五輪旗制定記念日

6月14日は五輪旗制定記念日です

6月14日は五輪旗制定記念日

1914年の6月14日、パリで開かれたオリンピック委員会にて5色(青・黄・黒・緑・赤)のオリンピック旗(五輪旗)が制定されました。これは、オリンピック復興20周年記念祭を行うにあたり、オリンピック創立者のクーベルタンが発案したものだそうです。

近代オリンピックの復興とクーベルタン

近代オリンピックの父

実は、古代オリンピックは4世紀末になるとすでに途絶えていたそうです。しかし、フランス人「ピエール・ド・クーベルタン」による働きで、近代オリンピックとして復興させました。1863年にパリで男爵の家に生まれたクーベルタンは、将来は軍人か政治家を期待される人物だったそうです。

しかし普仏戦争(1870~71年、プロシアとフランスの間で行なわれた戦争)の敗北によるフランスの沈滞ムードを打破するため、教育改革をはじめてスポーツを取り入れた教育の推進に力を入れたそうです。そして、ヨーロッパ各地の教育とスポーツ事情を視察するなど、積極的な活動をしています。そしてその中で、オリンピックの復興を模索していたといいます。

「近代オリンピック」の誕生

「近代オリンピック」の誕生

1894年6月、パリの万国博覧会の際に開催されたスポーツ競技者連合の会議で、「 クーベルタン」はオリンピック復興計画を議題に挙げています。そして、その案が満場一致で可決し、第1回大会は1896年に古代オリンピックの故郷オリンピアのあるギリシャで開催することも採択されたそうです。

またその会議では古代の伝統にならい、大会は「4年ごとの開催」、「世界各国の大都市で持ち回り開催」、そして大会開催に関する最高の権威を持つ国際オリンピック委員会(IOC)を設立するなど、近代オリンピックの基礎となる事柄が決定されました。現在は、定員115名で構成されているIOC委員ですが、最初に決定したIOCの委員は16名だったそうです。

五輪の意味は?

オリンピックの旗

五輪のマークは五大陸を指していますが、各リングの色がどこの大陸を指しているかは、決まっていないそうです。しかし、一説によれば「青→オセアニア・黄→アジア・黒→アフリカ・緑→ヨーロッパ・赤→アメリカ」といわれているそうです。また五輪マークが持つ意味は、「5つの自然現象」と「スポーツの5大鉄則」を意味しているそうです。

5つの自然現象とは「水・砂・土・木・火」のことであり、青=水・黄=砂・黒=土・緑=木・赤=火と表されいます。そして、スポーツの5大鉄則は「水分・体力・技術・情熱・栄養」であり、青=水分・黄=技術・黒=体力・緑=栄養・赤=情熱ということだそうです。

五輪開催の目的

五輪開催の目的

このように、五輪に関して実際に意味や目的を改めて考えてみると、単に世界一を決めるスポーツの祭典であることの他に、教育の観点からオリンピズムオリンピック憲章」「IOC倫理規程」「フェアプレー」「スポーツと環境」などから、この大会開催の意図が見えてきます。2021年の現在、新型コロナ感染拡大による影響で東京五輪の有無に関係なく、大会の存在目的をもう一度改めて考え直すと今後の五輪の未来像が変わっていくかもしれませんね!


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6月12日の誕生花「ユッカ」

「ユッカ」

Роман РаспутинによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名:Yucca
  • 和名:ユッカ属(イトラン属)
  • 別名:「青年の木」(若くシンボル的な存在感から)
  • 原産地:北アメリカ、中央アメリカ
  • 開花時期:5月~10月頃
  • 分類:リュウゼツラン科、バツリ系単子葉植物

ユッカについて

特徴

  • :剣のように鋭く、上へ向かって伸びる肉厚の常緑葉
  • :直立し、高い種では数メートルに達する木質の幹を形成
  • :初夏〜夏に白〜クリーム色のベル型の花を咲かせる
  • 耐性:乾燥・暑さ・寒さに強く、手間がかからないタフな観葉植物
  • 栽培しやすさ:日当たりを好み、水やりは控えめ。風通しの良い環境が適しており、初心者にも扱いやすい

花言葉:「勇壮」

ユッカの花言葉には「勇壮」「颯爽」「偉大」「立派」などがあり、これは

  1. 鋭く強靭な葉がまるで剣のように力強く伸びる姿
  2. 白い花が清々しく、空に向かって堂々と咲く様子
    から来ていると言われています。

「青年の木」という別名にも表されるとおり、若々しく勇ましいイメージが根底にあります


「青年の木の約束」

駅から少し離れた町外れに、小さな園芸店がある。看板には「緑の扉」と手書きの文字。古びているが、不思議と味がある。店の奥、日差しが差し込む窓際に、それはあった。

背筋を伸ばして立つ、ひときわ存在感のある観葉植物。鋭く尖った葉を天に向け、まるで剣士が静かに構えているようだった。

「それは、ユッカ。『青年の木』って呼ばれてるの。強くて、真っ直ぐで、そして勇ましいのよ。」

店主の言葉に、佐伯はふと足を止めた。

「花言葉はね、『勇壮』とか『颯爽』とか。若さの象徴みたいな植物なの。」

それは、彼にとって妙に引っかかる言葉だった。

大学を卒業して三年。夢だった職場に就いたものの、現実は理想とはかけ離れていた。やりがいも情熱も、日々の残業の中で、いつしか霧のように消えていった。

「でも、たまに花も咲くのよ。白くて清々しくて、堂々と空を見上げるような花。」

佐伯はその話に、胸の奥がわずかに震えるのを感じた。

「…この木、もらっていきます。」

その日から、彼の部屋に青年の木がやってきた。

初めはただの観葉植物だった。朝の光に晒し、水をやり、ときどき話しかけた。すると、少しずつ、変化が生まれた。彼の生活に、わずかだがリズムが戻ってきたのだ。

ふとした瞬間に、ユッカの葉の尖りを見ると、自分の姿勢が正される気がした。うつむきがちだった首が、少しだけ上を向く。白い花を咲かせる姿を想像するたびに、自分もまた何かを咲かせられるのではないかと思えた。

季節がひとめぐりしたある朝。

窓のそばで、ユッカが白い花を咲かせていた。まるで空に向かって誇らしげに咲く、希望の灯火のように。

その日、佐伯は会社に辞表を出した。勢いだけではなかった。新しい道を歩むため、準備もした。かつて諦めた、学生時代に夢見た小さな設計事務所を始める覚悟だった。

友人に言われた。

「なにがあったんだ? 急に変わったな。」

彼は笑った。

「毎日見てたんだよ、真っ直ぐ立ってるヤツを。」

青年の木は今も彼の部屋にいる。花はまた散ったが、葉は今も空に向かって剣のように伸びている。

若さは年齢じゃない、と佐伯は思う。

まっすぐ立ち、空を見上げる。その姿勢こそが、「勇壮」や「颯爽」を体現するのだ。人生に迷った時は、ふとあの木を見ればいい。きっと、背筋を伸ばせと言ってくれるだろう。

そして、白い花が咲いた日を、また迎えるために。

はやぶさの日

6月13日は「はやぶさの日」です

6月13日は「はやぶさの日」

2010年6月13日、小惑星探査機「はやぶさ」が様々なトラブルに遭いながらも往復60億㎞、7年もの長旅の末に地球に帰還しました。この探査機は、世界初の「サンプルリターン」、「イオンエンジンの長時間運行」をはじめとする数々の科学的な偉業を成し遂げています。

「あきらめない心」と絆

このプロジェクトに参加した全てのスタッフに「あきらめない心」と絆を伝えるために「銀河連邦共和国」では、この探査機が帰還した日付を「はやぶさの日」と宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設がある4市2町(秋田県能代市・岩手県大船渡市神奈川県相模原市長野県佐久市北海道大樹町鹿児島県肝付町)で組織する「銀河連邦」が制定しました。

銀河連邦

銀河連邦

銀河連邦は、1987年11月8日に宇宙開発最先端技術の研究に取り組む宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究施設がある地域と交流を始め、5市2町がユーモアとパロディ精神で創った「連邦国家」組織です。その各共和国が手を取り合い、相互の理解と親善を深め、宇宙平和という役割を担って人々の笑顔があふれるユートピアの創造をめざします。

また、この組織の役割は、子どもたちの留学交流事業やスポーツ交流や経済交流、銀河連邦サミット・フォーラムの開催などを通じて友好を深め、互いの発展と宇宙への夢とロマンを育むことです。

小惑星探査機「はやぶさ」

小惑星探査機「はやぶさ」


小惑星探査機「はやぶさ」は、近地球型とよばれる小惑星「イトカワ」の表面物質搭載カプセルを地球に持ち帰ること(サンプルリターン)に成功した探査機です。また「はやぶさ」は、将来本格的なサンプルリターン探査に必須となる技術を実証することを目的とした工学技術実証のための探査機であり、「イオンエンジン」「自律航法」「標本採取」「サンプルリターン」の4つの重要技術の実証を行っています。

そして、2010年6月13日に地球へ帰還し、搭載カプセルをオーストラリア・ウーメラ砂漠へ落下させて、その任務を終えています。この地球に持ち帰ったサンプルは、分析が行われて小惑星の形成過程を知ることで新しい発見をして、今後の小惑星探査の重要な指標になりました。

夢のある研究

ロケット

これら宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究は、結果や成果が明らかになるまで、もう少し先のことです。我々50代以上になる人にとって、この研究や開発結果を見届けることは不可能かもしれませんが、未来への夢が想像できて、今からわくわくします!


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6月11日の誕生花「ベニバナ」

「ベニバナ」

基本情報

  • 学名Carthamus tinctorius
  • 英名:Safflower
  • 和名:ベニバナ(紅花)
  • 科名:キク科
  • 原産地:エジプトなどの中東地域
  • 草丈:30~150cm
  • 開花時期:6月~7月
  • 用途:染料(紅・黄)、食用油、漢方薬、美容・健康食品など

ベニバナについて

特徴

  • 花は黄色から橙色、時間が経つと紅色に変化します。
  • 花弁からは紅色と黄色の染料が抽出されます。とくに紅色は「口紅」などにも使われた歴史があります(例:山形の紅花)。
  • ベニバナ油(サフラワー油)は種子から採取され、健康油として人気です。
  • 乾燥地でも育つ強い植物で、日本では主に山形県が有名な産地です。

花言葉:「包容力」

ベニバナの花言葉にはいくつかありますが、その中でも「包容力」は次のような由来があります:

● 色の変化と用途の広さ

  • ベニバナの花は開花とともに黄色から赤色へと変化し、その過程で複数の用途(染料・薬・油)に利用されます。
  • 一つの植物が多様な役割を持ち、人々の生活を支える存在であることが、「広く受け入れる・支える=包容力」と重ねられています。

● 厳しい環境でも育つたくましさ

  • ベニバナは乾燥や痩せた土地でも育つ強靭さを持ちます。これは「困難な状況でも耐え、他者を受け入れる力」に通じるとされます。

● 古来より女性の美と健康を支えてきた存在

  • 紅花は古来より女性の美容(紅=口紅)や健康(漢方)を支えてきました。この「支える・守る・包む」役割が、精神的な「包容力」に例えられています。

「紅に包まれて」

高原の小さな村。夏の初め、風に揺れる紅い花が一面を染める季節になると、人々は決まってこう言った。

「今年も、紅花が咲いたね。あの人を思い出す季節だよ」

その「人」とは、村のはずれに住んでいた老婆・ミネのことだ。

ミネが村に戻ってきたのは、戦後間もない頃だった。若い頃は東京の呉服屋に奉公に出ていたらしいが、空襲ですべてを失い、身ひとつでこの村へ帰ってきた。両親もすでに亡く、荒れ果てた家の柱を自分の手で立て直し、畑を耕し始めた。

畑の隅に最初に蒔いたのが――紅花だった。

「紅花は、痩せた土でも咲くんだよ。何もなくなっても、これさえ咲けば大丈夫」

ミネの言葉を、当時子どもだった私たちは覚えている。

春、まだ雪が残る頃に細い芽を出し、夏には茎を伸ばし、黄色い花を咲かせる。それがやがて、陽を浴びるごとに赤みを帯びていく。その様子が、まるで少女が大人の女性へと成長していくようだと、ミネは笑っていた。

村の誰かが病を患えば、ミネは乾かした紅花を煎じて届けた。顔色の悪い女性には紅花で染めた紅を一刷け。「お化粧は心の薬でもあるんだよ」と、そう言ってにこりと笑った。

紅花は染料にもなり、薬にもなり、油にもなる。

「何にでもなれる花さ。人の役に立てるって、すごいことだよ」

そう言って、自分の分よりも人に分け与えることを選んだミネは、まるでその紅花そのもののようだった。

ある年、ひどい干ばつが村を襲った。稲は実らず、野菜も萎れた。それでもミネの畑の紅花だけは、しっかりと根を張り、見事な紅を咲かせた。

「紅花はね、乾いた土を恐れない。むしろ、そういう土地でこそ強くなるんだ」

その言葉を、私は今も忘れない。

ミネが亡くなったのは、90を過ぎたある年の夏だった。畑に咲いた紅花を最後に見届けるように、静かに息を引き取った。

それからというもの、村の有志が紅花畑を守り続けている。誰もがその花に、ミネの姿を見出しているのだ。

広く、赤く、あたたかく咲く花。その一本一本が、ミネの「包容力」を語っているようだった。

私の娘が思春期を迎え、不安定な心を抱えるようになった時、私はこっそり紅花で染めた小さな紅を、彼女の机に置いた。

「紅花はね、どんなに痩せた心にも、必ず咲くのよ」

ミネが私に教えてくれたように、今度は私が誰かにその力を手渡していく。

紅花の色は、時間とともに深くなる。

包むように、染めるように、誰かの心をあたためながら。

アンネの日記の日

6月12日はアンネの日記の日です

6月12日はアンネの日記の日

1942年6月12日、ユダヤ系ドイツ人少女のアンネ・フランクが「アンネの日記」を書き始めました。アンネの家族は、1933年にナチスが政権を取るとナチ体制の迫害に逃れようと、一家でオランダ、アムステルダムに移住しました。この「アンネの日記」は、1942年6月にアンネが13歳の誕生日にお父さんから日記をプレゼントされたところから始まります。日記は、1942年6月12日~1944年8月1日までの約2年間が記録されているそうです。

「アンネ・フランク」とナチス政権

アンネ、ドイツのフランクフルトで生まれ

アンネ・フランクは、1929年6月12日にドイツのフランクフルトで生まれました。そのアンネには3歳上の勉強熱心で聡明な姉のマルゴットがいました。この時期のドイツは、世界恐慌などの影響で景気が悪化し、人々は貧しい生活をしていたそうです。またその頃アドルフ・ヒトラーは、その勢力を伸ばして支配地域をどんどん伸ばしていました。ヒトラーは、ユダヤ人を憎んでいて、ドイツが抱える不況問題の責任をユダヤ人に濡れ衣を着せていたといいます。そしてヒトラーは当時、ドイツに広まっていた反ユダヤ感情を利用したといわれています。

ナチス・ドイツのオランダ侵攻

ナチス・ドイツのオランダ侵攻

1939年9月1日、アンネが10歳の時にナチス軍がポーランドへ侵攻、第2次世界大戦が始まります。その後、1940年5月10日にナチス軍はオランダにも侵攻し、その5日後には降伏しています。その後ドイツ軍は徐々にユダヤ人の生活がしにくくなる法律や条例を導入していったそうです。これらの規則で、アンネの行動範囲が規制されていきます。また、ユダヤ人が会社を持つことも禁止されてアンネの父も会社を失い、アンネを始め、ユダヤ人の子供達は全て学校に行かなければならなくなりました。

一家でオランダ、アムステルダムに移住

アンネ・フランクの家

ナチスのユダヤ人迫害は更に進み、ユダヤ人は「ユダヤの星」(「ダビデの星」あるいは「ユダヤの星」と呼ばれ、古代ギリシャ時代よりユダヤ教のシンボル)を着けることが義務付けられます。そして、「ユダヤ人はオランダから出て行かなければいけない」という噂が流れます。1942年7月5日にマルゴット(アンネの姉)にナチス・ドイツの労働キャンプへの召集令状が届きました。しかし、両親はこの召集が労働のためと信じず、翌日から隠れることにして  隠れ家(アムステルダム市プリンセン運河263番地にあったオットーの会社の後ろ)に移動し、潜伏することになります。  

アンネ、日記を書く

日記を書くアンネ

アンネは、隠れ家へ移動する前に13歳の誕生日を迎えた時、プレゼントの日記帳をもらい、隠れ家で生活した2年の間、アンネは隠れ家での出来事やアンネが感じたことなどを日記に書き留めていました。また、それだけではなく小説などを書き始めたり、自分が読んだ本から抜き出した一節を書き、そのことが、アンネ自身の大きな慰めとなったのでした。

その後、アンネは日記の清書を書き始めましたが、その作業が終了する前の1944年8月4日、アンネと隠れ家の住人は警察に発見されて逮捕されています。アンネは、最終的の送られたベルゲン・ベルセン収容所で、食料はほとんど与えられず、環境も劣悪であるがためにアンネもマルゴットも発疹チフスにかかって、1945年2月に亡くなります。

この「アンネの日記」は、反ユダヤ感情とドイツの不景気から作られた一人の少女書き綴った悲劇の記録となります。

戦争は不寛容がきっかけに

アンネ・フランク1929~1945

人は、生まれ持った性格や育った環境によって、それぞれ思想やこだわりが生まれます。しかし、そのこだわりが宗教の違いや人種差別などにより、さらに波及して派閥ができ、対立が始まります。すると、相手に対して不寛容になって、自分の領域に入ると攻撃してしまい、そこから争いが始まります。

今や世界中で、人類は全て平等だということをネットなどを利用して拡散しています。しかし、それが当たり前の世の中へと変えるためには、まず全ての人に寛容さを持つためにどう働きかけたら良いかを考えることから始めないと先へは進まないでしょうね!人類の永遠の課題です。


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6月10日の誕生花「ラナンキュラス」

「ラナンキュラス」

RalphによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名Ranunculus asiaticus
  • 和名:ハナキンポウゲ(花金鳳花)
  • 科名:キンポウゲ科
  • 属名:キンポウゲ属(ラナンキュラス属)
  • 原産地:中近東からヨーロッパ南東部
  • 開花時期:主に春(3月~5月)
  • 草丈:20〜50cm程度
  • 花色:赤、ピンク、白、黄、オレンジ、紫など豊富

ラナンキュラスについて

AlexaによるPixabayからの画像

特徴

  • 花びらの多さ:ラナンキュラスは、何枚もの花びらが重なり合うロゼット状の花が特徴で、まるで紙細工やバラのような繊細さがあります。
  • 色彩の豊かさ:カラーバリエーションが非常に豊富で、鮮やかで目を引く色が多いため、切り花やブーケとして人気があります。
  • 耐寒性:寒さにある程度強いですが、霜に弱いため冬場の管理は必要です。
  • 球根植物:球根から育ち、毎年植え替えることで美しい花を咲かせます。

花言葉:「晴れやかな魅力」

CouleurによるPixabayからの画像

ラナンキュラスの花言葉にはいくつかありますが、「晴れやかな魅力」は特にその美しい見た目と多彩な色彩から生まれた言葉です。

  • 晴れやかな印象:光を受けると花びらがキラキラと輝くように見えることから、明るくポジティブな印象を与えるため。
  • 重なる花びらの華やかさ:まるでドレスのように幾重にも重なる花びらが見る人の心を引きつけ、「魅力的」と感じさせることに由来。
  • 多彩な美しさ:見る人によって様々な色や形を楽しめるため、「多様な魅力=晴れやかな魅力」と表現されるようになりました。

「ラナンキュラスの咲く日」

BrunoによるPixabayからの画像

春が来るたびに、彼女のことを思い出す。
駅から10分ほどの、丘のふもとにある花屋「ル・ソレイユ」。看板に描かれていたのは、ピンクとオレンジのラナンキュラスだった。初めてその店を訪れたのは、大学を卒業した年の春だった。

就職で上京し、慣れない日々に心がささくれていたある日。ふと足を止めた花屋の前で、彼女と出会った。

「ラナンキュラス、好きなんですか?」

そう声をかけてきたのが、店主の娘・美咲さんだった。
彼女は手に持った水差しで花に水をやりながら、ふんわりと微笑んだ。まるでその笑顔自体が春の光を宿しているようで、何も答えられなかった僕は、ただ黙ってうなずいた。

「この花、光を浴びるとキラキラするんですよ。だから、花言葉は『晴れやかな魅力』って言うんです。」

それから、僕は週に一度、その花屋に立ち寄るようになった。ラナンキュラスは、見るたびに違う色を見せてくれた。深紅、レモンイエロー、ピーチピンク。どれも同じ花とは思えないほど、印象が違っていた。

「多彩なのに調和してるって、素敵ですよね」と美咲さんは言った。

PetraによるPixabayからの画像

彼女の言葉には、どこか魔法のような響きがあった。
心が疲れた日も、うまくいかない仕事の後も、彼女の一言で不思議と気持ちが軽くなった。

春が過ぎ、夏が来ても、僕は店に通い続けた。ラナンキュラスの時期が終わっても、彼女との会話が、僕の生活の中で一番の楽しみだった。だが、その時間は長くは続かなかった。

「来春、花屋閉めるんです。父が引退するので。」

美咲さんは、そう告げた。
次の春には、もう彼女に会えなくなる――その事実が、胸に重くのしかかった。

年が明けて、春が近づくと、僕はある決意をして彼女に会いに行った。手にラナンキュラスの小さなブーケを持って。

「美咲さん、来年の春も、あなたの笑顔が見たいです。」

花言葉の「晴れやかな魅力」は、彼女そのものだった。
どんな日にも、彼女は誰かの心をあたためていた。たくさんの色をもって、光を受けて、魅力を放っていた。

彼女は少し驚いたように目を見開いたあと、いつものように微笑んだ。
「じゃあ…来年も、ラナンキュラスを一緒に見ましょう。」

その瞬間、春の光がふたりを包み込んだ。
彼女の手の中のラナンキュラスが、まばゆく輝いていた。

梅酒の日

6月11日は梅酒の日です

6月11日は梅酒の日

6月の「入梅」(暦の上で梅雨が始まる日)の時期から全国的に梅の摘み取りが始まります。そこで、梅酒づくりのシーズンに入るとともに、高品質の梅酒を美味しい状態で多くの人に飲んでもらえるよう、2004年にチョーヤ梅酒が、6月11日を記念日として制定しました。そしてこの頃から猛暑に入るため、梅酒を飲んで夏を元気に乗り切ってもらいたいという想いが込められています。ちなみに、6月1日は「梅肉エキスの日」、6月6日は「梅の日」、7月30日は「梅干の日」となっている。

梅雨の由来

梅雨

梅雨(つゆ)は、ご存じの通り春から夏にかけて雨や曇りの日が多くなり、日本列島を南から北上する前線が停滞する季節現象のことです。そして、漢字で「梅の雨」と書くのは、この時期に梅の実が熟すことからといわれています。ちなみに「梅雨」は黴雨(ばいう)とも書きますが、これは梅雨の時期は湿気が高く、ジメジメとしていて黴(カビ)が生えやすいためだといわれます。

また、「梅雨」をつゆと読むのは、雨の「露(つゆ)」に由来するとのことです。さらには、「栗の花が落ちる頃に梅雨入りする」、という言葉から「栗花落」(ついり)と書くことがあります。

「梅酒」と「本格梅酒」

本格梅酒

2010年前後、梅酒人気が高まって酒屋などの棚には梅酒がずらりと並びました。梅酒の生産量は2002年の2000万リットルから、2011年になると最終的には3900万リットルと2倍ほど伸びたといわれています。しかし、梅酒の生産量の増加に対し、原料となる青梅(熟す前の梅)の需要は伸びなかったそうです。実際に、この時期の梅酒用青梅の出荷が5900トン⇒6400トン、プラス約8%にしか増えていないということです。

その要因というのは、酸味料や香料、着色料を加えてつくった梅酒が多かったからだそうです。そこで、梅・糖類・酒類だけでつくった梅酒の区分表記について国に要望を出していたところ、日本洋酒酒造組合が2015年に「本格梅酒の基準」を設け、それ以外を「梅酒」という区別するようになったということです。

梅酒の効能は?

梅酒の効能は?

梅酒はいくつか薬用酒に使われるほど、我々にとって嬉しい効能があります。そんな梅酒が持つ健康効果や栄養価について簡単に紹介します。

疲労回復

疲労回復

梅干し1粒に1gほど含まれるクエン酸は、体内でエネルギーを作り出し、疲労の元の「乳酸」を分解して疲労回復を促します。さらに、ミネラルの吸収を助けて新陳代謝も促します。

免疫機能の維持

免疫機能の維持

梅酒に含まれるビタミンB6は、免疫機能を維持、皮膚の抵抗力を高め、ヘモグロビンの合成を行い、脂質の代謝にも関わってきます。また、ビタミンB6が不足すると、皮膚炎や口内炎のリスクがあります。

肝臓と胃腸の活性化

梅酒は、肝臓と胃腸の活性化する!?

梅酒に含まれているピクリン酸は、クエン酸と同様、有機酸の一種で、肝臓と胃腸の働きを良くする効果が期待できるといわれています。また、二日酔いや乗り物酔いなどに効くといわれ、便通の改善も期待できるそうです。

飲みすぎたら同じ

梅酒は適度に

実は、他にも「ビタミンB2」は皮膚や髪、爪などの再生。「カリウム」は、塩分を調整する働きがあるとのことです。しかしどの食材や飲み物も同じですが、摂りすぎると薬効果や大切な栄養が毒に変化します。また、飲む量がいくら適量であっても、塩分や糖分の多いおつまみを食べすぎると同じことなので、常に栄養のバランスを考え、せっかく高品質の梅酒を毒にしまいないように注意しましょう!


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6月9日の誕生花「アスター」

「アスター」

Annette MeyerによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名:Callistephus chinensis
  • 分類:キク科 / シオン属(アスター属)
  • 原産地:主に北アメリカ、ヨーロッパ、アジア
  • 開花時期:6月上~7月下旬(秋まき) 7月中~9月中旬(春まき)
  • 草丈:30cm〜150cm(品種による)
  • 別名:エゾギク(蝦夷菊)、クジャクアスター、ミケルマスデイジー(欧米での呼称)

アスターについて

Erika VargaによるPixabayからの画像

特徴

  • 星のような形:「アスター(Aster)」はギリシャ語で「星(aster)」を意味し、その名の通り、花の形が放射状に広がり星を思わせる。
  • 多彩な色:紫、ピンク、白、青、赤などバリエーション豊か。
  • 丈夫で育てやすい:日当たりと水はけの良い場所でよく育つ。
  • 秋の庭を彩る存在:他の花が少なくなる秋に咲くため、季節の移ろいを感じさせてくれる。

花言葉:「追憶」

Marjon BestemanによるPixabayからの画像

アスターの花言葉にはいくつかありますが、その中でも有名なのが 「追憶(ついおく)」。この由来にはいくつかの説があります:

1. 秋に咲くことと関係

アスターは秋に咲く花であり、夏の終わりや過ぎ去った季節を思い出させる存在です。そのため、過ぎ去った日々への想い=「追憶」という意味が込められました。

2. 墓地に植えられることが多かった

ヨーロッパではアスターが墓地に植えられることが多く、亡き人を偲ぶ花としてのイメージが強まりました。この背景から、「追憶」「懐かしい思い出」「亡き人への想い」という花言葉が生まれたとされます。

3. 古代ギリシャの伝承

ギリシャ神話では、神々が地上に星をこぼしたとき、その星からアスターの花が生まれたという伝説があります。天に帰った星=思い出という象徴的な連想が、「追憶」という言葉と結びついたとも言われています。


「追憶のアスター」

Annette MeyerによるPixabayからの画像

秋の夕暮れ、風が静かに田舎の丘をなでていた。薄紫のアスターが揺れる丘の上に、一人の青年が佇んでいる。名を涼介という。彼がこの丘を訪れるのは、毎年この季節、決まってアスターが咲く頃だった。

 丘の中腹には、小さな白い木製の十字架が立っている。誰の墓なのか、墓標に名前はない。ただ、その前に毎年新しいアスターが供えられていた。

 「今年も来たよ、沙耶。」

 涼介はポケットから一輪のアスターを取り出し、墓標の前にそっと置いた。その花は、沙耶が生前もっとも好きだった色、淡い藤色だった。

 彼女と初めて出会ったのは、高校最後の秋だった。転校してきた沙耶は、どこか儚げな雰囲気を纏っていて、それがかえって涼介の目を引いた。話すうちに、沙耶が病気を抱えていること、長くはこの町にいられないことを知った。

 それでも二人は、放課後になるとこの丘に通い、アスターの咲く中で未来の話をした。

 「私は星が好き。星ってね、遠いけど、ずっとそこにある。たとえ見えなくなっても、心の中に残るの。アスターも、そんな花なんだって。」

 沙耶はそう言って微笑んだ。その言葉が、涼介の心に深く刻まれた。

 しかし、冬が訪れる前に沙耶は姿を消した。誰も何も教えてくれなかった。ただ、彼女の机の上に一通の手紙が置いてあり、「ありがとう。この秋は、宝物です。」とだけ書かれていた。

 それから十年、涼介は毎年、彼女との記憶を辿るようにこの丘を訪れた。そして気づいたのだ。アスターの花言葉が「追憶」であることを。

 調べていくうちに、アスターが秋に咲く花であること、ヨーロッパでは墓地に植えられ、亡き人を偲ぶ象徴だったこと、そしてギリシャ神話では星の化身とされたことを知った。

 「沙耶、君はほんとうにこの花に似てるよ。」

 涼介はつぶやく。空を見上げると、夕焼けの中に一番星が淡く輝きはじめていた。彼女が言っていた「遠くても、ずっとそこにある星」。あの言葉は、今も彼の心の中で光を放っている。

 風がまた丘を吹き抜ける。アスターの花々が揺れ、その香りが微かに漂う。

 涼介は立ち上がり、もう一度星空を見上げた。

 「また来年も、ここで会おう。」

 そして彼は、静かに歩き出した。追憶の花が揺れる丘に、ひとつの記憶がそっと重なっていく――。

時の記念日

6月10日は時の記念日です

6月10日は時の記念日

天智天皇が671年4月25日、「漏刻」と鐘鼓により初めて時を知らせたといわれている奈良時代に成立した日本最古の歴史書『日本書紀』の記事にもとづいて、その当時の日付を太陽暦に換算して今日のこの日を記念日として定められました。ちなみに、「漏刻」とは水時計のことであり、容器に水が流入したり、流出できるようにして、その水面の高さの変化で時刻を計る日本初の時計装置です。

記念日ができた最初の年

記念日が制定された最初の年?

記念日が制定された最初の年は、1920年でした。大正中期の時代背景から想像できるように、衣食住をはじめ社会生活の近代化推進という移り変わりの激しい時代で、特に当時は「時間厳守」で、時間割による行動規律や時間節約による効率性の向上が近代生活の基本にしてそれぞれ行動されていたそうです。

その中でこの年の1月、博文の養子の「伊藤博邦」を会長にして、渋沢栄一らをはじめとした政官界の有力なメンバーを役員にした文部省の外郭団体「生活改善同盟会」(財団法人)が組織されました。そして、その活動として生活改善運動を先導して展開することになったといわれています。

「生活改善同盟会」

時間厳守

「生活改善同盟会」は、その実行目標の第1項に「時間厳守」らしき言葉が記され、文部省もそれに共鳴して時間尊重の教育的意義を重視していました。そして、同盟会と文部省との共同開催により、その年の5月16日から7月4日まで東京お茶の水の東京教育博物館(今の湯島聖堂であった文部省直轄の博物館)で「時の展覧会」を行い、古時計や暦など、天文関係資料、時間節約や作業能率化の各種資料等を出展紹介しています。

また、天智天皇の故事ゆかりの6月10日を前後する時期に会期が設定されたとも考えられていました。その日を迎えると、東京天文台長の河合章二郎は記念行事を提唱し、「漏刻祭」(水時計にちなんだ祭り)を行うと共に時の大切さを宣伝し、そしてその時に「時の記念日」の名称が決定したそうです。

何事もプラスになる時間を過ごそう!

何事もプラスになる時間を過ごそう!

時間は、原子の周波数に基づき、世界の全ての人々に平等に与えられています。その中で我々人間だけは、環境破壊や無意味な殺戮を繰り返し、自分自身で住みやすい地球の寿命を短くしています。我々は、大宇宙の中で生かされていることに感謝して与えられた時間を無駄にせず、何事もプラスになるような行動を起こし、恒久的な世界平和と住みよい地球にする。そのことをネットなど、あらゆる手段を用いて世界中の人たちに訴えかけていきたいです。


「時の記念日」に関するツイート集

2025年の投稿

2024年の投稿

2023年以前の投稿

6月8日の誕生花「タイサンボク」

「タイサンボク」

HankによるPixabayからの画像

基本情報

  • 和名:タイサンボク(泰山木)
  • 学名Magnolia grandiflora
  • 英名:Southern magnolia
  • 科名/属名:モクレン科/モクレン属
  • 原産地:北アメリカ南部(アメリカ合衆国南部)
  • 分類:常緑高木
  • 開花時期:6月~7月(地域によって差あり)

タイサンボクについて

Briam CuteによるPixabayからの画像

特徴

  • 樹高:10〜20メートルを超えることもあり、大木になる。
  • :革のように厚く光沢があり、裏は茶褐色の毛で覆われている。
    • 非常に大きく、直径20〜30cmほど。
    • 白く芳香があり、モクレン科の中でも特に美しいとされる。
    • 1つの花は短命(2〜3日)だが、次々と咲く。
  • 用途
    • 公園や庭園のシンボルツリー、街路樹として植えられる。
    • 花の美しさや香りが評価され、観賞用として人気。

花言葉:「前途洋洋」

花言葉:「前途洋洋(ぜんとようよう)」
 意味は「未来が明るく、希望に満ちていること」。

由来

  • タイサンボクは大きく育つ堂々とした木で、長寿かつ力強い印象があります。
  • 巨大で清らかな白い花を空に向かって咲かせる様子が、希望にあふれた未来や前向きな成長を象徴します。
  • 「洋洋」は「水が広く流れる様」「前方に広がる」という意味を持ち、タイサンボクの堂々たる姿や生命力と重ねられたと考えられています。

「白い花の約束」

HankによるPixabayからの画像

1
 六月の終わり、蒸し暑い風が校庭を抜ける午後。
 卒業式を終えたばかりの制服姿の少女、夏海(なつみ)は、校庭の隅にそびえる一本の大木の下に立っていた。

 その木はタイサンボクと呼ばれ、白い花を空に向かって誇らしげに咲かせていた。まるで祝福の鐘のように、静かに、しかし確かな存在感を放っていた。

「きれい……」

 思わずつぶやくと、横から声がした。

「タイサンボクって言うんだよ。花言葉は、たしか『前途洋洋』だったかな」

 声の主は、同じクラスの男子、遥人(はると)だった。勉強も運動も普通だけれど、なぜか目を引く、不思議な落ち着きを持つ少年だ。

「……前途洋洋?」

「うん。未来が明るくて、希望に満ちてるって意味」

 遥人は空を見上げ、白い花をじっと見つめた。その瞳に何かを重ねるように。

「大きな花なのに、すぐに散っちゃうんだ。でも、またすぐ次の花が咲く。タイサンボクって、そんな木なんだよ」

 その言葉が、夏海の心に静かに染みていく。

2
 夏海の家は古い旅館を営んでいたが、数年前に母を亡くしてから経営が傾き、今は廃業の危機にある。
 父は黙々と働くが、口数は減り、家の中はいつも重苦しかった。

 進路をどうするか、夏海はずっと悩んでいた。東京の大学に行く夢もあったが、家のことを考えると、地元に残るべきではないかと、迷い続けていた。

 そんな中での卒業式、そして遥人の言葉。

 「また次の花が咲く」
 その言葉が、まるで未来の約束のように思えた。

3
 それから数日後、夏海はもう一度タイサンボクの木の下を訪れた。風に揺れる葉と、すでにいくつかの花は散り、代わりに蕾がいくつも枝についていた。

「ねえ、夏海」

 また遥人が現れた。少し照れくさそうに立つ彼は、封筒を差し出す。

「これ、手紙。大学、受けることにしたって聞いて、応援したくて」

 夏海は驚いた。誰にも言っていないつもりだったのに。

「……なんで知ってるの?」

「タイサンボクが教えてくれたんだよ。君が前を向いたこと」

 冗談のように笑う遥人の目は、真っ直ぐだった。

 夏海は封筒を受け取り、そっと胸に当てた。

4
 そして一年後。
 東京の大学のキャンパスで、夏海は満開の白い花に再会した。
 校庭の片隅に植えられたタイサンボクが、都会の空に向かって堂々と咲いていた。

 その下で彼女は、ノートを広げ、手紙を書いていた。

 「遥人へ」
 「私は今、自分の道を歩いています。前途洋洋。あなたの言葉が、私の一歩を照らしました。ありがとう。今度は、あなたの花が咲く番です」