明太子の日

12月12日は明太子の日です

12月12日は明太子の日

山口県下関市の明太子専門業、辛子明太子を全国に広めた前田海産株式会社が制定しています。元々は、韓国から辛子明太子が日本に伝わり、その発祥の地が下関です。この日付は、日本初の「明太子」という名称が新聞に載った1914年12月12日からといわれています。

明太子の起源

明太子の起源

朝鮮半島には、スケトウダラの卵巣を調味して食するという習慣が古くからあったといいます。そして、これが明太子の起源と伝えられています。1800年頃には、唐辛子とスケトウダラの卵巣を一緒に塩漬けして食べるようになったと記述があります。その後、1900年の韓国併合ぐらいの頃に1人の日本人「樋口伊都羽」が辛子明太子として商品の販売を始めています。

樋口伊都羽

スケトウダラの卵巣

会津藩士の息子である樋口伊都羽氏は、明治の時代に朝鮮半島に渡り、漁業関係に従事しています。その時、スケトウダラの卵巣はほぼ全て捨てられてしまうの勿体ないと思いました。そこで、その卵巣を商品化にできないかを考えました。その後の明治40年には、釜山で樋口商店を創業して卵巣を明太子の販売を開始しています。その樋口氏の明太子は、日本にも入ってきていたそうです。しかし、終戦により樋口商店は廃業となり、後に韓国から明太子を輸入することが難しくなったといわれます。

明太子を有名にした川原俊夫

めんたいぴりり

川原氏は、戦前に韓国の釜山にいたが、終戦に夫婦で日本に引き上げます。その後、韓国で好んで食べた明太子が忘れられず、日本で明太子作りを始めました。しかし最初は、日本人の口に合うようなものではなかったらしく、納得の商品が完成するまで、10年もの月日が流れてしまいました。

明太子が一気に広がった理由は

明太子の人気の秘密

川原氏は、世間に明太子の製造法を企業秘密にせず、知りたい人には喜んで教えたそうです。そのせいか、博多では明太子の製造会社が増ええます。そして1975年には、新幹線が博多まで伸びたことで明太子の輸送が可能となって、博多明太子が全国にたちまち広まり知られるようになったそうです。今では、日本国内で消費量は年間3万トンとまでになっています。

明太子は何にでも合う

明太子スパゲティ

明太子は、今や万能調味料化しています。例えば、明太マヨネーズや明太クリームのパスタなど、明太子をソースに変えることができます。また、あの「ピリッと辛い」のがパンやクラッカーなどでも合います。なので、トッピングしておやつやおつまみにも大活躍しています。明太子は、ちょっと価格が高めなところがいたいですが、美味しく人気があるので作った人には感謝したいです。


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12月11日の誕生花「白いバラ」

「白いバラ」

基本情報

  • バラ科バラ属の多年生植物
  • 開花期:春〜秋(品種により四季咲きも多い)
  • 色は純白からアイボリーホワイト、わずかに緑がかった白など多様
  • 香りは強香から微香まで品種差が大きい
  • 切り花としてウェディング・贈り物で最も人気のある色のひとつ

白いバラについて

特徴

  • 清楚で透明感のある花色が特徴
  • 花びらの重なりが美しく、上品でクラシックな印象を与える
  • 花持ちのよい品種が多く、ブーケやアレンジに使われやすい
  • 純白であるため、他の色と組み合わせても調和しやすい
  • 初心者でも育てやすい強健種から、手入れが必要な高級品種まで幅広い

花言葉:「無邪気」

由来

  • **白という色が象徴する“純潔”“清らかさ”**から、汚れのない心をイメージしたとされる。
  • 白いバラは、赤いバラのような情熱や黄色のバラのような陽気さよりも、
    飾らない気持ち・ささやかな喜び・子どものような真っ直ぐさを連想させた。
  • また、古くは白いバラが「純粋な愛」「真心」の象徴として扱われ、
    そのイメージが派生して、
    “無邪気な想い” “裏表のない気持ち” といった意味に結びついた。
  • 結婚式や誕生祝いで白いバラがよく使われる文化的背景も、
    新しい始まりを前にした“まっさらな心” を表す象徴として花言葉に影響を与えている。

「白いバラのはじまり」

春の光が、薄いレースのカーテンをやわらかく透かしていた。
 葵はその光の中、テーブルの上に置かれた一輪の白いバラを見つめていた。

 花びらは雪のように透き通っていて、指先を近づけるとひんやりとした気配が伝わる。
 まるで何かを語りかけるように、静かに、凛として咲いていた。

 ――「純粋なものは、強いのよ」

 ふいに、母の声を思い出す。
 小さい頃、誕生日のたびに白いバラを飾ってくれた母。
 「無邪気でいてくれるだけでうれしい」と笑っていた、その笑顔。

 そんな母が亡くなって一年が経つ。
 葵は今年も誕生日を迎えたけれど、この花を買うまで、白いバラを見ることができなかった。

 母の記憶があまりに鮮やかで、触れれば壊れてしまいそうで――。
 けれど今日は、どうしてもこの花に会いたかった。

 窓を開けると、春の風がそっと部屋に流れ込んだ。
 白い花びらがゆらぎ、光を受けてやわらかく輝く。

 「ねえ、お母さん」

 葵は小さな声でつぶやいた。
 「私、あの日みたいに素直になれるかな。無邪気で……なんて、もう難しい気がする」

 仕事に追われ、気づけば眉間にしわを寄せる癖までついた。
 誰かに甘えることも、弱音を吐くことも、いつの間にか苦手になっていた。

 ――だけど。

 白いバラは、何も責めるような光を持っていなかった。
 ただそこに、美しく、まっさらな姿で咲いている。

 “無邪気な想い”
 “裏表のない気持ち”

 花言葉の由来を思う。
 赤いバラの情熱も、黄色いバラの陽気さも持たず、ただ真っ直ぐで清らかであること。
 飾らない気持ちそのものを象徴する白。

 「……始めてもいい、ってこと?」

 心のどこかで、そんな声が生まれた。
 新しい自分。
 誰かに向ける素直な想い。
 あるいは、誰かをもう一度信じる勇気。

 白いバラは、まるで「うん」と頷くように静かに揺れた。

 そのとき、玄関のチャイムが鳴る。
 驚いてドアを開けると、友人の亮が立っていた。
 手には、小さな紙袋。

 「誕生日でしょ。これ、渡しそびれるとこだった」

 袋の中には、白いバラの花束。
 葵は息を呑んだ。

 「え……なんで、白いバラを?」
 「なんとなく。葵には、この色が合う気がして」

 胸の奥がじん、と熱を帯びる。
 母以外の誰かから白いバラをもらったのは、初めてだった。

 亮は少し照れたように笑った。
 「最近、頑張りすぎだろ? だから……真っさらな気持ちで、また笑えるといいなって」

 その言葉に、瞳の奥がふっと熱くなる。
 白いバラの花言葉が、そっと心に降りてきた。

 ――無邪気。

 それは、子どものように戻ることではなく、
 ただ、自分の気持ちに正直でいることなのかもしれない。

 「ありがとう、亮」
 声が震えた。
 けれど、今の自分を飾る必要はなかった。

 白いバラは、静かに光を映しながら咲いている。
 まっさらな始まりを、やさしく告げるように。

百円玉記念日

12月11日は百円玉記念日です

12月11日は百円玉記念日

1957年12月11日は、日本で初めて「百円硬貨」が発行された記念すべき日です。この百円硬貨は、日本で初の「銀貨」として知られ、戦後初めての発行という歴史的な意義を持っています。この硬貨の登場は、日本の通貨システムの重要な進化を象徴しており、現在も多くの人々にその歴史的価値が語り継がれています。

百円玉硬貨

百円硬貨

発行された当時の百円玉硬貨は、表面に鳳凰で裏面には旭日が刻まれたデザインでした。この効果の配合は、銀60%、銅40%の割合で作られていました。現在の金属価格から換算すると、硬貨1枚に対して約200円の銀が使用されていて、実際のところ硬貨としての実質価格よりも金属としての価値のほうが高かったそうです。また、この百円硬貨は1959年に、表が稲穂で裏が「100」の数字にデザインの変更がされ、その後の1967年に現在も一般的に使用されている桜のデザインの白銅貨に切り替えられています。

日本の硬貨は金額により金属が違う

日本の硬貨の色々

日本独自の硬貨は、金額によって違う素材の金属が使われています。これらは、「アルミニウム・銅・スズ・亜鉛・ニッケル」という5つの素材の組み合わせを配合割合により、作られています。

1円玉硬貨の素材と配合割合

一円硬貨

1円玉硬貨は、アルミニウム100%であるために軽量で加工がしやすく、コストが安いのが特徴です。また空気中で表面に膜を作るため、錆びにくいという特性も持っています。何万、何億という人の手に触れても、長い間使用されても錆びづらいのは、この特性のためです。

5円玉硬貨の素材と配合割合

五円硬貨

5円玉は、銅(60~70%)と亜鉛(40~30%)の配合で作られています。黄金色であるのは、「黄銅」と呼ばれる素材だからです。黄銅は適度な強度と延性を持っているため、加工しやすい金属として使用されます。黄銅は他に「カメラや時計の部品」「金管楽器」「金属雑貨」などに用いられ、金の色合いが同じように見えるため金の代用品としても使用されているそうです。

10円玉硬貨の素材と配合割合

十円硬貨

10円玉の素材は、「銅・亜鉛(4~3%)・スズ(1~2%)」を混合した「青銅」と呼ばれるものでできています。また、青銅は別名ブロンズとも呼ばれ、奈良の大仏なども同じ青銅で作られています。10円玉が本来の銅に近い赤茶色をしているのは、5%ほどのスズと亜鉛が含まれているからです。

100、50円玉硬貨の素材と配合割合

五十円硬貨

50円玉は、銅(75%)にニッケル(25%)を混合した「白銅」という素材でできています。これは100円玉の素材と全く同様のものです。しかし、50円玉と100円玉とは重量と直径が違い、判別しやすいように50円玉には真ん中に穴もあけられています。白銅は、ある程度の酸や海水に触れても腐食せず、高温の250℃以上にも耐えることができます。

500円玉硬貨の素材と配合割合

五百円硬貨

500円玉は銅(72%)と亜鉛(20%)、ニッケル(8%)を混合した「ニッケル黄銅」と呼ばれる素材です。100円玉に若干黄色味を足したような色合いである500円玉は、亜鉛が含まれるために生まれています。この500円玉は、2021年上期に変更があるといわれ、この新500円玉は周りがニッケル黄銅、中心部が白銅の2色(バイカラー)に変わるとされています。

キャッシュレスで100円玉が今後貴重なものに

キャッシュレス化へ

ここ数年で急速にキャッシュレス化が進み、硬貨やお札を財布に入れることが減っていています。それもそのはず、従来は消費税が誕生するや一円玉や五円玉などの小銭が異常に増え財布自体が重くなり「ジャラジャラ」と音を立てながら支払いに手間をかけていた現実からタッチだけで支払い完了となれば、当然のことといえます。このキャッシュレスがさらに進めば、もはや硬貨の役目も終わり、お金としての価値が無くなってしまうのは目に見えていていることです。しかしその数年後は、製造時期で各希少な年の硬貨がプレミアがついて貴重な記念硬貨になるかもしれませんよ!


「百円玉記念日」に関するツイート集

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12月10日の誕生花「シャコバサボテン」

「シャコバサボテン」

基本情報

  • 和名:シャコバサボテン(蝦蛄葉サボテン)
  • 別名:クリスマスカクタス、デンマークカクタス
  • 学名:Schlumbergera(Zygocactus)
  • 科名:サボテン科
  • 原産地:ブラジルの高地・森林
  • 開花時期:11〜3月(冬咲き)
  • 園芸分類:多肉植物・着生植物
  • 花色:赤、ピンク、白、オレンジ、紫など多彩

シャコバサボテンについて

特徴

  • 葉のように見えるのは茎節(けいせつ)
    ┗ 蝦蛄(シャコ)の甲羅に似ている形が名前の由来。
  • サボテンの仲間なのに湿度が好きで、直射日光を避けるタイプ
    ┗ 原産地が森林の樹木に着生する環境のため。
  • 冬に咲く花として人気
    ┗ 冷え込む季節に鮮やかな花を数多く咲かせる。
  • 花は下向き〜横向きに咲き、細長い花弁が重なる繊細な形
  • 日照や温度に敏感で、環境が合わないと蕾が落ちる(デリケート)
  • 長寿な鉢花で、上手に育てれば毎年咲く

花言葉:「一時の美」

由来

  • 花が咲く期間が比較的短く、最も華やかな瞬間が一瞬のきらめきのように過ぎることから。
  • 冬の短い日々の中で、限られた期間だけ鮮やかに輝く姿が、
    「儚い美しさ」「一瞬に宿る価値」を象徴するとされた。
  • 蕾を落としやすく、環境に敏感で繊細な花だからこそ、咲いた瞬間の美が貴重に感じられることも由来の一つ。

「一瞬だけ咲く光」

冬の朝は、いつも静かだ。
 吐く息が白く、部屋の窓には薄い氷の模様が広がっている。
 優奈はその窓をそっと開け、ベランダに置いた鉢へ視線を向けた。

 ――シャコバサボテンが、咲いている。

 昨日までは固い蕾だったはずなのに。
 その花は、白と桃色が混ざった細い花弁を重ねて、まるで朝の光をすくい上げるように開いていた。
 優奈は思わず息をのむ。
 冬の冷たい空気のなかで、それだけがひときわ鮮やかに見えた。

 「やっと、咲いたんだね……」

 小さく呟くと、胸の奥がじんと熱くなる。
 花が開くまでの時間の長さと、その美しさの儚さを知っているからだ。

 ――一時の美。

 この花の花言葉は、ずっと前に母から教わったものだ。
 「咲くまで時間がかかるのに、咲いたらあっという間に終わっちゃうのよ」
 笑いながら、けれど少し寂しそうに母は言っていた。
 優奈が小学生のころの記憶だ。

 花が散ったあとも、母は何度も何度もシャコバサボテンを育て続けた。
 忙しくて一緒に過ごす時間は減っていたけれど、母の部屋の窓辺にはいつも、その花があった。

 優奈が高校生になる頃には、母は病気で長い時間を自宅で過ごすようになった。
 「花はね、咲く瞬間だけがすべてじゃないのよ。
  咲くまでに頑張っている時間があるから、ああやって輝けるの」
 弱々しい声でそう言った日のことを、優奈は忘れられなかった。

 だが、その冬の終わりに母は静かに息を引き取った。
 ベッドの横には、咲き終わったシャコバサボテンが置かれていた。
 花びらは落ちていて、そこに鮮やかさはもうなかった。
 でも、優奈にはそれが不思議と悲しく見えなかった。

 ――一瞬の輝きは、消えてしまっても残るんだ。

 母がそう教えてくれているようだった。

 それから数年後。ひとり暮らしを始めた優奈は、母の残した鉢を大切に育ててきた。
 花は気まぐれで、蕾が落ちてしまうこともよくあった。
 けれど、今年もこうして咲いてくれた。

 優奈は指先でそっと花びらに触れる。
 冷たく、薄く、まるで触れた瞬間に壊れてしまいそうなほど繊細だった。

 「お母さん、今年も咲いたよ」

 言葉は雪のように静かに空へと消えていく。
 けれど、胸の奥には小さな光が灯っていた。

 ――たとえ一瞬でも、誰かの心に残る美しさがある。
 ――短い時間だからこそ、その輝きは消えない。

 優奈はゆっくり顔を上げた。
 ベランダの向こう、冬空は薄く晴れていた。
 その淡い光の中で、シャコバサボテンの花がひらひらと揺れる。

 まるで母が微笑んでいるように見えた。

 花はすぐに散ってしまうだろう。
 でも、その一瞬があるからこそ、優奈は今日を大切に生きようと思える。

 冬の朝日が花びらに触れ、ほんの一瞬だけきらりと光った。
 優奈はその光を見逃さなかった。
 心の中で、そっとつぶやく。

 ――今年も、ありがとう。

 やがて優奈は窓を閉め、部屋に戻った。
 けれど、胸の奥にはまだ温かな光が残っていた。
 一瞬の美しさが、確かに息づいているように。

アロエヨーグルトの日

12月10日はアロエヨーグルトの日です

アロエヨーグルトの日

1994年のこの日は、森永乳業が日本で初めてアロエ葉肉入りのヨーグルトを発売した日です。そして、ヨーグルトなどの乳製品の製造と販売を手がける、その森永乳業株式会社が制定しています。

アロエヨーグルト

森永アロエヨーグルト

アロエヨーグルトは、当時人気があったナタデココにかわる食材であり、健康食品や化粧品に使用されていたアロエに着目した商品です。元々日本では「キダチアロエ」といわれる品種が、やけどの塗り薬や胃腸薬などによく利用されています。そして、アロエヨーグルトに使用されているアロエは、「アロエベラ」という品種であり、皮を除いた葉肉は「キダチアロエ」に比べて苦味が少なく、無色透明のゼリーのような食感でした。そのために「酸味が少なくコクがあるヨーグルトに合う!」とこのアロエを使用した開発が進められました。

アロエベラとは

アロエ1

アロエベラとは、絶世の美女と謳われていた「クレオパトラ」も体に塗ってケアを行っていました。また、紀元前4世紀頃のアレキサンダー大王が兵士の体調維持にアロエベラを携帯させていたと伝えられています。当時から万能薬草として利用されていたことがわかります。アロエベラの成分は、「ビタミン」「ミネラル」「アミノ酸」「酵素」などが豊富に含まれています。

保湿やシワの改善に期待

アロエ2

アロエベラは、皮膚の水分量が増え、シワを軽減できるといわれています。そのことで、潤いやハリのアップに期待に繋がり、「コラーゲン」と「ヒアルロン酸」を作り出す機能を高めます。まさに、食べることで肌の内側からうるおいをアップさせる効果があるということになります。

紫外線のダメージを和らげる

アロエ3

外で紫外線を長時間浴びると、肌のごわつきやくすみの原因になります。アロエステロール(アロエベラの葉肉部位(ゲル)に含まれる5つの植物ステロールの総称)を摂取することで、肌のダメージを和らげる効果が期待されています。

体脂肪燃焼効果や高血糖状態の改善に期待

アロエ4

アロエを摂取すると、脂質代謝が高まり、体脂肪率を低下させる効果が期待でき、血糖値をコントロールして高血糖状態を改善する効果に期待されます。

アロエヨーグルトで、この冬を乗り越えよう

12月になると、寒さが厳しくなるとともに空気も乾燥してきて肌のトラブルが頻繁に起こります。それを避けるためにも、ハンドクリームなど保湿が重要なトラブル対策となります。またこの時期は、インフルエンザなどの感染症が流行するためにマメに手洗いや消毒、マスクなどは欠かせません。そういった時に、美味しくて肌に良い成分が豊富なアロエヨーグルトを食べることを習慣付けることが、最高のトラブル対策になると思います。


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12月9日の誕生花「ポインセチア」

「ポインセチア」

基本情報

  • 学名Euphorbia pulcherrima
  • 和名:ショウジョウボク(猩々木)
  • 科名:トウダイグサ科
  • 原産地:メキシコの山
  • 開花時期:晩秋〜冬 (12月~2月)
  • :赤・ピンク・白・クリーム・マーブルなど
  • 園芸分類:常緑低木(観葉植物として扱われることが多い)

ポインセチアについて

特徴

  • 赤い部分は花ではなく「苞(ほう)葉」
    ┗ 葉が変化したもので、中央にある小さな黄色い部分が本当の花(杯状花)。
  • 短日植物
    ┗ 一日の暗い時間が長くなると色づき始めるため、冬に赤く染まる。
  • クリスマスを象徴する植物
    ┗ 冬に鮮やかな赤を見せるため、世界中でクリスマス装飾として人気。
  • 温度変化に弱く、寒さでダメージを受けやすい
    ┗ 室内の明るい場所で管理すると長持ちしやすい。
  • 樹液に毒性あり(軽度)
    ┗ 皮膚に付くとかぶれる場合がある。

花言葉:「私の心は燃えている」

由来

  • 真っ赤に染まった苞葉が、燃える炎のように見えることから。
  • クリスマスの夜に灯るキャンドルの光や、温かな情熱を象徴する色合いが重ねられたため。
  • 冬の寒さの中で、ひときわ強く鮮やかな赤を放つ姿が、心の中の強い想い・燃えるような情熱を連想させた。

「冬の赤は、燃えている」

雪が降り始めたのは、午後の授業が終わるころだった。
 白い粒が空から静かに舞い、冷たい町並みをゆっくりと包み込んでいく。どこか遠くの世界へ変わっていくような、不思議な気配があった。

 麻衣は厚手のマフラーを首に巻き直しながら、花屋の前で足を止めた。
 店先に並んでいるのは、鮮やかな赤。ポインセチアが何鉢も、黄色い花粉を抱えた小さな花を中心にして、燃えるような苞葉を広げている。

 ――私の心は燃えている。

 花言葉を思い出したとたん、胸の奥がじんと熱くなった。

 昔から、冬が苦手だった。
 学校の帰り道は冷えて孤独で、家に帰っても家族の温度は薄く、どこにも“自分の居場所”を見つけられなかった。

 だけど、去年の冬だけは違った。
 毎日すれ違うたびに笑いかけてくれた人がいた。
 「寒いね」と言ってココアを買ってくれたり、「帰り一緒に歩こっか」と声をかけてくれたり。
 特別な言葉はなかったけれど、隣にいるだけで世界が温かくなるような、そんな存在だった。

 ――好きです。

 その一言だけが言えなかった。
 言ってしまえば、何かが壊れそうで。
 伝えなければ、何も始まらないのに。

 「ポインセチア、今日すごくきれいですよ」

 声に振り向くと、花屋の店員が柔らかく微笑んでいた。
 麻衣は思わず赤い苞葉を見つめる。

 真っ赤に色づいた葉は、炎そのもののようだった。
 冷たい空気を切り裂くように、凛として美しく輝いていた。
 まるで、冬の中でたったひとつ灯る、小さな勇気の火。

 ――あの花言葉は、本当なのかもしれない。

 クリスマスの夜、誰かの心にともるキャンドル。
 離れていても、凍える季節の真ん中で、静かに燃え続ける想い。
 そして、冬の寒さにも負けず、ひときわ鮮やかに赤を放つ姿は、まるで「諦めるな」と背中を押してくれるようだった。

 麻衣は手袋を外し、ポインセチアの鉢にそっと触れた。
 その瞬間、心のどこかで固く凍っていたものが、かすかに溶けた気がした。

 ――もう逃げない。

 彼に伝えたい言葉は、ずっと胸の中にあった。
 暖炉の火みたいに、じわじわと消えずに残っていた。
 言えなかったのは、怖かったからだ。
 だけど、恐れよりも大切な気持ちが、今は確かに燃えている。

 「これ、ください」

 麻衣は一鉢のポインセチアを選んだ。
 赤い苞葉が、まるで「行ってこい」と囁くように揺れていた。

 店を出ると、雪はさっきよりも強く降っていた。それでも、手に抱えた鉢は驚くほど温かく感じた。

 家とは逆の道。
 麻衣はゆっくりと歩き出す。
 凍てつく風が頬に当たる。それでも足取りは軽かった。

 ――私の心は、燃えている。

 その言葉を抱きしめるように、彼の家へと歩みを進めた。
 冬の町は白く、冷たく、静けさに満ちている。
 けれど、真っ赤なポインセチアだけが、雪の中でひときわ強く灯っていた。

 まるで、麻衣の胸の炎を映すように。

マウスの誕生日

12月9日はマウスの誕生日です

12月9日はマウスの誕生日

1968年12月9日、アメリカの発明家「ITの父」ダグラス・エンゲルバートにより、マウスやウインドウ、ハイパーテキストなど、パーソナルコンピュータ、インターネットの歴史の出発点であるデモンストレーションが行われています。そこで「IT25・50」シンポジウム実行委員会が、この日を記念日として制定しています。そもそも「IT25・50」とは、「インターネット商用化25周年」と「ダグラス・エンゲルバートThe Demo 50周年」の意味です。

なぜ、マウスの日!?

マウスの日の由来

コンピューターは、元々専門家のみしか操作ができないものでした。それを、誰もが操作できるようにしたものがこの「マウス」であり、そしてその後にIT時代の基盤となっています。記念日は、そのマウスの誕生日から「The Demo 50周年」を祝って、一番の目的として「ITの過去・現在・未来」を考える日ということです。

マウスの誕生

マウスの誕生

1968年12月9日、アメリカの発明家で「ITの父」と呼ばれるダグラス・エンゲルバート(1925~2013年)により「マウス・ウインドウ・ハイパーテキスト」など、パーソナルコンピュータやインターネットの歴史の出発点といえるデモンストレーションの「The Demo」が行われました。マウスの特許の申請は、1967年に行い、実際にエンゲルバートはマウスの特許を、アメリカで1970年に取得しています。

マウス選び

色々なマウス

マウスを選びは、ただパソコンの操作するだけではなく、より効率的な作業が可能なマウスや、各々環境に合わせたマウス選びが主要となります。

  1. 多機能ボタン付きマウス
    ごく一般的なマウスは、「3ボタンマウス」やブラウザで「戻る」「進む」などができる「5ボタンマウス」があります。しかし、最近の「eスポーツ」や「MMORPG」などゲームに対応した、多機能ボタン付きマウスが存在します。
  2. 省電力マウス
    省電力マウスは、ワイヤレスであるため使い勝手が良く、使用電力を抑えた省電力マウスです。このタイプは、モバイル利用に最適です。
  3. 静音マウス
    マウスを操作する際、「カチカチ」という音が気になることがあると思います。このクリック音を少なくしたのが、静音マウスです。このマウスは、公共の場はもちろん、自宅の深夜作業などの使用も適しています。
  4. 握り心地重視のマウス
    握った時の指の位置に合わせたデザインが、「握り心地優先マウス」です。マウスを操作する際、親指と薬指に加え、「基節骨」や「母指内転筋・短母指外転筋」、「中節骨」や「中手骨」にフィットする形状です。

マウスのお陰でPCが身近に

マウスでPCが身近になる

私が最初にPCに出会ったのは、高校の授業でした。その当時は、マウスなど無くてキーボードでローマ字(プログラム言語)を打ち込むという時代です。しかし、数年後にWindows95の一体化のPCが発表され、その時に初めてマウス操作を体験しました。それからPCが身近になり、次々と新機種が発表されてかなり買い換えました。最近ようやくバージョンアップも落ち着いたようでほっとしているところです。


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12月8日の誕生花「ウィンターコスモス」

「ウィンターコスモス」

基本情報

  • 科名/属名:キク科/ビデンス属
  • 学名Bidens laevisBidens aurea など(流通名として「ウィンターコスモス」)
  • 英名:Winter Cosmos
  • 原産地:メキシコを中心とする世界各地
  • 分類:多年草
  • 開花時期:5月~1月(品種によって異なる)
  • 花色:白、淡黄、クリーム色、アプリコットなど
  • 和名・別名:ウィンターコスモスは園芸名で、正式には「ビデンス」

ウィンターコスモスについて

特徴

  • 寒い季節でも咲き続ける丈夫さを持つ。
  • 名前に「コスモス」とあるが、コスモス属とは別で、見た目が似ていることから名付けられた
  • 細長い茎の先に、ふんわりした一重の花をつけ、冬枯れの庭を明るく彩る。
  • 寒さや乾燥にも強く、長期間咲くためガーデニングで人気が高い。
  • 優しいパステルトーンの花色が多く、柔らかな雰囲気をつくる。
  • 花がしなやかに揺れ、儚げで温かみのある姿が印象的。

花言葉:「もう一度愛します」

由来

  • ウィンターコスモスは、他の花が終わる晩秋〜冬に再び咲くという特徴を持つ。
    →「冬にもう一度咲く花」「季節を越えて咲き戻る花」というイメージにつながった。
  • 優しい色合いで静かに咲き、過ぎ去った季節や思い出をやわらかく呼び戻すような雰囲気がある。
  • 一度終わったかのように見えても、また花をつける姿から、
    **「愛が戻る」「気持ちがもう一度芽生える」**という想像を重ねられた。
  • こうした性質と印象が重なり、
    **「もう一度愛します」「再び愛を告げる」**という花言葉が生まれたとされる。

「冬に咲き戻るもの」

冬の風が、庭の落ち葉をさらりと撫でていった。
 咲季(さき)はマフラーの端を握りしめ、実家の庭に出た。冷たさが頬を刺す。それでも、どうしても確かめたいものがあった。

 ――ウィンターコスモス。

 父が好きだった花だ。
 ほとんどの草花が枯れ、彩りを失ってしまう季節に、静かに、そして控えめに咲く。咲季はその花を見るたび、決まって父の穏やかな笑顔を思い出した。

 鉢のそばにしゃがんだとき、ふわりと淡い黄色が視界を照らした。
 「……咲いてる」
 思わず声が漏れる。

 父が亡くなって一年目の冬、咲季は庭仕事をする気力もなく、鉢は乾ききっていた。「もう今年は咲かないだろう」と諦めていたのに――。

 だが、ウィンターコスモスは、まるで季節を越えるようにして、再びここに戻ってきていた。
 小さな花弁が、凍える風の中で頼りなく揺れながらも、確かに息づいている。

 その姿に、胸の奥がじんと熱くなった。

 咲季はそっと花に触れながら、父の言葉を思い出す。
 「花はな、終わったように見えても、根っこが生きていればまた咲く。人の気持ちも同じだよ。時間が経ってから、ふっと戻ってくることがある」

 その言葉を聞いたのは、咲季が初めて失恋した高校生の頃だった。
 その時は、ただ慰めてもらっただけの記憶だったのに――今になってわかる。
 父はあの時、自分自身の気持ちの話もしていたのだ。

 母と喧嘩ばかりだった父。
 互いの気持ちは離れているように見えた。
 それでも、季節が巡るように少しずつ向き合い直し、気づけば二人の距離はまた元に戻っていた。

 「愛ってのは、戻ることもあるんだよ」
 笑ってそう言った父の声が、今でも耳に残っている。

 咲季は目を閉じ、深く息を吸った。冷たさと一緒に、土のにおいが胸に広がる。
 今年の冬は、父のいない初めての冬。でも、この花は「もう一度」を見せてくれている。

 枯れたかと思っても、再び花をつける。
 過ぎ去った季節をやわらかく呼び戻すように、そっと咲き戻る。

 ――「もう一度愛します」

 ウィンターコスモスの花言葉。
 その意味が、今日ほど胸にしみたことはなかった。

 咲季は立ち上がり、家の中に向かって声をかけた。
 「お母さん、見て。咲いてるよ!」
 振り返った母の頬も、少しだけ緩んだ。

 「あなたのお父さん、ほんとにこの花が好きだったわね」
 「うん。でも、たぶん私のほうが好きになっちゃった」

 母は驚いたように咲季を見つめ、それから静かに微笑んだ。
 その笑顔は、どこか父に似ていた。

 咲季はそっと鉢を抱え直し、心の奥で小さく呟いた。

 ――お父さん。
 あなたが残した“もう一度の花”は、ちゃんとここに咲いているよ。

 冬の空に、淡い黄色の花が揺れた。
 まるで、帰ってきた愛の証のように。

太平洋戦争開戦記念日

12月8日は太平洋戦争開戦の日です

太平洋戦争開戦の記念日

1941年の12月8日日本時間午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃しました。以後、3年6ヵ月に及ぶ太平洋戦争が勃発しています。この日は他に「対米英開戦記念日」などとも呼ばれています。

太平洋戦争

太平洋戦争

太平洋戦争は、1941年12月8日に真珠湾攻撃から始まり、日本のアメリカとイギリスへの宣戦布告で幕が開けます。その後の1945年9月2日に日本の降伏文書調印により、終結しています。日本側の指導者たちは、この戦争を大東亜戦争と呼んでいます。

真珠湾攻撃

真珠湾攻撃

真珠湾攻撃は77年前の今日、12月8日にハワイのオアフ島真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊に向け、日本海軍の航空母艦を飛び立ちました。その攻撃機の数、350機が奇襲攻撃を開始しました。

真珠湾攻撃の概要と搭乗員たちの心情

真珠湾攻撃と山本五十六

真珠湾奇襲は、日本海軍による歴史的な攻撃で、わずか2時間足らずでハワイに停泊していた米艦隊と航空部隊を壊滅させました。この奇襲は日本の開戦初期において大きな戦果を挙げ、多くの日本国民が勝利に沸き立ちました。しかし、作戦に参加した搭乗員たちは、その成果にもかかわらず、浮かれることなく冷静な姿勢を保っていたとされています。

第二次世界大戦はアメリカの参加はなかった?

夜の真珠湾

第二次世界大戦は、ヨーロッパを戦場とする「ヨーロッパ戦線」、そして環太平洋を戦場とする「太平洋戦線」がありました。実際のところ日米の太平洋戦争は後者なのだそうです。また、世界で起こったこの2つの戦線には、非常に関係があるそうです。仮にもし、第二次世界大戦が勃発しなければ、太平洋戦争が起こる可能性は少なかったということです。おそらく、日本軍がどさくさ紛れに起こした戦争なのでしょう。


「太平洋戦争開戦記念日」に関するツイート集

2025年の投稿

2024年の投稿

2023年の投稿

12月7日の誕生花「シクラメン」

「シクラメン」

基本情報

  • 科名/属名:サクラソウ科/シクラメン属
  • 学名Cyclamen persicum(主に園芸品種の元となった原種)
  • 英名:Cyclamen
  • 原産地:北アフリカから中近東、ヨーロッパの地中海沿岸地域
  • 分類:多年草(球根植物)
  • 開花時期:晩秋〜冬〜春(10~4月頃)
  • 草丈:20~30cmほど
  • 花色:赤、白、ピンク、紫、濃桃、複色など
  • 特徴的な構造:反り返る花弁(上向きに反転した形)

シクラメンについて

特徴

  • 冬に咲く代表的な花で、寒い季節の彩りとして非常に人気が高い。
  • 花びらが上に向かって反り返る独特の形をしており、蝶や炎のように見えることも。
  • 葉にはハート形の模様が入ることが多く、観賞価値が高い。
  • 室内で長く鑑賞でき、育て方次第で翌年も咲かせることが可能
  • 乾燥気味を好み、過湿に弱いという独特の栽培性質をもつ。
  • 原種系は香りが強いものもあり、近年では香りのある品種も増えている。

花言葉:「はにかみ」

由来

  • シクラメンの花は、うつむくように下向きに咲き始める性質がある。
    → この「控えめに下を向く姿」が、恥じらいを帯びた仕草を連想させる。
  • さらに、咲いた後は花びらが大きく反り返るが、
    咲き始めの“内気”な佇まいが昔の人々に印象的だったとされている。
  • 派手な色合いが多いにもかかわらず、
    花の付き方がどこか慎ましく、奥ゆかしい雰囲気を見せることも理由の一つ。
  • こうした特徴から、
    **「恥じらい」「はにかみ」「内気な恋」**といった花言葉が生まれた。

「ゆらぎの赤に触れるまで」

冬の朝、真央はベランダに出ると、冷えた空気の中でそっと肩をすくめた。けれどその指先を温めるように、ひと鉢のシクラメンが静かに揺れていた。
 深い赤の花びらはまだ半分ほど閉じ、うつむくように下を向いている。その姿を見た瞬間、真央は思わず微笑んだ。

 「……あなた、まだ恥ずかしがってるの?」

 小さく呟いた声は白い息になり、花の周りに淡く広がった。
 この鉢は、半年前に亡くなった祖母の部屋に飾られていたものだ。整理に訪れたとき、枯れかけているにもかかわらず、真央はなぜか捨てることができなかった。

 祖母はいつも言っていた。

 ――「この子はね、最初は恥ずかしがり屋なの。でもね、時間が経つとちゃんと顔を上げて、きれいに咲いてみせるんだよ」

 その言葉を思い出しながら、真央は冷える指で土の乾き具合を確かめた。水は昨日あげたばかり。葉の色も悪くない。
 なのに、何かが物足りないような気がして、真央は花の前にしゃがみ込んだ。

 見上げると、花はほんの少し震えているように見えた。寒さか、風か、それとも――。

 「ねえ。私も、ちょっとだけ似てるかもしれない」

 その言葉は、自分でも不意だった。
 職場ではいつも遠慮がちで、本当は言いたいことがあっても口にできない。周りから「大人しいね」と笑われるたびに、胸の奥がきゅっと縮む。
 祖母はそんな真央を責めたことも、変えようとしたこともなかった。ただいつも、シクラメンを撫でながら優しく言った。

 ――「恥ずかしがり屋だっていいのよ。ゆっくりでいい。ちゃんと咲けるから」

 その声が、今も耳の奥に残っている。

 真央が静かに息を吐いたとき、ふと一輪の花がわずかに顔を上げた。
 まだ完全ではない。けれど、下を向いていた花びらが、ほんのすこしだけ外側へ反り返りはじめている。

 「……咲くの?」

 思わず手を伸ばし、その花に触れる寸前で止めた。
 触れたら壊れてしまいそうだった。あまりにも慎ましくて、あまりにも奥ゆかしくて。
 けれど、その小さな変化が胸に熱を灯した。

 「私も、少しだけ……顔を上げてみようかな」

 その瞬間、自分でも驚くほど自然に涙が滲んだ。
 悲しさではなかった。
 ただ、シクラメンの花が教えてくれたような気がしたのだ――。

 恥ずかしがり屋でもいい。みっともなくてもいい。
 咲くまでに時間がかかっても、いつか自分なりの形で花開けばいいのだ、と。

 朝の光が差し込み、シクラメンの赤が少し鮮やかに見えた。
 うつむいていた花は、ゆっくりと、ほんの少しだけ上を向く。

 その姿に励まされるように、真央もまた背筋を伸ばした。

 「今日、ひとつだけ言ってみよう。……ほんの少しだけでいいから」

 白い息が空へと溶けていく。
 赤い花が静かに揺れる。

 恥じらいを抱えたまま、それでも前へ進もうとする小さなぬくもりが、冬の朝の空気に溶けていった。