7月28日は第一次世界大戦開戦の日です
1914年7月28日、オーストリアがセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が始まりました。この戦争は、1914年から1918年までの間に計25カ国が参加し、ヨーロッパを主な戦場として争われた戦争です。この戦争が始まった経緯と、これに関わった日本の狙い、そして動きについて調べてみます。
19世紀は生産過剰が続く世界同時不況
19世紀では、ヨーロッパ諸国の産業で生産過剰状態が続き、世界同時不況に陥っていました。そこで各国は、この不況から脱却を目指し、市場を増やすために植民地支配に力を入れ始めます。まず植民地にするターゲットは、特にアフリカや東南アジアでした。そして、この植民地の確保すための行動は、多くの紛争などさまざまな対立を生んでいます。
三国同盟対三国協商
ドイツは、フランスを牽制する目的で、「三国同盟」と呼ばれるオーストリア、イタリア3つの国が同盟を結びます。それに対し、「 三国協商 」と呼ばれるイギリス、フランス、ロシアと協商を結びました。イギリスはこの協商により、ドイツを包囲することに成功します。しかしこのことが原因で、対立がさらに激化することになります。
第一次世界大戦の直接の原因は?
1914年6月28日、オーストリア帝位継承者夫妻がボスニアの州都・サライェヴォを訪問中、セルビア人に暗殺されるサラエボ事件が起こります。オーストリアは、この事件をきっかけにスラブ系民族運動(スラヴ系諸民族の統一と連帯を目指す思想と運動)を抑えるチャンスとし、その年の7月28日にドイツの支持を得ると、セルビアに宣戦を布告して第一次世界大戦が勃発しています。
参加した国は、計20カ国以上
その当時、オーストリア側にドイツ、セルビア側にロシアが参戦しタコ世により、三国協商からイギリスとフランスもドイツ対して宣戦しました。結果的に、「ドイツ」「オーストリア」「オスマン帝国」「ブルガリア」の4カ国からなる同盟国と、「イギリス」「フランス」「ロシア」など計20カ国以上の連合国が参加する大戦争へと発展しました。
この世界大戦での日本の動き
日本は当時、イギリスと 日英同盟を結んでいて、他の1ヶ国と戦った場合に中立、2ヵ国以上と戦った場合はイギリスの味方をするという軍事同盟を結んでいたそうです。したがって、第一次世界大戦にイギリスが参戦している時点で、日本は参戦しなければいけい状態になったということです。
日本はドイツに宣戦布告
日本は1914年8月23日、ドイツに宣戦布告し第一次世界大戦に参戦。参戦と同時に日本軍はドイツの権益である山東半島に5万の大軍を上陸させて、膠州湾の青島要塞などを攻撃しています。9月~11月におこなわれた青島戦争は、形の上では日本とイギリス連合軍、ドイツとオーストリア連合軍の、中立を宣言。中国の国土における大国間の戦争でした。
日本はどさくさ紛れに中国を狙っていた!?
11月7日にドイツ軍が降伏しましたが、実は最初から日本は、山東半島のドイツ権益を奪い、大陸進出の足がかりをつかむために仕掛けた戦争だったといわれています。
日本軍は市民にまで多数の被害を与えた!?
日本軍の砲撃と初めて実施された空爆によって、中国人青島市民にも多数の被害が出ています。翌1915年には日本は中国に対して二十一カ条の要求を袁世凱政府に突きつけたとのこと。
同じ過ちを繰り返さない大切
この頃の日本は、既に世界中を巻き込んで間違った道を歩いていたということでしょう!過去を振り返り、過ちを認めて二度と同じ事を繰り返さないよう国民がしっかりと監視をしていくことが大切だと思います。
2022年、再び起きてはならない悲劇が
そして、2022年2月25日午前2時からロシアがウクライナ侵攻を始めています。この直近の戦争で第三次世界大戦に発展していくのではないかと、今や世界中の人々が交渉と制裁によって阻止しようとしているように思えます。そして、SNSという過去にはない通信手段で、自由と平和のために一人一人が声を上げています。
第一次世界大戦は、民族の対立から「サラエボ事件」をきっかけに始まり、日本は、日英同盟を理由に連合国側で参戦しています。第二次世界大戦は、恐慌から戦争へと向かっています。現在、ツイッターで世界中の人に向けて、自由に発信できる時代が来ました。