難病の日

5月23日は難病の日です

5月23日は難病の日

2014年5月23日、難病患者を支援する最初の法律「難病法」(難病の患者に対する医療等に関する法律)が成立しています。それに伴い、「難病・長期慢性疾患」、「小児慢性疾患」等の患者団体や地域難病連で構成される「患者と家族の会」の中央団体「日本難病・疾病団体協議会」(一般社団法人)がこの日を記念日として制定しました。この日の目的は、患者や家族の思いを一人でも多くの人に知ってもらうためのきっかけとすることです。

難病とは

治療が困難な病気

難病というのは病名ではなく、原因がわからず治療が困難な疾病を一般的にこう呼ばれています。この呼び名は、日本だけのものであり、海外には難病という表現はありません。以前、結核やハンセン病も原因不明であったため、不治の病と判断されて難病といわれていました。したがって、現在は医療の研究が進んで原因が究明され治療法も確立されて難病と呼ばれなくなったものも数多く存在します。

難病法の歴史

色々な難病

スモン(薬剤スモンによる患者の感染病)という病気の原因解明を機に、難病対策の必要性が高まって1972年に厚生省は「難病対策要綱」をまとめています。それ以降の難病対策は、研究事業の一環にごく限られた疾患に対して、毎年の予算措置として行われていたそうです。また、日本マルファン協会が法人設立した2007年のころ、マルファン症候群は難病に指定されておらず、研究班もない状況でした。

マルファン症候群等の難病指定

マルファン症候群 【指定難病167】

当協会は、マルファン症候群(大動脈や骨格、皮膚、眼、肺、硬膜など体のさまざまな部位の結合組織が脆くなる病気)等の難病指定を求める署名活動も行い、多くのみなさんにご協力いただき、 そして、日本難病・疾病団体協議会にも加盟し、ようやく2014年5月23日にその難病法が成立しました。そして、2015年7月1日から新たに「医療費助成制度」や「就労支援」などの総合的な対策が始まっています。

マルファン症候群/ロイス・ディーツ症候群(指定難病167)
概要:大動脈、骨格、眼、肺、皮膚、硬膜などの全身の結合組織が脆弱になる遺伝性疾患。

公益財団法人 難病医学研究財団/難病情報センター

AI技術で難病を解決する!?

最先端医療

現在、「難病」で苦しむ人を救うための方法として注目を集めているのが、最新の医療技術バイオテクノロジーを活用したアプローチです。例えば、AI技術を新薬の開発プロセス(AI創薬・再生医療ベンチャー)などを取り入れる方法がその代表的な方法といえます。難病になるほど、新薬の開発難易度や開発コストが高くなり、従来とは異なる創薬技術のニーズは大きくなります。

ビックデータがAIをさらに進化させる

そこでAIに学習させるビッグデータが重要なカギとなります。この問題を解決すれば、AI技術の飛躍的に進歩して、難病が大幅に減少するでしょう。そして、時代と共に難病も無くなり、最先端の医療技術によって、我々に病気という不安と恐怖を少しずつ払拭してくれると信じます。


「難病の日」に関するツイート集

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5月21日の誕生花「バラ」

「バラ」

RalphによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名Rosa
  • 分類:バラ科バラ属
  • 原産地:アジア、ヨーロッパ、中近東、北アメリカ、アフリカの一部
  • 種類:およそ200種以上、園芸品種は2万以上存在
  • 開花時期:5月中旬~6月上旬(主な開花期)、6月中旬~11月(品種によって適時、開花)
  • 形状
    • 一重咲き〜八重咲きまでさまざま
    • 色は赤、白、ピンク、黄、オレンジ、青みを帯びた品種など豊富

バラについて

🌸♡💙♡🌸 Julita 🌸♡💙♡🌸によるPixabayからの画像

特徴

  • 美しい花姿:整った花びらの重なりや鮮やかな色彩が魅力。
  • 芳香:多くの品種が甘く濃厚な香りを放つ。
  • トゲ:茎に鋭いトゲがあり、外敵から身を守る役割。
  • 育てやすさ:種類によって異なるが、日当たりと風通しを確保すれば比較的育てやすい。
  • 用途:庭園用、切り花、香料(ローズオイル)、食用(ローズウォーター、ジャム)

花言葉:「愛」「美」

Нина ИгнатенкоによるPixabayからの画像

バラが「愛」と「美」を象徴する理由は、古代からの文化・神話・文学に深く根ざしています。

1. 古代ギリシャ・ローマ神話

  • 美と愛の女神**アフロディーテ(ヴィーナス)**がバラと深く結びつけられていました。
  • 神話では、アフロディーテが恋人アドニスを失った悲しみの涙がバラに変わったとも言われています。

2. 中世ヨーロッパの騎士道文化

  • 貴婦人への愛の証として騎士がバラを贈る慣習がありました。
  • バラは「秘めた愛」「高貴な美しさ」を象徴し、恋愛の贈り物として定着。

3. 花の象徴性

  • 鮮やかな赤は情熱的な愛を、
  • 純白は純粋な美と尊敬を、
  • ピンクは優しさと幸福を象徴します。

📝 補足

  • 赤いバラ:もっともポピュラーな愛の象徴
  • 白いバラ:純潔・尊敬
  • 黄色いバラ:友情や嫉妬(文化によって異なる)
  • 青いバラ:奇跡・不可能への挑戦(近年のバイオ技術で作出)

「薔薇の涙」

CouleurによるPixabayからの画像

古びた石畳の道を、一人の老婦人が静かに歩いていた。手には、一輪の赤いバラ。

その道の先には、小さな古書店がある。年に一度、この日にだけ彼女はその店を訪れる。そして、何も語らず一冊の本を棚から取り出し、ページをめくる。ページの間には、押し花になったバラの花びらが一枚、そっと挟まれていた。

「アドニスの日だね」と、店主の青年が声をかける。

老婦人は、微笑みながら頷いた。

彼女の名はクラリス。若かりし頃、舞踏会で出会った青年、アドニスと恋に落ちた。彼は芸術を愛する詩人で、繊細で美しい言葉を紡ぐ人だった。

出会った夜、彼は一輪の赤いバラをクラリスに手渡しながらこう言った。

「君は、この花よりも美しい。けれど、バラと同じで、人を愛する力を持っている」

その日から、二人は毎週のように会い、愛を育んだ。バラ園で過ごした時間、詩を読み交わした静かな午後、そして、雨の日に交わしたくちづけ。すべてが、宝石のように心に残っている。

だが、運命は残酷だった。

ekremによるPixabayからの画像

アドニスは戦火に巻き込まれ、帰らぬ人となった。最後に届いたのは、彼の詩集と一輪の赤いバラだけだった。バラはすでに枯れていたが、クラリスはそれを丁寧に押し花にして、詩集に挟んだ。

「なぜ、バラだったのか、最近ようやく分かったのです」とクラリスはつぶやいた。

「バラは、美しいけれどトゲもある。愛はそういうもの。傷ついてもなお、美しさを失わない」

その年、クラリスは詩を一つ書いた。アドニスの書いた詩と並ぶように、それは詩集に挟まれた。

あなたの涙がバラに変わるのなら
私の愛も、香りとなってあなたに届くでしょう
美は消えず、愛は枯れず
ただ、時の彼方に咲き続けるだけ

老婦人は本を閉じ、押し花をそっと戻した。

「また来年、会いましょうね」

その一輪のバラに、誰に向けたとも知れぬ言葉を残して、彼女は静かに店を後にした。

バラは「愛」と「美」の象徴。だがその裏には、失われた時間と、決して枯れぬ想いがある。

クラリスのように、誰かの心に咲き続ける薔薇が、今日もまた、一輪。

うなぎの未来を考える日

5月22日はうなぎの未来を考える日です

5月22日はうなぎの未来を考える日

2009年5月22日、マリアナ諸島付近で天然ニホンウナギの卵を採取することに世界で初めて成功し、うなぎの完全養殖化への道が開けてきました。それにより、株式会社鮒忠が提唱する「うなぎの未来を考える日」普及推進委員会がこの日を記念日として制定しました。この日の目的は、限りある天然資源のうなぎを絶滅から守り、うなぎの生態と正しい食文化を広め、後世に残すことだそうです。

日本人とうなぎ

うな丼

日本人にとって昔からなじみのあるうなぎは、約5000年以上前の縄文時代から残る貝塚にもその骨が出土していることからわかります。また、今の日本でも夏の時期で立秋前の「土用の丑の日」に暑さを乗り切るためには、うなぎを食べると滋養のあるとされてきた風習(諸説あります)が定着しています。実はこの「うなぎ」、これまで生態があまり明らかではなく、「どこで生まれて、どこを経由して、日本にやって来るのか」が謎でした。しかし、日本人の食文化に深く愛されてきたということから、絶滅しそうな資源の見直しや研究が着々と進められてきました。

ニホンウナギ

二ホンウナギ

現在では、世界に19種類のうなぎが存在していますが、日本人が食しているうなぎの殆どが「ニホンウナギ」で、その中の99%が養殖物です。しかし養殖とはいえ、その養殖うなぎの種苗は100%を天然のシラスウナギに依存しています。そのおかげで「ニホンウナギ」資源は年々減少し、2013年の環境省によれば近い将来、絶滅する危険性が高い生物としてレッドリストに登録されているそうです。また、世界の野生動物専門家などによって構成される国際自然保護連合(IUCN)でも、2014年に絶滅の危険性が高いということでレッドリストに指定されています。

完全養殖が実現

うなぎの完全養殖研究

現在のうなぎは、産卵からふ化、そして成長までを2010年に研究によって完全養殖は実現しています。しかし、まだまだ商業化するレベルではないようです。それが実現できない理由がいくつかあるようなので紹介します。

サメの卵である餌の問題

うなぎの餌

まず一つ目は、餌の問題です。長年の調査研究の結果、サメの卵が有効であることが判明したそうです。しかし、そ餌の資源が豊富ではないためにサメの卵の代わりとなるものの開発が必要となっています。

性成熟させる技術

うなぎは、人工の水槽では殆ど雄になってしまうため、普通に水槽で飼っているだけでは受精できません。そのために、うなぎの産卵を促す生殖腺刺激ホルモンを与えます。しかし、この技術が難しく現在では、遺伝子レベルでうなぎ自身のホルモンを合成し、卵や精子を安定して得られる技術開発が進んでいるそうです。

大型の水槽が多数必要!?

1000リットルの大型水槽

水産総合研究センターでは、1000リットルの大型水槽で卵をシラスウナギにまで育てることに成功しています。しかし、仔魚からシラスウナギまで育つ確立は5%ほどだそうです。そして、大量のシラスウナギを育てるには、多くの水槽が必要とされています。

これから夏に備えて!

ビタミンBが豊富なうなぎ

うなぎは、ビタミンB群が豊富に含まれていてます。それが不足すると、せっかく重要な栄養を摂取してもエネルギーに変換されず、結果疲れやだるさか起こるといった夏バテ症状になります。このように、うなぎはただ美味しいだけではなく、これから夏の猛暑に向けて重要な栄養源になります。だからこそ、今後は限りある天然資源のうなぎを絶滅から守るとともに、いかに日本の食文化を維持できるかを考え、世界に発信していきたいと思います。


「うなぎの未来を考える日」に関するツイート集

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5月20日の誕生花「カタバミ」

「カタバミ」

基本情報

  • 分類:カタバミ科 カタバミ属
  • 学名Oxalis corniculata
  • 和名:カタバミ(片喰)
  • 英名:Creeping woodsorrel
  • 分布:日本全土、世界の温帯〜熱帯地域
  • 生育環境:道端や庭、畑など、日当たりのよい場所
  • 開花時期:5月〜9月(地域によって異なる)

カタバミについて

特徴

  • :三つ葉で、クローバーに似ています。葉は就眠運動(夜になると閉じる)をします。
  • :黄色く小さい花(直径1cm程度)を咲かせます。
  • :地を這うように伸び、節から根を出して広がります。
  • :熟すと種子がはじけ飛ぶ「裂開果」を持ち、繁殖力が非常に高いです。
  • 名前の由来:「片喰」は、葉が食われたように見えることから。「酢漿草」は、草全体にシュウ酸(酸味)があることに由来します。

花言葉:「母のやさしさ」

カタバミの花言葉の一つに「母のやさしさ」があります。

これは、以下のような理由からとされています:

  • 葉の形がハートを思わせる三つ葉で、やさしさ・愛情を象徴していること
  • 茎が地を這い、どんどん根を出して広がる様子が、子を守り育む母のように見えること
  • 小さくて目立たないが、たくましく生きる姿が、控えめで強い母親像に重なること

さらに、夜になると葉を閉じて休む性質(就眠運動)も、「子どもを寝かしつけた後にそっと寄り添う母」を連想させ、優しさの象徴とされてきました。


「夜の葉音」(はおと)

祖母が植えたカタバミが、庭の片隅に今も広がっている。

「踏んでも、ちぎれても、また生えてくるのよ。不思議な子よねぇ」

そう言って祖母はよく笑った。小さな黄色い花を指先でつまみながら、まるで昔の思い出を撫でるように。

私は子どもの頃、その花の名も知らず、ただ「雑草」と呼んでいた。踏んでは叱られ、抜いては「また生えてくる」と笑われた。でも、あの笑顔が好きだった。目立たないけれど、そっと見守るようにそこに咲いていた花と、祖母はよく似ていた。

祖母が亡くなったのは、春先の肌寒い日だった。庭に出ることも少なくなっていた私は、しばらくカタバミの存在も忘れていた。

ある晩、ふと夢に祖母が出てきた。柔らかな声でこう言った。

「夜になると、葉っぱも眠るのよ。誰にも見えないやさしさって、そういうもの」

目が覚めてから、不思議な気持ちで庭に出た。夜の闇の中、懐中電灯で照らしたカタバミの葉は、静かに閉じていた。まるで手を合わせるように、あるいは小さく丸まる子どもを包む手のように。

私はその姿に、なぜか涙が出た。

小さくて、踏まれても、忘れられても、そこにいる。目立たず、声もあげず、ただそっと支える。

その姿は、まぎれもなく祖母だった。そして、母であり、そして――

私も、そうありたいと思った。

朝になり、陽が差し込むころ、カタバミの葉は再び開いた。小さな黄色い花が、光に向かって咲いていた。春の空気の中、どこか懐かしい香りがした。

私はその日、庭の片隅にしゃがみ、そっとカタバミを撫でた。

「ありがとう、おばあちゃん」

優しい葉音が、風に乗って返ってきた気がした。

リンドバーグ翼の日

5月21日はリンドバーグ翼の日です

5月21日はリンドバーグ翼の日

1927年5月21日、アメリカのチャールズ・リンドバーグ(1902~1974年)が、「スピリット・オブ・セントルイス号」という名の飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功し、パリの「ル・ブルジェ空港」に着陸しました。実は、その前日20日の午前7時52分にニューヨークを離陸し、その時の単葉単発単座のプロペラ機に非常用パラシュートを所持していなく、サンドイッチ4つと水筒2つ分の水、1700リットルのガソリンを積み、睡魔と寒さと戦いながら命がけの飛行を行ったそうです。

歴史的偉業を達成したリンドバーグ

チャールズ・リンドバーグ

リンドバーグは、この偉業を達成したことで、世界的な名声とニューヨーク―パリ間を無着陸で飛んだものに与えられるオルティーグ賞とその賞金25000ドルを獲得しました。当時の感覚ではそれほど大変な出来事であり、無着陸飛行を達成した時に「ル・ブルジェ空港」に75万人から100万人の観客の数が押し寄せたともいわれています。

プロペラ機「スピリットオブセントルイス号」

スピリットオブセントルイス号

そのとき使用したプロペラ機「スピリットオブセントルイス号」は、リンドバーグの指示で長い距離の飛行を可能にするため、大量のガソリンを積めるカスタマイズが施された機体でした。また、操縦席の前方に燃料タンクが設置されたことで、座席から直接前が見えなかったとそうです。高性能の大型機材を準備すれば、こういう設計にはしなかったと思いますが、当時彼は無名のパイロットであったため、リンドバーグには出資者が少ないのが現状でした。そのために、前方の視界を犠牲にして燃料タンクの大きくするという方法を取ったそうです。

たった一人の過酷な飛行

大西洋単独無着陸飛行が成功

今回の飛行では、バックアップのパイロットを乗せることができなかったため、ニューヨークからパリまでの全行程をリンドバーグ一人で操縦する過酷なものでした。そのリンドバーグは単独の飛行「大西洋単独無着陸飛行」を初めて成功していますが、実は1919年に「ジョン・オールコック」と「アーサー・ブラウン」の2人が既に「大西洋無着陸飛行」を達成していたそうです。リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行を成功させた日が5月21日だったため、その偉業に敬意を表して、この日が記念日となったとのことです。

「翼よ、あれがパリの灯だ」

翼よ、あれがパリの灯だ

ちなみにリンドバーグの名言で、「翼よ、あれがパリの灯だ」という言葉が日本語で広まっていますが、『The Spirit of St.Louis』という言葉の和訳で英語圏では存在しないセリフだそうです。これは後世になり、脚色されていますが実際には、着陸後に最初に発した言葉は、「誰か英語を話せる人はいませんか」説と、「トイレはどこですか」説のどちらが2つの説が存在しているそうです。

命がけの過酷な単独飛行

いずれにしても彼が成し遂げたことは、ライト兄弟人類初宇宙旅行に匹敵する偉業です。いずれも危険を顧みず、決して現在のようなバックアップ体制も充実していない状況下でも人類の第一歩を成し遂げてくれてくれました。そのことは、誰でも簡単にできるようなことではなく、また我々人類の未来を変えてくれたことに敬意を払うべきだと思います。


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5月19日の誕生花「サツキ」

「サツキ」

基本情報

  • 学名Rhododendron indicum
  • 科名:ツツジ科(Ericaceae)
  • 属名:ツツジ属(Rhododendron)
  • 原産地:日本
  • 開花時期:5月下旬〜6月上旬(旧暦の5月=皐月)
  • 花色:赤、ピンク、白、紫、絞り模様など
  • 樹高:一般的には30cm〜1m程度(仕立て方により異なる)
  • 用途:庭木、盆栽、公園・道路の植え込みなど

サツキについて

yeondoo leeによるPixabayからの画像

特徴

  • 開花時期の遅さ:同じツツジ属の「ツツジ(特にヒラドツツジなど)」よりも遅れて咲きます。これが「サツキ」と呼ばれる所以でもあります(旧暦の5月=皐月に咲くため)。
  • 葉が小さめで光沢がある:葉は小ぶりで密に付き、硬め。盆栽に使いやすい樹形をつくるのに適しており、盆栽愛好家に人気があります。
  • 品種が豊富:交配により多くの園芸品種が存在し、花色や模様にバリエーションがあります。
  • 耐暑性・耐寒性:比較的強く、育てやすいが、日当たりと風通しのよい場所を好みます。

花言葉:「貞淑(ていしゅく)」

意味:「貞淑」とは、清らかで慎ましく、誠実な女性らしさを表す言葉です。

由来:

  1. 花の佇まい
     サツキの花は派手すぎず、上品で落ち着いた美しさを持ちます。華やかでありながら控えめな印象が、「奥ゆかしさ」や「慎み深さ」といった日本的な美徳を連想させ、「貞淑」という花言葉がつけられたと考えられています。
  2. 季節感と伝統性
     旧暦5月(皐月)は、田植えの季節でもあり、勤勉で家庭的なイメージとも結びついています。慎ましく、凛とした季節に咲くことも、「貞淑」という意味にふさわしいとされたのでしょう。
  3. 盆栽文化との関係
     サツキは長寿であり、手入れが必要な植物です。丁寧に育てられる姿も「貞淑な女性」のイメージと重なります。

「皐月のひかり」

祖母の庭に咲くサツキの花は、毎年、梅雨の気配が漂いはじめる頃に静かに咲きはじめる。幼いころからその風景を見て育った私は、大人になっても変わらぬその庭の風景に、どこか安心を覚えていた。

その年、祖母が倒れた。

幸い命に別状はなかったが、療養のために入院することになり、古い家と広い庭は、しばらくのあいだ空になった。私は、離れていた東京の生活を一時中断し、祖母の家に戻る決意をした。

庭のサツキは、祖母が大切にしてきた盆栽の一つだ。手のひらほどの鉢に収まったその花は、毎年欠かさず花をつける。控えめで、それでいてひとつひとつの花に凛とした存在感がある。

ある日、ふとした拍子に、祖母の書斎の引き出しから、古い日記帳を見つけた。茶色く変色したページには、丁寧な筆文字でこう書かれていた。

「サツキが咲きました。貞淑とは、誰かに仕えることではなく、自分をまっすぐに保つこと。花のように、どこにも媚びず、ただ季節が来たら咲く——そんな生き方を私はしたいと思う。」

それは、祖母が私に語ったことのなかった一面だった。

祖母は、戦後まもなく結婚し、農家に嫁いだ。祖父を早くに亡くし、一人でこの家と畑と、母を育ててきた。その姿は、私にとって「強い女性」の象徴だったが、同時に、ひとつも愚痴をこぼさず、飾らず、いつも静かに微笑んでいた。

「貞淑」とは、昔ながらの女性像の押し付けのようにも聞こえていたけれど、祖母にとっては、誰に何を言われようとも、自分の信じる姿で咲き続けるという、芯の強さの表現だったのだ。

私はその日から、毎朝、祖母のサツキに水をやりながら、その言葉を胸に繰り返すようになった。

季節が移り変わり、祖母が退院して帰ってきた。

「ただいま」

「おかえり、おばあちゃん」

縁側に並んで座ると、祖母は小さく微笑んで、庭のサツキを見つめた。

「今年も咲いてくれたねぇ。あの子はほんと、律儀な子だよ」

私も微笑んで、そっと頷いた。

「うん。私も、そんなふうになりたい」

祖母は少し驚いたような顔をしてから、ゆっくりとうなずいた。

「大丈夫。咲きたいときに咲けばいいの。花は、誰かのために咲いてるわけじゃないんだから」

サツキの花びらが、淡い風にゆれていた。

静かで、でも確かに強く咲いている。その姿はまるで、祖母そのものだった。

世界ミツバチの日

5月20日は世界ミツバチの日です

5月20日は世界ミツバチの日

国連はスロベニアの提案により、花粉を媒介する生物の重要性を再確認するため、近代養蜂の先駆者であるスロベニア人「アントン・ヤンシャ」の誕生日である5月20日を、「ワールド・ビー・デー」(World Bee Day)と定めました。また、国連食糧農業機関欧州連合は、2017年に定められた「世界ミツバチの日」を、花粉を媒介するミツバチなどを保護するための世界的な取り組みを呼び掛けています。

重要な存在のミツバチ(花粉媒介者)

ミツバチなどの花粉媒介者

ミツバチなどの花粉媒介者は、多くの栄養豊富な果物や野菜、そしてナッツ類の生産に重要な働きをします。また、生産されているアーモンドは皆、アーモンドの花に受粉するミツバチに依存しているそうです。カリフォルニア・アーモンド協会農業担当ディレクターの「ジョゼット・ルイス博士」は、「アーモンド農園のミツバチが短期の間、そのミツバチたちの健康を保護して増進することは、アーモンド生産農家が成功するために大切なことです。

また、当協会は米国の花粉媒介者団体と協力して、ミツバチがアーモンド農園以外で過ごす残りの期間も、ミツバチの健康に大きな影響を与えるパートナーとも協業しています。」と述べています。世界の食料の9割の作物種のうち、7割はハチが受粉を媒介しているため、ミツバチは生態系はもちろん、人間にとっても重要な存在であることは確かだということです。

ミツバチの経済効果は66兆円!?

ミツバチの巣

実は、経済効果の側面からみてもミツバチなどのような花粉媒介者たちの存在は偉大で、国連の科学者組織「IPBES」では、花粉を運んで我々人間が行っている農作物作りに貢献しているハチたちが生じる経済効果は世界全体で最大年5,770億ドル(日本円で約66兆円)に上るそうです。

「働き者」ハチの経済価値66兆円 世界的減少で食料危機の懸念も

花粉を運び農作物作りに貢献するハチなどの生物がもたらす経済的利益は世界全体で最大年5770億ドル(約66兆円)に上ると指摘した報告書を・・・

産経ニュースより引用

ミツバチの習性!?

蜜蝋

ミツバチは、最も近くの甘い蜜をもつ1種類の花を選び出し、群生して効率的に蜜を集める習性があるために、花ごとの蜜が自然に溜まります。そこで蜜を集める役目の働きバチは、甘い蜜を持つ花を見つけると巣に戻り、八の字のダンスで巣の仲間に知らせます。ですが、全て1種類から花の蜜だけを集めるというのではなく、必ず少量は他の花の蜜も混入します。それはミツバチの中にもひねくれ者がいて、どんなに甘い蜜が近くにあっても何匹かは他の花に飛んで行ってしまうことがそうです。しかし、このひねくれ者たちは、次に行く花の情報を収集する偵察隊の大役を果たしているとか。

働きバチ

働きバチの群れ

ミツバチの巣は、約6万匹もの大家族からなり、1匹の女王蜂に対して2000~3000匹のオス蜂であり、それ以外はメスの働きバチといわれています。

ベテランの仕事、蜜集め

花とミツバチ

巣の手入れから巣房作り、ハチミツの貯蔵などの仕事を順番にこなし、「巣の中での働きを終えたベテランの働きバチ」の仕事が、巣の外に飛び出して蜜を集めることです。花から花へ飛び回り、人間の営業マンのように一生懸命に花蜜を集めます。

ミツバチはチームプレーが得意!?

巣穴に蜜ろうでフタをして貯蔵

巣の中の働きバチは、運ばれてきた蜜を巣の中で羽を使って、あおいだりしながら水分を蒸発させた後、巣穴に集めていきます。そして熟成させて、糖度が約80%のハチミツが完成したところで、巣穴に蜜ろうでフタをして貯蔵します。

素晴らしいチームワークで甘くて殺菌効果や疲労回復効果がある蜂蜜ができるというのは納得です。また、ミツバチから恩恵を得ているのは、我々が食べる野菜などの植物が育つために重要な役割を果たしているのだということも理解し、ミツバチの存在に対してもっと敬意を払いたいと思います。


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5月18日、10月5日の誕生花「キバナコスモス」

「キバナコスモス」

Tiểu Bảo TrươngによるPixabayからの画像

基本情報

  • 和名:キバナコスモス(黄花コスモス)
  • 学名Cosmos sulphureus
  • 科名/属名:キク科/コスモス属
  • 原産地:メキシコ
  • 開花時期:6月~10月(地域により異なる)
  • 草丈:50〜150cm
  • 花色:黄色、オレンジ、朱赤など
  • 花の大きさ:直径4~6cm程度

キバナコスモスについて

grainlatteによるPixabayからの画像

特徴

  • 耐暑性に優れる:通常のコスモス(Cosmos bipinnatus)よりも暑さに強く、日本の夏でもよく育ちます。
  • 成長が早く、丈夫:乾燥ややせ地にも強く、手間がかからないことから、初心者にも育てやすい花として人気です。
  • 花びらの形状:一般的なコスモスよりも花びらが丸みを帯びており、やや肉厚。
  • 茎や葉:茎はややしっかりしており、葉は切れ込みが深い羽状複葉で、軽やかな印象。

花言葉:「野性美」

Golam KibriaによるPixabayからの画像

キバナコスモスの花言葉のひとつに「野性美(やせいび)」があります。

この言葉は、以下のようなキバナコスモスの特徴に由来すると考えられています:

  • 自然の中で力強く咲く姿:キバナコスモスは、痩せた土地でも元気に花を咲かせ、強い日差しの下でも鮮やかな色を放つことから、「手入れされた庭園の美しさ」ではなく「自然のままの美しさ」を体現しています。
  • 野性的で鮮やかな色合い:オレンジや黄色などのビビッドな花色が、他の植物と比べて野趣あふれる印象を与えるため。
  • 生命力の強さ:繁殖力が強く、野生でも広がることがあり、そのたくましさが「野性」を感じさせる要素となっています。

つまり、人工的な美ではなく、自然の中でひときわ輝くような「飾らない力強い美しさ」を表す言葉として「野性美」という花言葉がつけられたとされています。


「野性の色で咲く」

Bishnu SarangiによるPixabayからの画像

日が傾きはじめた校舎の裏庭に、ひときわ鮮やかなオレンジの花が揺れていた。

キバナコスモス──風にそよぐその姿は、まるで自由そのものだった。

「また咲いてるね」

菜摘(なつみ)は、その花を見つめながら小さくつぶやいた。

この裏庭に足を運ぶようになったのは、夏休み前のことだった。クラスになじめず、誰かと話すことも億劫になっていた菜摘にとって、ここは唯一の“逃げ場”だった。雑草交じりのこの場所には、他の誰も寄りつかなかった。

そんな場所に、ある日ぽつんと咲いていたのが、あのキバナコスモスだった。

最初は一輪だけだった。けれど、数週間もしないうちに、少しずつ増えていった。誰かが植えたわけではない。風に乗ってきた種が根付き、勝手に育ったのだろう。

──それでも、どこか凛としていた。

雨の日も、強い日差しの日も、折れもせず、堂々と咲いていた。

「きれいだな……」

誰に聞かせるわけでもない言葉が、ふと漏れた。

自分とは真逆の存在に思えた。人と上手に話せず、笑顔も作れず、居場所すら見つからない。そんな自分とは違って、何も求めず、ただ咲くことを選んでいるかのようだった。

ある日、裏庭に先客がいた。

Bishnu SarangiによるPixabayからの画像

黒い髪を短く刈り込んだ、無口そうな男子──クラスで目立つタイプではなかったけれど、名前は知っていた。「相馬(そうま)」という、理科が得意な静かな子だった。

「……この花、キバナコスモスって言うんだよ」

彼は花を見つめながら、ぽつりと言った。

「野性美っていう花言葉、知ってる?」

菜摘は少し驚いたように首を振った。

「人工的に育てられる美しさじゃなくてさ。どこにでも咲くけど、どこでもきれいで、強い。そんな花なんだって」

相馬の声は風にまぎれそうなくらい静かだったけど、不思議と菜摘の心にすっと染み込んできた。

「なんか、いいね……それ」

その日を境に、二人は裏庭でときどき言葉を交わすようになった。話題は花だったり、本だったり、空の雲だったり。多くは語らないけれど、その沈黙が心地よかった。

やがて夏が過ぎ、季節が秋に変わるころ。

裏庭のキバナコスモスは、見事に咲き誇っていた。

「すごいね……まるで、野生の絵の具みたい」

菜摘は笑った。こんなふうに、自然に笑えたのは久しぶりだった。

「ねえ、あの花……私も、ああなれるかな」

「なれるよ。だって、もう咲いてるじゃん」

相馬の言葉に、菜摘は驚いて彼の顔を見た。

「逃げ場にしてたこの場所が、咲かせたんだ。君の心にも、きっと同じ色の種があるんだと思う」

オレンジ色の光が、沈む太陽と重なっていた。

風が吹く。キバナコスモスが揺れる。

そして、菜摘の中にも、確かに何かが芽吹いたような気がした。

ボクシングの日

5月19日はボクシングの日です

5月19日はボクシングの日

1952年5月19日、世界フライ級タイトルマッチ行われてその挑戦者である白井義男(1923~2003年)がチャンピオンだったダド・マリノ(アメリカ、1915~1989年)を相手に15回判定で勝ってこの時、日本初のボクシングの世界チャンピオンが誕生しました。その後は4回の防衛を果たし、戦争の敗北で自信をなくした日本人を白井の王者獲得と、その後の防衛から彼の活躍は「希望の光」になったそうです。

白井義男

白井義男とアルビン・カーン博士

白井義男がプロデビューしたのは戦前の1943年であり、その後すぐに召集されて海軍航空隊に入隊しています。当時彼は、戦闘機の整備兵として働いていたそうです。そして戦後、プロボクサーとして復帰し、日拳ホールで練習していた48年頃に、後の師弟関係アルビン・カーン博士に出会っています。そのアルビン・カーン博士は、白井の才能を見抜いて指導を買って出たが、当人はボクシングの経験は全くなかったといいます。

実際のところ、理学士の学位を持つ博士の下地は、スポーツをするにあたり「タイミングの重要性」や「コンディショニング」についての独自の研究が目的だったようです。またこのときの博士は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の天然資源局スタッフとして来日中の時でした。白井は復帰当初、軍隊生活で腰を痛めていたため、3敗を喫するなどしていたが、カーン博士の指導を受けると、日本フライ級と日本バンタム級王座を獲得します。敗戦後は食糧事情の悪かった当時の日本の状況でも、博士が栄養状態の改善のために食事を用意されていたおかげで、腰痛を克服できたと、のちに勝ったていたそうです。

ボクシングの歴史

ボクシングの歴史

ボクシングの起源は、1万年前や紀元前4000年~同3000年前、又は古代ギリシャ&ローマ時代といわれるなど諸説あります。しかし、紀元前600年代の古代ギリシャで行われていたオリンピックでは、既にボクシングの原型が見られるといいます。しかし、ローマが東西分裂後の5世紀初頭ではローマ皇帝により、ボクシングは禁止されていて、この競技はその後1200年以上も封印されていたそうです。

ボクシングルール、現代方式の確立

トレーニング

それから何年か経ち、現在のボクシングにあたる競技が復活したのは18世紀に入ってからだそう。19世紀の1867年になると、反則の定義やラウンド制が整備された「クイーンズベリー・ルール」が採用されるようになったようです。

そしてグローブの着用など、ルールに従っての現代方式のボクシングが確立したのは、1892年の「ジョン・ローレンス・サリバン」対「ジェームス・コーベット」の世界ヘビー級タイトルマッチといわれています。このときに体重無差別で戦ってきた選手たちが、「ヘビー級」「ライト級」「ミドル級」と分けられ、現在のように階級制の形を作っていくことになりました。

数少ない重量級の日本人選手

56秒殺!日本ボクシング界にド級の逸材デビュー!但馬ミツロの衝撃

ボクシングといえば、なんといってもヘビー級ボクサーの映画「ロッキー」ですね。迫力があって素晴らしい人間ドラマでいつも感動的なエンディングで終わりますよね・・・。ちなみに世界目線で見て、比較的に小柄な日本人ですが、重量級クラスではミドル級(72.57kg)のチャンピオンは2人います。その中でも、最重量級クラスで最初にチャンピオンとなったのは竹原慎二氏です。彼は、無敗のまま日本王者と東洋太平洋王者、そして世界王者と登り詰めています。

WBA世界ミドル級チャンピオンの村田諒太

WBA世界ミドル級チャンピオンの村田諒太

そして、もう一人、現WBA世界ミドル級チャンピオンの村田諒太氏が存在しています。最初は、ロンドン五輪で金メダリストを獲得し、その後はプロでも世界のベルトを奪取し、日本で初めてアマとプロ両方で世界を制したボクサーになりました。実際に日本では重量級は層が薄くて、スーパーミドル級(76.2kg)以上では、未だに世界王者は生まれていません。

しかし、以前から世界を狙えるようなヘビー級の日本チャンピオンや日本ランカーは存在しているようです。後は、日本選手の体格が大型化して層を厚くしていけば、いずれは、メジャーリーガーの「大谷翔平」やマスターズ制覇を果たした「松山英樹」のように世界ヘビー級王者というスターが誕生すると信じています。


「ボクシングの日」に関するツイート集

2025年の投稿

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2023年以前の投稿

5月17日の誕生花「ボタン」

「ボタン」牡丹

基本情報

  • 学名Paeonia suffruticosaosa
  • 英名:Tree Peony
  • 科名:ボタン科(Paeoniaceae)
  • 原産地:中国(特に中国中部)
  • 開花時期:4月下旬~5月中旬
  • 花の色:赤、ピンク、白、黄色、紫など
  • 草丈:約1~1.5m(低木)

ボタンについて

特徴

  • 豪華で大輪の花:直径20cm以上にもなる花を咲かせ、「花の王」とも呼ばれる。
  • 落葉低木:多年生の低木で、冬には葉を落とし、春に新芽と共に花を咲かせる。
  • 品種が豊富:改良が進み、数百以上の品種が存在する。
  • 観賞用として人気:庭園、寺院、公園などでよく見られる。

花言葉:「富貴」

● 意味:「富貴(ふうき)」=「豊かで高貴なこと」「富みと名誉」

● 由来の背景:

  1. 見た目の豪華さ
     牡丹の花は非常に大きく華やかで、まるで絹のような花びらを幾重にも重ねる姿は、富や栄華を象徴します。その姿がまさに「富」と「貴」を体現しているとされました。
  2. 古代中国での評価
     中国では唐の時代から牡丹は「花王(かおう)」と呼ばれ、皇族や貴族の庭に植えられていました。「富貴花」とも呼ばれ、繁栄や吉兆の象徴とされました。
  3. 文芸や絵画での扱い
     詩や屏風絵、浮世絵などにも牡丹は高貴な花としてしばしば登場します。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という美人の例えにも登場するように、気品ある美の象徴でもありました。

◆ 関連する花言葉

  • 王者の風格
  • 高貴
  • 壮麗
  • 風格

「富貴の庭」

春の終わり、風がやわらかく花を揺らす季節。古都・洛陽の外れに、小さな屋敷があった。そこには、かつて宮廷の女官だった一人の老女、姚(よう)が静かに暮らしていた。

姚の庭には、毎年見事な牡丹が咲く。それはかつて、唐の皇帝から賜ったという由緒ある牡丹の子孫だった。今やその品種は絶え、姚の庭にしか咲かぬ幻の花と噂されていた。

町の者は「富貴の庭」と呼び、遠くから花を見に来る者もいたが、姚は決して庭の門を開かない。ただ一人、隣家の少女・霜蘭(そうらん)だけが、毎年その花を間近で見ることを許されていた。

姚と霜蘭は、血のつながりはないが、まるで祖母と孫のような関係だった。霜蘭がまだ幼い頃、両親を疫病で亡くし、泣きながら門の前で座っていたのを、姚が拾い上げたのが縁だった。

ある年の春、霜蘭は姚に尋ねた。

「どうして牡丹は“富貴の花”って呼ばれるの?」

姚は微笑んで、語りはじめた。

「昔、唐の都でね、牡丹は“花王”と呼ばれていたのよ。その姿は、まるで天の絵筆が描いたように美しくて。皇后さまや妃たちは競ってこの花を咲かせたの。花が咲けば、富と栄華が訪れると信じていたのね」

「でも、それってほんとうの“富貴”なの?」

霜蘭の問いに、姚は少し驚いたような顔をしてから、ゆっくりと首を横に振った。

「いいえ。あれは表の富貴。目に見えるもの。でもね、霜蘭、牡丹はそれだけの花じゃないの」

そう言って、姚は花びらにそっと触れた。

「牡丹はね、厳しい冬を越えて、じっと耐えたあとに咲くの。その忍耐と、咲いたときの誇り高さ――それが本当の“富”であり、“貴”なの。だから、花は語るのよ。“咲く時を知れ。己を知れ”とね」

霜蘭はその言葉を胸に刻んだ。

月日が流れ、姚は老い、ある春の朝に静かに息を引き取った。その日、牡丹はこれまでにないほど大きく、美しく咲いた。花は風に揺れ、まるで姚の最後の言葉を伝えるかのようだった。

姚の遺志により、「富貴の庭」は霜蘭に託された。少女はやがて成長し、その庭を守り続けることを誓った。やがて霜蘭の手で、牡丹は再び都の庭園や寺に広まり、多くの人々の目と心を潤すことになる。

そして春が巡るたび、「富貴」の意味を問う者が現れる。霜蘭はいつも笑ってこう答える。

「富とは、与えられたものでなく、育んだもの。貴とは、見せびらかすものでなく、心に宿すもの。そう、あの人が教えてくれたのです」

牡丹は今日も咲く。まるでその言葉を、静かに証明するかのように。