覚え、強くなる必要を知り、感情は整理され、整えられていった。それは悪いことではない。生きていくためには、必要な変化だった。
けれど、ときどき思う。あの、まだ名前のつかない感情を、そのまま抱えていた頃の心は、どこへ行ったのだろう、と。

白いフリージアは、強く香るわけではない。けれど、近くを通ると、ふっと甘い匂いが立ち上る。計算のない、ただそこにある香り。意図せず、心に触れてくる。
遥は花屋の前で立ち止まり、しばらくその香りに身を委ねた。買うつもりはない。ただ、見ていたかった。
自己主張をしない姿は、控えめで、少し不器用にも見える。それでも、花は確かにそこに咲いている。誰かに認められなくても、評価されなくても、自分の形を保ったまま。
——あどけなさ、とは弱さではないのかもしれない。

それは、まだ削られていない感受性であり、傷つく前の心の柔らかさなのだろう。壊れやすいからこそ、大切にされるべきもの。
遥はスマートフォンを取り出しかけて、やめた。写真に収めると、この花の持つ静けさが、別のものになってしまう気がした。
代わりに、目を閉じる。香りを吸い込み、白い輪郭を胸の奥に写し取る。
すべてを失ったわけではない。大人になっても、あの部屋はまだ、どこかに残っている。忘れていただけだ。忙しさや強さの影に隠れて。
目を開けると、フリージアは変わらず、そこにあった。ほどけそうで、ほどけないまま。
遥は小さく息を吐き、再び歩き出す。
あどけなさは、過去ではない。
それは、今も胸の奥で、静かに息をしている。