12月9日の誕生花「ポインセチア」

「ポインセチア」

基本情報

  • 学名Euphorbia pulcherrima
  • 和名:ショウジョウボク(猩々木)
  • 科名:トウダイグサ科
  • 原産地:メキシコの山
  • 開花時期:晩秋〜冬 (12月~2月)
  • :赤・ピンク・白・クリーム・マーブルなど
  • 園芸分類:常緑低木(観葉植物として扱われることが多い)

ポインセチアについて

特徴

  • 赤い部分は花ではなく「苞(ほう)葉」
    ┗ 葉が変化したもので、中央にある小さな黄色い部分が本当の花(杯状花)。
  • 短日植物
    ┗ 一日の暗い時間が長くなると色づき始めるため、冬に赤く染まる。
  • クリスマスを象徴する植物
    ┗ 冬に鮮やかな赤を見せるため、世界中でクリスマス装飾として人気。
  • 温度変化に弱く、寒さでダメージを受けやすい
    ┗ 室内の明るい場所で管理すると長持ちしやすい。
  • 樹液に毒性あり(軽度)
    ┗ 皮膚に付くとかぶれる場合がある。

花言葉:「私の心は燃えている」

由来

  • 真っ赤に染まった苞葉が、燃える炎のように見えることから。
  • クリスマスの夜に灯るキャンドルの光や、温かな情熱を象徴する色合いが重ねられたため。
  • 冬の寒さの中で、ひときわ強く鮮やかな赤を放つ姿が、心の中の強い想い・燃えるような情熱を連想させた。

「冬の赤は、燃えている」

雪が降り始めたのは、午後の授業が終わるころだった。
 白い粒が空から静かに舞い、冷たい町並みをゆっくりと包み込んでいく。どこか遠くの世界へ変わっていくような、不思議な気配があった。

 麻衣は厚手のマフラーを首に巻き直しながら、花屋の前で足を止めた。
 店先に並んでいるのは、鮮やかな赤。ポインセチアが何鉢も、黄色い花粉を抱えた小さな花を中心にして、燃えるような苞葉を広げている。

 ――私の心は燃えている。

 花言葉を思い出したとたん、胸の奥がじんと熱くなった。

 昔から、冬が苦手だった。
 学校の帰り道は冷えて孤独で、家に帰っても家族の温度は薄く、どこにも“自分の居場所”を見つけられなかった。

 だけど、去年の冬だけは違った。
 毎日すれ違うたびに笑いかけてくれた人がいた。
 「寒いね」と言ってココアを買ってくれたり、「帰り一緒に歩こっか」と声をかけてくれたり。
 特別な言葉はなかったけれど、隣にいるだけで世界が温かくなるような、そんな存在だった。

 ――好きです。

 その一言だけが言えなかった。
 言ってしまえば、何かが壊れそうで。
 伝えなければ、何も始まらないのに。

 「ポインセチア、今日すごくきれいですよ」

 声に振り向くと、花屋の店員が柔らかく微笑んでいた。
 麻衣は思わず赤い苞葉を見つめる。

 真っ赤に色づいた葉は、炎そのもののようだった。
 冷たい空気を切り裂くように、凛として美しく輝いていた。
 まるで、冬の中でたったひとつ灯る、小さな勇気の火。

 ――あの花言葉は、本当なのかもしれない。

 クリスマスの夜、誰かの心にともるキャンドル。
 離れていても、凍える季節の真ん中で、静かに燃え続ける想い。
 そして、冬の寒さにも負けず、ひときわ鮮やかに赤を放つ姿は、まるで「諦めるな」と背中を押してくれるようだった。

 麻衣は手袋を外し、ポインセチアの鉢にそっと触れた。
 その瞬間、心のどこかで固く凍っていたものが、かすかに溶けた気がした。

 ――もう逃げない。

 彼に伝えたい言葉は、ずっと胸の中にあった。
 暖炉の火みたいに、じわじわと消えずに残っていた。
 言えなかったのは、怖かったからだ。
 だけど、恐れよりも大切な気持ちが、今は確かに燃えている。

 「これ、ください」

 麻衣は一鉢のポインセチアを選んだ。
 赤い苞葉が、まるで「行ってこい」と囁くように揺れていた。

 店を出ると、雪はさっきよりも強く降っていた。それでも、手に抱えた鉢は驚くほど温かく感じた。

 家とは逆の道。
 麻衣はゆっくりと歩き出す。
 凍てつく風が頬に当たる。それでも足取りは軽かった。

 ――私の心は、燃えている。

 その言葉を抱きしめるように、彼の家へと歩みを進めた。
 冬の町は白く、冷たく、静けさに満ちている。
 けれど、真っ赤なポインセチアだけが、雪の中でひときわ強く灯っていた。

 まるで、麻衣の胸の炎を映すように。

マウスの誕生日

12月9日はマウスの誕生日です

12月9日はマウスの誕生日

1968年12月9日、アメリカの発明家「ITの父」ダグラス・エンゲルバートにより、マウスやウインドウ、ハイパーテキストなど、パーソナルコンピュータ、インターネットの歴史の出発点であるデモンストレーションが行われています。そこで「IT25・50」シンポジウム実行委員会が、この日を記念日として制定しています。そもそも「IT25・50」とは、「インターネット商用化25周年」と「ダグラス・エンゲルバートThe Demo 50周年」の意味です。

なぜ、マウスの日!?

マウスの日の由来

コンピューターは、元々専門家のみしか操作ができないものでした。それを、誰もが操作できるようにしたものがこの「マウス」であり、そしてその後にIT時代の基盤となっています。記念日は、そのマウスの誕生日から「The Demo 50周年」を祝って、一番の目的として「ITの過去・現在・未来」を考える日ということです。

マウスの誕生

マウスの誕生

1968年12月9日、アメリカの発明家で「ITの父」と呼ばれるダグラス・エンゲルバート(1925~2013年)により「マウス・ウインドウ・ハイパーテキスト」など、パーソナルコンピュータやインターネットの歴史の出発点といえるデモンストレーションの「The Demo」が行われました。マウスの特許の申請は、1967年に行い、実際にエンゲルバートはマウスの特許を、アメリカで1970年に取得しています。

マウス選び

色々なマウス

マウスを選びは、ただパソコンの操作するだけではなく、より効率的な作業が可能なマウスや、各々環境に合わせたマウス選びが主要となります。

  1. 多機能ボタン付きマウス
    ごく一般的なマウスは、「3ボタンマウス」やブラウザで「戻る」「進む」などができる「5ボタンマウス」があります。しかし、最近の「eスポーツ」や「MMORPG」などゲームに対応した、多機能ボタン付きマウスが存在します。
  2. 省電力マウス
    省電力マウスは、ワイヤレスであるため使い勝手が良く、使用電力を抑えた省電力マウスです。このタイプは、モバイル利用に最適です。
  3. 静音マウス
    マウスを操作する際、「カチカチ」という音が気になることがあると思います。このクリック音を少なくしたのが、静音マウスです。このマウスは、公共の場はもちろん、自宅の深夜作業などの使用も適しています。
  4. 握り心地重視のマウス
    握った時の指の位置に合わせたデザインが、「握り心地優先マウス」です。マウスを操作する際、親指と薬指に加え、「基節骨」や「母指内転筋・短母指外転筋」、「中節骨」や「中手骨」にフィットする形状です。

マウスのお陰でPCが身近に

マウスでPCが身近になる

私が最初にPCに出会ったのは、高校の授業でした。その当時は、マウスなど無くてキーボードでローマ字(プログラム言語)を打ち込むという時代です。しかし、数年後にWindows95の一体化のPCが発表され、その時に初めてマウス操作を体験しました。それからPCが身近になり、次々と新機種が発表されてかなり買い換えました。最近ようやくバージョンアップも落ち着いたようでほっとしているところです。


「マウスの誕生日」に関するツイート集

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12月8日の誕生花「ウィンターコスモス」

「ウィンターコスモス」

基本情報

  • 科名/属名:キク科/ビデンス属
  • 学名Bidens laevisBidens aurea など(流通名として「ウィンターコスモス」)
  • 英名:Winter Cosmos
  • 原産地:メキシコを中心とする世界各地
  • 分類:多年草
  • 開花時期:5月~1月(品種によって異なる)
  • 花色:白、淡黄、クリーム色、アプリコットなど
  • 和名・別名:ウィンターコスモスは園芸名で、正式には「ビデンス」

ウィンターコスモスについて

特徴

  • 寒い季節でも咲き続ける丈夫さを持つ。
  • 名前に「コスモス」とあるが、コスモス属とは別で、見た目が似ていることから名付けられた
  • 細長い茎の先に、ふんわりした一重の花をつけ、冬枯れの庭を明るく彩る。
  • 寒さや乾燥にも強く、長期間咲くためガーデニングで人気が高い。
  • 優しいパステルトーンの花色が多く、柔らかな雰囲気をつくる。
  • 花がしなやかに揺れ、儚げで温かみのある姿が印象的。

花言葉:「もう一度愛します」

由来

  • ウィンターコスモスは、他の花が終わる晩秋〜冬に再び咲くという特徴を持つ。
    →「冬にもう一度咲く花」「季節を越えて咲き戻る花」というイメージにつながった。
  • 優しい色合いで静かに咲き、過ぎ去った季節や思い出をやわらかく呼び戻すような雰囲気がある。
  • 一度終わったかのように見えても、また花をつける姿から、
    **「愛が戻る」「気持ちがもう一度芽生える」**という想像を重ねられた。
  • こうした性質と印象が重なり、
    **「もう一度愛します」「再び愛を告げる」**という花言葉が生まれたとされる。

「冬に咲き戻るもの」

冬の風が、庭の落ち葉をさらりと撫でていった。
 咲季(さき)はマフラーの端を握りしめ、実家の庭に出た。冷たさが頬を刺す。それでも、どうしても確かめたいものがあった。

 ――ウィンターコスモス。

 父が好きだった花だ。
 ほとんどの草花が枯れ、彩りを失ってしまう季節に、静かに、そして控えめに咲く。咲季はその花を見るたび、決まって父の穏やかな笑顔を思い出した。

 鉢のそばにしゃがんだとき、ふわりと淡い黄色が視界を照らした。
 「……咲いてる」
 思わず声が漏れる。

 父が亡くなって一年目の冬、咲季は庭仕事をする気力もなく、鉢は乾ききっていた。「もう今年は咲かないだろう」と諦めていたのに――。

 だが、ウィンターコスモスは、まるで季節を越えるようにして、再びここに戻ってきていた。
 小さな花弁が、凍える風の中で頼りなく揺れながらも、確かに息づいている。

 その姿に、胸の奥がじんと熱くなった。

 咲季はそっと花に触れながら、父の言葉を思い出す。
 「花はな、終わったように見えても、根っこが生きていればまた咲く。人の気持ちも同じだよ。時間が経ってから、ふっと戻ってくることがある」

 その言葉を聞いたのは、咲季が初めて失恋した高校生の頃だった。
 その時は、ただ慰めてもらっただけの記憶だったのに――今になってわかる。
 父はあの時、自分自身の気持ちの話もしていたのだ。

 母と喧嘩ばかりだった父。
 互いの気持ちは離れているように見えた。
 それでも、季節が巡るように少しずつ向き合い直し、気づけば二人の距離はまた元に戻っていた。

 「愛ってのは、戻ることもあるんだよ」
 笑ってそう言った父の声が、今でも耳に残っている。

 咲季は目を閉じ、深く息を吸った。冷たさと一緒に、土のにおいが胸に広がる。
 今年の冬は、父のいない初めての冬。でも、この花は「もう一度」を見せてくれている。

 枯れたかと思っても、再び花をつける。
 過ぎ去った季節をやわらかく呼び戻すように、そっと咲き戻る。

 ――「もう一度愛します」

 ウィンターコスモスの花言葉。
 その意味が、今日ほど胸にしみたことはなかった。

 咲季は立ち上がり、家の中に向かって声をかけた。
 「お母さん、見て。咲いてるよ!」
 振り返った母の頬も、少しだけ緩んだ。

 「あなたのお父さん、ほんとにこの花が好きだったわね」
 「うん。でも、たぶん私のほうが好きになっちゃった」

 母は驚いたように咲季を見つめ、それから静かに微笑んだ。
 その笑顔は、どこか父に似ていた。

 咲季はそっと鉢を抱え直し、心の奥で小さく呟いた。

 ――お父さん。
 あなたが残した“もう一度の花”は、ちゃんとここに咲いているよ。

 冬の空に、淡い黄色の花が揺れた。
 まるで、帰ってきた愛の証のように。

太平洋戦争開戦記念日

12月8日は太平洋戦争開戦の日です

太平洋戦争開戦の記念日

1941年の12月8日日本時間午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃しました。以後、3年6ヵ月に及ぶ太平洋戦争が勃発しています。この日は他に「対米英開戦記念日」などとも呼ばれています。

太平洋戦争

太平洋戦争

太平洋戦争は、1941年12月8日に真珠湾攻撃から始まり、日本のアメリカとイギリスへの宣戦布告で幕が開けます。その後の1945年9月2日に日本の降伏文書調印により、終結しています。日本側の指導者たちは、この戦争を大東亜戦争と呼んでいます。

真珠湾攻撃

真珠湾攻撃

真珠湾攻撃は77年前の今日、12月8日にハワイのオアフ島真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊に向け、日本海軍の航空母艦を飛び立ちました。その攻撃機の数、350機が奇襲攻撃を開始しました。

真珠湾攻撃の概要と搭乗員たちの心情

真珠湾攻撃と山本五十六

真珠湾奇襲は、日本海軍による歴史的な攻撃で、わずか2時間足らずでハワイに停泊していた米艦隊と航空部隊を壊滅させました。この奇襲は日本の開戦初期において大きな戦果を挙げ、多くの日本国民が勝利に沸き立ちました。しかし、作戦に参加した搭乗員たちは、その成果にもかかわらず、浮かれることなく冷静な姿勢を保っていたとされています。

第二次世界大戦はアメリカの参加はなかった?

夜の真珠湾

第二次世界大戦は、ヨーロッパを戦場とする「ヨーロッパ戦線」、そして環太平洋を戦場とする「太平洋戦線」がありました。実際のところ日米の太平洋戦争は後者なのだそうです。また、世界で起こったこの2つの戦線には、非常に関係があるそうです。仮にもし、第二次世界大戦が勃発しなければ、太平洋戦争が起こる可能性は少なかったということです。おそらく、日本軍がどさくさ紛れに起こした戦争なのでしょう。


「太平洋戦争開戦記念日」に関するツイート集

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12月7日の誕生花「シクラメン」

「シクラメン」

基本情報

  • 科名/属名:サクラソウ科/シクラメン属
  • 学名Cyclamen persicum(主に園芸品種の元となった原種)
  • 英名:Cyclamen
  • 原産地:北アフリカから中近東、ヨーロッパの地中海沿岸地域
  • 分類:多年草(球根植物)
  • 開花時期:晩秋〜冬〜春(10~4月頃)
  • 草丈:20~30cmほど
  • 花色:赤、白、ピンク、紫、濃桃、複色など
  • 特徴的な構造:反り返る花弁(上向きに反転した形)

シクラメンについて

特徴

  • 冬に咲く代表的な花で、寒い季節の彩りとして非常に人気が高い。
  • 花びらが上に向かって反り返る独特の形をしており、蝶や炎のように見えることも。
  • 葉にはハート形の模様が入ることが多く、観賞価値が高い。
  • 室内で長く鑑賞でき、育て方次第で翌年も咲かせることが可能
  • 乾燥気味を好み、過湿に弱いという独特の栽培性質をもつ。
  • 原種系は香りが強いものもあり、近年では香りのある品種も増えている。

花言葉:「はにかみ」

由来

  • シクラメンの花は、うつむくように下向きに咲き始める性質がある。
    → この「控えめに下を向く姿」が、恥じらいを帯びた仕草を連想させる。
  • さらに、咲いた後は花びらが大きく反り返るが、
    咲き始めの“内気”な佇まいが昔の人々に印象的だったとされている。
  • 派手な色合いが多いにもかかわらず、
    花の付き方がどこか慎ましく、奥ゆかしい雰囲気を見せることも理由の一つ。
  • こうした特徴から、
    **「恥じらい」「はにかみ」「内気な恋」**といった花言葉が生まれた。

「ゆらぎの赤に触れるまで」

冬の朝、真央はベランダに出ると、冷えた空気の中でそっと肩をすくめた。けれどその指先を温めるように、ひと鉢のシクラメンが静かに揺れていた。
 深い赤の花びらはまだ半分ほど閉じ、うつむくように下を向いている。その姿を見た瞬間、真央は思わず微笑んだ。

 「……あなた、まだ恥ずかしがってるの?」

 小さく呟いた声は白い息になり、花の周りに淡く広がった。
 この鉢は、半年前に亡くなった祖母の部屋に飾られていたものだ。整理に訪れたとき、枯れかけているにもかかわらず、真央はなぜか捨てることができなかった。

 祖母はいつも言っていた。

 ――「この子はね、最初は恥ずかしがり屋なの。でもね、時間が経つとちゃんと顔を上げて、きれいに咲いてみせるんだよ」

 その言葉を思い出しながら、真央は冷える指で土の乾き具合を確かめた。水は昨日あげたばかり。葉の色も悪くない。
 なのに、何かが物足りないような気がして、真央は花の前にしゃがみ込んだ。

 見上げると、花はほんの少し震えているように見えた。寒さか、風か、それとも――。

 「ねえ。私も、ちょっとだけ似てるかもしれない」

 その言葉は、自分でも不意だった。
 職場ではいつも遠慮がちで、本当は言いたいことがあっても口にできない。周りから「大人しいね」と笑われるたびに、胸の奥がきゅっと縮む。
 祖母はそんな真央を責めたことも、変えようとしたこともなかった。ただいつも、シクラメンを撫でながら優しく言った。

 ――「恥ずかしがり屋だっていいのよ。ゆっくりでいい。ちゃんと咲けるから」

 その声が、今も耳の奥に残っている。

 真央が静かに息を吐いたとき、ふと一輪の花がわずかに顔を上げた。
 まだ完全ではない。けれど、下を向いていた花びらが、ほんのすこしだけ外側へ反り返りはじめている。

 「……咲くの?」

 思わず手を伸ばし、その花に触れる寸前で止めた。
 触れたら壊れてしまいそうだった。あまりにも慎ましくて、あまりにも奥ゆかしくて。
 けれど、その小さな変化が胸に熱を灯した。

 「私も、少しだけ……顔を上げてみようかな」

 その瞬間、自分でも驚くほど自然に涙が滲んだ。
 悲しさではなかった。
 ただ、シクラメンの花が教えてくれたような気がしたのだ――。

 恥ずかしがり屋でもいい。みっともなくてもいい。
 咲くまでに時間がかかっても、いつか自分なりの形で花開けばいいのだ、と。

 朝の光が差し込み、シクラメンの赤が少し鮮やかに見えた。
 うつむいていた花は、ゆっくりと、ほんの少しだけ上を向く。

 その姿に励まされるように、真央もまた背筋を伸ばした。

 「今日、ひとつだけ言ってみよう。……ほんの少しだけでいいから」

 白い息が空へと溶けていく。
 赤い花が静かに揺れる。

 恥じらいを抱えたまま、それでも前へ進もうとする小さなぬくもりが、冬の朝の空気に溶けていった。

クリスマスツリーの日

12月7日はクリスマスツリーの日です

12月7日はクリスマスツリーの日

日本で初めてクリスマスツリーが飾られたのは、1886年。この記念すべきツリーは、横浜明治屋によって用意されました。当時、横浜は日本を代表する国際的な港町であり、このクリスマスツリーは主に外国人船員のために設置されたと言われています。

明治屋

明治屋はマダムの御用達

株式会社明治屋は、東京都中央区に本社を置き、「食料品」「和洋酒類の小売」「製造販売」「輸出入」の業務を行っています。また更には、「船舶に対する納入業」「機械類の輸入販売」「不動産賃貸業」などの事業も行う会社です。

クリスマスツリー

クリスマスツリー

クリスマスツリーは、クリスマスを祝うために飾り付けられる象徴的な木です。その起源は、旧約聖書『創世記』に登場する「知恵の樹」に由来するとされています。この木は、知恵や命を象徴すると同時に、クリスマスのスピリチュアルな側面を表現しています。さらに、クリスマスツリーは「聖樹」という別名でも知られていて、キリスト教における神聖な木としての役割を反映した呼び名だといわれているそうです。近年では、伝統的なモミの木だけでなく、LEDライトを使った現代的なデザインのツリーも人気です。

クリスマスツリーの飾る時期

ツリーの装飾時期は?

キリスト教では、12月25日の4週前の日曜日~12月24日のクリスマスイブまでを、キリスト降臨までの準備期間で「待降節の期間」とされます。そして、この最初の日曜日にクリスマスツリーの飾り付けを始める人たちが多いそうです。その飾られたツリーは、年をまたいで1月6日の公現祭(十二夜)まで飾られるそうです。ちなみに公現祭は、「東方の三博士」がイエス・キリストの誕生を祝福した日であり、キリスト教の大切な日です。

ツリーと言えばイルミネーション

イルミネーションツリー

12月になると、クリスマスが意識され全国各地で、木や建物に電飾が付けられ幻想的なイルミネーションが夜に電灯され始めます。キリスト教には直接関わりはないですが、何故かこの時期はときめきますよね。


「クリスマスツリーの日」に関するツイート集

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12月6日の誕生花「スイートアリッサム」

「スイートアリッサム」

基本情報

  • 科名/属名:アブラナ科/ニワナズナ属(ロブラリア属)
  • 学名Lobularia maritima
  • 英名:Sweet Alyssum
  • 原産地:地中海北岸から西アジア
  • 分類:一年草(暖地では多年草的に越冬することも)
  • 開花時期:主に春~初夏・秋(真夏は弱りやすい)
    【一年草】2月下旬~6月上旬、9月下旬~12月上旬 |【多年草】周年
  • 草丈:5~20cmほど
  • 花色:白・ピンク・紫・クリーム色 など
  • 香り:甘いはちみつのような香り

スイートアリッサムについて

特徴

  • 地面を覆うように低く広がるクッション状の草姿。
  • 無数の極小の花が密集して咲くため、花の絨毯のように見える。
  • 花は小さいが香りが強く、特に白花種が香り高い。
  • 高温多湿がやや苦手で、夏に弱りやすいが、涼しくなると再びよく咲く。
  • ガーデニングでは花壇の縁取り・寄せ植え・グラウンドカバーとしてよく使われる。
  • ミツバチや蝶などを引き寄せるため、コンパニオンプランツとしても活躍。

花言葉:「美しさに勝る価値」

由来

  • スイートアリッサムは、非常に小さく控えめな花でありながら、
    庭全体を明るくし、香りで周囲を満たす存在感を持つ。
  • 見た目の華やかさだけでなく、
    香り・丈夫さ・植えると他の植物を引き立てる性質など、
    目に見える“美しさ”以上の価値をもつと考えられたことから。
  • また、花自身は小さくても、
    群れて咲くことで豊かさや調和をもたらすことが象徴的とされ、
    「外見を超えた魅力」「美しさだけでは測れない価値」を意味する花言葉につながった。

「白い香りの向こう側」

春の風が、庭の隅に植えられた白い小花の上をそっと撫でていった。スイートアリッサム――小さくて、控えめで、でも不思議と心に残る花。
 その前にしゃがみ込み、紗良は土に触れた指先を静かに握りしめた。

 「……おばあちゃん、ここに座ってたよね」

 思い出すのは、穏やかな声と、膝に手を置いて笑う姿。祖母が亡くなってから、紗良は庭に出ることすら避けていた。花を見ると胸が痛む気がしたからだ。
 けれど今日、久しぶりに扉を開けて外に出てみると、風に乗って甘い香りが流れてきた。気づけば、香りのする場所へ足が向かっていた。

 白いスイートアリッサムは、冬の寒さに耐え、春の光を受けてふんわりと広がっている。こんなに小さいのに、庭の空気を変えてしまうほどの香りを放っていた。

 「こんなに……咲いてたんだ」

 紗良がつぶやくと、まるで返事のように蜂が一匹、花の上をくるりと舞った。祖母はよく言っていた。

 ――『この子たちはね、見た目よりずっと強いんだよ。小さい花ほどがんばり屋なの』

 その言葉の意味が、今になって少しだけ分かる気がした。
 華やかさなんてない。写真映えするような派手さもない。
 けれど、この小さな花は香りで庭を満たし、他の植物の色をそっと際立たせる。

 「……美しさだけじゃない、ってこと?」

 祖母が愛したこの花が、なぜ“美しさに勝る価値”なんて花言葉を持つのか。
 紗良は、手のひらで花に触れながら考えた。

 目に見える美しさよりも、誰かの心を支えたり、そっと寄り添ったり――そういう力のほうが大切なときがある。祖母はそのことを、言葉ではなく、花の世話を通して教えていたのかもしれなかった。

 ゆっくりと立ち上がると、庭全体がいつもより明るく見えた。花が光を反射しているのではなく、自分の中に沈んでいた影が少し薄れたからだと気づく。

 「ねえ、おばあちゃん」

 紗良は空に向かって声を出した。

 「私、また花を育ててみるよ。……ううん、育てたい。小さくても、こんなふうに誰かを癒すものがあるって知りたいから」

 風がまたひとすじ、頬を撫でた。
 スイートアリッサムがかすかに揺れ、甘い香りがふわりと広がった。

 小さな花が伝えてくれたのは、外見だけでは測れない価値。
 強さも、優しさも、寄り添う力も――全部、目には見えないからこそ尊い。

 紗良は微笑み、花壇の端に新しい苗を植える場所を思い描いた。

 庭の片隅で、白い小花がそっと輝いていた。
 その輝きは、派手ではない。けれど、確かに心に灯をともす光だった。

シンフォニー記念日

12月6日はシンフォニー記念日です

12月6日はシンフォニー記念日

1914年のこの日、ドイツのベルリンから帰国した山田耕筰が、日本人初の作曲である交響曲「勝ちどきと平和」を発表しています。

シンフォニーとは?

意外と知らない音楽用語

シンフォニー(Symphony)は、日本語で「交響曲」や「調和」を意味します。特に音楽の分野では、管弦楽によって演奏される多楽章構成の大規模な楽曲を指します。交響曲は、クラシック音楽の中でも代表的なジャンルであり、その壮大なスケールや豊かな表現力で多くの人々を魅了してきました。

山田耕作、日本を代表する作曲家が切り開いた西洋音楽の道

志村けんが演じる山田耕作

山田耕筰は、日本を代表する作曲家であり、そして指揮者として、日本の音楽史に大きな足跡を残しました。彼のメロディーは、日本語の抑揚を活かした独特な特徴を持ち、多くの名曲を生み出しました。また、山田耕筰は日本初の管弦楽団を創設、西洋音楽の普及に尽力しました。彼の功績は、日本のクラシック音楽の発展において欠かせないものです。

日本人初の交響曲「勝どきと平和」と山田耕作の功績

勝どきと平和

山田耕作は、1912年にベルリン留学中に「序曲」を完成させ、その後の卒業制作として日本人初の交響曲である「勝どきと平和」を作曲しました。この作品は、日本の音楽史において非常に重要な位置を占めており、クラシック音楽の発展に大きく貢献しました。

交響曲ヘ長調《かちどきと平和》Symphony in F “Triumph and Peace”

山田耕筰作品集 Craftone Editionについて

日本の音楽を変えた山田耕作

シンフォニー記念日

山田耕作は、大正から昭和の時代に日本の音楽に対し、制作と演奏の両面で大きな功績を果たしています。おそらく、当時の日本人には受け入れられることは非常に難しいものだったと思います。それを少しでも日本人が受け入れられるようにミックスしたりアレンジすることで慣らして今に残る名曲を作り出したのでしょう。もしかすると、J-POPもこの方が原点なのかもしれませんね。


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12月5日の誕生花「ナンテン」

「ナンテン」

基本情報

  • 学名:Nandina domestica
  • 科名:メギ科
  • 分類:常緑低木
  • 原産:日本、中国、東南アジア
  • 別名:ナンテンギ、ナンテンチク
  • 開花期:6〜7月
  • 結実期:冬(11〜2月頃に赤い実)
  • 用途:庭木、縁起木、生け花、正月飾りなどに利用

ナンテンについて

特徴

  • 「難転(難を転じて福となす)」の語呂から、古くから縁起の良い植物とされる。
  • 初夏に白い小花を咲かせ、その後に鮮やかな赤い実を長くつける。
  • 冬でも落葉しないため、実の赤と葉の緑のコントラストが美しい。
  • 葉は季節で色が変化し、春の赤芽 → 夏の緑 → 冬の紅葉と表情が豊か。
  • 枝ぶりが柔らかく、風に揺れる姿が繊細で優しい印象を与える。
  • 病害虫に強く、手入れが簡単で長寿。

花言葉:「私の愛は増すばかり」

由来

  • 白い花・緑の葉・赤い実と、季節を追うごとに彩りが増す姿から
    → “時間とともに深まる愛情” を象徴すると考えられたため。
  • 秋から冬にかけて実が赤く色づき、
    寒さの中でも赤い実が鮮やかに残り続ける様子が、
    “育ち続ける想い” を連想させた。
  • 一度実がつくと長期間残ることから
    消えない愛、積み重なる愛情のイメージにつながった。

「冬の実が落ちるころ」

夕暮れの光が、庭の片隅に立つナンテンの実を赤く染めていた。冬の始まりを告げるような冷たい風が吹き、そのたびに葉がやわらかく揺れる。その光景を、結衣(ゆい)は縁側に座ってぼんやりと眺めていた。

 この家に帰ってきたのは、久しぶりだった。街での暮らしに疲れ、何となく行き場をなくした心が、ふと「帰りたい」と呟いたのだ。
 けれど、ここにはもう祖父はいない。
 二年前の冬、突然の別れが訪れた。結衣が最期に会えなかったことを、家のどこを歩いても思い出す。

 庭のナンテンは、もともと祖父が植えたものだった。

 「ナンテンはな、季節が移るほどきれいになるんだ」
 祖父はいつもそう言いながら、葉を手のひらでなでていた。
 「最初は白い花。夏には緑の葉が茂って、冬には赤い実になる。色が増えるっていうのは、積み重なっていくからなんだよ」

 その言葉が、今になって胸に沁みる。
 ――色が増えるほど、積み重なっていく。

 目を閉じると、祖父の笑い声がよみがえる。小さな頃、庭で転んで泣いたとき、真っ先に抱き上げてくれたこと。夏の夜に花火をして、煙でむせながら笑ったこと。忙しくなって帰らなくなっても、「元気ならそれでいい」と言ってくれたこと。

 どれも、あたりまえだと思っていた。
 けれど、もう返せない。

 風に揺れる枝が、そっと実を鳴らした。
 赤い実が冬の薄い光の中でほのかに揺れ、結衣の視線を引き寄せる。

 「あ……」

 ふと、ひと粒の実が落ちた。
 雪も積もっていない土の上に、ぽとりと落ちて弾けるように見えた。

 実が落ちる瞬間を見て、結衣はなぜか胸が締めつけられた。
 ――季節が変わっても、ずっと残っていたのに。
 赤いままで、冷たい風にも負けないまま、ずっと。

 なのに、今、音もなく落ちた。

 「……どうしてかな」

 問いかけは、庭に溶ける。
 答えは風に流れていったが、代わりに、思いがけない気づきが胸に満ちてきた。

 ナンテンが季節ごとに色を増すように。
 祖父との日々も、時間が経つほど鮮やかになっていく。
 忘れるどころか、むしろ増えていく。
 消えるのではなく、重なり続けていく。

 赤い実は落ちたけれど、それは終わりじゃない。
 実が落ちることで土が潤い、また新しい芽に力を渡すように――愛情も、誰かの中で姿を変えながら生き続ける。

 「おじいちゃん……」

 名前を呼んだとたん、涙がひと粒こぼれた。
 その涙は冷たいはずなのに、頬を伝う感触はどこか温かかった。

 結衣は立ち上がり、そっとナンテンの前に歩み寄った。
 枝先の赤い実が、夕日に照らされてきらりと光る。
 まるで、まだここにいるよと伝えるみたいに。

 「私ね、忘れてないよ。……むしろ、増えてくんだよ。会えない時間が長いほど」

 風がふわりと吹いた。
 ナンテンが優しく揺れ、葉がさざめく。
 それは返事のようで、慰めのようでもあった。

 結衣は深呼吸をし、もう一度実を見つめる。
 冬の庭の赤は、小さくても確かにあたたかい。
 積み重なる愛情は、色を増しながら、これからも胸の中に残り続ける。

 ――私の愛は増すばかり。

 ナンテンの花言葉が、初めて本当の意味を帯びて胸に沁みた。

 夕暮れの庭に、赤い実がひっそりと灯る。
 それは、時間を超えて息づく愛の光だった。

バミューダトライアングルの日

12月5日はバミューダトライアングルの日です

12月5日はバミューダトライアングルの日

1945年12月5日、アメリカ海軍のアヴェンジャー雷撃機5機が訓練飛行中に突然消息を絶つという衝撃的な事件が発生。この事故は、「フライト19事件」として知られ、未解決のミステリーとして多くの人々を惹きつけています。事件は、バミューダトライアングル(魔の三角地帯)で起こったとされ、その謎は今も解明されていません。

バミューダトライアングル

バミューダトライアングルの生存者が語る

バミューダ海域は、「フロリダ半島の先端」大西洋にある「プエルトリコ」「バミューダ諸島」の三点を結ぶ三角形の海域です。この海域は、100を超える船や飛行機が行方不明になったといわれ、魔の三角海域「バミューダトライアングル」として有名になりました。

謎のトライアングル

世界のミステリー

バミューダトライアングルは、ほとんどの事件が悪天候や人為的なミスによるものとされ、謎だけが一人歩きしている傾向があります。しかし、それでも全ては未だに解決していません。元々バミューダの謎を有名にしたのは、1945年のアメリカ海軍の雷撃機5機と乗員14名の失踪は、その後に潜水夫が海底で5機全ての残骸を発見したとにより、事故であったことが証明されています。

魔のトライアングルの原因は何!?

バミューダトライアングルの新事実

バミューダ海域が、魔のトライアングルと呼ばれるようになった原因はメタンハイドレートといわれています。それは、北欧ノルウェー沖のバレンツ海で天然ガスの爆発でできたと思われる複数の巨大クレーターが発見されています。ノルウェー北極大学研究チームは、この発表で魔の海域として知られている「バミューダ・トライアングル」の謎も似たような現象で起きたのではないかと議論されているそうです。

謎に包まれると色々と想像が広がる

バミューダトライアングルの想像の世界

映画「バトル・オブ・バミューダトライアングル」

バトル・オブ・バミューダトライアングル

謎に包まれる事件があると人は、必ずフィクション映画が生まれて大ヒットしています。例えば、「バトル・オブ・バミューダトライアングル」や、太平洋戦争の話で「ファイナル・カウントダウン」などのような映画が、人の想像力が沸いてきて魅力を感じますね。


「バミューダトライアングルの日」に関するツイート集

2025年の投稿

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