アフリカの子どもの日

6月16日はアフリカの子どもの日です

6月16日はアフリカの子どもの日

この日は、教育のために立ち上がった多くの学生たちのことを忘れないため、アフリカの子供たちについて考える日です。そして、南アフリカではこの日を「青年の日」として祝日にもなっているそうです。1991年には、アフリカ統一機構(現在のアフリカ連合)が「アフリカの子どもの日」として制定しています。

教育のためにデモ行進

ソウェト蜂起

1976年6月16日、南アフリカ共和国のヨハネスブルグ郊外に位置するソウェト地区で、教育の質の向上と自国語で教育を受けるという権利を主張するために、黒人学生たちによるデモ行進を行ったそうです。そして次第に暴動に発展して「ソウェト蜂起」が起こりました。

当時、アパルトヘイト政策(極度の人種差別の政策)を行っていた南アフリカ政府は、学校でゲルマン語派のアフリカーンス語の授業の導入を決定しています。アフリカーンス語を「白人支配の象徴」と見なす黒人と主に学生たちの間で激しい反発が起こり、数週間に亘って黒人学生が授業をボイコットする事態に発展しています。

アパルトヘイトとは

アパルトヘイト(apartheid)は、南アフリカ連邦および、南アフリカ共和国で1948年~1994年まで施行されていた人種隔離政策のことです。この政策は、白人を優遇して有色人種に対し、政治的または経済的な差別を行っていました。具体的には、有色人種には選挙権がなかったり、移住区間が完全に区別されていたようです。

アパルトヘイトは、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味していてます。この政策の目的は、少数の白人の政治的・経済的特権を維持するため、黒人をはじめ白人以外の人種の権利や自由を奪い、様々な制限を与えました。

子供たちへの無差別な弾圧

子供たちへの無差別な弾圧

これらの暴動に参加した子供たちは、軍隊から無差別に銃撃を受けるなどの抗議活動が2週間も続きました。そしてその結果、100人以上が殺害されて1000人以上が負傷する事態となっています。この事が、反アパルトヘイト闘争の転換点となった出来事ともいわれているそうです。

日本からの支援活動

日本からの支援活動

2019年10月に日本政府の支援により「万人のための教育」プログラムの一環として「学校の修復作業」、また日本ユニセフ協会は、「インフラの復旧」と「学校の塗装」「机や椅子、ホワイトボード」「水と燃料タンク」の提供を行っています。さらには、「校庭の修復やフェンスの設置」、障がいのある子供のために「トイレの修復と改善」、そして教員研修用の教室の整備も行われたようです。

このように、日本でも1993年から毎年、「熊本県ユニセフ協会」(日本ユニセフ協会協定地域組織)が「アフリカ子どもの日」にイベントも開催されています。そして我々個人も、この日をきっかけに人種差別に限らず、身近な人権問題について考えることも大切な第一歩に繋がって行くのではないでしょうか!


「アフリカの子どもの日」に関するツイート集

https://twitter.com/mnomura31/status/1535009370261450752?s=20&t=_uQQMRJrkmzIxrNSspqskQ