3月27日、5月23日、6月13日の誕生花「ジギタリス」

「ジギタリス」

基本情報

  • 和名:ジギタリス(狐の手袋)
  • 学名:Digitalis
  • 科名/属名:オオバコ科(旧ゴマノハグサ科)/ジギタリス属
  • 分類:多年草(または二年草)
  • 原産地:ヨーロッパ、北東アフリカ~中央アジア
  • 開花時期:5〜7月
  • 花色:紫、ピンク、白、クリーム色など
  • 利用:観賞用、薬用(強心作用を持つ成分を含む)

ジギタリスについて

特徴

  • 釣り鐘状の花が茎に沿って下向きに連なって咲く
  • 花の内側に斑点模様があり、独特で華やかな印象を持つ
  • 草丈は高く、1〜2mほどになることもある
  • 美しい反面、全草に強い毒性を持つ(取り扱い注意)
  • 英名「Foxglove(狐の手袋)」の由来は花の形から


花言葉:「熱愛」

由来

  • 鮮やかで目を引く花が連なって咲く姿が、燃え上がるような強い感情=熱い愛に重ねられたことから
  • 美しさと同時に毒を持つ性質が、強く惹かれながらも危うさを伴う恋愛の激しさを象徴すると考えられたため
  • 一度目にすると強く印象に残る存在感が、抑えきれない情熱や深い愛情を連想させたため

「触れてはいけない花の名を、君は知っている」

 その花を初めて見たのは、雨上がりの午後だった。

 空はまだ曇りきっていて、陽の光は薄く、どこか世界の輪郭を曖昧にしていた。湿った土の匂いが立ち上る庭の奥で、ひときわ鮮やかな色が視界に入り込んできた。

 背の高い茎に、いくつもの花が連なっている。紫がかったピンクの花弁は、どれも下向きに開き、内側には小さな斑点が散っていた。

 ジギタリスだった。

 「きれいでしょう?」

 声のしたほうを振り向くと、そこに彼女が立っていた。

 白いシャツの袖を少しまくり、濡れた葉を指先で払う仕草。その動きの一つひとつが、不思議なほど静かで、けれど目を離せなかった。

 「……うん、すごく」

 それが、最初の会話だった。

 彼女――美咲は、この庭の手入れを任されていると言った。町外れの古い洋館、その裏庭に広がる花壇。訪れる人もほとんどいない場所だったが、彼女はそこに毎日通っていた。

 「この花、毒があるの」

 そう言って、彼女はジギタリスを見上げた。

 「だから、触らないほうがいいよ」

 その言葉は、警告のはずだった。けれど、なぜか拒絶のようには聞こえなかった。

 むしろ、どこか甘い響きを帯びていた。

 それから、何度もその庭を訪れるようになった。

 理由は単純だった。花が見たかったのか、彼女に会いたかったのか、自分でもよくわからなかった。ただ、足が自然と向いてしまうのだ。

 ジギタリスは、いつも同じ場所で咲いていた。

 背を伸ばし、連なる花を揺らしながら、そこにある。

 その姿は、どこか不自然なほどに整っていて、だからこそ目を引いた。

 「どうして、そんなに好きなの?」

 ある日、思い切って聞いてみた。

 美咲は少しだけ考えてから、微笑んだ。

 「危ないから」

 予想外の答えだった。

 「危ないって、どういうこと?」
 「……きれいなものって、近づきすぎると壊れるでしょ?」

 彼女の視線は、花ではなく、どこか遠くを見ていた。

 「それでも、近づきたくなる。そういう気持ち、わかる?」

 答えられなかった。

 わかる、と言ってしまえば、何かが始まってしまう気がした。わからない、と言えば、ここに来ている理由を否定することになる気がした。

 沈黙の中で、風が吹いた。

 花が揺れる。連なる花が、一斉にかすかに震える。

 その様子は、まるで感情が形を持ったかのようだった。

 それからの日々は、曖昧だった。

 会話は少なかった。けれど、同じ場所に立ち、同じ花を見ているだけで、何かが満たされていく感覚があった。

 触れたことは、一度もない。

 彼女にも、花にも。

 けれど、その距離があるからこそ、保たれているものがある気もしていた。

 「ねえ」

 ある日、美咲がぽつりと呟いた。

 「もし、この花に触れたらどうなると思う?」

 「……さあ。毒があるんだから、よくないんじゃないかな」

 そう答えると、彼女はくすっと笑った。

 「そうだよね。わかってるのに、触れたくなることってあるよね」

 その言葉は、どこか確信めいていた。

 その日を境に、彼女は来なくなった。

 理由はわからない。連絡先も知らない。ただ、突然、そこにいなくなった。

 庭は変わらず存在していた。ジギタリスも、同じように咲いていた。

 けれど、何かが決定的に違っていた。

 色が、違って見えた。

 あれほど鮮やかに感じていた花が、どこか遠いものになっていた。

 それでも、足はそこへ向かう。

 まるで習慣のように、あるいは未練のように。

 「……ほんと、きれいだな」

 誰もいない庭で、そう呟く。

 答えはない。

 ただ、花が揺れるだけだ。

 触れようと思えば、触れられる距離にある。けれど、手は伸びない。

 触れてしまえば、終わってしまう気がした。

 この感情のかたちも、この場所の意味も。

 ジギタリスは、何も語らない。

 ただ、その存在で語っている。

 強く惹きつけるものほど、危うい。

 それでも、人はそこから目を逸らせない。

 それが、熱愛というものなのかもしれない。

 胸の奥に残る、消えきらない熱。

 手に入らないからこそ、強くなる想い。

 触れないままでも、確かにそこにある感情。

 「……また来るよ」

 そう言って、踵を返す。

 振り返らなかった。

 振り返れば、きっとまた引き戻される。

 それでも、心のどこかで知っている。

 またここに来てしまうことを。

 あの花が、変わらず咲き続ける限り。

 ジギタリスの花は、今日も静かに揺れている。

 誰かの心を強く惹きつけながら。

 触れてはいけないと知りながら、それでも近づいてしまう感情を――

 まるで、肯定するかのように。

はやぶさの日

6月13日は「はやぶさの日」です

6月13日は「はやぶさの日」

2010年6月13日、小惑星探査機「はやぶさ」が様々なトラブルに遭いながらも往復60億㎞、7年もの長旅の末に地球に帰還しました。この探査機は、世界初の「サンプルリターン」、「イオンエンジンの長時間運行」をはじめとする数々の科学的な偉業を成し遂げています。

「あきらめない心」と絆

このプロジェクトに参加した全てのスタッフに「あきらめない心」と絆を伝えるために「銀河連邦共和国」では、この探査機が帰還した日付を「はやぶさの日」と宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設がある4市2町(秋田県能代市・岩手県大船渡市神奈川県相模原市長野県佐久市北海道大樹町鹿児島県肝付町)で組織する「銀河連邦」が制定しました。

銀河連邦

銀河連邦

銀河連邦は、1987年11月8日に宇宙開発最先端技術の研究に取り組む宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究施設がある地域と交流を始め、5市2町がユーモアとパロディ精神で創った「連邦国家」組織です。その各共和国が手を取り合い、相互の理解と親善を深め、宇宙平和という役割を担って人々の笑顔があふれるユートピアの創造をめざします。

また、この組織の役割は、子どもたちの留学交流事業やスポーツ交流や経済交流、銀河連邦サミット・フォーラムの開催などを通じて友好を深め、互いの発展と宇宙への夢とロマンを育むことです。

小惑星探査機「はやぶさ」

小惑星探査機「はやぶさ」


小惑星探査機「はやぶさ」は、近地球型とよばれる小惑星「イトカワ」の表面物質搭載カプセルを地球に持ち帰ること(サンプルリターン)に成功した探査機です。また「はやぶさ」は、将来本格的なサンプルリターン探査に必須となる技術を実証することを目的とした工学技術実証のための探査機であり、「イオンエンジン」「自律航法」「標本採取」「サンプルリターン」の4つの重要技術の実証を行っています。

そして、2010年6月13日に地球へ帰還し、搭載カプセルをオーストラリア・ウーメラ砂漠へ落下させて、その任務を終えています。この地球に持ち帰ったサンプルは、分析が行われて小惑星の形成過程を知ることで新しい発見をして、今後の小惑星探査の重要な指標になりました。

夢のある研究

ロケット

これら宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究は、結果や成果が明らかになるまで、もう少し先のことです。我々50代以上になる人にとって、この研究や開発結果を見届けることは不可能かもしれませんが、未来への夢が想像できて、今からわくわくします!


「はやぶさの日」に関するツイート集

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6月12日の誕生花「ユッカ」

「ユッカ」

基本情報

  • 学名:Yucca
  • 和名:ユッカ属(イトラン属)
  • 別名:「青年の木」(若くシンボル的な存在感から)
  • 原産地:北アメリカ、中央アメリカ
  • 開花時期:5月~10月頃
  • 分類:リュウゼツラン科、バツリ系単子葉植物

ユッカについて

特徴

  • :剣のように鋭く、上へ向かって伸びる肉厚の常緑葉
  • :直立し、高い種では数メートルに達する木質の幹を形成
  • :初夏〜夏に白〜クリーム色のベル型の花を咲かせる
  • 耐性:乾燥・暑さ・寒さに強く、手間がかからないタフな観葉植物
  • 栽培しやすさ:日当たりを好み、水やりは控えめ。風通しの良い環境が適しており、初心者にも扱いやすい

花言葉:「勇壮」

ユッカの花言葉には「勇壮」「颯爽」「偉大」「立派」などがあり、これは

  1. 鋭く強靭な葉がまるで剣のように力強く伸びる姿
  2. 白い花が清々しく、空に向かって堂々と咲く様子
    から来ていると言われています。

「青年の木」という別名にも表されるとおり、若々しく勇ましいイメージが根底にあります


「青年の木の約束」

駅から少し離れた町外れに、小さな園芸店がある。看板には「緑の扉」と手書きの文字。古びているが、不思議と味がある。店の奥、日差しが差し込む窓際に、それはあった。

背筋を伸ばして立つ、ひときわ存在感のある観葉植物。鋭く尖った葉を天に向け、まるで剣士が静かに構えているようだった。

「それは、ユッカ。『青年の木』って呼ばれてるの。強くて、真っ直ぐで、そして勇ましいのよ。」

店主の言葉に、佐伯はふと足を止めた。

「花言葉はね、『勇壮』とか『颯爽』とか。若さの象徴みたいな植物なの。」

それは、彼にとって妙に引っかかる言葉だった。

大学を卒業して三年。夢だった職場に就いたものの、現実は理想とはかけ離れていた。やりがいも情熱も、日々の残業の中で、いつしか霧のように消えていった。

「でも、たまに花も咲くのよ。白くて清々しくて、堂々と空を見上げるような花。」

佐伯はその話に、胸の奥がわずかに震えるのを感じた。

「…この木、もらっていきます。」

その日から、彼の部屋に青年の木がやってきた。

初めはただの観葉植物だった。朝の光に晒し、水をやり、ときどき話しかけた。すると、少しずつ、変化が生まれた。彼の生活に、わずかだがリズムが戻ってきたのだ。

ふとした瞬間に、ユッカの葉の尖りを見ると、自分の姿勢が正される気がした。うつむきがちだった首が、少しだけ上を向く。白い花を咲かせる姿を想像するたびに、自分もまた何かを咲かせられるのではないかと思えた。

季節がひとめぐりしたある朝。

窓のそばで、ユッカが白い花を咲かせていた。まるで空に向かって誇らしげに咲く、希望の灯火のように。

その日、佐伯は会社に辞表を出した。勢いだけではなかった。新しい道を歩むため、準備もした。かつて諦めた、学生時代に夢見た小さな設計事務所を始める覚悟だった。

友人に言われた。

「なにがあったんだ? 急に変わったな。」

彼は笑った。

「毎日見てたんだよ、真っ直ぐ立ってるヤツを。」

青年の木は今も彼の部屋にいる。花はまた散ったが、葉は今も空に向かって剣のように伸びている。

若さは年齢じゃない、と佐伯は思う。

まっすぐ立ち、空を見上げる。その姿勢こそが、「勇壮」や「颯爽」を体現するのだ。人生に迷った時は、ふとあの木を見ればいい。きっと、背筋を伸ばせと言ってくれるだろう。

そして、白い花が咲いた日を、また迎えるために。

3月28日、5月18日、30日、6月12日の誕生花「ライラック」

「ライラック」

基本情報

  • 和名:ライラック(またはリラ)
  • 学名Syringa vulgaris
  • 英名:Lilac
  • 科名/属名:モクセイ科/ハシドイ属(Syringa)
  • 原産地:ヨーロッパ南東部
  • 開花時期:4月~6月(地域により異なる)
  • 花の色:紫、白、ピンク、青など
  • 香り:甘く爽やかな香り(香水にも使用される)

ライラックについて

特徴

  • 落葉性の低木または小高木で、庭木や街路樹として人気があります。
  • 穂状の房状に小花が密集して咲く姿が特徴で、遠くからでも存在感があります。
  • 耐寒性が強く、寒冷地でもよく育ちます。
  • 花だけでなく、芳香のある花の香りも大きな魅力。
  • 園芸品種が非常に多く、世界中で観賞用に栽培されています。

花言葉:「友情」

イラックにはいくつかの花言葉がありますが、「友情」という花言葉は主に紫のライラックに結びついています。

● 由来の背景

  • ライラックは、春の訪れと共に咲くため、新しい出会いや人間関係の始まりを象徴します。
  • 一つひとつの花は小さいですが、集まって咲くことで強い絆やつながりを感じさせるため、友情や親しみの象徴とされています。
  • ヨーロッパでは、古くから友人との再会や別れの際の贈り物としてライラックが使われてきました。

● 他の花言葉と関係

  • 紫のライラック:「友情」「思い出」「初恋」
  • 白いライラック:「無邪気」「青春の喜び」

「春、紫にほどける」

駅前のロータリーにある古い公園には、一本のライラックの木がある。
私と千紘が初めて出会ったのも、その木の下だった。

四月の始まり、大学の入学式の帰り道。人混みに疲れて、私はベンチに腰を下ろした。花の香りに気づいて見上げると、小さな紫の花がこぼれるように咲いていて、その隣に同じように座っていたのが千紘だった。

「ライラック、好きなんだよね。紫は友情の色なんだって」

初対面なのに、そんなことを自然に言える人だった。
それがきっかけで、私たちはすぐに仲良くなった。

一緒に授業を受け、レポートを書き、カフェで何時間も話した。笑ったり泣いたり、特別なことがあったわけじゃない。でも、いつも一緒にいた。

春になるたび、あのライラックの木の下で待ち合わせていた。咲き始めた紫の花を見上げながら、変わっていく自分たちを少しだけ誇らしく思った。

だけど、大学四年の春。
就職を機に、千紘は遠くの街へ行くことになった。

「最後に、ライラック見て帰ろっか」
彼女はそう言って、いつものように駅前の公園に誘ってくれた。

ライラックは、ちょうど満開だった。風が吹くたびに、花の香りがふわっと鼻先をかすめた。

「これ、あげる」
千紘が差し出したのは、小さな紫のライラックの花束だった。

「花言葉、覚えてる? 友情。ずっと、ありがとう」
「……うん。私こそ」

別れ際、千紘は笑って言った。
「友達ってさ、離れても続くんだよ。花が咲く季節になったら、思い出すでしょう?」

それから数年。
毎年春が来るたびに、私はあの公園へ足を運ぶ。
今ではスマホ越しに「咲いたよ」と送り合うだけだけれど、それでも十分だ。

今年もライラックは変わらず、優しい紫にほどけていた。
それを見上げながら、私はそっと微笑んだ。

「また、会おうね。あの頃みたいに」

そして、香りとともに、春が胸に満ちていった。

アンネの日記の日

6月12日はアンネの日記の日です

6月12日はアンネの日記の日

1942年6月12日、ユダヤ系ドイツ人少女のアンネ・フランクが「アンネの日記」を書き始めました。アンネの家族は、1933年にナチスが政権を取るとナチ体制の迫害に逃れようと、一家でオランダ、アムステルダムに移住しました。この「アンネの日記」は、1942年6月にアンネが13歳の誕生日にお父さんから日記をプレゼントされたところから始まります。日記は、1942年6月12日~1944年8月1日までの約2年間が記録されているそうです。

「アンネ・フランク」とナチス政権

アンネ、ドイツのフランクフルトで生まれ

アンネ・フランクは、1929年6月12日にドイツのフランクフルトで生まれました。そのアンネには3歳上の勉強熱心で聡明な姉のマルゴットがいました。この時期のドイツは、世界恐慌などの影響で景気が悪化し、人々は貧しい生活をしていたそうです。またその頃アドルフ・ヒトラーは、その勢力を伸ばして支配地域をどんどん伸ばしていました。ヒトラーは、ユダヤ人を憎んでいて、ドイツが抱える不況問題の責任をユダヤ人に濡れ衣を着せていたといいます。そしてヒトラーは当時、ドイツに広まっていた反ユダヤ感情を利用したといわれています。

ナチス・ドイツのオランダ侵攻

ナチス・ドイツのオランダ侵攻

1939年9月1日、アンネが10歳の時にナチス軍がポーランドへ侵攻、第2次世界大戦が始まります。その後、1940年5月10日にナチス軍はオランダにも侵攻し、その5日後には降伏しています。その後ドイツ軍は徐々にユダヤ人の生活がしにくくなる法律や条例を導入していったそうです。これらの規則で、アンネの行動範囲が規制されていきます。また、ユダヤ人が会社を持つことも禁止されてアンネの父も会社を失い、アンネを始め、ユダヤ人の子供達は全て学校に行かなければならなくなりました。

一家でオランダ、アムステルダムに移住

アンネ・フランクの家

ナチスのユダヤ人迫害は更に進み、ユダヤ人は「ユダヤの星」(「ダビデの星」あるいは「ユダヤの星」と呼ばれ、古代ギリシャ時代よりユダヤ教のシンボル)を着けることが義務付けられます。そして、「ユダヤ人はオランダから出て行かなければいけない」という噂が流れます。1942年7月5日にマルゴット(アンネの姉)にナチス・ドイツの労働キャンプへの召集令状が届きました。しかし、両親はこの召集が労働のためと信じず、翌日から隠れることにして  隠れ家(アムステルダム市プリンセン運河263番地にあったオットーの会社の後ろ)に移動し、潜伏することになります。  

アンネ、日記を書く

日記を書くアンネ

アンネは、隠れ家へ移動する前に13歳の誕生日を迎えた時、プレゼントの日記帳をもらい、隠れ家で生活した2年の間、アンネは隠れ家での出来事やアンネが感じたことなどを日記に書き留めていました。また、それだけではなく小説などを書き始めたり、自分が読んだ本から抜き出した一節を書き、そのことが、アンネ自身の大きな慰めとなったのでした。

その後、アンネは日記の清書を書き始めましたが、その作業が終了する前の1944年8月4日、アンネと隠れ家の住人は警察に発見されて逮捕されています。アンネは、最終的の送られたベルゲン・ベルセン収容所で、食料はほとんど与えられず、環境も劣悪であるがためにアンネもマルゴットも発疹チフスにかかって、1945年2月に亡くなります。

この「アンネの日記」は、反ユダヤ感情とドイツの不景気から作られた一人の少女書き綴った悲劇の記録となります。

戦争は不寛容がきっかけに

アンネ・フランク1929~1945

人は、生まれ持った性格や育った環境によって、それぞれ思想やこだわりが生まれます。しかし、そのこだわりが宗教の違いや人種差別などにより、さらに波及して派閥ができ、対立が始まります。すると、相手に対して不寛容になって、自分の領域に入ると攻撃してしまい、そこから争いが始まります。

今や世界中で、人類は全て平等だということをネットなどを利用して拡散しています。しかし、それが当たり前の世の中へと変えるためには、まず全ての人に寛容さを持つためにどう働きかけたら良いかを考えることから始めないと先へは進まないでしょうね!人類の永遠の課題です。


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6月11日の誕生花「ベニバナ」

「ベニバナ」

基本情報

  • 学名Carthamus tinctorius
  • 英名:Safflower
  • 和名:ベニバナ(紅花)
  • 科名:キク科
  • 原産地:エジプトなどの中東地域
  • 草丈:30~150cm
  • 開花時期:6月~7月
  • 用途:染料(紅・黄)、食用油、漢方薬、美容・健康食品など

ベニバナについて

特徴

  • 花は黄色から橙色、時間が経つと紅色に変化します。
  • 花弁からは紅色と黄色の染料が抽出されます。とくに紅色は「口紅」などにも使われた歴史があります(例:山形の紅花)。
  • ベニバナ油(サフラワー油)は種子から採取され、健康油として人気です。
  • 乾燥地でも育つ強い植物で、日本では主に山形県が有名な産地です。

花言葉:「包容力」

ベニバナの花言葉にはいくつかありますが、その中でも「包容力」は次のような由来があります:

● 色の変化と用途の広さ

  • ベニバナの花は開花とともに黄色から赤色へと変化し、その過程で複数の用途(染料・薬・油)に利用されます。
  • 一つの植物が多様な役割を持ち、人々の生活を支える存在であることが、「広く受け入れる・支える=包容力」と重ねられています。

● 厳しい環境でも育つたくましさ

  • ベニバナは乾燥や痩せた土地でも育つ強靭さを持ちます。これは「困難な状況でも耐え、他者を受け入れる力」に通じるとされます。

● 古来より女性の美と健康を支えてきた存在

  • 紅花は古来より女性の美容(紅=口紅)や健康(漢方)を支えてきました。この「支える・守る・包む」役割が、精神的な「包容力」に例えられています。

「紅に包まれて」

高原の小さな村。夏の初め、風に揺れる紅い花が一面を染める季節になると、人々は決まってこう言った。

「今年も、紅花が咲いたね。あの人を思い出す季節だよ」

その「人」とは、村のはずれに住んでいた老婆・ミネのことだ。

ミネが村に戻ってきたのは、戦後間もない頃だった。若い頃は東京の呉服屋に奉公に出ていたらしいが、空襲ですべてを失い、身ひとつでこの村へ帰ってきた。両親もすでに亡く、荒れ果てた家の柱を自分の手で立て直し、畑を耕し始めた。

畑の隅に最初に蒔いたのが――紅花だった。

「紅花は、痩せた土でも咲くんだよ。何もなくなっても、これさえ咲けば大丈夫」

ミネの言葉を、当時子どもだった私たちは覚えている。

春、まだ雪が残る頃に細い芽を出し、夏には茎を伸ばし、黄色い花を咲かせる。それがやがて、陽を浴びるごとに赤みを帯びていく。その様子が、まるで少女が大人の女性へと成長していくようだと、ミネは笑っていた。

村の誰かが病を患えば、ミネは乾かした紅花を煎じて届けた。顔色の悪い女性には紅花で染めた紅を一刷け。「お化粧は心の薬でもあるんだよ」と、そう言ってにこりと笑った。

紅花は染料にもなり、薬にもなり、油にもなる。

「何にでもなれる花さ。人の役に立てるって、すごいことだよ」

そう言って、自分の分よりも人に分け与えることを選んだミネは、まるでその紅花そのもののようだった。

ある年、ひどい干ばつが村を襲った。稲は実らず、野菜も萎れた。それでもミネの畑の紅花だけは、しっかりと根を張り、見事な紅を咲かせた。

「紅花はね、乾いた土を恐れない。むしろ、そういう土地でこそ強くなるんだ」

その言葉を、私は今も忘れない。

ミネが亡くなったのは、90を過ぎたある年の夏だった。畑に咲いた紅花を最後に見届けるように、静かに息を引き取った。

それからというもの、村の有志が紅花畑を守り続けている。誰もがその花に、ミネの姿を見出しているのだ。

広く、赤く、あたたかく咲く花。その一本一本が、ミネの「包容力」を語っているようだった。

私の娘が思春期を迎え、不安定な心を抱えるようになった時、私はこっそり紅花で染めた小さな紅を、彼女の机に置いた。

「紅花はね、どんなに痩せた心にも、必ず咲くのよ」

ミネが私に教えてくれたように、今度は私が誰かにその力を手渡していく。

紅花の色は、時間とともに深くなる。

包むように、染めるように、誰かの心をあたためながら。

梅酒の日

6月11日は梅酒の日です

6月11日は梅酒の日

6月の「入梅」(暦の上で梅雨が始まる日)の時期から全国的に梅の摘み取りが始まります。そこで、梅酒づくりのシーズンに入るとともに、高品質の梅酒を美味しい状態で多くの人に飲んでもらえるよう、2004年にチョーヤ梅酒が、6月11日を記念日として制定しました。そしてこの頃から猛暑に入るため、梅酒を飲んで夏を元気に乗り切ってもらいたいという想いが込められています。ちなみに、6月1日は「梅肉エキスの日」、6月6日は「梅の日」、7月30日は「梅干の日」となっている。

梅雨の由来

梅雨

梅雨(つゆ)は、ご存じの通り春から夏にかけて雨や曇りの日が多くなり、日本列島を南から北上する前線が停滞する季節現象のことです。そして、漢字で「梅の雨」と書くのは、この時期に梅の実が熟すことからといわれています。ちなみに「梅雨」は黴雨(ばいう)とも書きますが、これは梅雨の時期は湿気が高く、ジメジメとしていて黴(カビ)が生えやすいためだといわれます。

また、「梅雨」をつゆと読むのは、雨の「露(つゆ)」に由来するとのことです。さらには、「栗の花が落ちる頃に梅雨入りする」、という言葉から「栗花落」(ついり)と書くことがあります。

「梅酒」と「本格梅酒」

本格梅酒

2010年前後、梅酒人気が高まって酒屋などの棚には梅酒がずらりと並びました。梅酒の生産量は2002年の2000万リットルから、2011年になると最終的には3900万リットルと2倍ほど伸びたといわれています。しかし、梅酒の生産量の増加に対し、原料となる青梅(熟す前の梅)の需要は伸びなかったそうです。実際に、この時期の梅酒用青梅の出荷が5900トン⇒6400トン、プラス約8%にしか増えていないということです。

その要因というのは、酸味料や香料、着色料を加えてつくった梅酒が多かったからだそうです。そこで、梅・糖類・酒類だけでつくった梅酒の区分表記について国に要望を出していたところ、日本洋酒酒造組合が2015年に「本格梅酒の基準」を設け、それ以外を「梅酒」という区別するようになったということです。

梅酒の効能は?

梅酒の効能は?

梅酒はいくつか薬用酒に使われるほど、我々にとって嬉しい効能があります。そんな梅酒が持つ健康効果や栄養価について簡単に紹介します。

疲労回復

疲労回復

梅干し1粒に1gほど含まれるクエン酸は、体内でエネルギーを作り出し、疲労の元の「乳酸」を分解して疲労回復を促します。さらに、ミネラルの吸収を助けて新陳代謝も促します。

免疫機能の維持

免疫機能の維持

梅酒に含まれるビタミンB6は、免疫機能を維持、皮膚の抵抗力を高め、ヘモグロビンの合成を行い、脂質の代謝にも関わってきます。また、ビタミンB6が不足すると、皮膚炎や口内炎のリスクがあります。

肝臓と胃腸の活性化

梅酒は、肝臓と胃腸の活性化する!?

梅酒に含まれているピクリン酸は、クエン酸と同様、有機酸の一種で、肝臓と胃腸の働きを良くする効果が期待できるといわれています。また、二日酔いや乗り物酔いなどに効くといわれ、便通の改善も期待できるそうです。

飲みすぎたら同じ

梅酒は適度に

実は、他にも「ビタミンB2」は皮膚や髪、爪などの再生。「カリウム」は、塩分を調整する働きがあるとのことです。しかしどの食材や飲み物も同じですが、摂りすぎると薬効果や大切な栄養が毒に変化します。また、飲む量がいくら適量であっても、塩分や糖分の多いおつまみを食べすぎると同じことなので、常に栄養のバランスを考え、せっかく高品質の梅酒を毒にしまいないように注意しましょう!


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1月29日、3月2日、4月3日、5月25日、6月10日の誕生花「ラナンキュラス」

「ラナンキュラス」

RalphによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名Ranunculus asiaticus
  • 和名:ハナキンポウゲ(花金鳳花)
  • 科名:キンポウゲ科
  • 属名:キンポウゲ属(ラナンキュラス属)
  • 原産地:中近東からヨーロッパ南東部
  • 開花時期:主に春(3月~5月)
  • 草丈:20〜50cm程度
  • 花色:赤、ピンク、白、黄、オレンジ、紫など豊富

ラナンキュラスについて

RalphによるPixabayからの画像

特徴

  • 花びらの多さ:ラナンキュラスは、何枚もの花びらが重なり合うロゼット状の花が特徴で、まるで紙細工やバラのような繊細さがあります。
  • 色彩の豊かさ:カラーバリエーションが非常に豊富で、鮮やかで目を引く色が多いため、切り花やブーケとして人気があります。
  • 耐寒性:寒さにある程度強いですが、霜に弱いため冬場の管理は必要です。
  • 球根植物:球根から育ち、毎年植え替えることで美しい花を咲かせます。

花言葉:「晴れやかな魅力」

RalphによるPixabayからの画像

ラナンキュラスの花言葉にはいくつかありますが、「晴れやかな魅力」は特にその美しい見た目と多彩な色彩から生まれた言葉です。

  • 晴れやかな印象:光を受けると花びらがキラキラと輝くように見えることから、明るくポジティブな印象を与えるため。
  • 重なる花びらの華やかさ:まるでドレスのように幾重にも重なる花びらが見る人の心を引きつけ、「魅力的」と感じさせることに由来。
  • 多彩な美しさ:見る人によって様々な色や形を楽しめるため、「多様な魅力=晴れやかな魅力」と表現されるようになりました。

「ラナンキュラスの咲く日」

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春が来るたびに、彼女のことを思い出す。
駅から10分ほどの、丘のふもとにある花屋「ル・ソレイユ」。看板に描かれていたのは、ピンクとオレンジのラナンキュラスだった。初めてその店を訪れたのは、大学を卒業した年の春だった。

就職で上京し、慣れない日々に心がささくれていたある日。ふと足を止めた花屋の前で、彼女と出会った。

「ラナンキュラス、好きなんですか?」

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そう声をかけてきたのが、店主の娘・美咲さんだった。
彼女は手に持った水差しで花に水をやりながら、ふんわりと微笑んだ。まるでその笑顔自体が春の光を宿しているようで、何も答えられなかった僕は、ただ黙ってうなずいた。

「この花、光を浴びるとキラキラするんですよ。だから、花言葉は『晴れやかな魅力』って言うんです。」

それから、僕は週に一度、その花屋に立ち寄るようになった。ラナンキュラスは、見るたびに違う色を見せてくれた。深紅、レモンイエロー、ピーチピンク。どれも同じ花とは思えないほど、印象が違っていた。

「多彩なのに調和してるって、素敵ですよね」と美咲さんは言った。

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彼女の言葉には、どこか魔法のような響きがあった。
心が疲れた日も、うまくいかない仕事の後も、彼女の一言で不思議と気持ちが軽くなった。

春が過ぎ、夏が来ても、僕は店に通い続けた。ラナンキュラスの時期が終わっても、彼女との会話が、僕の生活の中で一番の楽しみだった。だが、その時間は長くは続かなかった。

「来春、花屋閉めるんです。父が引退するので。」

美咲さんは、そう告げた。
次の春には、もう彼女に会えなくなる――その事実が、胸に重くのしかかった。

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年が明けて、春が近づくと、僕はある決意をして彼女に会いに行った。手にラナンキュラスの小さなブーケを持って。

「美咲さん、来年の春も、あなたの笑顔が見たいです。」

花言葉の「晴れやかな魅力」は、彼女そのものだった。
どんな日にも、彼女は誰かの心をあたためていた。たくさんの色をもって、光を受けて、魅力を放っていた。

彼女は少し驚いたように目を見開いたあと、いつものように微笑んだ。
「じゃあ…来年も、ラナンキュラスを一緒に見ましょう。」

その瞬間、春の光がふたりを包み込んだ。
彼女の手の中のラナンキュラスが、まばゆく輝いていた。

4月25日、6月10日の誕生花「ビジョナデシコ」

「ビジョナデシコ」

基本情報

  • ナデシコ科ナデシコ属の多年草(日本では一年草扱いが多い)
  • 学名:Dianthus barbaltus
  • 英名:Sweet William(スイートウィリアム)
  • 原産地:ユーラシア大陸
  • 開花時期:5月〜6月頃
  • 草丈:20〜60cm程度
  • 花色:赤、ピンク、白、紫、複色など豊富

ビジョナデシコについて

特徴

  • 小さな花が密集して半球状に咲く(ブーケのような見た目)
  • 花びらの縁がギザギザしているのが特徴
  • カラーバリエーションが非常に豊かで観賞価値が高い
  • 丈夫で育てやすく、花壇や切り花にも向く
  • 群れて咲くことで華やかな印象をつくる


花言葉:「純粋な愛情」

由来

  • 小さな花が寄り添うように集まって咲く姿が、
    「まじりけのない愛情」や「素直な想い」を連想させるため
  • 派手すぎず素朴で可憐な見た目が、
    飾らない愛情=純粋さの象徴と考えられた
  • 古くからヨーロッパで親しまれ、
    大切な人へ気持ちを伝える花として使われてきた文化的背景も影響している


「寄り添うかたち」

 その花を見つけたのは、帰り道の途中だった。
 駅から少し離れた住宅街の角、小さな花壇に、それは静かに咲いていた。派手さはない。遠くから見れば、ただ色がまとまっているだけのようにも見える。けれど、足を止めて近づいてみると、ひとつひとつの小さな花が、まるで誰かに寄り添うように集まっているのがわかる。
 「……なんだか、不思議な花だな」
 思わず、そんな言葉が口をついた。
 花の名前は知らない。けれど、その姿には、どこか理由のわからない温かさがあった。誰かが意図して並べたわけでもないのに、自然と形を成している。そのまとまりが、やけに心に引っかかった。
 その日から、彼はそこを通るたびに足を止めるようになった。
 仕事帰り、疲れた頭のまま歩いていても、その花壇の前に来ると、ふと視線が引き寄せられる。小さな花たちは、風に揺れながらも、離れず、崩れず、同じ場所に集まっている。
 ある日、彼はしゃがみ込み、そっと花に触れた。
 やわらかな花弁。思っていたよりも、ずっと繊細だった。
 「こんなに小さいのに、ちゃんと咲いてるんだな」
 誰に聞かせるでもない独り言。


 けれど、その言葉の裏には、別の感情が混じっていた。
 ——人も、こうしていられたらいいのに。
 ふと、そんな考えがよぎる。
 彼には、もう長く会っていない人がいた。
 特別な別れがあったわけではない。ただ、忙しさに紛れて、少しずつ連絡が減り、気づけば互いの生活の中から遠ざかっていた。嫌いになったわけでも、傷つけ合ったわけでもない。それなのに、距離だけが静かに広がっていった。
 あのとき、何か一言でも言えていれば違ったのだろうか。
 そんな問いを、何度も繰り返した。
 けれど、答えはいつも曖昧なままだった。
 花壇の前で立ち止まるたび、その記憶が少しずつ輪郭を帯びてくる。小さな花たちが、互いに寄り添うように咲いている姿を見るたびに、胸の奥に沈んでいた感情が浮かび上がる。
 「まじりけのない想い、か……」
 どこかで聞いたことのある言葉を、ぼんやりと思い出す。
 あの頃、自分が抱いていた感情は、もっと単純だった気がする。相手のことを思う気持ちに、理由なんていらなかった。ただ一緒にいるだけでよくて、特別な言葉を交わさなくても、そこにあるものを疑うことはなかった。


 けれど、いつの間にか、人は理由を探すようになる。
 関係を続ける意味や、距離を測る言葉や、守るべきものと手放すべきもの。そうしたものを考えるうちに、最初にあったはずの「ただ好きだ」という気持ちは、どこかに埋もれてしまう。
 彼は、そっと息を吐いた。
 目の前の花は、何も語らない。ただ、そこにあるだけだ。それでも、その姿は確かに何かを伝えているように見えた。
 飾らないこと。無理をしないこと。
 そして、ただそばにいること。
 それだけで、形になるものがあるのだと。
 ある日、彼は帰り道の途中で立ち止まったまま、スマートフォンを取り出した。
 画面には、長く触れていなかった名前が残っている。指先がわずかに迷う。今さら、何を送ればいいのかもわからない。
 けれど——
 「……まあ、いいか」
 小さく呟き、短いメッセージを打ち込む。


 “元気にしてる?”
 それだけだった。
 特別な言葉ではない。気の利いた文章でもない。けれど、今の彼には、それ以上のものは必要なかった。
 送信ボタンを押したあと、少しだけ胸が軽くなる。
 返事が来るかどうかはわからない。それでもいいと思えた。大切なのは、完璧な言葉ではなく、途切れていたものに、もう一度触れようとしたことだった。
 顔を上げると、花壇の花が風に揺れていた。
 小さな花たちは、相変わらず寄り添うように咲いている。その姿は変わらない。けれど、それを見ている自分の心は、ほんの少しだけ変わっていた。
 純粋な愛情とは、きっと大げさなものではない。
 飾らず、誇らず、ただそこにあるもの。
 離れてしまうことがあっても、もう一度近づこうとする、そのささやかな意志。
 花は、今日も静かに咲いている。
 誰にも気づかれないかもしれない場所で、それでも変わらず、誰かの心に小さなはじまりを灯しながら。

時の記念日

6月10日は時の記念日です

6月10日は時の記念日

天智天皇が671年4月25日、「漏刻」と鐘鼓により初めて時を知らせたといわれている奈良時代に成立した日本最古の歴史書『日本書紀』の記事にもとづいて、その当時の日付を太陽暦に換算して今日のこの日を記念日として定められました。ちなみに、「漏刻」とは水時計のことであり、容器に水が流入したり、流出できるようにして、その水面の高さの変化で時刻を計る日本初の時計装置です。

記念日ができた最初の年

記念日が制定された最初の年?

記念日が制定された最初の年は、1920年でした。大正中期の時代背景から想像できるように、衣食住をはじめ社会生活の近代化推進という移り変わりの激しい時代で、特に当時は「時間厳守」で、時間割による行動規律や時間節約による効率性の向上が近代生活の基本にしてそれぞれ行動されていたそうです。

その中でこの年の1月、博文の養子の「伊藤博邦」を会長にして、渋沢栄一らをはじめとした政官界の有力なメンバーを役員にした文部省の外郭団体「生活改善同盟会」(財団法人)が組織されました。そして、その活動として生活改善運動を先導して展開することになったといわれています。

「生活改善同盟会」

時間厳守

「生活改善同盟会」は、その実行目標の第1項に「時間厳守」らしき言葉が記され、文部省もそれに共鳴して時間尊重の教育的意義を重視していました。そして、同盟会と文部省との共同開催により、その年の5月16日から7月4日まで東京お茶の水の東京教育博物館(今の湯島聖堂であった文部省直轄の博物館)で「時の展覧会」を行い、古時計や暦など、天文関係資料、時間節約や作業能率化の各種資料等を出展紹介しています。

また、天智天皇の故事ゆかりの6月10日を前後する時期に会期が設定されたとも考えられていました。その日を迎えると、東京天文台長の河合章二郎は記念行事を提唱し、「漏刻祭」(水時計にちなんだ祭り)を行うと共に時の大切さを宣伝し、そしてその時に「時の記念日」の名称が決定したそうです。

何事もプラスになる時間を過ごそう!

何事もプラスになる時間を過ごそう!

時間は、原子の周波数に基づき、世界の全ての人々に平等に与えられています。その中で我々人間だけは、環境破壊や無意味な殺戮を繰り返し、自分自身で住みやすい地球の寿命を短くしています。我々は、大宇宙の中で生かされていることに感謝して与えられた時間を無駄にせず、何事もプラスになるような行動を起こし、恒久的な世界平和と住みよい地球にする。そのことをネットなど、あらゆる手段を用いて世界中の人たちに訴えかけていきたいです。


「時の記念日」に関するツイート集

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