ビスケットの日

2月28日はビスケットの日です

ビスケットの日

2月28日は、ビスケットに関する調査と研究などを行う全国ビスケット協会(一般社団法人)が1980年に記念日として制定しています。1855年幕末のこの日、パンの製法を学ぶために長崎に留学していた水戸藩、蘭医(オランダ医学の医者)の柴田方庵(1800~1856年)が、萩信之助にオランダ人から学んだ軍用のパン「ビスケット」の製法が記載されている『パン・ビスコイト製法書』を送りました。これがのちのビスケットの作り方を書き記した国内初のレシピ本といわれています。また、日付はビスケットの語原がラテン語で「2度焼かれたもの」という意味「ビス・コクトゥス(bis coctus)」から、「に⇒2 どや⇒8 く」(2度焼く)で語呂合わせでもあります。

ビスケットは健康食品!?

ビスケットの栄養価

ビスケットは、小麦粉以外に卵や乳製品を使用して作られています。現代人に不足しがちな「カルシウム」、「ビタミンA・B1・B2」が豊富に含まれているバランスのとれた食品です。さらには、たんぱく質や脂肪も豊富にあります。いわば、健康に欠かせない栄養素がしっかりと揃っているということになります。

不足しがちのエネルギーを摂る

食べ盛りの子供の食事

窓から外を眺めると、公園で日が暮れるまではしゃぎ回る育ち盛りの子供たちがいます。遊び盛りであると共に成長で必要なエネルギーがたくさん吸収される年頃でもあります。 12~14才の子供と成人男性のエネルギー所要量は2550kcalとして、子供の胃袋は大人の半分~1/3の大きさなので、毎日3度の食事だけでは、カロリーが不足します。そこでおやつタイムというものが必要となってきます。そんなことからビスケットというのは、消化がよくカロリーも高い効率的に有効な食べ物となるのです。幼児はもちろん、消化力の弱っている病人や高齢の方にも最適な食品として今もなお、こうしてお勧めされているわけです。

工夫して楽しい健康志向の食事

食の組み合わせ

また、欧州の食生活では、昔からビスケットも食事の一部と考えられいて栄養と量ともに主食とのバランスが考えられきたそうです。私たちも仕事などでエネルギーが必要な時には、主食として食べて、栄養とカロリーのバランスを考えてみましょう。ビスケットに「果物と牛乳」を添えるヘルシーブレックファストまたは、「チーズと野菜スープ」を加えたスタミナディナー、ビスケットを使用したレシピなど色々と工夫してみてはいかがでしょうか!

女性雑誌の日

2月27日は女性雑誌の日です

1693年の2月27日は、世界初の女性向け週刊誌「ザ・レディス・マーキュリー」が創刊された日です。この雑誌は、男性と女性の両方に向けた週刊誌『ジ・アセニアン・マーキュリー』から派生した雑誌として発行されています。ちなみに日本では200年遅れて1911年に、最初に創刊された女性雑誌「青鞜(せいとう)」があります。青鞜というのは青い靴下のことであり、18世紀のロンドンでは青い靴下を履くことが教養のある女性たちのシンボルとされていたために、女性雑誌にこの「青鞜」という名が付けられました。

ザ・レディス・マーキュリー

ジョン・ダントンが新聞「Athenian Mercury」を辞め、「処女、妻、または未亡人であることにかかわらず、女性の愛、結婚、ふるまい、ドレス、およびユーモアに関するすべての最もすばらしく、奇異な問題」を扱う世界初の女性向け悩み相談週刊雑誌「ザ・レディス・マーキュリー」をロンドンで発行しています。実は、「ザ・レディス・マーキュリー」が創刊された正確な日付はわかっていません。同年の6月27日が「ザ・レディス・マーキュリー」の創刊日だという説も存在し、6月27日が「女性雑誌の日」であるともいわれているそうです。それはともかく、現代人から見てもかなり斬新な内容だと思われます。したがって、今も「Ladies Mercury」という言葉は、「女性の性の悩み相談」という代名詞になっています。

最近話題の女性蔑視発言の真意

2021年の東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の失言、「女性蔑視」いわゆる女性に対する本音といえる言葉が飛び出しました。その言葉とは、以下の内容です。

女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、

スポニチアネックス より引用

さらにこの内容は、女性に対する自分の意識を丁寧に説明する形で発言されているようでした。そして、その後の釈明も、世界中の人からまるでこの国はすべての男性がそういう意識を持っているかのように思わせるコメントだったために、不快に思った方はたくさんいたのでしょう。

差別問題の解決は永遠のテーマ!?

https://youtu.be/TV_Qqg5s2TE
部落問題

確かに昔の日本は、今では考えれないような差別が行われていました。これは、男女差別だけではなく同和問題(部落差別)、身分や家柄なども含まれています。しかしながら、同和問題は、今や世代が変わっていくにつれ、薄れているのも事実です。現在のように世界中がネット繋がり、個人の主張が簡単にできるようになっている今こそ、あらゆる差別問題を即急に解決できる時期が来たことを確信します。

二・二六事件の日

2月26日は二・二六事件の日です

二・二六事件

1936年2月26日、クーデター未遂事件「二・二六事件」が発生しました。陸軍の皇道派の影響を受けた青年将校が、それに対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、1483名の下士官兵を率いて「昭和維新」と称して首相官邸等を襲撃しています。首相経験者を含む重臣4名と警察官5名が犠牲になり、永田町一帯が占拠されました。

二・二六事件

二・二六事件、軍事クーデター

今から約80年前の今日、陸軍の青年将校が1483名の下士官兵を率いて大規模なクーデターを断行しています。それが歴史上で有名な「二・二六事件」といわれる出来事です。このとき高橋是清、斎藤実など首相経験者を含む4名と警察官5名が犠牲になっています。このクーデター後に開かれた軍法会議「非公開で弁護士を就けず、一審のみ」だけで刑が確定し、主謀者の青年将校ら19名(当時は20~30歳代)を中心に死刑とし、その刑はすぐに執行されました。果たして、この事件の背景は何だったのでしょう。

内閣の汚職事件

二・二六事件の6年前、世界恐慌によって日本は深刻な不景気(昭和恐慌)に見舞われました。大量生産や過剰な設備投資で生産と輸出など消費のバランスが崩れ、経済が大幅に下落して企業は次々に倒産、都市は失業者があふれていました。さらに農村でも農作物価格が下落、都市の失業者が農村に戻ることで、農民の生活は苦しくなり、自分の娘を女郎屋に身売りする家もたくさんいたといいます。こんな状況でも当時の内閣は適切な対応しなかったそうです。それどころか、汚職事件が続発していました。

国民の思いが青年将校を動かした

昭和維新

この不況下で、巨額な資本を用いて財閥だけが肥え太る状況が生まれていたそうです。このため国民は、政党に失望し、財閥に対して不満を抱き始めます。そして人々は、満州事変などの成果を上げた軍部に期待するようになります。このような国民の支持を背景に、軍部や軍に所属する青年将校たちが力を持ち始め、右翼と協力して国家の革新を目指すようになったといわれています。

五・一五事件

その後、過激な計画や事件が続発しました。1932年5月15日では、拳銃と爆弾で武装した海軍青年将校や民間右翼青年らが首相官邸に乱入し、「犬養毅首相」を射殺、さらに内大臣牧野伸顕邸や立憲政友会本部などを襲撃しましたが、全員が逮捕されています。この事件を「五・一五事件」といいます。

皇道派と統制派

日本の軍閥

この頃の陸軍内部は、二つの派閥に分かれていました。「荒木貞夫」「真崎甚三郎」ら皇道派と、「永田鉄山」「東条英機」ら統制派と対立をしていました。皇道派は、天皇親政による国家改造を唱えることを支持していた青年将校。統制派は、軍統制により「高度国防国家」を目指すことを支持していた、エリート幕僚将校です。

二・二六事件が勃発

1935年に真崎が教育総監を罷免され、これに怒った皇道派の相沢三郎中佐が永田を斬殺しました。その翌年の36年、皇道派の主軸となっていた第一師団の満州派遣が決定して、皇道派の青年将校らは2月26日に1483人の兵士を率いてクーデターを起こしました。

若者の正当な熱意は引き継がれる

伝え残したい昭和史

過去にあった改革や反乱は、若者が主導して行われたことが、殆どだと思います。そして、その大半は間違えとわかっていても犠牲者を出すなどして、失敗に終わっています。しかし、その正当な熱意は次の世代に受け継ぎ、ようやく現在のように平等に議論できる時代になったのだとすると、決して彼らの犠牲は無駄ではないということです。

膝関節の日

2月25日は膝関節の日です

膝関節の日

2月25日の今日は、機能性表示食品「ひざサポートコラーゲン」を開発と販売するキューサイ株式会社が記念日として制定しました。この日付は、「ひざ、にっこり」から「膝 ⇒ニー(knee)を2、笑顔でニッコリ⇒ 25」と表現して2月25日に決まりました。この日の目的は、膝の痛みがなく、自分の足で100歳まで歩けるような身体づくりをすることです。健康寿命を延ばすキューサイ株式会社のプロジェクト「100歳まで楽しく歩こうプロジェクト」のPRを兼ねています。

膝関節の病気と痛み

膝の痛み

まず一般的な膝の疾患としては、「変形性膝関節症」や「関節リウマチ」などがあり、これらの関節疾患は一人一人「痛みの度合い」や「症状の進行の速さ」「症状の重さ」など、症状にそれぞれ個人差があります。ですので治療する際は、患者さん個人に合わせて綿密な計画が立てられるそうです。

膝関節の仕組み

膝の仕組み

膝関節は、「骨」、「軟骨」、「靱帯」、「筋肉」、「腱」などから構成されています。これらが膝の関節がスムーズな動きや歩行や方向転換、その他の動作を、痛みを感じることなく行うために必要な部位となります。そして、膝関節は3つの骨からできており、脛骨(すねの骨)の上に大腿骨(太ももの骨)、大腿骨の前面に膝蓋骨(膝のお皿部分)があります。膝関節は、蝶つがい的な役割をして、大腿骨と脛骨の曲げ伸ばしを可能にします。膝蓋骨は、太もも前面の筋肉と脛骨とを繋ぐ腱の間にあり、膝を伸ばす時に筋肉の収縮を脛骨に伝える滑車の役割を果たしています。また、関節には他にも筋肉や腱、靭帯があり、それによって安定性した曲げ伸ばしが可能となります。

関節を保護する機能

膝関節には、関節内の 摩擦や衝撃を軽減するための優れた機能が備わっています。膝関部分の骨の表面には、それぞれ軟骨と呼ばれる水分を多く含んだクッションのようなもので覆われています。これは、関節を滑らかに動かすためのものです。また、脛骨と大腿骨の間には半月板という柔らかいクッション的な役割の組織があり、骨の軟骨への衝撃を吸収しています。また膝関節は関節包という袋に包まれていて、その中に関節液と呼ばれる液体があります。この関節液は、関節の動きを滑らかする潤滑油のような役割を果たし、軟骨に酸素や栄養を供給しています。

健康な膝関節を維持するために

サプリメント

私のように50代の突入すると膝関節というより、首筋や腰など他の節々の痛みが発生します。これもきっと関節を保護する機能が低下しているものだと思っています。そのために40代後半から関節軟骨を丈夫にする成分が含まれる食事を摂ることを心掛けています。それは、関節軟骨に必要なコンドロイチン(納豆やオクラなど)やグルコサミン(やまいもやキノコ類など)、オメガ3脂肪酸(サバやイワシなど)などが含まれている食材です。そして最近は、サプリメントも同時に摂取していて、これから必ず誰もが体験する老化に備えています。

クロスカントリーの日

2月24日はクロスカントリーの日です

クロスカントリーの日

1977年の2月24日は、統一ルールによって、初めてイギリスでクロスカントリー大会が開催された日です。ちなみに冬場の雪の時期で行う「クロスカントリースキー」は、特に有名な競技です。

クロスカントリー

「クロスカントリー」といえば、元々は陸上競技における長距離種目の一つです。マラソンとの違いは「野原」「丘陵地」「森林」などの自然に存在する地形を走破するところです。しかし、「クロスカントリー」という競技と聞くと、スキーで行う競技の方が先に連想する人も多いでしょう。

陸上のクロスカントリーは正式種目ではない

陸上競技の種目としてのクロスカントリーは、1912年に開催されたストックホルム五輪において正式種目として採用されてます。しかし、1924年のパリオリンピックを最後に除外され、現在も復活していません。それに対し、雪上で行うクロスカントリーは正式名称「クロスカントリースキー」とし、1924年のシャモニー五輪から正式な種目として採用されています。

クロスカントリースキー

クロスカントリースキー

「クロスカントリースキー」は、雪上に作られたコースで、スキーとスキーポールを使用しながら多様な地形に挑む総合的走力を競う競技スキーです。分類はノルディックスキーで、スキー本来の用途である雪上の生活移動手段から自然発生的に競技となったいわれています。このことで全スキー競技の原点といえる種目だということです。

クロストライアスロン

クロストライアスロンin雫石

オフロード版トライアスロンといわれる「クロストライアスロン」という競技があるそうです。人工的に綺麗に舗装されたコースを使用しないようで、泥だらけになり、予想不能な凸凹道のコースなど、自然のままの姿に近いコースで、速さと持久力を競う競技だそうです。強靭な身体能力と野性的な判断能力、これこそが究極の鉄人レースですね。

富士山の日

2月23日は富士山の日です

富士山の日

この富士山の日をパソコン通信Nifty-Serve内の同好会「山の展望と地図のフォーラム」が1996年1月に制定し、これとは別に山梨県河口湖町が2001年12月、そして、静岡県が2009年12月に制定しています。この日付は、「ふ⇒2 じ⇒2 さん⇒3」と読む語呂合わせからです。また、この時期はきれいな富士山が眺められる季節でもあります。

富士山

富士山の歴史を辿ると、約10万年前に山の土台となる小富士火山が激しい噴火活動を開始しています。その後大規模な噴火を繰り返し、少しずつ裾野を広げて今の富士山へと成長。そして愛鷹山の北半分と小御岳の大部分を埋めて、現在のような標高2500mオーバーの大きな火山へとなりました。

貞観の噴火

それから数千年の間に数々の大噴火によって形を変え、平安時代の864年になると、富士山北西の斜面から大きな噴火が起こります。これが、一般的に知られている大噴火の一つの「貞観の噴火」です。この噴火により、現在の精進湖と西湖は、剗の海が溶岩流によって分断されて作られたとされています。そして、溶岩流の上に育った森林は、青木ヶ原の樹海と呼ばれる広大な森となったいわれます。

宝永の噴火

宝永の噴火は、江戸時代の1707年12月16日午前10時頃、富士山南東の斜面で煙の柱が立ち上がったとされる歴史上最も新しい噴火です。その噴煙は、富士山の高さをはるかに超える、およそ2万メートルにまで達したといわれているそうです。宝永火口(南東山腹)から噴火し、その日のうちに江戸までにも多量の降灰があり、房総半島まで被害が及んだとか。そして2週間にわたって、断続的に噴火があって家屋や農地が灰で埋まり、麓の村は餓死者が多数出たとされています。またこの大噴火の49日前には、宝永東南海地震で推定「M8.6」が発生したといわれています。

静かに佇む美しい富士山

絶景の富士山

富士山は、桜や紅葉、太陽にまでコラボして美しい景観を見せてくれます。しかし、富士山の歴史を辿ると今の景色とは想像のつかない恐ろしい姿を見せています。そして、今現在もその日本を代表する山の内部では今も火山活動が続いているそうです。そんな富士山と共存し、世界遺産となった財産を引き継いでゆくことは、現在の日本で暮らす我々の大切な役割なのかもしれません。

おでんの日

2月22日は「おでんの日」です

おでんの日

2007年、新潟の名物に「おでん」で新潟をもっと元気にしようと活動している「越乃おでん会」がこの日を記念日として制定しました。この日付は、アツアツのおでんを「ふーふーふー」と食べることで、「2→ふー 2→ふー 2 →ふー 」と読む語呂合わせから決まりました。

おでんの日の目的

この「おでんの日」は、新潟県のラジオ番組「クチこみラジオ 越後じまんず」の「新潟発の記念日をつくろう」という企画からです。新潟のおでんをPRして、オリジナルおでんの開発や普及を行うことが目的です。

全国おでんマップ

おでんといっても、日本の北から南、西から東と、地域によっては味付けや具が違ってきます。もちろん、基本は寒いときに好んで食べられるので、この時期が記念日となったのでしょう。そこで、これから各地域の特徴的なおでんをいくつか紹介します。

北海道の「札幌風おでん」

北海道の「札幌風おでん」は、出汁を強めの昆布風味であっさりとして、贅沢な海と山の幸が入ったおでんです。具は他にも、長いさつま揚、しらこ、ふきなどを入れるのが特徴です。

「青森風のおでん」

「青森風おでん」は、海と山の幸がバランス良く使われていて、竹の子やつぶ貝、ほたてなどが入っている特徴的なおでんです。味付けは、生姜みそだれを付けて食べます。

「東京風おでん」

「東京風おでん」は、濃口醤油とかつお節出汁をきかせた昔ながらのおでんです。店舗によっては、淡口醤油を使用しているところもあるそう。具は、 すじ(魚)、ちくわぶ、はんぺんという特徴があります。

「名古屋風おでん」

「名古屋風おでん」は、八丁味噌などで作る甘辛い汁が特徴で、豚もつなどにしみこんだ独特の味わいと香りがたまりません。名古屋市内のお店を中心に供されます。主な具は、焼き豆腐、角麩、豚もつです。

京都風おでん

「京都風おでん」は、昆布と淡口醤油のつゆで、豆腐類や京野菜の味わいを生かすため、ほんのりとした味付けに仕上げた淡い色合いが特徴的です。主な具は、がんもどき、豆腐、里芋などです。

四国の「高松風おでん」

「高松風おでん」は、香川県高松市内の讃岐うどん店で、おでんコーナーにあります。味付けは、2種類のみそだれを付けて食べます。主なな具は、白天、里芋、牛すじです。

福岡の「博多おでん」

福岡県の博多おでんは、魚のすり身で餃子を包んだ「餃子巻」をとして入るのが一般的です。 他にも、餅入りの巾着を入れるエリアもあります。味付けは、濃口醤油の効いたコクのある味わいで、見た目もインパクトがあります。

おでんに邪道は無し

おでんの王道は、大根、玉子、竹輪などあります。しかし、それ以外の具材でも地域や人の好みもあるので、一概に邪道といわれるものは無いでしょう。今回、全国のおでんを簡単に紹介しましたが、一部の地域やそれぞれの家庭によっても味付けや具材か変わることは間違いないことです。また、それが個性でもあり、アレンジおでんの良いところでもあります。

漱石の日

2月21日は漱石の日です

漱石像

1911年のこの日は、文部省が作家の夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」と辞退する。その内容の手紙を文部省専門学務局長・福原鐐二郎に送りました。この逸話に由来し、2月21日は「漱石の日」と呼ばれています。

夏目漱石

夏目漱石といえば、「坊ちゃん」「吾輩は猫である」など、日本人の誰もが知る名作を残した文豪です。学生時代に国語の教科書で初めて漱石を知り、その作品に触れたという人もいると思います。

漱石の生涯

壮絶な人生 夏目漱石

夏目漱石は、1867年に現在の新宿区喜久井町で生まれました。帝国大学英文科を卒業し、卒松山中学の五高等で英語を教え、英国に留学しています。帰国後は、一高、東大で教鞭をとり、その後の1905年に『吾輩は猫である』を発表して大評判となります。そして、翌年には「坊っちゃん」や「草枕」など次々と話題作を発表しています。1907年には、東大を辞め、新聞社に入社して創作に専念しています。その後から「三四郎」「こころ」など、日本文学史に輝く数々の傑作を著しています。最後は、大作「明暗」の執筆中に胃潰瘍が悪化して永眠、享年50でした。

漱石の本名

漱石の本名は「夏目金之助」であり、夏目漱石というのはペンネームなのだそうです。この漱石というのは、「漱石枕流」という四字熟語がもとです。「漱石枕流」は、頑固者やひねくれ者を表す言葉。この熟語のイメージが自分の性格にぴったりだと考えて、この言葉をペンネームにしたといわれています。

友人の正岡子規

正岡子規の石碑

このペンネームは、元々漱石のものではなく、漱石の友人の正岡子規のものだったそうです。正岡子規は、「走兎」「風廉」「四国仙人」など、100以上ものペンネームを持っていました。そして、そのたくさんあるペンネームの中に「漱石」があり、それをもらうという形で「夏目漱石」という、このペンネームが生まれたのだそうです。

本を読んで得るもの

私は、若い頃からどちらかというと本をあまり読まない方でした。しかし最近は、仕事などでライティングや本の感想を書く事があり、その時に初めて、本を読むことで得るものがわかってきました。その得るものとは、まず「思った事を人に上手に伝える文章力」「共感したり反論することから生まれる新たな思考力」です。文章力は、たくさんの本を読めば得るとわかっていたような気がしますが、本の内容によって、人各々の考え方を著すものもあります。その題材に共感したり、反論したりして他人の意見を知ることで、自分の考え方の幅を広げて成長することもできるような気がします。

アレルギーの日

2月20日はアレルギーの日です

アレルギーの日

1966年2月20日、免疫学者の石坂公成(1925~2018年)がアレルギーの原因となる抗体の一種の免疫グロブリンE(IgE)を発見しました。この日付は、その年の2月20日にアメリカ開催のアレルギー学会にて、石坂公成とその妻である石坂照子と共同でIgEの発見を発表したことに由来します。

石坂公成と照子夫妻

石坂公成と照子夫妻の発見は、ノーベル賞級と言われる功績であり、後にノーベル賞を受賞するケースが多い事で知られる「ガードナー国際賞」や他にも国際的な賞を数々と受賞しました。夫妻は免疫グロブリンE(IgE)を探す過程で、互いの背中を使って実験を繰り返したそうです。

免疫グロブリン(lg)Eクラスとは

免疫グロブリン(Ig)Eクラスと Dクラスは、他の Ig よりもはるかに微量に血清中に存在するそうです。そして、Eクラス は主に寄生虫の侵入を防ぎ、アレルギー反応の原因となるとのこと。また、膜 IgDクラス は成熟 B リンパ球上に主に見られる抗原の受容体です。

アレルギーが起こるメカニズム

スギ花粉

まず、スギ花粉でアレルギー性鼻炎が起きる経過を例に挙げます。スギ花粉が鼻の粘膜に付くと、このスギ花粉が抗原となって、それに対するアレルギー反応を起こします。そして、その抗体が「免疫グロブリンE」にできます。アレルギー体質の人は、この「免疫グロブリンE」ができやすく、その抗体が肥満細胞に付く状態を「感作された」といいます。その後に、再びスギ花粉が鼻の粘膜につくと肥満細胞に付いているスギ花粉に対する抗体の免疫グロブリンEがさらに結合します。その結果、肥満細胞内にある化学物質が外に出ますが、この現象は脱顆粒といわれています。このように化学物質が鼻の粘膜に反応することでアレルギー性鼻炎の症状を引き起こすというわけです。

アレルギー反応は気管支粘膜でも起こる

また、これと同様の反応は気管支粘膜でも起こります。このときの抗原は、主にハウスダストやダニだといわれています。しかしアトピー性皮膚炎では、アレルギー物質が皮膚に付着して皮膚炎を起こすのではなく、特に子供の場合は皮膚炎を起こす抗原は卵などの食べ物だそうです。食べた物が消化管から吸収され皮膚まで到達して起こすことが全てではないと思われます。乳児は、これら食べ物が十分消化されずに粘膜から吸収されるためになりやすいと言われていますが、アトピー性皮膚炎の場合は、皮膚そのものの防御機構にも問題があるとのことです。

アレルギー反応の理解

私たち人間には、ウイルスや細菌などの異物が侵入したときに体内で「抗体」が作られます。そして、これらの外敵と戦う「免疫」というしくみが備わります。しかし、この免疫が食べ物や花粉など、人に体に害のない物質に対しても有害な物質と勘違いして過剰に反応することがあります。その過剰な反応が、逆に体調を悪くしたりしてマイナスの症状を引き起こしてしまうのがこのアレルギー反応です。現在、新型コロナウイルスワクチンの接種で我々が一番気になる副反応がまさにそれにあたるのだと思います。この予防接種によって起こる発熱や倦怠感などの体の不調も、生命を脅かすウイルスに勝つためだと思って、率先して接種を受けることが望まれます。

天地の日

2月19日は天地の日です

天地の日

2月19日は、ポーランドの天文学者「地動説」を提唱したニコラウス・コペルニクス(1473~1543年)の誕生日です。当時主流の地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)は、天文学史上最も重要な発見とされています。しかし、太陽中心説を最初に唱えたのは紀元前3世紀のことで、ギリシャ・サモス島生まれのアリスタルコスです。

地動説

地動説

15~16世紀に活躍したポーランド天文学者コペルニクスは、「周転円」を導入する天動説には無理があり、古代ギリシアのピタゴラス派が唱える地動説の方が、より自然に説明できることを確信していました。しかし、生前はその発表をためらっていました。そして死後に、太陽を中心にした地動説を「天球の回転について」として発表。このときの発表は、その著書の中でコペルニクスはあくまでも数学的な考察として出版するものだと、「地動説が真実であることを主張するのではない」と、念を入れていました。それは、当時のキリスト教の教えに反するのは危険だったからだといいます。

一度、アリスタルコスの地動説は否定

天動説と地動説

ローマ時代の紀元後2世紀にプトレマイオスは、独自の観測結果と古来の天文学を集大成し、地動説を否定して地球を中心する天動説に戻してしまったのです。その世界観を後に、ローマの国教とされたキリスト教の本山、ローマ教会の神中心の世界観と一致するため、絶対の宇宙観とされ、アリスタルコスの地動説はまったく忘れ去られてしまいました。その後ようやく、16世紀の初めに独自に観測結果を重ねたコペルニクスが、地動説を唱えたといわれています。この古代において、既に地動説を説いていたアリスタルコスを『古代のコペルニクス』といわれています。

今では当たり前の常識な事でも

私は子供の頃に海を眺め、水平線の向こうは滝になっているのではないかと思ったことがありました。これと同じようなことで、実際に宇宙という存在が無かったら、「地球は丸い」という結論は生まれてこなかったでしょう。ましてや地球が自転していて、太陽の周りを公転しているなど知ることもなかったと思います。普通に考えると、自分が中心として周りが動いていると思うはずです。しかし人間の知恵で、我々は他のために動いていることに気づきます。そして人間は、決して自分は主役ではないことを知り、人々は助け合って成長していくことができるのです。