12月12日は明太子の日です
山口県下関市の明太子専門業、辛子明太子を全国に広めた前田海産株式会社が制定しています。元々は、韓国から辛子明太子が日本に伝わり、その発祥の地が下関です。この日付は、日本初の「明太子」という名称が新聞に載った1914年12月12日からといわれています。
明太子の起源
朝鮮半島には、スケトウダラの卵巣を調味して食するという習慣が古くからあったといいます。そして、これが明太子の起源と伝えられています。1800年頃には、唐辛子とスケトウダラの卵巣を一緒に塩漬けして食べるようになったと記述があります。その後、1900年の韓国併合ぐらいの頃に1人の日本人「樋口伊都羽」が辛子明太子として商品の販売を始めています。
樋口伊都羽
会津藩士の息子である樋口伊都羽氏は、明治の時代に朝鮮半島に渡り、漁業関係に従事しています。その時、スケトウダラの卵巣はほぼ全て捨てられてしまうの勿体ないと思いました。そこで、その卵巣を商品化にできないかを考えました。その後の明治40年には、釜山で樋口商店を創業して卵巣を明太子の販売を開始しています。その樋口氏の明太子は、日本にも入ってきていたそうです。しかし、終戦により樋口商店は廃業となり、後に韓国から明太子を輸入することが難しくなったといわれます。
明太子を有名にした川原俊夫
川原氏は、戦前に韓国の釜山にいたが、終戦に夫婦で日本に引き上げます。その後、韓国で好んで食べた明太子が忘れられず、日本で明太子作りを始めました。しかし最初は、日本人の口に合うようなものではなかったらしく、納得の商品が完成するまで、10年もの月日が流れてしまいました。
明太子が一気に広がった理由は
川原氏は、世間に明太子の製造法を企業秘密にせず、知りたい人には喜んで教えたそうです。そのせいか、博多では明太子の製造会社が増ええます。そして1975年には、新幹線が博多まで伸びたことで明太子の輸送が可能となって、博多明太子が全国にたちまち広まり知られるようになったそうです。今では、日本国内で消費量は年間3万トンとまでになっています。
明太子は何にでも合う
明太子は、今や万能調味料化しています。例えば、明太マヨネーズや明太クリームのパスタなど、明太子をソースに変えることができます。また、あの「ピリッと辛い」のがパンやクラッカーなどでも合います。なので、トッピングしておやつやおつまみにも大活躍しています。明太子は、ちょっと価格が高めなところがいたいですが、美味しく人気があるので作った人には感謝したいです。