富士山の日

2月23日は富士山の日です

2月23日は富士山の日

この富士山の日を、パソコン通信Nifty-Serve内の同好会「山の展望と地図のフォーラム」が1996年1月に制定し、これとは別に山梨県河口湖町が2001年12月、そして、静岡県が2009年12月に制定しています。この日付は、「ふ⇒2 じ⇒2 さん⇒3」と読む語呂合わせからです。また、この時期はきれいな富士山が眺められる季節でもあります。

富士山

紅葉から見える富士

富士山の歴史を辿ると、約10万年前に山の土台となる小富士火山が激しい噴火活動を開始しています。その後大規模な噴火を繰り返し、少しずつ裾野を広げて今の富士山へと成長。そして愛鷹山の北半分と小御岳の大部分を埋めて、現在のような標高2500mオーバーの大きな火山へとなりました。

貞観の噴火

富士山の噴火(貞観の噴火)でできた「青木ヶ原樹海」

それから数千年の間に数々の大噴火によって形を変え、平安時代の864年になると、富士山北西の斜面から大きな噴火が起こります。これが、一般的に知られている大噴火の一つの「貞観の噴火」です。この噴火により、現在の精進湖と西湖は、剗の海が溶岩流によって分断されて作られたとされています。そして、溶岩流の上に育った森林は、青木ヶ原の樹海と呼ばれる広大な森となったいわれます。

宝永の噴火

宝永の大噴火

宝永の噴火は、江戸時代の1707年12月16日午前10時頃、富士山南東の斜面で煙の柱が立ち上がったとされる歴史上最も新しい噴火です。その噴煙は、富士山の高さをはるかに超える、およそ2万メートルにまで達したといわれているそうです。宝永火口(南東山腹)から噴火し、その日のうちに江戸までにも多量の降灰があり、房総半島まで被害が及んだとか。そして2週間にわたって、断続的に噴火があって家屋や農地が灰で埋まり、麓の村は餓死者が多数出たとされています。またこの大噴火の49日前には、宝永東南海地震で推定「M8.6」が発生したといわれています。

静かに佇む美しい富士山

絶景の富士山

富士山は、桜や紅葉、太陽にまでコラボして美しい景観を見せてくれます。しかし、富士山の歴史を辿ると今の景色とは想像のつかない恐ろしい姿を見せています。そして、今現在もその日本を代表する山の内部では今も火山活動が続いているそうです。そんな富士山と共存し、世界遺産となった財産を引き継いでゆくことは、現在の日本で暮らす我々の大切な役割なのかもしれません。


「富士山の日」に関するツイート集