11月30日の誕生花「アツモリソウ」

「アツモリソウ」

基本情報

  • 科名:ラン科
  • 属名:アツモリソウ属(Cypripedium)
  • 学名Cypripedium macranthos(代表的な種)
  • 分類:多年草(地生ラン)
  • 原産地:日本(北海道~本州の寒冷地)、東アジア
  • 生育環境:山地の草原・落葉樹林の半日陰、冷涼で湿り気のある場所
  • 開花時期:5~6月
  • 絶滅危惧種:環境省レッドリストで絶滅危惧IB類に指定
  • 特徴的な構造:袋状の「唇弁」が目立つ、いわゆる“レディススリッパ”型のラン

アツモリソウについて

特徴

  • **袋状の花(唇弁)**が特徴で、膨らんだ花姿がとても印象的。
  • 色は赤紫、ピンク系が多く、白や淡緑色の種・変種もある。
  • 地面に根を張って育つ「地生ラン」で、湿り気のある冷涼な環境を好む。
  • 栽培が非常に難しく、環境の変化に敏感。野生個体は減少。
  • 花は大きく、横幅5〜8cmほどで存在感がある。
  • 名前は源平合戦の武将「平敦盛」にちなむとされ、“武将の母衣(ほろ)”を思わせる花形に由来。

花言葉:「君を忘れない」

  • アツモリソウは、源平合戦の若き武将・平敦盛の名を冠した花
  • 17歳で戦死した敦盛を弔う語りや伝説が多く、
    「悲しみの中で忘れられない者」
    「心に残り続ける想い」
    というイメージが生まれた。
  • 山奥にひっそり咲く姿が、
    “静かに誰かを想い続けているよう”
    という印象を与えるため。
  • こうした背景が重なり、
    「君を忘れない」「追憶」「あなたを忘れない」
    などの花言葉が付けられた。

「山影に咲くもの」

山の奥、誰も通らない細い道を、凪(なぎ)はゆっくりと歩いていた。六月の風はまだ冷たく、草木の匂いに混じって、どこか懐かしい湿り気を運んでくる。
 その匂いを吸い込みながら、凪は胸の奥で小さく名前を呼んだ。

 ――アツモリソウ。

 彼と最後に会ったのは、まだ春の名残が町に漂っていた頃だった。彼は笑っていた。何もかも抱えてしまう癖のあるくせに、いつも凪には弱音を見せないままだった。

 「大丈夫だよ。……たぶん」

 その“たぶん”に、もっと深い意味があることを凪は分かっていた。けれど聞けなかった。聞けば、なにか決定的な線を引いてしまう気がして。

 それきり、敦盛は消息を絶った。

 行方不明、という曖昧な言葉だけが残され、彼自身を示すものはどこにもなかった。警察の捜索も、家族の嘆きも、時間の流れさえも、凪の中の空白を埋めてはくれなかった。

 そのとき、彼の祖母がぽつりと言った。

 「敦盛はね、春になると必ず山へ行っていたのよ。あの子が好きだった花があるの」

 祖母の話を頼りに、凪はひとりで山へ向かった。
 手がかりと言うにはあまりに頼りない。けれど他にできることもないまま、今日に至った。

 しばらく歩くと、木々のすき間から薄い光が差し込む、小さな草地に出た。
 凪は息をのみ、足を止めた。

 そこに――咲いていた。

 淡い紅の袋のような花。ひっそりと、風の音にも紛れそうに、けれど確かにその場を照らすように。

 アツモリソウ。

 名の由来は平敦盛。若くして戦で命を落とした武将。その名を背負う花は、昔から「君を忘れない」と語り継がれてきた。
 失われたものへの想い、消えない痛み、静かな祈り――そんな感情を深く宿す花。

 凪はゆっくりと膝をつき、花に触れないようそっと顔を寄せた。

 「……どうして、こんなところに」

 けれど、問いは風に溶けて消えた。

 ふいに、胸の奥で鈍い音がした。
 敦盛が山へ向かっていた理由。
 春になると思い出したように姿を消した日々。

 もしかすると、この花のためだったのかもしれない。
 ただ見たくて、ただ確かめたくて。
 誰にも言わず、静かに自分を保つために。

 凪は思わず笑った。泣きながら。

 「君を忘れない、か……。ずるいよ、その花」

 だって、忘れられるわけがなかった。

 敦盛がいなくなったあの日から、凪は何度も思い返していた。
 笑顔も、沈黙も、交わした短い言葉のひとつひとつも。
 まるで時間が凪の中だけで止まってしまったかのように。

 アツモリソウは、風に揺れながら小さな影を地面に落としている。
 まるでそこに、誰かが腰かけているみたいに。
 凪を見守るように。

 「ねえ、敦盛。
  君はここで、何を思っていたの?」

 答えはない。
 あるはずがない。

 けれど、凪は小さく息を吐いた。
 胸の奥で、長い間固まっていた何かが、少しだけほどけていく。

 忘れないという言葉は、苦しみを抱え続けることではない。
 ただ、その人を想いながら、自分の時間をまた歩き始めることだ。
 そう思えた。

 花のそばに、ひとつだけ影が揺れた。
 風。
 あるいは――記憶のなかの、彼。

 凪は立ち上がった。
 「また来るよ。……ちゃんと前に進むから」

 アツモリソウは何も言わない。
 ただ山の静けさの中で、ひっそりと咲き続けている。

 まるで、永遠に。
 そして静かに告げるように。

 ――君を忘れない、と。