国連加盟記念日

12月18日は国連加盟記念日です

12月18日は国連加盟記念日

1956年12月18日、日本は国際連合(国連)への加盟が全会一致で可決され、正式に80番目の加盟国として承認されました。この日、日本は第二次世界大戦後23年ぶりに国際社会への復帰を果たしました。この歴史的な出来事は、日本の国際関係や平和構築の転機として知られています。

国際連合

国連の旗

国際連合」は、第二次世界大戦中にアメリカの「フランクリン・D・ルーズベルト大統領」が名づけたものでした。その名称を最初に使用されたのは、26カ国の政府から代表が枢軸国に対し、共に戦うと誓った1942年1月1日に行われた「連合国宣言」の最中でした。当時集まった国の代表は、「中国」「ソビエト連邦」「イギリス」「アメリカ」であり、1944年にワシントンD.C.に集まり審議しました。そして翌年の1945年には、50カ国の代表が「国際機関に関する連合国会議」に出席するためにサンフランシスコに集まっています。この会議では、「戦争の惨害」を終了させる強い決意で国際連合憲章が起草され、1945年6月26日に署名されました。

国連の4つの重要な目的

各国の旗
  1. 国際の平和と安全を維持する。
  2. 人民の同権及び、自決の原則の尊重に基礎をおいて諸国間の友好関係を発展させる。
  3. 「経済的」「社会的」「文化的」または「人道的」性質を有する国際問題を解決し、かつ人権および基本的自由の尊重を促進することについて協力する。
  4. これらの共通の目的を達成するにあたって諸国の行動を調和するための中心となる。

この4つの重要な目的を持ち、国際連合は活動しています。

毎年10月24日は「国連デー

平和協定

国連の本部はニューヨークに置かれています。そして、世界平和に対するこの歴史的な誓約を記念して毎年10月24日では、各国で「国連デー」と呼ばれるこれらの活動を祝う行事が行われています。以前、第二次世界大戦が引き起こした対立や多数の審議の対象により、その後の冷戦によって世界が二分化されても国連は、今後もこれらの誓いに忠実に受け継ぎ、さらなる成長を続けています。

世界中で紛争やテロが未だに無くならない

無くならない紛争

現在でも世界のどこかでテロや紛争が起こり、罪のない一般市民からたくさんの犠牲者が出ています。また、これらのテロや紛争がきっかけに、過去に行われた世界中を巻き込んだ大戦にならないとも限りません。そうならないために今我々にできる事は、一人一人がネットなどを利用して、自身にとってマイナスしか残らない無意味な争いの解決策を意見交換する事も大切だと思います。


「国連加盟記念日」に関するツイート集

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12月17日の誕生花「センリョウ」

「センリョウ」

基本情報

  • 学名:Sarcandra glabra(Chloranthus glaber)
  • 科名/属名:センリョウ科/センリョウ属
  • 分類:常緑小低木
  • 原産地:日本、朝鮮半島、中国、マレーシアなど、東アジアの暖帯から熱帯
  • 開花時期:6〜7月
  • 結実・観賞期:11月〜翌1月
  • 用途:正月飾り、庭木、切り枝

センリョウについて

特徴

  • 光沢のある濃緑色の葉を一年中保つ
  • 冬に鮮やかな赤い実を多数つけ、縁起物として親しまれる
  • 実は葉のにつくため、見栄えが良い
  • 半日陰を好み、和風庭園や林床でも育ちやすい
  • 病害虫に比較的強く、管理が容易

花言葉:「恵まれた才能」

由来

  • 葉の上に実を整然と実らせる姿が、才能を自然に発揮している様子に重ねられた
  • 冬という厳しい時期でも美しい実をつけることから、環境に左右されず力を発揮できる資質を象徴
  • 派手ではないが、必要な時に価値を示す姿が「内に秘めた才能」に例えられた

「葉の上の星」

冬の朝、薄い霜が庭石を白く縁取るころ、由良は祖母の家の縁側に腰を下ろし、湯気の立つ湯呑みを両手で包んでいた。庭の奥、半日陰に植えられたセンリョウが、静かに赤い実を掲げている。葉の上に、迷いなく、まっすぐに。まるで小さな星が規則正しく並んだようだった。

 「派手じゃないけどね、あれは強いよ」
 祖母はそう言って、枯葉を掃く手を止めた。「寒い時期に、ちゃんと実を見せるんだから」

 由良は頷いた。都会での仕事に行き詰まり、帰省したばかりだった。成果を出せと言われるほど、何を出せばいいのかわからなくなる。自分には、これといった才覚がないのではないか。そんな疑いが胸の奥に澱のように溜まっていた。

 センリョウの実は、葉の下に隠れない。誇示もしない。ただ、そこに在る。由良は近づいて目を凝らした。実の一粒一粒が、均等な距離を保ち、互いに邪魔をしない。自然に、整っている。努力の跡が見えないからこそ、軽やかに見えるのだろうか。

 祖母は続けた。「才能ってね、見せびらかすものじゃないよ。必要なときに、ちゃんと役に立つ。それでいいんだ」
 その言葉は、冷えた空気の中で、意外なほど温かく響いた。

 由良は、過去の自分を思い返す。誰かの前で大きな成果を誇った記憶はない。だが、困っている同僚の資料を整え、締切前に静かに穴を塞いできた。トラブルの夜、最後まで残って片付けた。拍手はなかったが、翌朝、仕事は進んでいた。葉の上の実のように、目立たずとも、必要な場所に在ったのではないか。

 昼が近づくにつれ、庭に光が差し込む。センリョウの赤が、いっそう鮮やかになった。冬という厳しい時期にこそ、色は深まる。環境が厳しいからこそ、力は研ぎ澄まされるのかもしれない。

 「戻るの?」と祖母が尋ねた。
 由良は少し考えてから、頷いた。「うん。派手じゃなくていい。必要なときに、ちゃんと役に立てるように」

 出発の朝、祖母は小さな鉢を手渡した。センリョウだった。「持っていきなさい。葉の上を、よく見て」
 由良は鉢を抱え、赤い実を見つめる。整然と、しかし自由に並ぶ星たち。そこには、自然に発揮される才能の形があった。隠さず、奢らず、冬を越えてなお輝く力。

 列車が動き出す。窓の外で景色が流れる中、由良は胸の奥に、確かな手応えを感じていた。自分の才能は、もうここにある。葉の上に、静かに。

10月30日、12月17日の誕生花「シーマニア」

「シーマニア」

基本情報

学名: Seemannia sylvatica(旧名 Gloxinia sylvatica
科名: イワタバコ科(Gesneriaceae)
属名: シーマニア属 (Seemannia)
原産地: アルゼンチン、ペルー、ボリビア
英名: Bolivian Sunset(ボリビアン・サンセット)
開花時期: 秋〜冬(8月中旬~2月頃)
草丈: 約20〜30cm
花色: 濃いオレンジ〜朱赤色

シーマニアについて

特徴

  • 「冬に咲く南国の花」
    シーマニアは、日差しの弱まる晩秋から冬にかけて咲く貴重な花です。
    暖かみのある朱赤の筒状花を、緑の葉の間からいくつも下向きに咲かせます。
    花の形はラッパのようで、艶やかな光沢を持っています。
  • 「ボリビアン・サンセット」の名の通り
    夕陽のような深紅の花色が特徴で、冬の室内を明るく彩ります。
    英名 “Bolivian Sunset” は、ボリビア原産で夕焼けのような色から名づけられました。
  • 丈夫で長く楽しめる
    寒さにはやや弱いものの、日当たりのよい室内ではよく育ち、
    1株でも長期間にわたり次々と花を咲かせます。
    根茎を残して越冬させることも可能です。

花言葉:「繁栄」

由来

シーマニアの代表的な花言葉のひとつが「繁栄」です。
この言葉には、次のような由来や意味が込められています。

  1. 次々と咲き続ける花姿から
    シーマニアは開花期が長く、ひとつの株から絶え間なく花を咲かせます。
    その旺盛な開花ぶりが「途切れない幸運」「繁栄」「発展」を象徴するとされました。
  2. 冬に咲く“陽の花”
    他の花が少ない季節に、明るく温かい色で咲く姿は、
    寒い時期にも希望や明るさをもたらす存在として「繁栄」や「幸福の継続」を連想させます。
  3. 鮮やかな赤色の象徴
    朱赤は古くから生命力・情熱・豊かさを意味する色。
    そのエネルギッシュな印象が、「家運の上昇」「事業の発展」といった
    吉兆を表す言葉へとつながりました。

「冬陽の花」

十二月の風は冷たく、街路樹の影を細く揺らしていた。
 商店街の一角にある小さな花屋「ミナトフラワー」に、灯りがぽつんとともっている。
 その店先に並ぶ花々の中で、ひときわ目を引く赤い花があった。
 ――シーマニア。
 冬の陽だまりのように温かい朱色の花が、冷えた空気の中で静かに揺れていた。

 「この花、冬に咲くんですね」
 そう声をかけたのは、スーツ姿の青年だった。手には小さな紙袋。
 店主の美奈は微笑んでうなずいた。
 「ええ。冬に咲く“陽の花”なんです。
  他の花が休んでいる間も、こうして明るく咲き続けるんですよ」
 「……すごいですね。なんだか、励まされます」

 青年の目は、花の奥の光を見ているようだった。
 聞けば、彼は小さな飲食店を営んでいたという。
 けれど、コロナ禍を経て、街の人通りも戻らず、閉店を考えているところだった。
 「店を始めたときの気持ちを忘れてたのかもしれません。
  でも、この花を見たら……もう少し頑張ってみようかなって思えて」
 その言葉に、美奈は優しく笑んだ。

 「この花の花言葉、知っていますか?」
 「いいえ」
 「“繁栄”なんです」
 彼の眉が、わずかに動いた。
 「繁栄、ですか」

 「はい。シーマニアは次々と花を咲かせるんです。
  ひとつの花が終わっても、すぐに次が咲く。
  その途切れない命の流れが“発展”や“幸福の継続”を意味するんですよ」

 青年はしばらく花を見つめていた。
 橙とも赤ともつかぬ、深い朱色が、店の灯りに照らされてほのかに光る。
 「……僕も、そうなれたらいいな」
 小さく呟く声に、美奈は頷いた。
 「ええ。冬の中にも陽はあるんです。
  咲き続ける力がある限り、きっとまた光は戻ってきます」

 青年はシーマニアを一鉢買い求め、両手で丁寧に抱えた。
 その背中が扉をくぐると、外の風がまた店内を撫でた。
 美奈は静かに花を見つめる。
 小さな花が、次々と蕾を膨らませていた。

 ――途切れない幸運。
 ――寒い時期にも希望をもたらす陽の花。
 ――生命力と豊かさを宿す赤。

 それらの言葉が、まるで花そのものの鼓動のように胸に響いた。
 繁栄というのは、きっと「成功」や「富」を意味するだけじゃない。
 暗い冬の中で、それでも咲き続けようとする小さな意志。
 その連なりこそが、人の生きる力を照らすのだろう。

 夜、店のシャッターを下ろすころ。
 窓辺のシーマニアは、まだ静かに光っていた。
 まるで、遠いボリビアの夕陽を閉じ込めたような朱の花。
 その色が、冬の空気を少しだけあたためているように見えた。

 ――繁栄。
 それは、明日へ続く命の火。
 美奈はそっと花に触れ、囁くように言った。
 「また、明日も咲きますように」

飛行機の日

12月17日は飛行機の日です

12月17日は飛行機の日

1903年12月17日、アメリカ・ノースカロライナ州で、ライト兄弟が製作した動力飛行機「ライトフライヤー号」による歴史的な初飛行が成功しました。この日、航空史において画期的な一歩を刻んだライト兄弟の挑戦は、現代の航空機技術の基盤となっています。

ライト兄弟

ライト兄弟による人類初の動力飛行から100年になりますが、この偉業も当時は秘密のベールに閉ざされていました。実際に栄誉が確立したのは、ずっと後からでした。この兄弟が歩んだ道は決して、平坦ではなかったようです。

本当の初飛行までの軌跡

 1903年12月17日、弟のオービルが動力機によって12秒の間、距離は約37mを飛びノースカロライナ州沿岸の砂地に突っ込みました。それを100年後の現在、我々はその日付を航空史上の輝かしい記念日としています。しかし、本当に操縦可能な飛行機で飛行に成功したのは、この後の2年経ったときのことです。その時は、自分ら製作した飛行機が売れるものが完成するまで、兄弟は隠密裏に改良を進めていたそうです。この秘密主義が災いし、当時の科学ジャーナリズムから疑われ、専門家の仲間からも正当に評価されない時期が続いていました。

米陸軍通信隊などから商談がまとまる!?

ライト兄弟が公開飛行に踏み切ったのは、米陸軍通信隊やフランスとの商談がまとまる見通しがつく時でした。そして、最初の公開が1908年8月8日にフランスのル・マン近くの競馬場でした。それから、1909年にはニューヨークで公開飛行して群衆を驚かせ、名声を得ることができました。

輝かしい名声と現実

しかし彼らは、航空機という魅力ある新産業に対し、有能な人材などのたくさんのライバルたちから追い上げに見舞われます。その後の1912年、兄の「ウィルバー」が腸チフスで亡くしてしまい、一人残された弟の「オービル」は、激化する競争や長期にわたる特許侵害訴訟との闘いの日々が毎日繰り返されます。そして彼は、1915年に飛行機ビジネスに疲れ果て、この業界から手を引きました。それでも、彼らの懸命の努力の末に初の飛行を成功させた兄弟の1人として、その偉業を歴史の中にとどめられています。

羽根もない人間が空を飛ぶ

ジェット機

人は誰しも「鳥のように自由に空を飛べたら」って、思ったことはあるでしょう。まさにライト兄弟はこの夢をかなえた人ですが、実際に人が空を飛ぶとなれば、グライダーのような大きな羽根がなければなりません。また、遠くまで飛ぶためには、飛行機のように大量の燃料がなければ長い距離を飛ぶことは不可能です。

しかし、その空を飛ぶという願望をかなえることができたのは、まさしく我々人間です。数時間で気軽に国から国へと渡り世界中の人と実際に会ってコミュニケーションをとれる世の中に感謝し、戦争のない世の中にしないといけませんね。


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12月16日の誕生花「クリスマスホーリー」

「クリスマスホーリー」

基本情報

  • 和名:セイヨウヒイラギ(西洋柊)
  • 英名:クリスマスホーリー(Christmas Holly)
  • 学名Ilex aquifolium
  • 科名:モチノキ科
  • 原産地:ヨーロッパ、西アジア、北アフリカ
  • 開花時期:4〜5月(花は目立たない)
  • 実がなる時期:秋〜冬
  • 常緑樹:一年中、緑の葉を保つ
  • 雌雄異株:実をつけるには雄株と雌株が必要

クリスマスホーリーについて

特徴

  • 光沢のある濃緑の葉と、鮮やかな赤い実のコントラスト
    ┗ 冬の景色の中で特に映える。
  • 葉の縁に鋭いトゲがある
    ┗ ヒイラギに似た形で、魔除け・守護の象徴とされた。
  • 冬でも色あせない常緑性
    ┗ 厳しい寒さの中でも命を保ち続ける強さを持つ。
  • クリスマス装飾の定番植物
    ┗ リースやガーランドに使われ、宗教的・象徴的意味が深い。
  • 実は観賞用で食用不可
    ┗ 毒性があり、人は食べられない。

花言葉:「神を信じます」

由来

  • キリスト教文化と深く結びついている植物であることから。
  • 赤い実はキリストの流した血
    とげのある葉は茨の冠を象徴するとされる。
  • 冬の厳しさの中でも枯れず、実を結ぶ姿が、
    揺るがぬ信仰心・神への信頼を連想させた。
  • クリスマスに教会や家庭を飾る植物として使われ、
    信仰を告白する象徴的存在となったことが由来。

「冬に残る祈り」

その教会は、町外れの小さな丘の上にあった。
 石造りの壁は冬の空気に冷えきり、尖塔の先には白い雲がゆっくりと流れている。
 エマはコートの襟を立て、重たい木の扉を押した。

 きい、と低い音がして、内部の静けさが迎え入れる。
 礼拝堂には誰もいなかった。
 祭壇の前には、まだ灯りの入っていないキャンドルが並び、その脇に、深い緑の葉と赤い実をつけた枝が飾られている。

 ――クリスマスホーリー。

 祖母がよく口にしていた名前だった。

 エマはその枝に近づき、そっと目を細める。
 光沢のある葉は、指で触れれば痛みを覚えるほど鋭い。
 その間に点る赤い実は、静かな炎のようにも見えた。

 「赤い実は、キリストの血。
  葉のとげは、茨の冠なのよ」

 幼いころ、祖母は暖炉の前でそう教えてくれた。
 エマは当時、なぜそんな痛ましい話をクリスマスにするのか、不思議でならなかった。

 「苦しみの中でも、信じることをやめなかったから、今もこうして語られているの」

 祖母は穏やかに微笑みながら、ホーリーの枝をリースに編み込んでいた。
 その指は年老いていたが、動きは確かで、迷いがなかった。

 ――信じるって、どういうことだろう。

 エマはその答えを、ずっと見つけられずにいた。

 大切な人を失った冬から、祈りは言葉だけのものになった。
 神がいるなら、なぜこんなに簡単に命は奪われるのか。
 信仰は、弱い心を慰めるための幻想ではないのか。

 それでも今日、エマはここへ来た。
 祖母の形見のホーリーの枝を、教会に届けるためだった。

 祭壇の前に立ち、枝をそっと置く。
 赤い実が、白い布の上でひときわ鮮やかに映えた。

 ふと、ステンドグラスから差し込む冬の日差しが、葉の縁を照らす。
 とげの影が床に落ち、細く長く伸びていく。

 ――痛みは、消えない。
 ――でも、枯れもしない。

 ホーリーは冬の厳しさの中でも葉を落とさず、実を結ぶ。
 凍える夜が続いても、沈黙の季節が続いても、そこに「生きている証」を残す。

 エマは気づく。
 信仰とは、答えを与えてくれるものではない。
 ただ、問いを抱えたままでも立ち続けるための、支えなのだと。

 「神を、信じます」

 声に出した言葉は、思ったよりも静かだった。
 だが、嘘ではなかった。
 確信でもなかったが、祈りとしては十分だった。

 祖母も、きっとそうだったのだろう。
 迷いながら、それでも信じることを選び続けた。
 だからこそ、毎年ホーリーを飾り、痛みと希望を同時に語ったのだ。

 エマはゆっくりと跪き、目を閉じる。
 教会の中は変わらず静かで、奇跡が起こる気配もない。
 それでも、胸の奥に小さな安らぎが芽生えていた。

 外に出ると、空気はさらに冷えていた。
 だが、教会の窓から見えるホーリーの赤は、凍えた世界の中で確かに灯っている。

 ――信じることは、揺るがないことじゃない。
 ――揺れながらも、手放さないことだ。

 エマはそう思い、丘を下りていった。
 冬はまだ長い。
 それでも、赤い実のように、信仰は静かに、確かにそこにあった。

電話創業の日

12月16日は電話創業の日です

12月16日は電話創業の日

1890年の12月16日は、国内初の東京市内から横浜市内間を電話事業を開始した日です。また、設置場所である千代田区から電話交換局が営業を始めまています。当初の加入電話は、「東京からが155台」と「横浜からが44台」を使用して電話交換手が女子7人、夜間は男子2人が対応していました。

電話が初めて繋がった日は

電話が初めて繋がったのは、「電信電話記念日」1869年の10月23日です。東京から横浜間の電信線架設工事に着手したことにちなむ記念日でした。そして、その後に電話事業が開始されたのがこの1890年の12月16日ということです。

当時の電話料金は高額

初期の電話

開設当時の電話料金は、定額で東京が40円と横浜が35円でした。この時代の1円では、米が15kg買えた時代で今の相場に換算するならば40円で約24万円ぐらいに相当するそうです。このことから、当時の電話で通話することは、庶民には到底手が出せない高価なサービスだったこということがわかります。

昔は交換手が繋いでいた

初期の電話2

電話は、発信者と受信者を繋げるため「交換機」が必要です。今は、コンピュータシステムによる発信者から受信者への接続が自動化されています。電話開設の初期は、この作業を「交換手」を通して、手動で各々の回線に繋げていました。

初期の電話はダイヤルが無い

1968年、公衆電話交換台、交換手ダイヤル式電話

この頃の電話は、まだダイヤルやプッシュボタンは付いていません。電話をかける時は、まず電話機にあるハンドルを回し、「交換手」を呼び出します。そして、繋いで欲しい相手の電話番号をその交換手に伝えて通話の申し込みをする必要があります。その後、ようやく交換手が手動で交換機の線で繋いでもらい、通話が成立するという面倒なシステムでした。

今やテレビ電話から映画まで観れる時代

インターネット、Wi-Fi

私が生まれた当時は、有線で黒のダイヤル式電話でした。そして、新たな家に電話をする際は、分厚い電話帳を開きダイヤルを回して通話をしていました。それが今や、Wi-Fiにより無線で繋ぐことができ、更には画像や動画をリアルタイムで送り、会話する事が可能となりました。凄まじく早い科学の進歩ですね。今後は、AIや第5世代移動通信システム「5G」などが広がり、我々が想像できないほどの世界へと進化することでしょう。


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12月15日の誕生花「赤いバラ」

「赤いバラ」

基本情報

  • 分類:バラ科 バラ属
  • 原産地:北半球の亜熱帯から寒帯にかけて広く分布・アジア、ヨーロッパ、中近東、北アメリカ、アフリカ
  • 開花時期:4〜11月(四季咲き品種は春〜秋)
  • 花色:深紅、鮮紅色など
  • 用途:庭植え、切り花、花束、贈答用

赤いバラについて

特徴

  • 花びらが重なり合う、気品と存在感のある花姿
  • 色彩が強く、視線を引きつける華やかさを持つ
  • 香りのある品種も多く、感情に訴える力が強い
  • 一本でも強いメッセージ性を持つ花として知られる
  • 古くから「愛」を象徴する花の代表格

花言葉:「熱烈な恋」

由来

  • **赤色が象徴する「情熱」「血潮」「燃える心」**から、強く激しい愛情を連想
  • 赤いバラは古代ローマ時代から愛と美の女神ヴィーナスと結びつけられてきた
  • 恋に身を焦がすような感情や、抑えきれない想いを表す色として定着
  • 中世ヨーロッパでは、赤いバラを贈ることが「命がけの愛」の告白とされた
  • 控えめではなく、迷いなく相手を想う心が「熱烈な恋」という花言葉へと結びついた

「燃える色で、あなたを想う」

赤いバラを初めて見たのは、祖母の古いアルバムの中だった。黄ばんだ写真の隅で、若い祖母が胸に抱えていたのは、驚くほど鮮やかな深紅の花束。白黒写真なのに、その赤だけが、こちらに迫ってくるように感じられた。

 ――恋はね、火みたいなものよ。

 祖母はよく、そう言っていた。触れれば温かく、近づきすぎれば身を焦がす。それでも人は、火に惹かれる。赤いバラは、その象徴なのだと。

 私は今、その赤を、両手に抱えている。

 花屋でこのバラを選んだとき、迷いはなかった。淡い色も、可憐な花も、今日は違うと思った。伝えたいのは、もっと強い気持ち。胸の奥で脈打つ、血潮のような想いだった。

 赤という色は、不思議だ。見るだけで心拍が少し速くなる。情熱、衝動、そして覚悟。どれも、この色の中に溶け込んでいる。古代ローマの人々が、愛と美の女神ヴィーナスに赤いバラを捧げたという話を、私は思い出していた。人が神に願うほどの想い。それは、ただの好意ではなく、人生を賭けるほどの恋だったのだろう。

 あなたと出会ってから、私は何度も自分を抑えてきた。迷惑ではないか、傷つけないか、失うものはないか。そう考えるほど、気持ちは胸の内で燃え上がり、逃げ場を失っていった。

 恋に身を焦がす、という言葉は、決して大げさではない。眠れない夜、仕事中にふと浮かぶ横顔、何気ない一言に揺れる心。理性で覆おうとしても、赤い火は消えてくれなかった。

 中世ヨーロッパでは、赤いバラを贈ることは「命がけの愛」の告白だったという。軽々しく渡せる花ではない。拒まれるかもしれない。笑われるかもしれない。それでも、差し出す勇気そのものが、愛の証だった。

 私は深呼吸をして、あなたの前に立つ。

 逃げ道は、もう作らない。控えめな言葉も、遠回しな態度も、今日はいらない。ただ、迷いなく、真っ直ぐに想いを差し出す。

 「……これ、受け取ってほしい」

 差し出した赤いバラは、炎のように揺れて見えた。けれど不思議と、怖くはなかった。熱はある。でも、それ以上に、覚悟があった。

 もし拒まれても、この気持ちが嘘になることはない。赤いバラが象徴するのは、報われるかどうかではなく、燃え尽きるほど想ったという事実なのだから。

 あなたが花を見つめ、そしてゆっくりと微笑んだ瞬間、私は理解した。

 ――これが、熱烈な恋なのだと。

 赤いバラは、今日も変わらず赤い。
 誰かの心を焦がすために。
 そして、迷いなく愛する勇気を、そっと試すために。

観光バス記念日

12月15日は観光バス記念日です

12月15日は観光バス記念日

1925年の12月15日は、東京乗合自動車によって日本初である定期観光バス「ユーランバス」の運行が開始された日です。その後、経営不振で東京乗合自動車の遊覧自動車事業は一時期休止に追い込まれ、新日本観光株式会社(現在の株式会社はとバス)に譲渡されて、同社の手によって再開されました。

東京乗合自動車

東京乗合自動車は、かつて日本に存在したバス運行会社です。このバス会社は、1925年に初めて東京市内の定期観光バス営業を始めました。これは、別府温泉の「亀の井バス」に先行して始めたものでした。一般には国際文化学部・文化創造学科助教授「渡辺滋」の発案で、東京乗合自動車の後援により、実施が始まったとされています。戦争当時の体制下で交通事業整理の名目で営業休止となります。そして戦後、東京都などの出資を受け、新日本観光として再出発しました。それから1963年9月1日に新日本観光は、今でも知られる「はとバス」と改名して営業しています。

ユーランバス

ユーランバスは87年前、日本で初めての観光バスである東京ユーラン乗合自動車の営業が始まったことで、その観光バスを「ユーランバス」と呼んでいました。現在の「はとバス」が有名なのは、戦後東京にいち早く観光バスを走らせたの新日本観光がその「とバス」と改名されたためです。また、初の観光バス運行が1925年、定期観光バス「ユーランバス」の運行が開始され、 皇居前⇒銀座⇒上野というコースを走っています。

はとバス

はとバス

「はとバス」は、東京都内の観光名所、都内から日帰りで行ける人気スポットをバスで巡ることができます。また、朝昼夕の3食がついたグルメツアーもあり、グルメを味わうだけでなく「柴又散策」や「築地場外市場」「深川江戸資料館」へも足を運べて、東京定番の観光が効率よく観光できます。さらに、「神宮外苑いちょう並木」や「浜離宮恩賜庭園」などの紅葉スポットを巡るツアーも用意されていて、それぞれ見ても楽しめる豪華なランチ付きでおすすめです。

障害者でも気軽に乗れるバスを作って欲しい

観光バス

現在でも低床バスは増えつつありますが、スロープの種類や形状も様々です。また、バス停によってはスペースがないため使用できず、車椅子では乗れない場合もあります。このように特別な装置や専門介助の方がいなければ、周りの人に気を使ってしまい観光したくても躊躇してしまいます。

私も障害者ですが、何とかスロープを使用せずに乗り込むことは可能ですが、バスの場合は段差が極端に高いため周りを気にしながらもゆっくりと乗車しています。今後、バスがもう少し改良され、リフトは無理としてもせめて安心できる段差にしてもらえることを願います。


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四十七士討ち入りの日

12月14日は四十七士討ち入りの日です

12月14日は四十七士討ち入りの日

1702年12月14日は、日本史において有名な「赤穂浪士」47人が江戸の本所松坂町にあった吉良邸に討ち入り、主君である浅野内匠頭の仇討ちを果たした歴史的な日です。

この出来事は「忠臣蔵」として広く知られ、後世の文学や演劇、映画にも数多く取り上げられています。赤穂浪士の討ち入りは、日本の武士道精神や義理を象徴するエピソードとして語り継がれています。

赤穂浪士

赤穂城

1701(元禄14)年、江戸城内で赤穂藩主の浅野内匠頭(たくみのかみ)が 、吉良上野介(こうずけのすけ)に切りつけた罪で、切腹に処せられ、そして浅野家は断絶しました。その後の元禄15年12月14日、家臣の「大石内蔵助」ら47人(最初は48人だったが、1人は脱退した)が江戸本所の吉良邸に討ち入り、主君の敵討ちを果たしています。

赤穂事件が物語「忠臣蔵」

忠臣蔵

この赤穂事件をもとに生まれた物語が「忠臣蔵」であり、人形浄瑠璃や歌舞伎などに脚色されています。そして、今でも年末の恒例のテレビドラマなどの題材として人気があります。

大石内蔵助

大石内蔵助の人柄

大石内蔵助は、忠臣蔵の主役として指導者の理想像になっていて、山鹿素行に軍学を学んだといわれています。1701年に藩主浅野長矩が切腹となり、領地が没収されると家中を統率して浅野家再興を図ります。そして、その望みが絶たれた翌年、赤穂義士の首領として主君浅野長矩の敵である吉良義央を討ち果たしました。自身は、幕法違反で肥後藩預けとなり切腹したが、浅野長矩の弟、大学が五百石の旗本になっており、浅野家はある意味再興を実現しています。

名言、敵を欺くにはまず、味方から

大石内蔵助の人柄

大石内蔵助の戦略で有名な、「敵を欺くには先ず味方から」という言葉があります。これは、戦争だけでなく、現在のビジネスにも通用する名言でもあります。分かりやすく言えば、味方と企てた優れた戦略も、その中から一人でも裏切り者がいて、外部の人間に漏らしたらその戦略も意味が無くなる。したがって、重大な事は最小限の身内以外は、ギリギリまで秘めておくと言うものです。なんか、奥深いものがありますね。


「四十七士討ち入りの日」に関するツイート集

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12月13日の誕生花「ヤツデ」

「ヤツデ」

基本情報

  • 学名:Fatsia japonica
  • 科名:ウコギ科
  • 原産:日本(本州・四国・九州)、韓国南部
  • 樹形:常緑低木
  • 開花期:11〜12月
  • 別名:天狗の羽団扇(てんぐのはうちわ)
  • 生育環境:日陰に強く、庭木・和風庭園でよく用いられる

ヤツデについて

特徴

  • 大きな手のひらのような葉(通常7~9裂)が特徴的。
  • 葉が厚く丈夫で、耐陰性・耐寒性があり、管理しやすい。
  • 晩秋から冬に白いボール状の小花を咲かせる。
  • 花後には黒い実ができ、鳥が好む。
  • 病害虫にも比較的強く、ビギナー向きの庭木。

花言葉:「親しみ」

由来

  • 大きく広がる掌状の葉 → 「手を広げて迎えてくれる姿」に見立てられた。
  • 和の庭に昔から植えられ、民家でも身近な植物として親しまれてきた。
  • 日陰の場所でも元気に育ち、そっと寄り添うように存在してくれる性質が “親しみやすさ” を連想させた。
  • 冬の寒い時期にも花を咲かせ、そばにあるだけで安心感を与えることから。

「掌をひらく庭木」― ヤツデが教えてくれたこと

家の裏に、昔から一本のヤツデがある。
 祖母が植えたものだと聞いたのは、十歳の冬だった。

 「この子はね、日陰でも元気にしてるんよ。誰かを迎えるみたいに、いつも手を広げてくれるから」

 祖母はそう言って、掌状の大きな葉をそっと撫でた。
 冷たい風が吹くたび、葉がぱたぱたと揺れて、まるで私に手を振ってくれているように思えた。

 あれから十数年。
 祖母が亡くなり、家も私も少しずつ変わっていった。
 けれど、裏庭のヤツデだけは変わらず、濃い緑の葉を広げてそこに立ち続けていた。

 仕事に疲れて帰ってきた夜、私はふと裏庭の灯りを点けてみた。
 冷え切った冬の空気の中、白い小さな花の房がぽつりと浮かび上がる。
 ヤツデはいつもより大きく見えた。
 その姿に、思わず声が漏れる。

 「……おばあちゃん」

 返事があるはずもない。
 けれど、風がそっと葉を揺らした。まるで “おかえり” と言われたように感じて、胸の奥がじんと温かくなる。

 翌日、祖母の写真を整理していたとき、古い日記を見つけた。
 庭の落書きのような図とともに、ヤツデについて書いた短い一文があった。

 ――誰かが帰る場所には、迎える手がいる。
    この子は、それをずっとしてくれている。

 読み終えた瞬間、涙が一粒だけ落ちた。
 祖母の言葉は、まるで時間を越えてそっと肩に触れたようだった。

 思えば私は、祖母がいなくなってからというもの、家に帰ることさえどこかためらっていた。
 仕事も人間関係も、うまく笑えない日が続いていた。
 “帰っても誰も迎えてくれない” ――そんな寂しさを、心のどこかで抱いていたのだと思う。

 でも、裏庭にはずっとヤツデがいた。
 日陰でもひっそりと葉を伸ばし、寒い冬でも花を咲かせ、ただそこに居続けてくれた。
 祖母が言った「そっと寄り添うような木」という言葉の意味を、今になってようやく理解する。

 その夜、私は久しぶりに裏庭に出た。
 ヤツデの大きな葉に手を伸ばす。冷たいけれど、しっかりとした手触り。
 ゆっくりと指先が落ち着いていく。

 「ただいま。……帰ってきたよ」

 風がまた、葉を揺らした。
 ひらひらと広がった緑の掌が、まるで私を包み込むように見えた。

 ああ、これが “親しみ” なんだ――そう思う。
 血のつながりや言葉だけではなく、長い時間の中で静かに育まれるもの。
 祖母が植えた一本の木が、私の心の帰り道をずっと守ってくれていたのだ。

 家の静けさの中で、ヤツデの葉音だけが優しく響く。
 それは、失われたぬくもりをそっとつなぎ止めるような音だった。