5月9日の誕生花「クローバー」

「クローバー」

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基本情報

  • 学名Trifolium repens
  • 科名:マメ科(Fabaceae)
  • 属名:シャジクソウ属(Trifolium)
  • 原産地:ヨーロッパ、北アフリカ、西アジア
  • 日本での呼び名:シロツメクサ(白詰草)として知られる種類が一般的

クローバーについて

SarahによるPixabayからの画像

特徴

  • 葉の形:通常は3枚の小葉(小さな葉)からなり、「三つ葉」が基本。
  • 四つ葉のクローバー:ごくまれに遺伝的・環境的要因で4枚の葉を持つ個体が生まれる。希少性が高いため「幸運の象徴」とされる。
  • 花の色:白、ピンク、赤、紫などがあり、球状の小花が集まって咲く。
  • 開花時期:春〜初夏(日本では5〜6月がピーク)
  • 繁殖力:地下茎や種子で広がり、地面を覆うグランドカバーとしても利用される。

花言葉:「幸福」

günterによるPixabayからの画像

三つ葉のクローバーの花言葉:

  • 「約束」「私を思って」「復讐」など、さまざまな意味を持つ。

四つ葉のクローバーの花言葉:

  • 「幸福」「幸運」「希望」「愛情」

なぜ「幸福」なのか?

  1. 希少性:四つ葉のクローバーは約1万分の1の確率でしか見つからないとされ、その珍しさが「見つけた人に幸運が訪れる」という言い伝えにつながった。
  2. 葉の意味(キリスト教文化の影響):
    • 四つ葉のそれぞれが「希望」「信仰」「愛情」「幸福」を象徴するとされる。
  3. ヨーロッパの民間伝承
    • 中世ヨーロッパでは、四つ葉のクローバーを持っていると魔除けになり、精霊や妖精が見えるとも言われた。

「四つ葉の約束」

Andreas HojaによるPixabayからの画像

少年のアキトが初めて四つ葉のクローバーを見つけたのは、小学三年生の春だった。校庭の片隅に広がるクローバーの群れの中で、ふと目に留まったそれは、まるで光を帯びているかのように見えた。

「ねえ、見て、これ四つ葉じゃない?」

彼の声に応じたのは、幼なじみのユイだった。彼女は草の上にしゃがみこみ、アキトの手のひらを覗き込んで目を見開いた。

「ほんとだ……すごい、初めて見た!」

二人は顔を見合わせて笑った。ユイはそっとアキトの手から四つ葉を受け取り、自分の胸ポケットにそっとしまった。

「お守りにする。これ、私たちの秘密ね」

KevによるPixabayからの画像

それから何年も経った。中学生になり、忙しさや距離のせいで、二人はあまり話さなくなっていった。けれどアキトの中で、あの日の四つ葉のクローバーは記憶の中に鮮やかに残り続けていた。

春のある日、ユイが引っ越すという噂が学校に広まった。アキトは気になって仕方がなかったが、直接聞く勇気がなかった。何度も話しかけようとして、やめた。

卒業式の日、アキトはいつものクローバーの群れの前に立っていた。少しずつ日が傾き、影が長く伸びていた。

「ここにいたんだ」

振り向くと、ユイが立っていた。制服の胸ポケットをそっと叩きながら、彼女は微笑んだ。

СветланаによるPixabayからの画像

「あの時の四つ葉、ずっと持ってたよ」

「え……まだ?」

ユイは頷いた。そして、ポケットから色あせた小さな紙に包まれたクローバーを取り出し、アキトの手のひらにのせた。

「これ、返すね。次はアキトが見つけたとき、誰かに渡す番だよ。四つ葉の意味、知ってる?」

アキトは首を振った。

「希望、信仰、愛情、そして……幸福。私ね、あの時、ちょっと魔法がかかった気がしたんだ」

彼女は小さく笑い、クローバーをアキトの手にそっと押し戻した。

ViolaによるPixabayからの画像

「ありがとう、ユイ」

その日、彼は初めて知った。四つ葉のクローバーの花言葉が、単なる「幸運」ではなく、その一枚一枚に深い意味があることを。そして、誰かと分かち合ったとき、それはただの葉ではなく、「約束」になることを。

ユイが去ったあと、アキトはもう一度クローバーの群れに目を落とした。

「次は……誰に渡そうか」

風が吹いて、草がそよいだ。まるでクローバーたちが、静かに囁きかけてくるようだった。

日本気象協会創立記念日

5月10日は日本気象協会創立記念日です

5月10日は日本気象協会創立記念日

1950年5月10日は、「日本気象協会」(一般財団法人)が、運輸省(現在の国土交通省)所管「気象協会」(財団法人)として設立されました。その後、1966年に気象協会は「関西気象協会」と「西日本気象協会」が合併して、「日本気象協会」(財団法人)となりました。

日本気象協会

気象予報

2009年、国の公益法人制度改革に伴い、その年の10月1日に一般財団法人に移行し、「一般財団法人 日本気象協会」となっています。その「日本気象協会」は、「気象・環境・防災」の情報サ-ビスを通じ、より「安全・安心・快適」な社会づくりに貢献しています。それにともない、先進的で複合的な技術と英知で、お客様に信頼される多様なサ-ビスを提供。そしてさらには、健全な透明性の高い経営に、より利益を創出して活力ある持続的な成長を目指しています。

気象庁

気象庁

気象庁は、日本の行政機関のひとつであり、日本の気象情報を収集・分析・発表する機関です。この機関は、気象予報の発表や防災・減災対策の指導、地震・火山等の自然災害の予知・警戒などが主な役割とされています。

国際的な協力が必要

「気象」「地震」「津波」などは国境を越えて及ぶため、これらの現象を把握するには国際的な協力が必要とされます。そこで、気象庁は各国の気象機関や国連の世界気象機関との緊密な連帯を図っているようです。またその他に、自然現象の「監視・予報」、「各種情報の適時・的確な発表」、更には精度向上のためにも最新の科学技術を取り込みながら技術開発も行われているそうです。

日本初の天気図から67年、そして現在

最先端の気象予報技術

1883年2月16日、日本初の天気図が作られてから60年以上経ち、日本気象協会が創立し、同時期には世界気象機関条約が発足されています。そして、今では最先端技術による気象・環境情報などを世界で共有し、地球の環境破壊を監視すると共に災害予知などに日本気象協会も、気象衛星などを活用して世界に大きく貢献しています。これからも、この記念日をきっかけに天気や地震など、最先端の予測技術に感謝と応援するように心がけていこうと思います。


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5月8日の誕生花「マツバギク」

「マツバギク」

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■ 基本情報

  • 和名:マツバギク(松葉菊)
  • 学名:Lampranthus、Delospermaなど(複数の種が「マツバギク」と呼ばれます)
  • 科名:ハマミズナ科(ツルナ科とも)
  • 原産地:南アフリカ
  • 形態:多年草(常緑の多肉植物)
  • 花期:4月~5月(ランプランサス属)、6月~10月(デロスペルマ属)

マツバギクについて

manseok KimによるPixabayからの画像

■ 特徴

  • :名前のとおり、松葉のように細長く、肉厚な多肉質の葉が特徴です。
  • :デイジーに似た形の鮮やかな花を咲かせます。ピンク、紫、オレンジ、白などカラーバリエーションが豊富です。
  • 性質:非常に乾燥に強く、日当たりの良い場所を好みます。砂利地やロックガーデン、斜面の地被植物として使われることも多いです。
  • 育てやすさ:耐寒性・耐暑性ともに強く、放っておいても育つほど丈夫です。

花言葉:「心広い愛情」

manseok KimによるPixabayからの画像

マツバギクの花言葉「心広い愛情」は、以下のような特徴に由来していると考えられます。

  • 咲き誇る花の姿:マツバギクは小さな株でもたくさんの花を一斉に咲かせ、周囲を明るく彩ります。その様子が、見返りを求めず広く愛を与える姿に例えられています。
  • 丈夫で世話いらずな性格:乾燥や過酷な環境でもよく育ち、周囲の環境に順応する懐の深さが「心の広さ」に通じます。
  • 長い開花期間:春から秋にかけて長く花を咲かせ続ける姿は、尽きることのない愛情の象徴とされています。

「ひとひらの広がり」

manseok KimによるPixabayからの画像

真夏の陽射しがじりじりとアスファルトを焼いていた。古びた団地の一角、小さな庭に咲く鮮やかな紫の花が、ひときわ目を引いた。雑草の間から溢れるように顔をのぞかせているその花は、マツバギク。誰が世話をしているのかも分からないまま、毎年この季節になると律儀に咲き、住民たちの目を楽しませていた。

七十を越えた昌子さんは、その花に誰よりも親しみを感じていた。

「今年もよう咲いたねえ」

と、水をやるふりをしながらマツバギクに語りかけるのが日課だ。かつては手入れをする人もいたが、今はもう姿を見せない。だけど不思議なことに、誰にも手をかけられなくなってからの方が、この花は元気に咲くようになった気がする。

昌子さんには息子が一人いた。若い頃に家を出てから音沙汰もなく、最後に会ったのはもう二十年以上前だ。電話も手紙も来ない。はじめの数年は泣いたが、今はもう泣くこともない。ただ、彼が子どもの頃に「お母さんの花だね」と言ったこのマツバギクだけが、記憶のなかで彼とつながる唯一のものだった。

「花はいいね。誰かに見てほしいって思ってるわけじゃないのに、こんなに咲いて」

ある日、団地の隣に引っ越してきた若い母親が、小さな女の子の手を引いて花の前で足を止めた。

「きれいねえ、この花。ママ、これなんて名前?」

「ええっとね、たしか……マツバギク、って言うのよ」

その声に驚いて振り返ると、母親は少し照れながら会釈をした。

「すみません、勝手に見させてもらって……うちの子、この花が気に入ったみたいで」

「いいのよ。この花はね、見る人の心を明るくするの」

「本当に、そうですね。なんだか元気が出ます」

その日から、親子は毎日のように花の前に来て、にこにこと話すようになった。ある日、女の子が昌子さんに小さな絵を渡してくれた。そこにはマツバギクと、「おばあちゃん、ありがとう」の文字。

「ありがとうって、何が?」

「いつも、花、きれいにしてくれてるから」

昌子さんは笑った。

「この子ね、自分で育ってるのよ。誰にも文句言わず、文句言われず、ただ、咲くの。……あなたも、そうやって咲けばいいよ」

日が傾くなかで、マツバギクの花びらが夕陽に透けて光っていた。

そしてその夜、玄関先に一通の手紙が届いた。差出人は、あの息子からだった。

「母さん、元気ですか。ずっと連絡できなくてごめんなさい。最近、娘ができました。マツバギクを見るたび、あなたを思い出します——」

昌子さんは、そっと手紙を胸に当てた。涙は出なかった。ただ、胸の奥が、じんわりとあたたかかった。

花は、見返りを求めず咲き続ける。誰かがそれに気づき、受け取ったとき、広い愛情は静かに、しかし確かに伝わるのだ。

まるで——マツバギクのように。

アイスクリームの日

5月9日はアイスクリームの日です

5月9日はアイスクリームの日

「東京アイスクリーム協会」(後の日本アイスクリーム協会・一般社団法人)が1965年にこの日を記念日として制定しました。また、前年の1964年に、アイスクリームのシーズンがスタートする連休明けの5月9日を「アイスクリームデー」とし、「東京アイスクリーム協会」が記念事業を開催。そして、これを機に都内の施設や病院などにアイスクリームをプレゼントしています。

アイスクリームの日

アイスクリーム

1964年の、アイスのシーズンインとなる連休明けの暖かくなった5月9日頃をきっかけに、大勢の皆さんにアイスクリームを食べてもらえるよう願いの記念事業と、当初、色々な施設にアイスをプレゼントしたことから始まったことです。その翌年から、5月9日を「アイスクリームの日」にして、様々なイベントを行っています。

アイスクリームの日のイベント

ソフトクリーム

「アイスクリームの日」は、毎年全国各地で「アイスクリームフェスタ」が開催されています。このイベントは、アイスクリームの無料配布、キャラクターの「アイスクリーム王子」などの触れ合いなど、他にも楽しい内容が盛りだくさん予定されます。このアイスクリームフェスタには、毎年2万人以上のファンが来場され、それに加えて多くのメディアにも取り上げられます。

アイスクリームの歴史

アイスクリームの歴史

日本人初のアイスクリームは、江戸末期であり、 幕府が派遣した使節団が訪問先のアメリカで食したのが初です。彼らはその旨さに驚きを隠せなかったと伝えられています。 そして、1869年には、本国で最初のアイスクリームが誕生したそうです。 その後、文明開化の勢いに乗り、日本のアイスクリームの歴史がスタートします。

アイスクリームを食べるときは、表示を確認

色々なアイスクリーム

アイスクリームに含まれる植物油脂は、「ヤシ油」、「パーム油」、「ナタネ油」です。これらはトランス脂肪酸が多く含まれ、これを過剰摂取すると、血栓・心疾患を招くといわれています。しかし、アイスの中でも「ラクトアイス」はカロリーが高く脂肪が多く、乳化剤や安定剤のような添加物も多く含まれています。当然、植物油脂の割合が増えると、カルシウムなど栄養分の含有量も減少し、添加物が増えるということになるので、栄養表示を確認して食べる量を調整することをオススメします。


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5月7日の誕生花「エゴノキ」

「エゴノキ」

GuHyeok JeongによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名Styrax japonicus
  • 科名:エゴノキ科(Styracaceae)
  • 分類:落葉小高木
  • 原産地:北海道、本州、四国、九州、沖縄
  • 樹高:3~10メートルほど
  • 開花時期:5月~6月(初夏)
  • 花色:白(まれに淡紅色)

エゴノキについて

yeondoo leeによるPixabayからの画像

特徴

  • 花の特徴
    • 初夏に白くて小さな鐘形の花を、枝からぶら下がるように多数咲かせます。
    • 下向きに咲く花姿が控えめで上品な印象を与えます。
  • 葉の特徴
    • 卵型で、縁がやや波打っています。
    • 枝に互生(ジグザグ)するように生えます。
  • 果実
    • 秋に小さな楕円形の実をつけ、表面に毛が生えています。
    • 実には「サポニン」という成分が含まれ、泡立ちやすいため昔は石けんの代わりにも使われました。
    • この実を口にすると「えぐい(渋い・苦い)」ため、「エゴノキ」という名前が付いたと言われています。

花言葉:「壮大」

エゴノキの花言葉には「壮大」「清楚」「優雅」などがあります。

「壮大」という花言葉の由来(考察):

  • エゴノキは、近づかないと目立たない花ですが、満開になると無数の白い花が枝いっぱいにぶら下がり、木全体が白く霞がかるように見えます。
  • この「控えめながらも圧倒的な存在感」や、「一斉に咲き誇る様子」が、まるで壮大な風景や光景を想起させることから、「壮大」という花言葉がつけられたと考えられます。
  • また、日本の山野に自生し、自然の中でたくましく美しく咲く様子も、雄大な自然の一部としての「壮大さ」を象徴しているともいえるでしょう。

「白霞の下で」

春の終わり、山間の小さな集落に住む少年・颯太(そうた)は、毎年この季節を待ちわびていた。

家の裏手にある古い山道を登ると、ひっそりとした小さな谷に出る。そこには一本の大きなエゴノキが、まるで時の番人のように立っていた。どれほど年を経ているのか分からないが、幹は太く、苔むした根元には小さな命たちが息づいていた。

「今年も咲いてるかな…」

颯太が谷に足を踏み入れると、視界が白い霞に包まれたようになった。エゴノキの枝々に、無数の白い小さな花が吊り下がり、風に揺れている。その光景は、あたり一面に淡い雪が舞い降りたかのようだった。

「やっぱり、すごい…」

思わず息をのむ颯太。誰にも言わず、この谷の存在を秘密にしてきた。理由は、自分でもうまく説明できなかった。ただ、この木と自分だけの時間が、特別なものに思えたのだ。

颯太がこの木に初めて出会ったのは、まだ幼い頃だった。母親が亡くなり、何もかもが変わってしまったある日、無意識に山へと足を向けていた。泣きながら歩いて、ふとたどり着いたのがこの場所だった。

そのときも、この木は満開の花を咲かせていた。誰にも慰められなかった少年の心を、そっと包み込むように白い花が揺れていた。

「お母さん、ここ、きれいだよ」

その日から、颯太にとってこの木は特別な存在となった。

高校進学を控え、街への引っ越しが決まった春の終わり、颯太は最後の挨拶に来た。

「来年は、もう来れないかもしれないな」

エゴノキは何も答えず、風に乗せて静かに花を散らせた。白い花びらがふわりと舞い、彼の肩にそっと触れた。

見上げると、枝いっぱいの花が、空と山の境界を白く染めていた。

それはどこか、壮大な絵巻物の一部のようだった。派手さはない。だが、ひとつひとつの小さな花が、無数に集まり、静かな迫力を生み出していた。

颯太はその場に立ち尽くし、しばらく何も考えず、ただその光景を目に焼きつけた。

「ありがとう。元気でな」

声に出すと、胸の奥がじんと熱くなった。

谷を離れる頃、振り返ると、エゴノキはその白い花の帳(とばり)の中で、変わらぬ姿のまま、静かにそこに立っていた。

まるで――「壮大」という言葉そのもののように。

ヨーロッパ戦勝記念日

5月8日はヨーロッパ戦勝記念日(VEデー)です

5月8日はヨーロッパ戦勝記念日

1945年5月8日、第二次世界大戦を起こしたドイツが、連合国軍に対し、降伏文書に調印して無条件降伏をした日です。また、この日は連合国がヨーロッパの勝利を記念して制定した日でもあり、VEデー(Victory in Europe Day)とも呼ばれています。

第二次世界大戦

戦没者の墓地

第二次世界大戦は、1939年9月1日にドイツ軍のポーランド侵攻から、1945年8月15日の日本の敗北までとされています。世界大戦の中、ドイツ・イタリア・日本を中心とした同盟国に対し、イギリス・フランス・中国に加え、後からから参戦したソ連・アメリカ合衆国などが加わった連合国(総勢52カ国)と、2つに分かれた世界を巻き込んだ大戦争でした。主にヨーロッパとアジア、太平洋地域の戦いであり、約500万人の死者を出すことにとなりました。

ヨーロッパ戦での戦況

降伏する民衆

1944年6月、連合国軍が「ノルマンディー上陸作戦」を敢行し、その作戦によりドイツ軍は追い詰められます。一方で太平洋戦争では、同じ年の7月にはサイパンが陥落。このことでアメリカ軍が、日本本土爆撃が本格化したといいます。次に連合軍は、44年8月にパリを解放します。1945年2月、連合国軍首脳はヤルタ会談で戦後処理で合意しました。西から迫ったアメリカとイギリス軍、東から迫ったソ連軍が、4月25日にはエルベ川で合流し、米兵とソ連兵が握手し「エルベの誓い」の不戦の誓いをしたそうです。

ついにドイツが降伏

検問する兵士たち

ベルリンでは、ソ連軍に先着されて包囲し、首相官邸の地下壕にこもって抵抗を続けたようですが、遂に4月30日にヒトラーが自殺し、ベルリンは陥落します。その後、5月8日に正式にドイツが無条件降伏し、この時ようやくヨーロッパの戦争は終わりました。

最終的には日本の敗北で終戦

広島原爆ドーム

ここからは、我々日本人のほとんどが知っている現代人が悔やまれてる終戦の日、完全敗北までのドラマが繰り広げられます。もっと早く敗北宣言をしていれば、神風特攻隊や長崎広島の原爆投下などの罪無き人達の犠牲、ソ連による北方領土の侵攻も最小限に済ませることができたかもしれません。とにかく、同じ事を繰り返さないように我々、一般市民が声を挙げ行くことが今一番大切なことだと思います。

ロシア、ウクライナ侵攻

2022年2月24日、ロシアによるウクライナの軍事侵攻が始まってから5月8日、その間およそ2か月も続いています。そして、その結果次第では世界秩序が無くなり、ただ単に強い国(強力な兵力を持った国)が支配して弱い国が奴隷同然に扱われる恐れもあります。このままでは、第二次世界大戦が勃発した時代に戻ってしまいそうです。

プロパガンダの脅威

世界中の人々が世界平和を願う中で、まさかこの時代にこういった大国の侵略戦争が始まるとは誰も思っていなかったでしょう。その中でも、現在のSNSというものによって「プロパガンダ」(国民に教義を強要する行為)の脅威を周辺の国々が共に理解し、真実を知らない人々に正しく現状を伝えることで、一日も早く終われせるために、民衆に立ち上がってもらうことは世界中の誰もが願っているはずです。


「ヨーロッパ戦勝記念日」に関するツイート集

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5月6日の誕生花「シャガ」

「シャガ」

基本情報

  • 学名Iris japonica
  • 分類:アヤメ科 アヤメ属
  • 分布:中国東部~ミャンマー
  • 開花時期:4月〜5月
  • 草丈:30〜60cmほど
  • 日照条件:半日陰を好む(林の縁などに多く自生)

シャガについて

特徴

  • :淡い紫色や白に、青や黄色の模様が入った繊細な花を咲かせます。花びらはフリルのように波打っており、1つの花の寿命は短いですが、次々と咲くため見頃は長く楽しめます。
  • :細長く、光沢のある濃緑色。常緑性で冬も枯れません。
  • 繁殖:種ではほとんど増えず、地下茎で群生します。
  • 環境適応:やや湿った半日陰に強く、庭のグランドカバーや林縁植物として人気です。

花言葉:「反抗」

シャガの花言葉はいくつかありますが、その中でも「反抗」は少し異質で印象的です。

この花言葉の由来には諸説ありますが、有力な説は以下のようなものです:

  • 繁殖方法の特異性:シャガは基本的に種を作らず、地下茎で増えるという“普通”の花と異なる繁殖形態を持っています。そのため、「普通の植物に従わない=反抗的」と解釈されることがあります。
  • 自生地での強さ:人里の陰や林の下など、他の花が咲きにくい環境でもしっかり咲くことから、「与えられた環境に逆らって咲く花」というイメージがついたとも。
  • 見た目と生態のギャップ:繊細で可憐な見た目に反して、生命力が強く繁殖力があるというギャップが「反抗的」な印象を与えるという説もあります。

「影に咲くもの」

夕暮れの校庭。部活動の声が風に溶けていく中、ひとり、裏山の小道を歩く少女がいた。名は沙良(さら)、中学三年生。周囲となじめず、いつもひとり。クラスでは「無口な子」と呼ばれているが、彼女はただ、「誰にも染まりたくない」だけだった。

進路希望の紙には、白紙のままの欄が残されている。先生には「まだ決まっていません」と答えたが、沙良の中では決して迷ってなどいなかった。進学校に行きたくなかったのだ。親の期待も、教師の圧力も、友人たちの「普通」にも、どこか冷めた目で見ていた。

そんなある日、下校途中、ふと林の縁に咲く花に目が留まった。淡い紫、白いフリルのような花びら。誰も手入れしていないはずなのに、そこだけ美しく光っているように見えた。

しゃがみ込んで、その花を見つめる。

「…こんなところで、誰にも見られず咲くなんて、バカみたい。」

でも心のどこかで、共感していた。光を求めず、陰で静かに、それでも確かに咲いている花。その生命力に、彼女は自分の姿を重ねた。

翌日も、またその次の日も、沙良はその場所へ通った。シャガの花は一日でしぼんでしまうが、次から次へと新しい花が開いていた。

「どうして、そんなにしぶといの?」

風に揺れるシャガは、答えない。ただ、そこに咲く。それが、彼らの“生き方”なのだ。

後日、花の名前を図書室で調べ、「シャガ」と知った沙良は、その花に「反抗」という花言葉があることを見つけた。

「反抗…?」

予想外の言葉に、最初は戸惑った。しかし、考えれば考えるほど、それは彼女の胸にしっくりと収まった。

誰にも認められなくてもいい。誰かの道をなぞらなくても、私は私として、ここに咲いている。

そう思えた瞬間、進路希望の紙に、彼女は静かに鉛筆を走らせた。行きたいと思っていた、芸術系の高校の名前。

教師に言えば、また「そんな不安定な道」と言われるだろう。親も反対するかもしれない。

でも、それでいい。シャガのように、自分の場所で、自分の形で咲いていけばいい。

裏山の花は、今日も静かに咲いている。沙良もまた、小さな「反抗」を胸に抱いて、自分の歩みを始めようとしていた。

世界エイズ孤児デー

5月7日は世界エイズ孤児デーです

5月7日は世界エイズ孤児デー

2002年、アメリカはニューヨークにて開催された国連子ども特別総会でこの日が記念日として制定されました。英語は「World AIDS Orphans Day」。この記念日は、エイズ孤児問題への意識を高めることを目的としています。そしてエイズ孤児とは、片親あるいは両親をエイズによって失った孤児、HIV感染、あるいはAIDS患者の孤児の両方の孤児を意味します。

エイズ孤児

エイズ孤児

日本での孤児の意味は、両親を失った子どもを一般的に示し、感覚としては「遺児」と置き換えた方が理解しやすいようです。また、エイズ孤児の全てがHIV陽性であるように思われるかもしれません。しかし、母子感染などにより親から感染している可能性はありますが、必ずしも感染しているとは限りらないそうです。

世界中の孤児は何人か?

HIV

国連合同エイズ計画(UNAIDS)によれば、エイズ孤児は全世界に1,220万人入るといわれています。その内の多くが、サハラ砂漠の以南のアフリカ地域で、PLASが活動するケニアはウガンダのエイズ孤児の数は推定、各国50万人以上になるそうです。

エイズ孤児の問題は?

差別や偏見

エイズ孤児は、感染による健康上の問題と、他の大きな問題である偏見や差別が最も重大な問題となります。本人が感染していなくても、親がエイズで亡くなったことが理由で差別され、引き取り手を失うなど、たくさんの孤児が精神的な不安を抱えています。また他にも、子どもの学校中退という根深い問題もあります。

片親になるケースが増加

エイズ治療薬の普及

エイズ治療薬の普及で、両親より片親を失うケースの割合が増加していますが、その時もまた、稼ぎを失い貧困から、学校に通い続けることが困難になり、仕方なく学校を中退する羽目になるという事です。例えば、ウガンダで小学校教育は原則無償化ですが、実際のところ制服代や進級テスト代を家庭が負担しなければなりません。このお陰で、学校を中退する子供は2人に1人とも伝えられています。その果てには、学習機会を逸失したまま大人となり、このまま貧困の連鎖が始まります。

分かち合う心が世界を救う

世界へのネット配信

世界中には、まだまだ知らないことが山ほどあります。それらを我々は、一つでも多くこの不幸な状況を知り、そして分かち合い、今は誰もが可能になった世界へのネット配信によって声を挙げ、それらを解決に繋げることができるでしょう。援助も重要ですが、人種差別偏見ののない平等な教育を周りの人々が声を挙げて無くして行くことも大切なのだと私は思います。


「世界エイズ孤児デー」に関するツイート集

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5月5日の誕生花「アザミ」

「アザミ」

RalphによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名:Cirsium japonicum
  • 分類:キク科アザミ属
  • 原産地:世界各地(日本にも自生種多数あり)
  • 開花時期:夏から秋(ノアザミでは4月~10月)
  • 花色:紫、赤紫、ピンク、まれに白
  • 草丈:30cm〜1.5m程度

アザミについて

特徴

  • トゲ:葉や茎に鋭いトゲがあり、動物から身を守る役割を果たしています。
  • 花の形:丸い球状の花を咲かせ、花弁の先が細く分かれた独特の姿です。
  • 繁殖力:地下茎や種子で増えるため、野山で群生して見られることも。
  • 自生環境:山地、草原、河原、道端など、日当たりのよい場所を好む。

花言葉:「権威」

Uschi DugulinによるPixabayからの画像

アザミの花言葉はいくつかありますが、その中でも「権威(けんい)」は印象的なもののひとつです。この花言葉の背景には、以下のような理由があります:

  • トゲのある見た目:アザミは近寄りがたい印象を与えるトゲを持ち、他を寄せつけない厳格さや威厳を感じさせます。
  • スコットランドの国花:スコットランドではアザミが国家の象徴となっており、歴史的には防衛や誇りのシンボルとされました。伝説では、アザミのトゲにより侵入者が気づかれて撃退されたことから、国を守った花として称えられたと言われています。
  • 気高さと威厳:外敵を退けるその姿勢が「支配者の力」「守護の強さ」と重なり、「権威」という言葉に結びついたとされています。

他にも、アザミの花言葉には「独立」「報復」「触れないで」などがあり、その強さや防御的な性質を反映しています。


「薊の国の姫」

RonileによるPixabayからの画像

遥か昔、霧深い山々に囲まれた小さな国があった。国の名は「スカディア」。豊かな自然に恵まれ、争いとは無縁の平和な国だったが、その平穏は突如破られた。

 ある晩、スカディアの北の砦に立つ兵士が、山道をひそかに進む敵兵の姿を目撃した。国王の元に急報が届けられ、城内は混乱に包まれた。だが王はひるまず、静かに娘の名を呼んだ。

「リヴィア、そなたの出番だ」

 姫リヴィアは若く、美しく、何よりも強かった。王族の娘でありながら剣を取り、民と国土を守ることを誓っていたのだ。だが彼女の真の武器は、剣ではなく「薊の花」だった。

 リヴィアは代々王家に伝わる、アザミの加護を受けた戦装束を身にまとう。肩や裾に鋭いトゲのような装飾をあしらったその衣は、触れる者を拒み、見た者に威厳と畏怖を与えた。アザミの精霊に祈りを捧げたときから、彼女には不思議な力が宿った。彼女のまとう気配は敵を遠ざけ、その眼差しひとつで場が静まり返る。

 「戦わずして勝つ、それが本当の“権威”だと、父はおっしゃった」

 敵軍はついにスカディアの平原に姿を現す。しかし奇妙なことに、誰ひとり武器を振るわなかった。先頭に立つリヴィアの姿を見たとき、敵将の手が震えたのだ。彼女の背後に咲く無数のアザミの花、まるで国を護る刃のごとく立ち並んでいた。風が吹くたびに、鋭利な葉が音を立てる。

 「これが…アザミの姫か…」

 かつてこの地を攻めようとして退いた軍の伝説を、敵将は思い出した。「あの花のトゲに足を傷つけ、叫び声をあげた兵がいた。その声で奇襲は露見し、我らは敗れた」と。

 姫は静かに馬を進め、ただ一言、告げた。

「ここを退けば、血は流れぬ。アザミのトゲは、侵す者にのみ牙をむく」

 その声には剣よりも重い響きがあった。敵軍は沈黙し、やがて全軍が撤退した。

 スカディアは再び平和を取り戻した。

 リヴィアはその後も剣を持つことなく、国の象徴として民に寄り添い続けた。彼女の姿を見て、人々はアザミの花に込められた意味を悟る。強さとは、力を振るうことではない。威厳とは、恐れられることではなく、敬われることであると。

 今もスカディアの城門には、一輪のアザミが咲いている。それは、かつて一度も血を流さずに国を守った姫の、気高さと“権威”の証なのだ。

コロッケの日

5月6日はコロッケの日です

5月6日はコロッケの日

5月6日は、各種冷凍食品の製造と販売を手がけ、全国の量販店やコンビニなど、外食産業の流通、日本一のコロッケメーカーを目指す株式会社「味のちぬや」がこの日をコロッケの日として制定しています。この日付は、庶民に親しまれてきたコロッケを春のGWなどの行楽シーズンに家族でたくさん食べて貰おうとの願いで、「コ→5 ロ→6 ッケ」という語呂合わせからこの日に決定されました。

コロッケのルーツ

コロッケの色々

コロッケは、元々フランス料理の前菜の一つ「クロケット」だといわれています。そして「じゃがいも」は、安土桃山時代にオランダ人よって長崎に伝えられたそうです。当時の日本人は、甘い「さつまいも」が好みだったようで、実際はあまり普及はしなかったとのこと。

西洋料理の普及で食の意識が変わる!?

コロッケのルーツ

明治維新になると、様々な西洋料理の情報が入って来ると同時に、フランス料理の主に前菜として「コロッケ」のルーツである「クロケット」が、登場します。実際ヨーロッパ各地には、この「コロッケ」のようなメニューがたくさんあり、スペインの「クロケタス」やポルトガルの「干しだらのコロッケ」、日本並みに庶民の味として「コロッケ」が普及しているオランダ、そして「ライスコロッケ」が有名なイタリアなど、そのどれもが起源とされるものがたくさん存在しています。

フランス料理のクロケット

コロッケ料理

一説として有力なのが、フランス料理のクロケット(ホワイトソースベースのクリームコロッケ)が日本人の好み味であり、これを「じゃがいも」のコロッケに作り変えたのがそのルーツだともいわれています。

コロッケは昔ながらのファストフード

コロッケファストフード

実際はフランス料理の「クロケット」であるとのことですが、コロッケそのものを作ったのは、大阪の肉屋さんが初でじゃがいもの「コロッケ」が売り出されたのが最初であるといわれています。また他の説では、銀座の資生堂パーラーで料理として提供されたのが初めてという説あるようです。いずれにせよ、我々は子供の頃から肉屋さんやスーパーの惣菜コーナーで親に買ってもらい、帰りに熱々の「コロッケ」や「メンチカツ」を食べていた、昔ながらの想い出深いファストフードであることは間違いないです。


「コロッケの日」に関するツイート集

2025年の投稿

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