3月2日は「遠山の金さん」の日です
1840年のこの日は、遠山の金さんこと遠山金四郎景元が江戸北町奉行に任命された日です。時代劇「遠山の金さん」は、遠山景元の死後に講談・歌舞伎で基本的な物語が完成して、陣出達朗の時代小説「遠山の金さん」シリーズとして普及しました。
遠山の金さん
「遠山の金さん」こと、遠山景元(とおやま かげもと)は江戸時代の旗本で、天保年間に江戸北町奉行と大目付、後に南町奉行を務めた実際に存在した人物です。時代劇「遠山の金さん」や「江戸を斬る」に登場する主人公のモデルとして知られています。この「金さん」という呼び名は、父親と同じ通称「金四郎」からつけられています。
町奉行所
町奉行所は、中町奉行所(1702~1719)を除いて長い期間、北と南の二つの奉行所が置かれていました。それは単に奉行所の所在地、北にある方を北町奉行所で南にある方を南町奉行所と呼んでましたが、管轄地域は同一であり、月番制により交代で江戸の役所、裁判所的な役割を担っていました。
遠山金四郎景元
これから、遠山金四郎の生い立ちを紹介します。長崎奉行だった金四郎の父親は、息子がいなく、親族から養子を迎えていますが、その後に金四郎が生まれています。そして、養子の兄も子恵まれず、その息子として縁組をしています。またしても、その後に実の子供が生まれます。こんな複雑な環境の中、金四郎は21歳頃から32歳頃までは、何をしていたかは記録に残っていないそうです。このようなことから、時代劇や講談で自由なストーリーが作られたということです。
金さんは永遠のヒーロー
北町奉行の遠山の金さんは、身分を隠して庶民に紛れ込み実態調査しています。そして、証拠を掴むと白州に罪人と証人を呼び、裁きを行います。それがたとえどんなに身分が高くても自分が見た証拠をさらして見事に裁きます。これは、不正を無くし、差別することなく真実を公開するなど、現在でも十分通用しますよね。