6月4日は侵略による罪のない幼児犠牲者の国際デーです
8月19日は、「侵略による罪のない幼児犠牲者の国際デー」です。この日が記念日とされたのは、1982年にパレスチナ問題に関する「国連緊急特別総会」にて、イスラエルの侵略行為によるパレスチナ・レバノンに住む罪のない多数の幼児が犠牲者となったことを悼んだ事がきっかけとされています。またその一番の目的は、「肉体的」または「精神的」かつ「感情的」な虐待の犠牲者となる世界中の子供たちが経験した苦痛を認識することだとされています。そして、子供たちの権利を守るために国連の義務を再認識する日でもあります。
ユダヤ人がイスラエルを建国
イスラエルとパレスチナの問題は、世界の紛争の中でもで最も解決が難しいといわれていて、70年以上からずっと対立が続いています。イスラエルとパレスチナは、古くから「アラブ系パレスチナ人」と「ユダヤ人」が暮らしていました。しかし、1948年5月にユダヤ人がイスラエルを建国してから大きな問題に発展しました。
ユダヤ人は本来、国家を持たず世界各地に離散していましたが、第2次世界大戦中の「ホロコースト」(ナチス政権とその協力者による約600万人のユダヤ人の組織的、官僚的、国家的な迫害および殺戮)などの悲劇を経て、多くの人々が落着きを求め、それぞれ自身の祖先の土地だとする現在のイスラエルに移り住んだといわれています。
イスラエルとパレスチナの問題
イスラエルの建国は、国連の「パレスチナ分割決議」に基づいた、この地にユダヤ人とアラブ人の国家を創るというものでしたが、このことが今も続く長い対立の歴史のきっかけになったといわれています。その経緯は、このイスラエル建国に対し、エジプトやヨルダンなどのアラブ諸国は、アラブ人が人口の過半数を占めていることを無視した不当な決議だとして激しく反発し、そこから最初に攻撃を仕掛けて第1次中東戦争が始まりました。その後、この戦争はイスラエルの勝利で終わり、70万人のパレスチナ人は土地を追われます。
終わりなき戦い
その後もイスラエルとアラブ諸国の戦争が繰り返されます。しかしイスラエルは、周辺国を圧倒する軍事力を備え、多くの土地を戦争で占領していました。その中でも1967年の第3次中東戦争は、「ヨルダン川西岸」と「ガザ地区」、「東エルサレム」などを占領し、支配地域を4倍以上に広げています。国連は度々イスラエルに対し、占領した土地からの撤退を求める決議が採択されています。しかし、それらすべては実行に移されなかったそうです。
この間にパレスチナ人による「民衆蜂起」も起こり、1987年の「第1次インティファーダ」と2000年の「第2次インティファーダ」では、大勢の犠牲者を出しています。このように未だに空爆などが繰り返され、紛争が終わることなく、何の罪もない小さな子供たちまでもが犠牲になっているのが現状です。人種や宗教上の違いの壁は、同じ人間同士としてお互いに理解し合って平和解決できないものなのか!?
ロシアのウクライナ侵攻
2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まって90日以上たった今でも、壮絶な攻防戦が続いています。その中でも、最も残虐な行為と確認された大勢の民間人がロシア軍に虐殺されるというキーウ(キエフ)近郊ブチャの惨劇はあまりも有名です。こちらの戦いは、ロシア大統領のウクライナに対する強制的な「ロシア化」目指すためと思われますが、そのために何も知らない子供までもが犠牲になっています。このようなお互いに得のない戦争は二度と起こらないようにする方法はないかと、いつも考えさせられます。