アンネの日記の日

6月12日はアンネの日記の日です

6月12日はアンネの日記の日

1942年6月12日、ユダヤ系ドイツ人少女のアンネ・フランクが「アンネの日記」を書き始めました。アンネの家族は、1933年にナチスが政権を取るとナチ体制の迫害に逃れようと、一家でオランダ、アムステルダムに移住しました。この「アンネの日記」は、1942年6月にアンネが13歳の誕生日にお父さんから日記をプレゼントされたところから始まります。日記は、1942年6月12日~1944年8月1日までの約2年間が記録されているそうです。

「アンネ・フランク」とナチス政権

アンネ、ドイツのフランクフルトで生まれ

アンネ・フランクは、1929年6月12日にドイツのフランクフルトで生まれました。そのアンネには3歳上の勉強熱心で聡明な姉のマルゴットがいました。この時期のドイツは、世界恐慌などの影響で景気が悪化し、人々は貧しい生活をしていたそうです。またその頃アドルフ・ヒトラーは、その勢力を伸ばして支配地域をどんどん伸ばしていました。ヒトラーは、ユダヤ人を憎んでいて、ドイツが抱える不況問題の責任をユダヤ人に濡れ衣を着せていたといいます。そしてヒトラーは当時、ドイツに広まっていた反ユダヤ感情を利用したといわれています。

ナチス・ドイツのオランダ侵攻

ナチス・ドイツのオランダ侵攻

1939年9月1日、アンネが10歳の時にナチス軍がポーランドへ侵攻、第2次世界大戦が始まります。その後、1940年5月10日にナチス軍はオランダにも侵攻し、その5日後には降伏しています。その後ドイツ軍は徐々にユダヤ人の生活がしにくくなる法律や条例を導入していったそうです。これらの規則で、アンネの行動範囲が規制されていきます。また、ユダヤ人が会社を持つことも禁止されてアンネの父も会社を失い、アンネを始め、ユダヤ人の子供達は全て学校に行かなければならなくなりました。

一家でオランダ、アムステルダムに移住

アンネ・フランクの家

ナチスのユダヤ人迫害は更に進み、ユダヤ人は「ユダヤの星」(「ダビデの星」あるいは「ユダヤの星」と呼ばれ、古代ギリシャ時代よりユダヤ教のシンボル)を着けることが義務付けられます。そして、「ユダヤ人はオランダから出て行かなければいけない」という噂が流れます。1942年7月5日にマルゴット(アンネの姉)にナチス・ドイツの労働キャンプへの召集令状が届きました。しかし、両親はこの召集が労働のためと信じず、翌日から隠れることにして  隠れ家(アムステルダム市プリンセン運河263番地にあったオットーの会社の後ろ)に移動し、潜伏することになります。  

アンネ、日記を書く

日記を書くアンネ

アンネは、隠れ家へ移動する前に13歳の誕生日を迎えた時、プレゼントの日記帳をもらい、隠れ家で生活した2年の間、アンネは隠れ家での出来事やアンネが感じたことなどを日記に書き留めていました。また、それだけではなく小説などを書き始めたり、自分が読んだ本から抜き出した一節を書き、そのことが、アンネ自身の大きな慰めとなったのでした。

その後、アンネは日記の清書を書き始めましたが、その作業が終了する前の1944年8月4日、アンネと隠れ家の住人は警察に発見されて逮捕されています。アンネは、最終的の送られたベルゲン・ベルセン収容所で、食料はほとんど与えられず、環境も劣悪であるがためにアンネもマルゴットも発疹チフスにかかって、1945年2月に亡くなります。

この「アンネの日記」は、反ユダヤ感情とドイツの不景気から作られた一人の少女書き綴った悲劇の記録となります。

戦争は不寛容がきっかけに

アンネ・フランク1929~1945

人は、生まれ持った性格や育った環境によって、それぞれ思想やこだわりが生まれます。しかし、そのこだわりが宗教の違いや人種差別などにより、さらに波及して派閥ができ、対立が始まります。すると、相手に対して不寛容になって、自分の領域に入ると攻撃してしまい、そこから争いが始まります。

今や世界中で、人類は全て平等だということをネットなどを利用して拡散しています。しかし、それが当たり前の世の中へと変えるためには、まず全ての人に寛容さを持つためにどう働きかけたら良いかを考えることから始めないと先へは進まないでしょうね!人類の永遠の課題です。


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6月10日の誕生花「ラナンキュラス」

「ラナンキュラス」

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基本情報

  • 学名Ranunculus asiaticus
  • 和名:ハナキンポウゲ(花金鳳花)
  • 科名:キンポウゲ科
  • 属名:キンポウゲ属(ラナンキュラス属)
  • 原産地:中近東からヨーロッパ南東部
  • 開花時期:主に春(3月~5月)
  • 草丈:20〜50cm程度
  • 花色:赤、ピンク、白、黄、オレンジ、紫など豊富

ラナンキュラスについて

AlexaによるPixabayからの画像

特徴

  • 花びらの多さ:ラナンキュラスは、何枚もの花びらが重なり合うロゼット状の花が特徴で、まるで紙細工やバラのような繊細さがあります。
  • 色彩の豊かさ:カラーバリエーションが非常に豊富で、鮮やかで目を引く色が多いため、切り花やブーケとして人気があります。
  • 耐寒性:寒さにある程度強いですが、霜に弱いため冬場の管理は必要です。
  • 球根植物:球根から育ち、毎年植え替えることで美しい花を咲かせます。

花言葉:「晴れやかな魅力」

CouleurによるPixabayからの画像

ラナンキュラスの花言葉にはいくつかありますが、「晴れやかな魅力」は特にその美しい見た目と多彩な色彩から生まれた言葉です。

  • 晴れやかな印象:光を受けると花びらがキラキラと輝くように見えることから、明るくポジティブな印象を与えるため。
  • 重なる花びらの華やかさ:まるでドレスのように幾重にも重なる花びらが見る人の心を引きつけ、「魅力的」と感じさせることに由来。
  • 多彩な美しさ:見る人によって様々な色や形を楽しめるため、「多様な魅力=晴れやかな魅力」と表現されるようになりました。

「ラナンキュラスの咲く日」

BrunoによるPixabayからの画像

春が来るたびに、彼女のことを思い出す。
駅から10分ほどの、丘のふもとにある花屋「ル・ソレイユ」。看板に描かれていたのは、ピンクとオレンジのラナンキュラスだった。初めてその店を訪れたのは、大学を卒業した年の春だった。

就職で上京し、慣れない日々に心がささくれていたある日。ふと足を止めた花屋の前で、彼女と出会った。

「ラナンキュラス、好きなんですか?」

そう声をかけてきたのが、店主の娘・美咲さんだった。
彼女は手に持った水差しで花に水をやりながら、ふんわりと微笑んだ。まるでその笑顔自体が春の光を宿しているようで、何も答えられなかった僕は、ただ黙ってうなずいた。

「この花、光を浴びるとキラキラするんですよ。だから、花言葉は『晴れやかな魅力』って言うんです。」

それから、僕は週に一度、その花屋に立ち寄るようになった。ラナンキュラスは、見るたびに違う色を見せてくれた。深紅、レモンイエロー、ピーチピンク。どれも同じ花とは思えないほど、印象が違っていた。

「多彩なのに調和してるって、素敵ですよね」と美咲さんは言った。

PetraによるPixabayからの画像

彼女の言葉には、どこか魔法のような響きがあった。
心が疲れた日も、うまくいかない仕事の後も、彼女の一言で不思議と気持ちが軽くなった。

春が過ぎ、夏が来ても、僕は店に通い続けた。ラナンキュラスの時期が終わっても、彼女との会話が、僕の生活の中で一番の楽しみだった。だが、その時間は長くは続かなかった。

「来春、花屋閉めるんです。父が引退するので。」

美咲さんは、そう告げた。
次の春には、もう彼女に会えなくなる――その事実が、胸に重くのしかかった。

年が明けて、春が近づくと、僕はある決意をして彼女に会いに行った。手にラナンキュラスの小さなブーケを持って。

「美咲さん、来年の春も、あなたの笑顔が見たいです。」

花言葉の「晴れやかな魅力」は、彼女そのものだった。
どんな日にも、彼女は誰かの心をあたためていた。たくさんの色をもって、光を受けて、魅力を放っていた。

彼女は少し驚いたように目を見開いたあと、いつものように微笑んだ。
「じゃあ…来年も、ラナンキュラスを一緒に見ましょう。」

その瞬間、春の光がふたりを包み込んだ。
彼女の手の中のラナンキュラスが、まばゆく輝いていた。

梅酒の日

6月11日は梅酒の日です

6月11日は梅酒の日

6月の「入梅」(暦の上で梅雨が始まる日)の時期から全国的に梅の摘み取りが始まります。そこで、梅酒づくりのシーズンに入るとともに、高品質の梅酒を美味しい状態で多くの人に飲んでもらえるよう、2004年にチョーヤ梅酒が、6月11日を記念日として制定しました。そしてこの頃から猛暑に入るため、梅酒を飲んで夏を元気に乗り切ってもらいたいという想いが込められています。ちなみに、6月1日は「梅肉エキスの日」、6月6日は「梅の日」、7月30日は「梅干の日」となっている。

梅雨の由来

梅雨

梅雨(つゆ)は、ご存じの通り春から夏にかけて雨や曇りの日が多くなり、日本列島を南から北上する前線が停滞する季節現象のことです。そして、漢字で「梅の雨」と書くのは、この時期に梅の実が熟すことからといわれています。ちなみに「梅雨」は黴雨(ばいう)とも書きますが、これは梅雨の時期は湿気が高く、ジメジメとしていて黴(カビ)が生えやすいためだといわれます。

また、「梅雨」をつゆと読むのは、雨の「露(つゆ)」に由来するとのことです。さらには、「栗の花が落ちる頃に梅雨入りする」、という言葉から「栗花落」(ついり)と書くことがあります。

「梅酒」と「本格梅酒」

本格梅酒

2010年前後、梅酒人気が高まって酒屋などの棚には梅酒がずらりと並びました。梅酒の生産量は2002年の2000万リットルから、2011年になると最終的には3900万リットルと2倍ほど伸びたといわれています。しかし、梅酒の生産量の増加に対し、原料となる青梅(熟す前の梅)の需要は伸びなかったそうです。実際に、この時期の梅酒用青梅の出荷が5900トン⇒6400トン、プラス約8%にしか増えていないということです。

その要因というのは、酸味料や香料、着色料を加えてつくった梅酒が多かったからだそうです。そこで、梅・糖類・酒類だけでつくった梅酒の区分表記について国に要望を出していたところ、日本洋酒酒造組合が2015年に「本格梅酒の基準」を設け、それ以外を「梅酒」という区別するようになったということです。

梅酒の効能は?

梅酒の効能は?

梅酒はいくつか薬用酒に使われるほど、我々にとって嬉しい効能があります。そんな梅酒が持つ健康効果や栄養価について簡単に紹介します。

疲労回復

疲労回復

梅干し1粒に1gほど含まれるクエン酸は、体内でエネルギーを作り出し、疲労の元の「乳酸」を分解して疲労回復を促します。さらに、ミネラルの吸収を助けて新陳代謝も促します。

免疫機能の維持

免疫機能の維持

梅酒に含まれるビタミンB6は、免疫機能を維持、皮膚の抵抗力を高め、ヘモグロビンの合成を行い、脂質の代謝にも関わってきます。また、ビタミンB6が不足すると、皮膚炎や口内炎のリスクがあります。

肝臓と胃腸の活性化

梅酒は、肝臓と胃腸の活性化する!?

梅酒に含まれているピクリン酸は、クエン酸と同様、有機酸の一種で、肝臓と胃腸の働きを良くする効果が期待できるといわれています。また、二日酔いや乗り物酔いなどに効くといわれ、便通の改善も期待できるそうです。

飲みすぎたら同じ

梅酒は適度に

実は、他にも「ビタミンB2」は皮膚や髪、爪などの再生。「カリウム」は、塩分を調整する働きがあるとのことです。しかしどの食材や飲み物も同じですが、摂りすぎると薬効果や大切な栄養が毒に変化します。また、飲む量がいくら適量であっても、塩分や糖分の多いおつまみを食べすぎると同じことなので、常に栄養のバランスを考え、せっかく高品質の梅酒を毒にしまいないように注意しましょう!


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6月9日の誕生花「アスター」

「アスター」

Annette MeyerによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名:Callistephus chinensis
  • 分類:キク科 / シオン属(アスター属)
  • 原産地:主に北アメリカ、ヨーロッパ、アジア
  • 開花時期:6月上~7月下旬(秋まき) 7月中~9月中旬(春まき)
  • 草丈:30cm〜150cm(品種による)
  • 別名:エゾギク(蝦夷菊)、クジャクアスター、ミケルマスデイジー(欧米での呼称)

アスターについて

PetraによるPixabayからの画像

特徴

  • 星のような形:「アスター(Aster)」はギリシャ語で「星(aster)」を意味し、その名の通り、花の形が放射状に広がり星を思わせる。
  • 多彩な色:紫、ピンク、白、青、赤などバリエーション豊か。
  • 丈夫で育てやすい:日当たりと水はけの良い場所でよく育つ。
  • 秋の庭を彩る存在:他の花が少なくなる秋に咲くため、季節の移ろいを感じさせてくれる。

花言葉:「追憶」

Manfred RichterによるPixabayからの画像

アスターの花言葉にはいくつかありますが、その中でも有名なのが 「追憶(ついおく)」。この由来にはいくつかの説があります:

1. 秋に咲くことと関係

アスターは秋に咲く花であり、夏の終わりや過ぎ去った季節を思い出させる存在です。そのため、過ぎ去った日々への想い=「追憶」という意味が込められました。

2. 墓地に植えられることが多かった

ヨーロッパではアスターが墓地に植えられることが多く、亡き人を偲ぶ花としてのイメージが強まりました。この背景から、「追憶」「懐かしい思い出」「亡き人への想い」という花言葉が生まれたとされます。

3. 古代ギリシャの伝承

ギリシャ神話では、神々が地上に星をこぼしたとき、その星からアスターの花が生まれたという伝説があります。天に帰った星=思い出という象徴的な連想が、「追憶」という言葉と結びついたとも言われています。


「追憶のアスター」

PetraによるPixabayからの画像

秋の夕暮れ、風が静かに田舎の丘をなでていた。薄紫のアスターが揺れる丘の上に、一人の青年が佇んでいる。名を涼介という。彼がこの丘を訪れるのは、毎年この季節、決まってアスターが咲く頃だった。

 丘の中腹には、小さな白い木製の十字架が立っている。誰の墓なのか、墓標に名前はない。ただ、その前に毎年新しいアスターが供えられていた。

 「今年も来たよ、沙耶。」

 涼介はポケットから一輪のアスターを取り出し、墓標の前にそっと置いた。その花は、沙耶が生前もっとも好きだった色、淡い藤色だった。

 彼女と初めて出会ったのは、高校最後の秋だった。転校してきた沙耶は、どこか儚げな雰囲気を纏っていて、それがかえって涼介の目を引いた。話すうちに、沙耶が病気を抱えていること、長くはこの町にいられないことを知った。

 それでも二人は、放課後になるとこの丘に通い、アスターの咲く中で未来の話をした。

 「私は星が好き。星ってね、遠いけど、ずっとそこにある。たとえ見えなくなっても、心の中に残るの。アスターも、そんな花なんだって。」

 沙耶はそう言って微笑んだ。その言葉が、涼介の心に深く刻まれた。

Annette MeyerによるPixabayからの画像

 しかし、冬が訪れる前に沙耶は姿を消した。誰も何も教えてくれなかった。ただ、彼女の机の上に一通の手紙が置いてあり、「ありがとう。この秋は、宝物です。」とだけ書かれていた。

 それから十年、涼介は毎年、彼女との記憶を辿るようにこの丘を訪れた。そして気づいたのだ。アスターの花言葉が「追憶」であることを。

 調べていくうちに、アスターが秋に咲く花であること、ヨーロッパでは墓地に植えられ、亡き人を偲ぶ象徴だったこと、そしてギリシャ神話では星の化身とされたことを知った。

 「沙耶、君はほんとうにこの花に似てるよ。」

 涼介はつぶやく。空を見上げると、夕焼けの中に一番星が淡く輝きはじめていた。彼女が言っていた「遠くても、ずっとそこにある星」。あの言葉は、今も彼の心の中で光を放っている。

 風がまた丘を吹き抜ける。アスターの花々が揺れ、その香りが微かに漂う。

 涼介は立ち上がり、もう一度星空を見上げた。

 「また来年も、ここで会おう。」

 そして彼は、静かに歩き出した。追憶の花が揺れる丘に、ひとつの記憶がそっと重なっていく――。

時の記念日

6月10日は時の記念日です

6月10日は時の記念日

天智天皇が671年4月25日、「漏刻」と鐘鼓により初めて時を知らせたといわれている奈良時代に成立した日本最古の歴史書『日本書紀』の記事にもとづいて、その当時の日付を太陽暦に換算して今日のこの日を記念日として定められました。ちなみに、「漏刻」とは水時計のことであり、容器に水が流入したり、流出できるようにして、その水面の高さの変化で時刻を計る日本初の時計装置です。

記念日ができた最初の年

記念日が制定された最初の年?

記念日が制定された最初の年は、1920年でした。大正中期の時代背景から想像できるように、衣食住をはじめ社会生活の近代化推進という移り変わりの激しい時代で、特に当時は「時間厳守」で、時間割による行動規律や時間節約による効率性の向上が近代生活の基本にしてそれぞれ行動されていたそうです。

その中でこの年の1月、博文の養子の「伊藤博邦」を会長にして、渋沢栄一らをはじめとした政官界の有力なメンバーを役員にした文部省の外郭団体「生活改善同盟会」(財団法人)が組織されました。そして、その活動として生活改善運動を先導して展開することになったといわれています。

「生活改善同盟会」

時間厳守

「生活改善同盟会」は、その実行目標の第1項に「時間厳守」らしき言葉が記され、文部省もそれに共鳴して時間尊重の教育的意義を重視していました。そして、同盟会と文部省との共同開催により、その年の5月16日から7月4日まで東京お茶の水の東京教育博物館(今の湯島聖堂であった文部省直轄の博物館)で「時の展覧会」を行い、古時計や暦など、天文関係資料、時間節約や作業能率化の各種資料等を出展紹介しています。

また、天智天皇の故事ゆかりの6月10日を前後する時期に会期が設定されたとも考えられていました。その日を迎えると、東京天文台長の河合章二郎は記念行事を提唱し、「漏刻祭」(水時計にちなんだ祭り)を行うと共に時の大切さを宣伝し、そしてその時に「時の記念日」の名称が決定したそうです。

何事もプラスになる時間を過ごそう!

何事もプラスになる時間を過ごそう!

時間は、原子の周波数に基づき、世界の全ての人々に平等に与えられています。その中で我々人間だけは、環境破壊や無意味な殺戮を繰り返し、自分自身で住みやすい地球の寿命を短くしています。我々は、大宇宙の中で生かされていることに感謝して与えられた時間を無駄にせず、何事もプラスになるような行動を起こし、恒久的な世界平和と住みよい地球にする。そのことをネットなど、あらゆる手段を用いて世界中の人たちに訴えかけていきたいです。


「時の記念日」に関するツイート集

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6月8日の誕生花「タイサンボク」

「タイサンボク」

HankによるPixabayからの画像

基本情報

  • 和名:タイサンボク(泰山木)
  • 学名Magnolia grandiflora
  • 英名:Southern magnolia
  • 科名/属名:モクレン科/モクレン属
  • 原産地:北アメリカ南部(アメリカ合衆国南部)
  • 分類:常緑高木
  • 開花時期:6月~7月(地域によって差あり)

タイサンボクについて

Briam CuteによるPixabayからの画像

特徴

  • 樹高:10〜20メートルを超えることもあり、大木になる。
  • :革のように厚く光沢があり、裏は茶褐色の毛で覆われている。
    • 非常に大きく、直径20〜30cmほど。
    • 白く芳香があり、モクレン科の中でも特に美しいとされる。
    • 1つの花は短命(2〜3日)だが、次々と咲く。
  • 用途
    • 公園や庭園のシンボルツリー、街路樹として植えられる。
    • 花の美しさや香りが評価され、観賞用として人気。

花言葉:「前途洋洋」

花言葉:「前途洋洋(ぜんとようよう)」
 意味は「未来が明るく、希望に満ちていること」。

由来

  • タイサンボクは大きく育つ堂々とした木で、長寿かつ力強い印象があります。
  • 巨大で清らかな白い花を空に向かって咲かせる様子が、希望にあふれた未来や前向きな成長を象徴します。
  • 「洋洋」は「水が広く流れる様」「前方に広がる」という意味を持ち、タイサンボクの堂々たる姿や生命力と重ねられたと考えられています。

「白い花の約束」

HankによるPixabayからの画像

1
 六月の終わり、蒸し暑い風が校庭を抜ける午後。
 卒業式を終えたばかりの制服姿の少女、夏海(なつみ)は、校庭の隅にそびえる一本の大木の下に立っていた。

 その木はタイサンボクと呼ばれ、白い花を空に向かって誇らしげに咲かせていた。まるで祝福の鐘のように、静かに、しかし確かな存在感を放っていた。

「きれい……」

 思わずつぶやくと、横から声がした。

「タイサンボクって言うんだよ。花言葉は、たしか『前途洋洋』だったかな」

 声の主は、同じクラスの男子、遥人(はると)だった。勉強も運動も普通だけれど、なぜか目を引く、不思議な落ち着きを持つ少年だ。

「……前途洋洋?」

「うん。未来が明るくて、希望に満ちてるって意味」

 遥人は空を見上げ、白い花をじっと見つめた。その瞳に何かを重ねるように。

「大きな花なのに、すぐに散っちゃうんだ。でも、またすぐ次の花が咲く。タイサンボクって、そんな木なんだよ」

 その言葉が、夏海の心に静かに染みていく。

2
 夏海の家は古い旅館を営んでいたが、数年前に母を亡くしてから経営が傾き、今は廃業の危機にある。
 父は黙々と働くが、口数は減り、家の中はいつも重苦しかった。

 進路をどうするか、夏海はずっと悩んでいた。東京の大学に行く夢もあったが、家のことを考えると、地元に残るべきではないかと、迷い続けていた。

 そんな中での卒業式、そして遥人の言葉。

 「また次の花が咲く」
 その言葉が、まるで未来の約束のように思えた。

3
 それから数日後、夏海はもう一度タイサンボクの木の下を訪れた。風に揺れる葉と、すでにいくつかの花は散り、代わりに蕾がいくつも枝についていた。

「ねえ、夏海」

 また遥人が現れた。少し照れくさそうに立つ彼は、封筒を差し出す。

「これ、手紙。大学、受けることにしたって聞いて、応援したくて」

 夏海は驚いた。誰にも言っていないつもりだったのに。

「……なんで知ってるの?」

「タイサンボクが教えてくれたんだよ。君が前を向いたこと」

 冗談のように笑う遥人の目は、真っ直ぐだった。

 夏海は封筒を受け取り、そっと胸に当てた。

4
 そして一年後。
 東京の大学のキャンパスで、夏海は満開の白い花に再会した。
 校庭の片隅に植えられたタイサンボクが、都会の空に向かって堂々と咲いていた。

 その下で彼女は、ノートを広げ、手紙を書いていた。

 「遥人へ」
 「私は今、自分の道を歩いています。前途洋洋。あなたの言葉が、私の一歩を照らしました。ありがとう。今度は、あなたの花が咲く番です」

ロックの日

6月9日は錠のロックの日です

6月9日は錠のロックの日

錠に関わる「ロックの日」は、防犯対策の要である錠の取り扱い業者の団体、日本ロックセキュリティ協同組合(JL)が、2001年のこの日を「ロックの日」として制定しました。また、この日付は「錠」を英語で「ロック(Lock)」であることで「ロ⇒6 ック⇒9」という語呂合わせから6月9日に決定ました。ちなみに、日本記念日協会(一般社団法人)に認定・登録されている、この日の正式名称は「我が家のカギを見直すロックの日」となっています。

「我が家のカギを見直すロックの日」

6月9日はロックの日 オフィスやマンションの防犯対策は!?

日本ロックセキュリティ協同組合では、「我が家のカギを見直すロックの日」を定め、一般の家庭生活での「カギの見直し」と防犯意識の啓発を目的として活動しています。そして、国民全体の「防犯意識の向上」、「カギや合いカギ」の各種防犯機器の正しい情報の提供を行っているようです。  また、2006年から毎年6月9日の当日に全国の都道府県主要都市にて、地元警察や防犯協会のスタッフと協力し合いながら、全国でのイベントで国民に防犯の重要性を伝えています。  

カギの修理や交換時は注意!

マンションの防犯対策は!?

カギを紛失した時、どうしようもなく焦ったことはありませんか?その時の心理的な弱みにつけ込み、防犯強化を謳ったカギ交換業者によって、高額の請求されるケースが未だに少なくないそうです。そんな時は落ち着いて、これから依頼する業者が適正価格であるか、他の業者と相見積し、比較して適当だと判断した上でカギの補修や交換を頼みましょう。

音楽の「ロックの日」

ロックミュージックの日

2006年に楽器業界初、電子楽器や音響機材のフリーマガジンとして「DiGiRECO(デジレコ)」を発行している株式会社ミュージックネットワークがこの日を記念日として制定しました。この日付は、音楽の「ロック(Rock)」から「ロ⇒6 ック⇒9」という語呂合わせからこの日に決定し、別名「ロックデー」とも呼ばれています。

ロックミュージック

アメリカ・ロックミュージック

ロックは、音楽のジャンルの一つであり、1950年代のアメリカで演奏されていた黒人音楽「ロックン・ロール」、「ブルース」と、白人音楽の「カントリー・ミュージック」などが進化して誕生したものです。「ロック」は、各時代の若者たちの心をつかみ、現在のような「ロキノン系」「メタル系」「ラウド系」「シティポップ系」「オルタナ系」形へと細かくジャンルを分けて存在しています。元々アメリカで誕生したロック・ミュージックは、イギリスに渡って様々なスタイルのバンドやアーティストが生まれました。そして、世界に広がり、それぞれ国の特徴を持ったロックのスタイル出来上がります。それらは、アメリカン・ロックやブリティッシュ・ロックと呼ばれています。

ライフスタイルもロック

自由なライフスタイルを表現するロック

今や「ロック」は音楽だけでなく、自由なライフスタイルを表現する存在にもなっているワードになっているような気がします。決められたルールが間違っていると信じるのであれば、誰が指摘しようと自分の意思を貫き通す。まさに「ロック」な世界です。「しがらみ」「人種」「宗教」「性別」などにこだわらず、お互いの気持ちを、音楽を通じて共用する!


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6月7日の誕生花「黄色のバラ」

「黄色のバラ」

Iris HamelmannによるPixabayからの画像

基本情報

  • 和名:黄色いバラ
  • 英名:Yellow Rose
  • 学名Rosa spp.(品種によって異なる)
  • 科名/属名:バラ科/バラ属
  • 原産地:アジア(中国など)を中心に世界中に品種あり
  • 開花時期:春~秋(四季咲き品種も多い)

黄色のバラについて

特徴

  • 花の色:鮮やかな黄色からレモン色、黄橙色までバリエーションがある
  • 香り:品種によって異なり、微香から甘い香りまで幅広い
  • 樹形:木立性・つる性などさまざまな形がある
  • 利用法:庭植え、鉢植え、切り花、フラワーアレンジメントなど

黄色いバラは、明るく陽気な印象を与えるため、祝いや感謝の気持ちを表すギフトによく使われます。


花言葉:「献身」

黄色いバラの花言葉は複数あり、その中の一つが「献身(Devotion)」です。

🌟「献身」の由来と背景

  • 色の象徴性:黄色は、太陽や光、希望、友情、温かさを連想させる色です。
  • 花の性質:バラは世話を必要とする花で、育てる人の愛情や手間=「献身的な思い」がこもることから、この花言葉が与えられました。
  • 対人関係の意味:黄色いバラは友情や親しみを表すことが多いですが、「一途に相手を思う気持ち」「陰で支える愛情」を表現する場面で「献身」という花言葉が使われることがあります。

なお、国や文化によって黄色いバラの印象が異なることもあり、時には「嫉妬」「薄れゆく愛」などの意味も持つことがありますが、近年では「ポジティブな黄色」として好意的に捉えられる傾向が強くなっています。


「黄のひかり、あなたに届くまで」

 毎朝七時、駅前の花屋「ルナ・ブロッサム」は静かにシャッターを上げる。開店準備をする店主の麻子(あさこ)は、棚の一番目立つ場所に黄色いバラを飾るのが習慣だった。朝の陽に透けた花弁は、まるで誰かの気持ちを受け止めるようにやわらかく開いていた。

 それは、かつて彼女が誰かに捧げた思いの象徴でもあった。

 十年前、麻子は病院に勤める看護師だった。夜勤明けのまどろみのなか、ある患者のベッド脇にいつも黄色いバラが一輪、無造作に置かれていることに気づいた。送り主は、患者の夫。重い病に伏した妻のそばに毎日花を添え、何ひとつ見返りを求めることなく、静かに帰っていった。

 「どうして毎日、黄色のバラなんですか?」
 ある日、思いきって尋ねたとき、彼は恥ずかしそうに笑った。

 「うちの妻がね、黄色を見ると『明日もがんばろうって思える』って言うんです。バラは世話がいるだろ。俺も妻に手をかけ続けたいって思ってね」

 その言葉は麻子の心に深く残った。愛とは、派手さや言葉ではなく、静かな「献身」に宿るのだと、その時初めて知った。

 それから数年後、麻子は看護師を辞め、花屋を開いた。理由は誰にも語らなかった。ただ、開店の日に彼女が最初に仕入れたのは、やはり黄色いバラだった。

 ある雨の日、制服姿の女子高生が傘もささずに店先に立っていた。ぐしょ濡れのまま、花を見つめている。

 「黄色いバラって、どうしてこの色なんですか?」
 不意に問われ、麻子はその少女にティッシュと毛布を差し出しながら言った。

 「太陽みたいな色でしょう? 光、希望、あたたかさ……そんな気持ちを込めて、人はこの花を贈るのよ」

 少女は小さく頷いた。
 「献身、って花言葉があるって聞きました」
 「ええ。相手のために尽くす気持ち。その人のそばにいたいと願う、静かな強さのことよ」

 少女は一輪の黄色いバラを買った。
 「お母さんに、明日手術なんです。伝えたかったんです。私、がんばるからって」

 その背中を見送った麻子は、かつて病院で見たあの男性の姿を思い出していた。

 夜になって店を閉めるとき、麻子は黄色いバラをもう一輪だけ、ガラスケースの中にそっと置いた。誰かの心を照らすように。

 それは、誰かを思うすべての人に贈る「献身」の灯だった。

成層圏発見の日

6月8日は成層圏発見の日です

6月8日は成層圏発見の日

1902年6月8日、フランスの気象学者であるフランス政府の機関の国立気象管理センター所長を務めたレオン・ティスラン・ド・ボール氏(1855~1913)が、気球を使用した観測により、地表付近の対流圏とは違う大気の層が上空に存在することを発見しています。

成層圏の疑問

人類が生活している空気の層

私たち人類が生活している空気の層は、地上から10kmくらいまでの対流圏とよばれるものです。そしてその成層圏は、それよりもっと上の地上から10km~50km間という分厚い空気の層です。先ほどの対流圏は、雲や雨が降ったりしますが、成層圏は雲もなくいつも晴れている状態だといわれています。また成層圏の特徴は、下部はでは温度が低く、高度が上昇すると温度も高くなるそうです。

成層圏の温度

成層圏の下部にあたる高度約11~20km付近

成層圏の下部にあたる高度約11~20km付近は、-56℃前後でほぼ一定ですが、その高度から上部へいくにつれ、温度が上昇して最上部付近では-3℃程度になるといわれています。しかし、成層圏より下の対流圏や成層圏の上部の中間圏は、上に上がるにつれて温度が下がります。なぜ成層圏は逆なのかですが、これは成層圏にある「オゾン」と呼ばれる気体が、紫外線のエネルギーを吸収しているためだといわれているそうです。

成層圏と「オゾン」

成層圏

成層圏は、「オゾン」という物質が存在し、特に高度約20~25km付近に多くのオゾンが集中しています。この物質は、太陽から発する有害な紫外線を吸収してくれています。そのおかげで、地球上に生存する我々人間などの生物が生きていくことができています。

成層圏の天気は?

成層圏の天気

成層圏の天気は、常に晴れた状態であって基本的に雲の発生や雨などの気象現象は成層圏の下の対流圏で起きることだそうです。そのメカニズムは簡単で、地表から上がった水蒸気は対流圏で止まって雲となり、その発達した雲は雨や雪になって地表に降り、雲を形成する水蒸気が成層圏まで到達しないため気象現象が存在しないのです。しかしまれに、「真珠母雲(極成層圏雲)」という、成層圏特有の雲が発生することはあるそうです。

成層圏は空気が薄い!?

成層圏は空気が薄い

ジェット機などの旅客機は通常、対流圏と成層圏の境にあたる高度約10km付近を飛んでいます。しかしなぜ、さらに高度を上げて空気抵抗が少なく、気象の影響も少ない成層圏を旅客機は飛ばないのでしょう。実は、成層圏は空気がかなり薄くなっているためです。ジェットエンジンを噴射させるのために十分な空気が不足しているからだそうです。

空を眺めて

旅客機や戦闘機など高度

成層圏を最初に発見した人は、かなり驚いたでしょうね!時々、空を眺めてた時に、空を飛んでいる旅客機や戦闘機など高度を5倍にした高さの層がまだその上に存在しているなんて、想像もつかないでしょう。しかし、その先に宇宙があり、そのはるか先に月や火星があります。そして、その宇宙から見ればそんな大気の厚さなど地球を覆う薄っぺらい層でしかないのです。そう考えると、「我々人間って生き物は、どんだけちっぽけな存在なんだろう・・・」って思ってしまいます。


「成層圏発見の日」に関するツイート集

2025年の投稿

2024年の投稿

2023年以前の投稿

6月6日の誕生花「アストランティア」

「アストランティア」

Annette MeyerによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名Astrantia major(代表種)
  • 科名:セリ科(Apiaceae)
  • 属名:アストランティア属(Astrantia)
  • 原産地:ヨーロッパ中〜南部
  • 開花時期:5月中旬~7月中旬(秋にも咲くことがある)
  • 花色:白、ピンク、赤、グリーン系など
  • 草丈:30〜70cm程度
  • 耐寒性:強い(寒冷地にも向く)
  • 耐暑性:やや弱い(夏の高温多湿に注意)

アストランティアについて

Annette MeyerによるPixabayからの画像

特徴

  • 星型の花のように見える、繊細で個性的な見た目が特徴。
  • 実際の花は中心の小さな花群で、花びらに見える部分は「総苞片(そうほうへん)」と呼ばれる葉の変形。
  • 切り花やドライフラワーにも人気で、ブーケやフラワーアレンジメントによく使われる。
  • 半日陰でも育つため、ナチュラルガーデンや山野草風の庭に適している。

花言葉:「星に願いを」

Roland SteinmannによるPixabayからの画像

アストランティアの花言葉のひとつに「星に願いを(Wish upon a star)」があります。これは以下のような理由に由来しています:

  • アストランティアの花は、放射状に広がる細かい総苞片が星のような形をしていることから、「星」を連想させます。
  • その幻想的で繊細な姿が夜空に浮かぶ星のようにロマンチックで、見る人に夢や希望、願いを思い起こさせることから、「星に願いを」という詩的な花言葉が生まれました。
  • 「星に願いを」は英語で “Wish upon a star” とも表現され、希望・祈り・未来への憧れを象徴します。

「星に願いを、花に想いを」

ZenAgaによるPixabayからの画像

小さな村のはずれに、「星花園(せいかえん)」と呼ばれる庭園があった。手入れされた草花の中に、一際目を引く花が咲いていた。淡いピンクの花弁――けれどそれは正確には「花びら」ではなく、放射状に広がる総苞片。アストランティア。星のようなその花は、夜空とよく似ていた。

この庭園をひとりで守っているのは、70歳になる女性・澄子(すみこ)だった。

澄子はもう何年もここで暮らしている。かつては夫と共にこの庭園を作ったが、彼は十年前に病でこの世を去った。以来、彼女はひとりで星花園を守り続けてきた。

「この花はね、『星に願いを』っていう花言葉があるのよ」

澄子は、村の子どもたちにそう語りながら、アストランティアの手入れをしていた。

「星に願いを、って……ほんとに願いが叶うの?」

小さな女の子が問いかける。

「ええ。叶うかどうかはわからないけれど、願いを込めることで心が少し軽くなるの。それだけでも素敵でしょう?」

少女は頷いたあと、小さな手でアストランティアに触れた。「わたし、お母さんの病気が治りますようにってお願いする」

澄子は微笑みながら、その手を優しく包んだ。「その気持ちが、きっとお母さんに届くわ」

夜。庭に一人佇む澄子は、空を見上げていた。

amar42によるPixabayからの画像

満天の星。その下で、アストランティアは静かに咲いている。風に揺れるその姿は、まるで夜空からこぼれ落ちた小さな星。

「あなた、今も見ているかしら」

澄子は、心の中で夫に話しかける。二人で星花園を始めた日のことを思い出していた。まだ若く、夢と希望だけで未来を描いていたあの頃。彼が好きだった花が、このアストランティアだった。

「星みたいだね」と、彼は言った。「いつか、ここを訪れる人が願いを込めて花を見上げられるような場所にしよう」

その願いは、きっともう叶っている。

翌朝。少女が再びやってきた。手には小さな折り紙の星。

「これ、花にあげるの。願いが届きますようにって」

澄子は涙ぐみながら微笑んだ。「ありがとう。この花も、きっと喜んでいるわ」

彼女はそっとアストランティアの根元に星を飾った。まるで、花が地上に咲いた星と星空の間をつなぐ橋のようだった。

数ヶ月後。少女の母の容体は奇跡的に回復した。医師さえも首をかしげる中、少女は言った。

「アストランティアのおかげかも!」

村では噂が広がり、星花園は少しずつ人々の憩いの場になっていった。願いを込めて訪れる者、花に話しかける者、ただ静かに星のような花を眺める者。

澄子はそのすべてを、静かに見守っていた。

夜空に咲いたようなアストランティア。その一輪一輪が、誰かの願いを抱いて揺れている。

そして澄子は、今日もそっと心の中で願う。

――どうか、あなたの夢が叶いますように。