ポツダム宣言の日

7月26日はポツダム宣言を発表した日

ポツダム宣言

1945年7月26日、米英中が日本に対し、ドイツ郊外のポツダムにて、降伏を求めるポツダム宣言の文書を発表しました。 当時の日本政府はこれを受け入れず、広島・長崎への原爆投下、ソ連の宣戦布告後の8月14日に受諾。 翌15日、ついに昭和天皇の「玉音放送」が日本の敗戦を告げられました。

ポツダム宣言の経緯

日本の戦争終結に至った背景

連合国は1943年頃から、枢軸国であるドイツ・イタリア・日本に対し、「無条件降伏」を求める方針を決められていました。当時のソ連やイギリスは、条件を限定し方が良いのとの意見だったそうです。

アメリカ主導の宣言文書

ポツダム会談

しかし、最終的にアメリカのルーズベルト大統領の強い意向で決められたのだそうです。その宣言文の大半をアメリカが考え、イギリスが修正しましたが、他の連合国は内容に関しては、一切関与していないそうです。そして、この宣言が発表されましたが、この文書の内容では日本側に選択肢が無く、連合国側が一方的に有利だということで、日本政府はすぐには受け入れなかったようです。

無条件降伏を受諾した日本

戦争終結、日本人として知るべき真実

ポツダム宣言の受諾が何故遅れたのか、また原爆投下を防げなかったのか。その理由というのが、当時の日本政府は「陸軍」「海軍」「政府」三者の意見が全員一致でなければ降伏できない状況だったようです。天皇の聖断に至るまで、結局一度たりとも降伏を決定することができなかったといわれています。

当時の統帥権は、天皇陛下ではなかった!?

昭和天皇と終戦

日本では統帥権があり、開戦や降伏といった軍事に関わることは統帥権で決定される事項だったそうです。天皇に決定権があるということでしたが、実際には昭和天皇は立憲君主であることを自認して自らは政治的な決定をしていませんでした。

実権を握るは、陸海軍

1945年、日本がポツダム宣言を受諾、そして終戦!

したがって、実際の統帥権は陸海軍が握っていたと言っても間違っていないと思います。そうなれば当然、軍隊に敗北を認めさせるのは簡単ではなく、戦力が残っている限り、名誉のために戦うという流れになったのでしょう。そして、決して陛下の指示によるものではなく、国民の士気を高めるために陛下の存在を利用していたのだと想像できます。

この教訓をいつまでも忘れずに

昭和天皇、終戦に最後のお言葉!

毎年この時期は、広島や長崎、そして戦争を始めた過去の過ちを振り返り、「そもそも、この戦争は必要だったのか」「こうなったのは何が原因なのか」「この状況ではこうすべきだったのでは」などと意見交換を行い、今後の平和について考えてみることも大切だと思います。

「ポツダム宣言」についてのツイート集

戦前、そして敗戦、終戦から復興、現在の日本、それぞれの時代背景を正しく知ることで、きっと大きく変われて、嘘が飛び交うと永遠に変われない。ツイートは、批判的な意見や好意的な意見、自由にドンドン飛び交います。

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