太陽光発電の日

6月21日は夏至であり、太陽光発電の日でもあります

6月21日は夏至であり、太陽光発電の日

太陽光発電といえば、環境に優く半永久的な太陽光を利用したクリーンエネルギーを発生する装置です。現在では、普通の一般家庭にも設置されていて、日常生活で消費される電力の不足部分を補っています。

その太陽光発電で電力を発生するためのエネルギー源となる太陽への感謝を表し、太陽光発電をさらに普及を目指すことが目的として、住宅用・公共用の太陽光発電システムの施工を関わる株式会社横浜環境デザインがこの日を記念日として制定しています。

太陽光発電装置のしくみ

太陽光発電装置のしくみ

太陽光発電の主な設備は、まず太陽光をエネルギーに変えるパネルにあたる「太陽光モジュール」と呼ばれる装置があり、その装置が太陽光のエネルギーを吸収し、それを電気エネルギーに変換します。

その後、電気に変換されたエネルギーは接続箱でまとめられ、その電気を直流電源として「パワーコンディショナ」(受け取った直流電流を家庭用の交換電流に変換する)装置に送られます。そして最終的に、変換後の交流電流が分電盤から各出力地点に送られて、一般の家庭などで電気製品を使うことが可能となります。

太陽光発電のメリット

太陽光発電のメリット
太陽光発電のメリットは?

「太陽光発電」は、一般的に考えられるメリットとして、次の「災害(地震や台風)による停電などの緊急時に代用」、「CO2を出さない」、「曇りや雨の日でも発電が可能」、「節電意識が高まる」などがあります。

その他にも、電気代に関するメリットであり、「光熱費を削減」「余った電気は売電」「蓄電池の設置で発電した電気を無駄なく使える」「HEMS(エネルギーの見える化、電気設備を最適に制御できる管理システム)と組み合わせて電気の運用を自動化」「オール電化との相性が良好」などがあります。これでもほんの一部ですが、今後も有効だと確信できるメリットがこれだけあります。

デメリット

太陽光発電のデメリット

太陽光発電のデメリットとして考えられる一般的な懸念事項として、次のようなものが挙げられます。まず、「電気の発電量は日射量、影、積雪などの天候や気象条件で不安定」「台風や地震など、災害によるパネルなど破損」「雨漏り、蜂や鳥などの生物が巣を作る」などです。そして、もっとも懸念されるのが、「電力の売電」や「設置・メンテナンス」に関するデメリットです。

全体的に価格が下落傾向

まず、太陽光発電の電気代や収入のデメリットに関しては、売電価格が年々下落していて、10年間の固定売電期間を過ぎた場合にそれ以降の売電価格は固定価格よりも低くなる可能性があることなど、全体的に価格が下落傾向にあります。

メンテナンスに関するデメリット

次に、家庭での太陽光発電の設置・メンテナンスに関するデメリットとしては、「初期費用(設置費用)の敷居が高い」「屋根の向きで電力量が変わってくるため、北向きは向かない」「屋根に負担をかける」「パワーコンディショナーなどの電気機器の交換費用が必要」「自然災害に備えて保険に入る必要がある」「設備の撤去時に15万円ほどかかる」などです。

現在は、補助金制度の利用などにより、緩和されることもありますが、設置費は今のところハードルが高いといえます。今後も売電価格が下がる傾向にあるために、実際のところは導入は厳しくなります。

やっぱり、太陽光発電は必要!

やっぱり、太陽光発電は必要!

太陽光発電にすると、確かにコスト面でのデメリットがあります。しかし現在、世界規模でCO2削減などの環境問題の解決に取り組まれています。そして、そのことで各国々も協力するために自主的に動き出しています。また、日本国内もこれに応じる形で削減目標を立てて、「ガソリン車から電気自動車へ」と変更することなども率先して動き始めています。

こうなると、電力の使用量が増加していき発電に対する意識がさらに高まって、ダムの建設や原発の放射能漏れなど環境破壊の恐れのある発電よりも、比較的に低コストで運営が可能な太陽光発電や風力発電の研究が高まり、今よりもっと低価格で電力を得られる時代が来るでしょう。災害が起こって停電になっても生活が維持できるという面からみても、自家発電生活は絶対おすすめする案件だと思います。


「太陽光発電の日」に関するツイート集

https://twitter.com/mrfaiz555/status/1670468490967523329?s=20
https://twitter.com/mrfaiz555/status/1670468490967523329?s=20
https://twitter.com/tes33581/status/1669925909112168449?s=20
https://twitter.com/kurage_31415/status/1537969987927035904?s=20&t=zp95HdyNaDM4OZbjsmg92w

ペパーミントの日

6月20日はペパーミントの日です

6月20日はペパーミントの日

ペパーミントの一種の「ハッカ」は、6月の北海道の爽やかさがそのものであり、その日付の20日は「はっか(20日)」と読む語呂合わせから、ハッカ(ペパーミント)が特産品である北海道北見市まちづくり研究会が1987年にこの日を記念日として制定しました。

ペパーミント

ペパーミント

ペパーミントは、ミントの代表的な品種です。そして、スペアミントとウォーターミントが交配した品種であり、他の種類のミントと比較して葉が尖っていて、葉の色は濃い緑色をしています。また、花は夏から秋にかけ、ピンクや紫色していて小さく茎先に咲かせます。メントールの含有量がスペアミントよりも高く、辛みが強いというのが特徴です。

ペパーミントの使用例

ペパーミントを使った料理

ペパーミントは、料理やお茶に使われるだけでなく、ガムや歯磨き粉などの生活用品の香料に利用されます。ちなみに名前の由来は、ピリッとした香りがコショウ(pepper)を連想させるためにこの名称が付けられたといわれています。

ペッパーミントとスペアミント、香りの比較

ペパーミントとスペアミントの違い

まず、「ペパーミント」の香りの素となっているのは、「l(エル)-メントール」であり、和種のミント(ハッカ)にも多く含まれる成分です。爽快でスーとする感覚は、日本人にもなじみがあって日本で販売されるガムや歯磨き粉は、このペパーミントベースのものが主流だそうです。

次に「スペアミント」の香りですが、「l-カルボン」という成分が主体で、スーっとする感覚は控えめで、ハーブ特有の香りが料理に合うようです。そのことから、欧米では料理に使用する際は、別名「ラムミント」とも呼ばれ、そのスペアミントが定番とされるそうです。イギリスの伝統的なラム肉料理では、スペアミントの葉に砂糖、酢などを加えてつくる甘いミントソースが欠かさないそうです。

ペパーミントの効能

ペパーミントの効能

ペパーミントは、食べ過ぎや飲みすぎなどによって胃の調子が悪くなった時、消化を助ける働きがあります。「腹痛」や「胸焼け」、「胃けいれん」などの症状を緩和するといわれます。さらに、ペパーミントは鎮静効果あって、精神的な緊張を和らげると共にイライラを沈めるなど、リラックス効果があるとされます。ペパーミントは昔から、無気力や抑うつを改善できるとされ、精神安定化作用もあって神経症などにも利用されてきたそうです。

他にも効能・効果がいくつかあり、それは「偏頭痛やその時に伴うむかつきも癒す」「麻痺作用や抗菌作用があり、虫歯や歯痛などで発生する痛みを緩和する」「乗り物酔いや吐き気の予防」「げっぷが出やすくなる」「不眠を解消する」などが期待されているそうです。

暑さ対策をペパーミントで

暑さ対策をペパーミントで、ミントアロマ

6月といば、夏本番に向けて暑さが徐々に厳しくなっていく時期です。この暑さで多くの人が、自律神経の乱れによる影響で「胃もたれ」や「食欲不振」、「体のだるさ」などの不調を引き起こします。これを予防するのに最適なアロマが、ペパーミントといわれていてます。

ミント系の香りから出るヒンヤリ感が、「体感温度を4度下げてくれる」というデータがあるそうです!コロナ禍でのマスク生活も、「ペパーミント」効果を上手に活用し、熱中症コロナウイルス感染対策を行いながら、この夏を元気に乗り切りましょう!


「ペパーミントの日」に関するツイート集

https://twitter.com/aya_san_55/status/1538327956472340482?s=20&t=bal97WGmPKATZIxqBOQFAA
https://twitter.com/smaene_FAP/status/1536514431512809472?s=20&t=bal97WGmPKATZIxqBOQFAA

ベースボール記念日

6月19日はベースボール記念日です

6月19日はベースボール記念日

1846年6月19日、史上初となる公式記録に残る野球の試合が、ニュージャージー州エリシアン球場で行われています。このことは、現在行われている野球の基本となっている、3アウトや3ストライクなどのルールで試合が行われて近代野球が誕生しています。また、このルールの制定した人はアメリカ消防団員の「アレキサンダー・カートライト」によるものだそうです。そしてその後、1873年になると日本で初めて野球が入ってきました。

野球誕生と「アレクサンダー・カートライト」

野球誕生と「アレクサンダー・カートライト」

1845年、ニューヨーク在住の「アレクサンダー・カートライト」は、ボランティアの消防隊メンバーたちで「ニッカボッカー・クラブ」という組織を立ち上げます。そして、親睦のために球技を楽しんだそうです。その時の球技は、クリケットを元にした「タウンボール」というスポーツを改良されたものだったそうです。そして、それが後に「野球」(Bseball)という名称が付けられたといわれています。

「タウンボール」

「タウンボール」

「タウンボール」は当時、女性たちが愉しむスポーツだったということで、ボールの投げ方も現在のソフトボールに近い投法だったようです。また、この時はルールが無いに等しく、単に親睦のために愉しむだけの遊びだったといわれています。それを「カートライト」が、ルールをきちんと定めて決め、しっかりゲームとして勝敗を決まるスポーツへと進化させています。そのルールは、ゲームを楽しみながら改良を重ね、時間をかけて生み出したものだといわれています。

ルール

野球のルール

最初は、ボールをランナーにぶつけてアウトだったのが、打ったボールをキャッチしてベースで待つ選手にボールを投げて渡せばアウトとしたり、また塁と塁の距離を統一したり、攻守交替のアウトカウントはいくつにするかを決めたりしていました。他にも、ボールやバットはどんな素材で大きさはどう規定するかなど色々と決められていきます。

野球の普及と不正

野球の普及と不正

この時点で、ルールも決まってスコアブックまで誕生し、ほぼ現在の野球に近いものになっていたそうです。ですが、それを楽しむのは経済的に余裕のある中流階級以上の人たちがほとんど・・・。その後、野球を誕生させた「カートライト」は、この時期に野球の歴史から消えています。

実はその彼、1849年に全米で一大ブームになっていたゴールドラッシュの波に乗り、カリフォルニアに移住していました。そして、彼に代わり野球を普及させたのが、新聞記者の「ヘンリー・チャドウィック」という人物です。

ヘンリー・チャドウィック

現在では、彼こそが真の「野球の父」とアメリカでは呼ばれているようです。その最大の理由は、「野球界の不正と常に戦い続ける」ことで、現在までの野球がスポーツとしての威厳を保つようになったといわれているからです。それがいつの日か、アメリカの国技といわれることになりました。野球の普及は、野球の不正を正す歴史であり、そこで登場するのがそういった野球界の不正の中心となったニューヨークの裏社会でもあるようです。

健全なスポーツだからこそ、心から楽しめる

健全なスポーツだからこそ、心から楽しめる

心から楽しめるスポーツの代表格といえば、高校や中学の野球やバレー、サッカーです。もちろん、母国や母校に対する特別な感情で応援することも素晴らしいと思います。しかし、プロプレイヤーと違って彼らは、スポンサーのバックアップや報酬もなく、ただ目標を達成するためにがむしゃらに練習をしています。

そういった彼らのスポーツ大会は、その「熱心さ」から涙を浮かべる人もいるほど選手と一緒になって応援したくなりますよね。今年2021年、東京でオリンピックが開催されようとしています。そして、コロナ感染拡大のリスクにさらされながらも、粛々と開催実現にに向かって準備されています。こういう時期だからこそ、この五輪開催の目的と意味を改めて考えてみるのもありだと思います。


「ベースボール記念日」に関するツイート集

https://twitter.com/YataCara/status/1273737335331409921?s=20&t=GjSoRJfrFvxlvRaexcJmSQ
https://twitter.com/eninonizi/status/1538019610565693446?s=20&t=GjSoRJfrFvxlvRaexcJmSQ
https://twitter.com/ZOMBEARLD/status/1273780264477446144?s=20&t=GjSoRJfrFvxlvRaexcJmSQ

国際寿司の日

6月18日は国際寿司の日です

6月18日は国際寿司の日

日本では11月1日を「すしの日」としていますが、今日は1961年に全国のすし組合で構成されている「全国すし商環境衛生同業組合連合会」(全国すし連)が制定した記念日となります。実際のところ、制定した団体や詳細は不明だといわれていますが、主に海外で祝われているようです。

海外のすし(Sushi)事情

海外で最近ブームの「Sushi」

我々日本人が昔から食べられているにぎり寿司と、海外で最近ブームとなって食されている「Sushi」は、見た目が味も大きく違うようです。しかし最近は、日本の寿司も洋風感が出てバリエーションを広げていて、新しい感覚の寿司もチラホラと見かけるようになっています。両者の味覚に関する感覚の差は微妙に縮まっているようですが、それでも伝統を重んじる古き日本人ファンが大半を占めているためまだまだといえます。

無形文化遺産の寿司

無形文化遺産の寿司

日本の無形文化遺産の一つといわれる、寿司の世界はまさに芸術の領域に入ります。100個の寿司を握ってそのシャリの米粒の数が全て同じなんてことは、普通の寿司職人の中では当たり前といわれるほど。そして、ネタはその日に市場へ行って吟味された旬の物が使われ、そのほとんどのメニューが生で調理されています。実際、香港のあるメディアは、日本を訪れたら寿司を食べてみるよう読者に向けて呼びかける記事を掲載していて、その勧める理由として「寿司は食べ物に見えないほど美しい」と伝えているようです。

世界で人気の「Sushi」

世界各地で人気の「Sushi」

世界各地で人気の「Sushi」は、日本人の感覚より庶民的なイメージへと変化しています。西洋人は、生ものを苦手な多いため、ネタが限定されて「鶏のささ身」や「ツナ缶」、「アボガド」や「カマボコ」などが人気を集めているそうです。また、箸を上手に使いこなせず、地域の習慣からにぎりを手づかみで食べるのを嫌うが人が多いことなどから、握りよりも軍艦巻きなどの巻きずしタイプを好む傾向があります。

日本の伝統が世界のファーストフード

世界の最新寿司

世界各国で食べられている寿司は、もはやハンバーガーやフライドチキンなどと同様、ファストフード感覚に変化しているような傾向を受けますが、これも納得できるような気がします。寿司職人は納得いかないでしょうが・・・。しかし、どんな形であれ和食の一つが世界的ブームになるということは、そこから日本を知ってもらい、コミュケーションを取るきっかけになるということで大変喜ばしいことだと思います。


「国際寿司の日」に関するツイート集

https://twitter.com/jununitakolove/status/1669947076833337346?s=20
https://twitter.com/ryosuke73543288/status/1669457250782695424?s=20
https://twitter.com/mai_tweet_chan/status/1536563341531152384?s=20&t=2082stBeiRSre-bszNZnFg
https://twitter.com/e3CZqBZ5KLbidGz/status/1536645537859915776?s=20&t=2082stBeiRSre-bszNZnFg
https://twitter.com/boyoyooooonoyo/status/1405631894490730496?s=20&t=2082stBeiRSre-bszNZnFg

砂漠化および干ばつと闘う国際デー

6月17日は砂漠化および干ばつと闘う国際デーです

6月17日は砂漠化および干ばつと闘う国際デー
砂漠化および干ばつと闘う国際デー

6月17日は、国連が制定した「砂漠化および干ばつと闘う国際デー」です。1994年6月17日に「国連砂漠化防止条約」(UNCCD)が採択されています。そしてこの日は、砂漠化と干ばつへの理解と関心を深め、砂漠化を防ぐ活動を呼びかけ、国際協力の必要性を改めて考える日です。

砂漠化

砂漠化

「砂漠化」とは、乾燥や半乾燥地域、半湿潤地域(乾燥度指数値が0.2∼0.5の地域)で、気候変動や人間活動など様々な原因により、植物の生育が難しくなる現象を言います。簡単に言うと、乾燥した地域で人が住むところや植物の生えているところが、気候変動や人的な活動によって不毛の大地になることです。逆にもともと人も住めず、植物が生えていない砂漠では、砂漠化現象は起こりません。

砂漠化で受ける影響は?

ゴーストタウン化

乾燥地域で住んでいる人達は、作物と家畜、日用品や薪炭材などを生態系に依存しています。しかし、土地の劣化により生態系が劣化していけば、結果的に人々の生活環境が悪化するのは当然のことでしょう。また、乾燥地域の短期・長期での気候の変化は、作物や飼料などの確保に直接影響する家畜の生産や、水の供給を不安定にします。一度乾燥地の生態系が崩れると元に戻すことは厳しく、農業生産性の低下に繋がり、貧困が加速していきます。

現在、多くのアフリカ諸国は、こういった深刻な干ばつを頻繁に受け、食糧の生産基盤である土地の劣化に直面し、住民が生存するために森林、水などの自然資源の過剰採取を行っています。結局、このことが更なる土地の土壌劣化を進ませるという悪循環になっています。

環境森林省の考え方と目標

地球の1/4が砂漠!?

人々の日常生活に必要な活動が原因とされる気候変動と土壌劣化は、天然資源の減少や砂漠化を引き起こします。環境森林省は、これらを防止するために適切な土地管理と環境保全の取組みが重要であり、それを通じて貧困を削減できると考えています。また政府は、2022年までに国土の10%を樹木で覆う取組みを掲げ、目標達成に向け郡政府との密な連携が望まれています。

具体的な取り組み例

地球環境を農業から立て直す

サヘル地域は、アフリカのサハラ砂漠の南端に位置し、深刻な砂漠化が進んでいます。この問題に取り組むため、いくつかの具体的な取り組みが行われています。

改良カマドの普及と農業技術指導:

熱効率が良く薪の消費量が少ない改良カマドの普及や、植林、米作などの農業技術の指導が行われています。

西アフリカの内陸国ニジェールは、サヘルと呼ばれるサハラ砂漠の南縁に位置し、国土の3分の2をサハラ砂漠が占めています。

独立行政法人国際協力機構

緑の壁プロジェクト:

アフリカの11か国が共同で、サハラ砂漠の南端に植林による「緑の壁」を築くプロジェクトが進行中です。この壁は地球温暖化の進行による砂漠化を防ぐために立ち上げられました。

アフリカに築かれる「緑の万里の長城(Great Green Wall)」。サハラ砂漠の拡大防止で大陸横断の植林帯。計画から10年で15%を達成(RIEF)

(一社)環境金融研究機構

特定非営利活動法人「緑のサヘル」:

この団体は、サヘルの土地を「緑の岸辺」に戻すために活動しています。森林分野における活動テーマとして、持続可能な緑化を推進しています。

サハラ砂漠を越えた南側、ここは、かつて久しぶりに緑を目にしたアラビアの商人たちによって、「岸辺(サヘル)」と呼ばれました。今、その「岸辺」では砂漠化が進み、人々の生活基盤が奪われています。砂漠化の進むサヘルの土地を、人々が生活を続けていくことの出来る「緑の岸辺」に戻すため、活動を行っています。特定非営利活動法人 緑のサヘル:URL http://sahelgreen.org/

公益財団法人 国際緑化推進センター

ブルキナファソ国タカバングゥ村

ブルキナファソ国タカバングゥ村では、近隣地域に伝わる様々な知識や技術とそのノウハウから砂漠化防止に有効なものをピックアップし、そこから視察やワークショップから、住民自身が選択した技術の移転を行い、それと同時に村の普及と定着を目指しています。

チャド共和国

チャド共和国では、「育苗や植林支援」「金属製の物や粘土製改良カマド普及」「大豆・稲作普及」「穀物備蓄支援」「共同井戸建設」などを行っているようです。また他にも、砂漠化する地域で生活する人々の生活環境改善を目指し、「専門家の派遣」「研修員の受け入れ」「講習会の開催」などを行っているところがあるそうです。

我々も同じ地球の住人

我々も同じ地球の住人

これまで、砂漠地域に住む人々の生活環境について紹介してきましたが、森林伐採よって気候変動を起こす温室効果ガス排出によるオゾン層の破壊も、砂漠化も地球規模の問題として直結していると言えます。現在100億人が地球で生活しています。それだからこそ、我々は他人事と捉えず、プラスチックごみの削減、水道水の節約など、まずは個人で可能なことから意識していくことが一番の近道だと考えます。


「砂漠化および干ばつと闘う国際デー」に関するツイート集

https://twitter.com/mefuchannel/status/1140402227577683969?s=20&t=zyh-ViTYX4CNFxJz3C04Cw

アフリカの子どもの日

6月16日はアフリカの子どもの日です

6月16日はアフリカの子どもの日

この日は、教育のために立ち上がった多くの学生たちのことを忘れないため、アフリカの子供たちについて考える日です。そして、南アフリカではこの日を「青年の日」として祝日にもなっているそうです。1991年には、アフリカ統一機構(現在のアフリカ連合)が「アフリカの子どもの日」として制定しています。

教育のためにデモ行進

ソウェト蜂起

1976年6月16日、南アフリカ共和国のヨハネスブルグ郊外に位置するソウェト地区で、教育の質の向上と自国語で教育を受けるという権利を主張するために、黒人学生たちによるデモ行進を行ったそうです。そして次第に暴動に発展して「ソウェト蜂起」が起こりました。

当時、アパルトヘイト政策(極度の人種差別の政策)を行っていた南アフリカ政府は、学校でゲルマン語派のアフリカーンス語の授業の導入を決定しています。アフリカーンス語を「白人支配の象徴」と見なす黒人と主に学生たちの間で激しい反発が起こり、数週間に亘って黒人学生が授業をボイコットする事態に発展しています。

アパルトヘイトとは

アパルトヘイト(apartheid)は、南アフリカ連邦および、南アフリカ共和国で1948年~1994年まで施行されていた人種隔離政策のことです。この政策は、白人を優遇して有色人種に対し、政治的または経済的な差別を行っていました。具体的には、有色人種には選挙権がなかったり、移住区間が完全に区別されていたようです。

アパルトヘイトは、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味していてます。この政策の目的は、少数の白人の政治的・経済的特権を維持するため、黒人をはじめ白人以外の人種の権利や自由を奪い、様々な制限を与えました。

子供たちへの無差別な弾圧

子供たちへの無差別な弾圧

これらの暴動に参加した子供たちは、軍隊から無差別に銃撃を受けるなどの抗議活動が2週間も続きました。そしてその結果、100人以上が殺害されて1000人以上が負傷する事態となっています。この事が、反アパルトヘイト闘争の転換点となった出来事ともいわれているそうです。

日本からの支援活動

日本からの支援活動

2019年10月に日本政府の支援により「万人のための教育」プログラムの一環として「学校の修復作業」、また日本ユニセフ協会は、「インフラの復旧」と「学校の塗装」「机や椅子、ホワイトボード」「水と燃料タンク」の提供を行っています。さらには、「校庭の修復やフェンスの設置」、障がいのある子供のために「トイレの修復と改善」、そして教員研修用の教室の整備も行われたようです。

このように、日本でも1993年から毎年、「熊本県ユニセフ協会」(日本ユニセフ協会協定地域組織)が「アフリカ子どもの日」にイベントも開催されています。そして我々個人も、この日をきっかけに人種差別に限らず、身近な人権問題について考えることも大切な第一歩に繋がって行くのではないでしょうか!


「アフリカの子どもの日」に関するツイート集

https://twitter.com/mnomura31/status/1535009370261450752?s=20&t=_uQQMRJrkmzIxrNSspqskQ

世界高齢者虐待啓発デー

6月15日は世界高齢者虐待啓発デーです

6月15日は世界高齢者虐待啓発デー

現在、国際的に見ても大半の国で高齢者の人口が増加し、その増加による高齢者の虐待数も増加するであろうと予想されています。これまで当然禁止されていた高齢者虐待の問題が、世界中でようやく認知され始めていますが、実際には国によっては最も関心のない暴力の一つです。

そして、その国の行動計画では最も取り扱いの少ない問題であることも一つだといわれています。そこで、2011年12月の国連総会でこの日を「世界高齢者虐待啓発デー」として制定されました。

高齢化になると高齢者虐待の数も増加する!?

高齢者への介護

世界各国、特に先進国で高齢者人口が増加しています。高齢者の増加に伴い、高齢者虐待の数も増加することが予想されまています。そのお陰で、禁止されてきた高齢者虐待の問題が、この問題から改めて注目を浴びはじめていますが、それでも現在では最も調査報告事例の少ない暴力であり、さらには国家実行計画として取り上げられる可能性の低い問題だそうです。

高齢者虐待の実例

介護は国際的な問題

現在、日本やカナダで高齢者虐待の事件がクローズアップされています。その加害者である虐待者は、 虐待の被害を受けている高齢者の信頼する立場(介護施設や医療施設の職員や介護をする家族)の人たちという例が大半を占めているそうです。よく問題として挙げられる介護施設職員による虐待ですが、現状では介護施設での虐待より、在宅で介護をする家族による虐待の件数が多いといわれているそうです。

その虐待に至る理由として挙げられるのは、介護行為から発生する「ストレスやうつ」、「高齢者介護の知識不足」、「アルコールや薬物への依存・乱用」が主に挙げられます。更には在宅介護の場合、「社会的支援の欠如」、「地域社会からの孤立」、「心理的または経済的な高齢者への依存」等も虐待理由の要因となるそうです。

世界28カ国が6人に1人の高齢者虐待を受けている!?

世界28カ国が6人に1人の高齢者虐待を受けている!?

2017年、世界保健機関(WHO)は世界28カ国の地域から高齢者虐待についての調査又報告をし、高齢者60歳以上の6分の1もの人が、何らかの虐待被害を受けた経験があると答えたそうです。中でも、精神的な虐待が深刻と考えられていて、その問題解決のために加盟している各国に対し、介護従事者の研修、電話相談などの対策強化を求めているようです。

高齢者が虐待される理由は様々

高齢者が虐待される理由は様々

WHOのウェブサイトでは、様々な高齢者虐待のデータが数字で提示されています。記述によると、16%の高齢者が前年1年間に虐待を経験しています。その中でも認知症の高齢者は、虐待を受けるリスクは高く、 3人に2人が虐待を受けているそうです。

虐待の事実が報告されているのは全体の4%に過ぎず、虐待を受けている当事者が通報したことへの仕返し、虐待者がトラブルに巻き込まれるのを恐れたりなどが、通報しない理由として挙げられているようです。また、自身が身体的な障害や認知機能の低下などによって通報できない場合もあります。

90%は同居中の家族による虐待

90%は同居中の家族による虐待

高齢者虐待の90%は、在宅介護している同居人である家族からの虐待行為です。配偶者やパートナーなどによるものでほとんどで、中でも最も多いのがその高齢者の息子による虐待で、それに続き「夫や娘」による虐待だそうです。虐待は加害者の他に誰もいない時、 恐らく周囲の人が気づくまで虐待は続くでしょう。

もし、ありえない打撲キズや物が無くなったりなど、不審に感じた心ある家族やケアマネジャーなどが隠しカメラやモニターを設置して証拠をつかみ、代わりに通報することも一つの虐待を防ぐ(抑止効果になる)方法ではないでしょうか!


「世界高齢者虐待啓発デー」に関するツイート集

https://twitter.com/hi2hidex/status/1536974536440434688?s=20
https://twitter.com/tomorrow_anniv/status/1007201165669490688?s=20&t=iD7LWd1-Ds4GC7DR6WNo-A
https://twitter.com/jawaniigata/status/1404559292565397507?s=20&t=iD7LWd1-Ds4GC7DR6WNo-A
https://twitter.com/Masakuraya/status/875007589872005120?s=20&t=iD7LWd1-Ds4GC7DR6WNo-A
https://twitter.com/Bwb2Px/status/1404625303268335616?s=20&t=iD7LWd1-Ds4GC7DR6WNo-A
https://twitter.com/sarin_like71/status/1404602276476424194?s=20&t=iD7LWd1-Ds4GC7DR6WNo-A

五輪旗制定記念日

6月14日は五輪旗制定記念日です

6月14日は五輪旗制定記念日

1914年の6月14日、パリで開かれたオリンピック委員会にて5色(青・黄・黒・緑・赤)のオリンピック旗(五輪旗)が制定されました。これは、オリンピック復興20周年記念祭を行うにあたり、オリンピック創立者のクーベルタンが発案したものだそうです。

近代オリンピックの復興とクーベルタン

近代オリンピックの父

実は、古代オリンピックは4世紀末になるとすでに途絶えていたそうです。しかし、フランス人「ピエール・ド・クーベルタン」による働きで、近代オリンピックとして復興させました。1863年にパリで男爵の家に生まれたクーベルタンは、将来は軍人か政治家を期待される人物だったそうです。

しかし普仏戦争(1870~71年、プロシアとフランスの間で行なわれた戦争)の敗北によるフランスの沈滞ムードを打破するため、教育改革をはじめてスポーツを取り入れた教育の推進に力を入れたそうです。そして、ヨーロッパ各地の教育とスポーツ事情を視察するなど、積極的な活動をしています。そしてその中で、オリンピックの復興を模索していたといいます。

「近代オリンピック」の誕生

「近代オリンピック」の誕生

1894年6月、パリの万国博覧会の際に開催されたスポーツ競技者連合の会議で、「 クーベルタン」はオリンピック復興計画を議題に挙げています。そして、その案が満場一致で可決し、第1回大会は1896年に古代オリンピックの故郷オリンピアのあるギリシャで開催することも採択されたそうです。

またその会議では古代の伝統にならい、大会は「4年ごとの開催」、「世界各国の大都市で持ち回り開催」、そして大会開催に関する最高の権威を持つ国際オリンピック委員会(IOC)を設立するなど、近代オリンピックの基礎となる事柄が決定されました。現在は、定員115名で構成されているIOC委員ですが、最初に決定したIOCの委員は16名だったそうです。

五輪の意味は?

オリンピックの旗

五輪のマークは五大陸を指していますが、各リングの色がどこの大陸を指しているかは、決まっていないそうです。しかし、一説によれば「青→オセアニア・黄→アジア・黒→アフリカ・緑→ヨーロッパ・赤→アメリカ」といわれているそうです。また五輪マークが持つ意味は、「5つの自然現象」と「スポーツの5大鉄則」を意味しているそうです。

5つの自然現象とは「水・砂・土・木・火」のことであり、青=水・黄=砂・黒=土・緑=木・赤=火と表されいます。そして、スポーツの5大鉄則は「水分・体力・技術・情熱・栄養」であり、青=水分・黄=技術・黒=体力・緑=栄養・赤=情熱ということだそうです。

五輪開催の目的

五輪開催の目的

このように、五輪に関して実際に意味や目的を改めて考えてみると、単に世界一を決めるスポーツの祭典であることの他に、教育の観点からオリンピズムオリンピック憲章」「IOC倫理規程」「フェアプレー」「スポーツと環境」などから、この大会開催の意図が見えてきます。2021年の現在、新型コロナ感染拡大による影響で東京五輪の有無に関係なく、大会の存在目的をもう一度改めて考え直すと今後の五輪の未来像が変わっていくかもしれませんね!


「五輪旗制定記念日」に関するツイート集

https://twitter.com/raijin_man/status/1404179285535952897?s=20&t=x8VQVsv5G1MBv3Px6kZuSQ

はやぶさの日

6月13日は「はやぶさの日」です

6月13日は「はやぶさの日」

2010年6月13日、小惑星探査機「はやぶさ」が様々なトラブルに遭いながらも往復60億㎞、7年もの長旅の末に地球に帰還しました。この探査機は、世界初の「サンプルリターン」、「イオンエンジンの長時間運行」をはじめとする数々の科学的な偉業を成し遂げています。

「あきらめない心」と絆

このプロジェクトに参加した全てのスタッフに「あきらめない心」と絆を伝えるために「銀河連邦共和国」では、この探査機が帰還した日付を「はやぶさの日」と宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設がある4市2町(秋田県能代市・岩手県大船渡市神奈川県相模原市長野県佐久市北海道大樹町鹿児島県肝付町)で組織する「銀河連邦」が制定しました。

銀河連邦

銀河連邦

銀河連邦は、1987年11月8日に宇宙開発最先端技術の研究に取り組む宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究施設がある地域と交流を始め、5市2町がユーモアとパロディ精神で創った「連邦国家」組織です。その各共和国が手を取り合い、相互の理解と親善を深め、宇宙平和という役割を担って人々の笑顔があふれるユートピアの創造をめざします。

また、この組織の役割は、子どもたちの留学交流事業やスポーツ交流や経済交流、銀河連邦サミット・フォーラムの開催などを通じて友好を深め、互いの発展と宇宙への夢とロマンを育むことです。

小惑星探査機「はやぶさ」

小惑星探査機「はやぶさ」


小惑星探査機「はやぶさ」は、近地球型とよばれる小惑星「イトカワ」の表面物質搭載カプセルを地球に持ち帰ること(サンプルリターン)に成功した探査機です。また「はやぶさ」は、将来本格的なサンプルリターン探査に必須となる技術を実証することを目的とした工学技術実証のための探査機であり、「イオンエンジン」「自律航法」「標本採取」「サンプルリターン」の4つの重要技術の実証を行っています。

そして、2010年6月13日に地球へ帰還し、搭載カプセルをオーストラリア・ウーメラ砂漠へ落下させて、その任務を終えています。この地球に持ち帰ったサンプルは、分析が行われて小惑星の形成過程を知ることで新しい発見をして、今後の小惑星探査の重要な指標になりました。

夢のある研究

ロケット

これら宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究は、結果や成果が明らかになるまで、もう少し先のことです。我々50代以上になる人にとって、この研究や開発結果を見届けることは不可能かもしれませんが、未来への夢が想像できて、今からわくわくします!


「はやぶさの日」に関するツイート集

https://twitter.com/U2PLxelHk3ZrHBY/status/1667094447518289923?s=20
https://twitter.com/Krasys_PR/status/1535894680017281025?s=20&t=Cm2F3WYd_uYFh-w1gLAwLw
https://twitter.com/hototoguis7/status/1535914516462342144?s=20&t=Cm2F3WYd_uYFh-w1gLAwLw

アンネの日記の日

6月12日はアンネの日記の日です

6月12日はアンネの日記の日

1942年6月12日、ユダヤ系ドイツ人少女のアンネ・フランクが「アンネの日記」を書き始めました。アンネの家族は、1933年にナチスが政権を取るとナチ体制の迫害に逃れようと、一家でオランダ、アムステルダムに移住しました。この「アンネの日記」は、1942年6月にアンネが13歳の誕生日にお父さんから日記をプレゼントされたところから始まります。日記は、1942年6月12日~1944年8月1日までの約2年間が記録されているそうです。

「アンネ・フランク」とナチス政権

アンネ、ドイツのフランクフルトで生まれ

アンネ・フランクは、1929年6月12日にドイツのフランクフルトで生まれました。そのアンネには3歳上の勉強熱心で聡明な姉のマルゴットがいました。この時期のドイツは、世界恐慌などの影響で景気が悪化し、人々は貧しい生活をしていたそうです。またその頃アドルフ・ヒトラーは、その勢力を伸ばして支配地域をどんどん伸ばしていました。ヒトラーは、ユダヤ人を憎んでいて、ドイツが抱える不況問題の責任をユダヤ人に濡れ衣を着せていたといいます。そしてヒトラーは当時、ドイツに広まっていた反ユダヤ感情を利用したといわれています。

ナチス・ドイツのオランダ侵攻

ナチス・ドイツのオランダ侵攻

1939年9月1日、アンネが10歳の時にナチス軍がポーランドへ侵攻、第2次世界大戦が始まります。その後、1940年5月10日にナチス軍はオランダにも侵攻し、その5日後には降伏しています。その後ドイツ軍は徐々にユダヤ人の生活がしにくくなる法律や条例を導入していったそうです。これらの規則で、アンネの行動範囲が規制されていきます。また、ユダヤ人が会社を持つことも禁止されてアンネの父も会社を失い、アンネを始め、ユダヤ人の子供達は全て学校に行かなければならなくなりました。

一家でオランダ、アムステルダムに移住

アンネ・フランクの家

ナチスのユダヤ人迫害は更に進み、ユダヤ人は「ユダヤの星」(「ダビデの星」あるいは「ユダヤの星」と呼ばれ、古代ギリシャ時代よりユダヤ教のシンボル)を着けることが義務付けられます。そして、「ユダヤ人はオランダから出て行かなければいけない」という噂が流れます。1942年7月5日にマルゴット(アンネの姉)にナチス・ドイツの労働キャンプへの召集令状が届きました。しかし、両親はこの召集が労働のためと信じず、翌日から隠れることにして  隠れ家(アムステルダム市プリンセン運河263番地にあったオットーの会社の後ろ)に移動し、潜伏することになります。  

アンネ、日記を書く

日記を書くアンネ

アンネは、隠れ家へ移動する前に13歳の誕生日を迎えた時、プレゼントの日記帳をもらい、隠れ家で生活した2年の間、アンネは隠れ家での出来事やアンネが感じたことなどを日記に書き留めていました。また、それだけではなく小説などを書き始めたり、自分が読んだ本から抜き出した一節を書き、そのことが、アンネ自身の大きな慰めとなったのでした。

その後、アンネは日記の清書を書き始めましたが、その作業が終了する前の1944年8月4日、アンネと隠れ家の住人は警察に発見されて逮捕されています。アンネは、最終的の送られたベルゲン・ベルセン収容所で、食料はほとんど与えられず、環境も劣悪であるがためにアンネもマルゴットも発疹チフスにかかって、1945年2月に亡くなります。

この「アンネの日記」は、反ユダヤ感情とドイツの不景気から作られた一人の少女書き綴った悲劇の記録となります。

戦争は不寛容がきっかけに

アンネ・フランク1929~1945

人は、生まれ持った性格や育った環境によって、それぞれ思想やこだわりが生まれます。しかし、そのこだわりが宗教の違いや人種差別などにより、さらに波及して派閥ができ、対立が始まります。すると、相手に対して不寛容になって、自分の領域に入ると攻撃してしまい、そこから争いが始まります。

今や世界中で、人類は全て平等だということをネットなどを利用して拡散しています。しかし、それが当たり前の世の中へと変えるためには、まず全ての人に寛容さを持つためにどう働きかけたら良いかを考えることから始めないと先へは進まないでしょうね!人類の永遠の課題です。


「アンネの日記の日」に関するツイート集