「ボタン」牡丹

基本情報
- 学名:Paeonia suffruticosaosa
- 英名:Tree Peony
- 科名:ボタン科(Paeoniaceae)
- 原産地:中国(特に中国中部)
- 開花時期:4月下旬~5月中旬
- 花の色:赤、ピンク、白、黄色、紫など
- 草丈:約1~1.5m(低木)
ボタンについて

特徴
- 豪華で大輪の花:直径20cm以上にもなる花を咲かせ、「花の王」とも呼ばれる。
- 落葉低木:多年生の低木で、冬には葉を落とし、春に新芽と共に花を咲かせる。
- 品種が豊富:改良が進み、数百以上の品種が存在する。
- 観賞用として人気:庭園、寺院、公園などでよく見られる。
花言葉:「富貴」

● 意味:「富貴(ふうき)」=「豊かで高貴なこと」「富みと名誉」
● 由来の背景:
- 見た目の豪華さ
牡丹の花は非常に大きく華やかで、まるで絹のような花びらを幾重にも重ねる姿は、富や栄華を象徴します。その姿がまさに「富」と「貴」を体現しているとされました。 - 古代中国での評価
中国では唐の時代から牡丹は「花王(かおう)」と呼ばれ、皇族や貴族の庭に植えられていました。「富貴花」とも呼ばれ、繁栄や吉兆の象徴とされました。 - 文芸や絵画での扱い
詩や屏風絵、浮世絵などにも牡丹は高貴な花としてしばしば登場します。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という美人の例えにも登場するように、気品ある美の象徴でもありました。
◆ 関連する花言葉
- 王者の風格
- 高貴
- 壮麗
- 風格
「富貴の庭」

春の終わり、風がやわらかく花を揺らす季節。古都・洛陽の外れに、小さな屋敷があった。そこには、かつて宮廷の女官だった一人の老女、姚(よう)が静かに暮らしていた。
姚の庭には、毎年見事な牡丹が咲く。それはかつて、唐の皇帝から賜ったという由緒ある牡丹の子孫だった。今やその品種は絶え、姚の庭にしか咲かぬ幻の花と噂されていた。
町の者は「富貴の庭」と呼び、遠くから花を見に来る者もいたが、姚は決して庭の門を開かない。ただ一人、隣家の少女・霜蘭(そうらん)だけが、毎年その花を間近で見ることを許されていた。

姚と霜蘭は、血のつながりはないが、まるで祖母と孫のような関係だった。霜蘭がまだ幼い頃、両親を疫病で亡くし、泣きながら門の前で座っていたのを、姚が拾い上げたのが縁だった。
ある年の春、霜蘭は姚に尋ねた。
「どうして牡丹は“富貴の花”って呼ばれるの?」
姚は微笑んで、語りはじめた。
「昔、唐の都でね、牡丹は“花王”と呼ばれていたのよ。その姿は、まるで天の絵筆が描いたように美しくて。皇后さまや妃たちは競ってこの花を咲かせたの。花が咲けば、富と栄華が訪れると信じていたのね」

「でも、それってほんとうの“富貴”なの?」
霜蘭の問いに、姚は少し驚いたような顔をしてから、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。あれは表の富貴。目に見えるもの。でもね、霜蘭、牡丹はそれだけの花じゃないの」
そう言って、姚は花びらにそっと触れた。
「牡丹はね、厳しい冬を越えて、じっと耐えたあとに咲くの。その忍耐と、咲いたときの誇り高さ――それが本当の“富”であり、“貴”なの。だから、花は語るのよ。“咲く時を知れ。己を知れ”とね」
霜蘭はその言葉を胸に刻んだ。
月日が流れ、姚は老い、ある春の朝に静かに息を引き取った。その日、牡丹はこれまでにないほど大きく、美しく咲いた。花は風に揺れ、まるで姚の最後の言葉を伝えるかのようだった。

姚の遺志により、「富貴の庭」は霜蘭に託された。少女はやがて成長し、その庭を守り続けることを誓った。やがて霜蘭の手で、牡丹は再び都の庭園や寺に広まり、多くの人々の目と心を潤すことになる。
そして春が巡るたび、「富貴」の意味を問う者が現れる。霜蘭はいつも笑ってこう答える。
「富とは、与えられたものでなく、育んだもの。貴とは、見せびらかすものでなく、心に宿すもの。そう、あの人が教えてくれたのです」
牡丹は今日も咲く。まるでその言葉を、静かに証明するかのように。