母親大会記念日

6月7日は母親大会記念日です

6月7日は母親大会記念日

1955年のこの日、東京・豊島公会堂で第1回母親大会が開催された。前の年の1954年3月1日、アメリカがビキニ環礁で水爆実験を実施したことで、日本婦人団体連合会国際民主婦人連盟に原水爆禁止を提案しています。そして、世界母親大会がスイスで開催されることになりました。

「生命を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることを望みます」

日本母親大会

これに先ち、日本国内でも第1回日本母親大会が開催されています。この記念日では、「生命を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることを望みます」のスローガンを掲げて、「生命と暮らし」「子供と教育」「平和」「女性の地位向上」などに関する分科会や講演会等が開催される日でもあります。

日本母親大会

第52回日本母親大会

1954年3月1日にアメリカによるビキニ環礁の水爆実験を実施した際、「平塚らいてう 」らが国際民婦連や各国の団体に向けて「原水爆禁止のための訴え」を送った事から始まったといわれています。母親は、「平和」や子供を守る活動を原点にし、これまでのように女性が黙って耐え忍ぶ「母親」ではなくて、 子供の権利保障を担うことを意味します。その為には、女性が自立して人権を保障されることを願っている「母親」運動が日本母親大会ということなのだそうです。

3度目の核による悲劇

水爆実験から60年

1954年の3月1日、ビキニ環礁でアメリカ軍の水爆実験が実施され、それに巻き込まれた第五福竜丸をはじめとする数百隻の漁船乗組員が被ばくしました。ビキニ環礁は、日本から南東に約3700km離れた、太平洋上のマーシャル諸島の一部です。アメリカ軍は、1946年から1956年まで核実験場として利用していて、その回数23もの核実験が行われたそうです。

1954年に実施された水素爆弾の実験では、米軍が水素爆弾の威力を最大で8メガトン(TNT爆薬800万トン分)と見積もっていて、これに対応できる範囲の立ち入り禁止区域を設定したそうです。しかし、実際の威力が15メガトンにも及び、その禁止区域外で操業していた第五福竜丸の船員や近隣の島の住民など、たくさんの人々が被爆しています。

「死の灰」を浴びた第五福竜丸の船員

ビキニ事件の真実

放射性物質を含んだ「死の灰」を浴びた第五福竜丸の船員は、歯茎からの出血や火傷、さらには脱毛など急性放射線症に苦しめられたそうです。また、無線長の久保山愛吉氏は、「原水爆の犠牲者は、自分たちで最後にしてほしい」というような言葉を残して、その半年後にこの世を去ったといわれています。この事件は、まだ占領から幾年も経ていない日本でしたが、アメリカに対して反核運動が盛り上がりました。しかし、アメリカ政府がこの事件の責任を認めず、謝罪はしませんでした。

「母親が変われば社会が変わる」

母親が変われば社会が変わる

「原水爆から子どもを守ろう」と世界母親大会の開催から、第1回日本母親大会、そして日本各地の炭鉱や農村から1円募金などで送り出された2000人の母親が集まっています。それ以降から現在まで、毎年この大会を開きつづけ、『母親が変われば社会が変わる』と母親の願いの実現のため、根気強くこの運動も続けられているそうです。

一昔前の偏見や考え方が変わりつつある、現在の状況であれば、身分や立場も関係なく誰でも、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると言える世の中になっているからこそ、この願いが叶う日がすぐ目の前に来ていると信じます。


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6月5日、9月10日、23日の誕生花「ダリア」

「ダリア」

黄色いダリア
RalphによるPixabayからの画像

基本情報

  • 和名:ダリア
  • 学名Dahlia
  • 科名/属名:キク科/ダリア属
  • 原産地:メキシコ・グアテマラ
  • 開花時期:6月中旬~11月(真夏は咲きにくく、9月中旬~10月が多い
  • 花の色:赤、ピンク、白、黄色、オレンジ、紫、複色など
  • 花の大きさ:数cmのミニサイズから、30cm以上の巨大輪まで多様

ダリアについて

Stephanie AlbertによるPixabayからの画像

特徴

  • 非常に多くの園芸品種があり、形・色・大きさが豊富。
  • 花びらの形もバリエーションがあり、一重咲き、八重咲き、ボール咲き、カクタス咲きなどがある。
  • 夏から秋にかけて長期間咲くため、庭植えや切り花に人気。
  • 多年草だが、寒さに弱く、日本では球根を掘り上げて越冬させるのが一般的。
  • 名前の由来は、スウェーデンの植物学者「アンドレアス・ダール(Anders Dahl)」にちなむ。

花言葉:「華麗」

ピンクのダリア
RalphによるPixabayからの画像

ダリアの花言葉のひとつに「華麗(かれい)」があります。

この由来は、以下のようなダリアの外見と存在感にちなんでいます:

  • 色鮮やかで大胆な花色
  • 大輪で豪華な花姿
  • 種類が非常に豊富で、まるでドレスのような咲き方
  • 圧倒的な存在感を放つことから、「華やかさ」や「豪奢さ」を象徴する花とされる

特に、19世紀ヨーロッパで「貴族の花」として珍重され、「庭園の女王」と称されたことも、花言葉「華麗」の背景となっています。


他にも、ダリアには以下のような花言葉もあります:

  • 「優雅」
  • 「移り気」
  • 「気まぐれ」

「華麗なる庭園の記憶」

白いダリア
RalphによるPixabayからの画像

19世紀末、ヨーロッパの片隅に「ダリアの館」と呼ばれる屋敷があった。屋敷を囲む広大な庭園には、色とりどりのダリアが咲き乱れ、夏の終わりから秋にかけて、まるで生きた絵画のような景色を描き出していた。

その庭園の主人は、アメリアという若き令嬢だった。彼女はまだ十九歳ながら、まるでダリアの花そのもののように華やかで、美しく、そして気高かった。町の人々は彼女を「庭園の女王」と呼び、誰もがその存在に一目を置いた。

黄色いダリア
💚🌺💚Nowaja💚🌺💚によるPixabayからの画像

アメリアは毎朝、ひとりで庭園を歩く。深紅のダリアに立ち止まり、「まるで燃えるような情熱ね」と微笑み、柔らかなピンクには「今日は優しさが似合う日かしら」と語りかける。彼女にとって、ダリアたちは親しい友であり、自身の心を映す鏡でもあった。

ある日、旅の画家ルカが館を訪れた。噂に聞いた「ダリアの庭園」を描きたいと願い出たのだ。アメリアは快く彼を迎え入れ、庭園で好きなだけスケッチをすることを許した。

Stephanie AlbertによるPixabayからの画像

ルカは驚いた。それはただの花畑ではなかった。燃えるような赤、太陽のような黄、月夜を想わせる白、深い紫。そこには、自然の枠を超えた、ひとつの「芸術」があった。そして何よりも、その美しさの中心に立つアメリアこそが、最も華麗な存在だった。

日が経つにつれ、ルカのキャンバスにはただ花を写すだけではない、ひとつの物語が刻まれていった。アメリアの瞳に映る想い、風にそよぐドレスの裾、そして何よりも、彼女の纏う「華」のようなオーラ。

「ダリアという花には、不思議な魔法がある」とルカはある夜、ぽつりと言った。「派手で気まぐれに見えて、実はとても繊細だ。花言葉は『華麗』だと聞いたけれど、まさに君そのものだ」

アメリアは少し目を伏せ、そして笑った。

Stephanie AlbertによるPixabayからの画像

「ダリアは、私の心なの。日によって色も形も変わる。それでもいつも、華やかでありたいと願っているの」

その秋、ルカは一枚の大作を完成させた。タイトルは『華麗』。庭園の中央で風にたなびくアメリアと、周囲を彩る百のダリア。見る者すべてが息を呑むような、まさに「貴族の花」と「庭園の女王」の記憶だった。

それから数十年が過ぎた今も、その絵は小さな美術館に飾られている。そして人々はこう語るのだ。

「この絵はただの花の絵ではない。華麗さとは何か――それを教えてくれる、ひとつの魂の物語だ」と。

ロールケーキの日

6月6日はロールケーキの日です

6月6日はロールケーキの日
ロールケーキの日

6月6日の「ロールケーキの日」は、福岡県北九州市小倉で町おこしをしている「小倉ロールケーキ研究会」の働きがけにより、日本記念日協会に認定された記念日です。また、この日付の由来は、ロールケーキの「ロ⇒6」と、ロールケーキの断面が「6」の字に見えるということからだそうです。

北九州市小倉のロールケーキ

桜ロール

北九州市の小倉は、古くからロールケーキが愛されてきた伝統があり、名店も数多く存在しています。実行委員会では、「ロールケーキの食べ比べ」、「新しい味の開発」などの活動を行っています。また、毎年この時期になると「ロールケーキフェスタ」を開催し、その会場では色々なロールケーキの食べ比べが可能な「ロールケーキカフェ」、市民が様々なアイデアロールケーキを公開している「創作ロールケーキコンテスト」が実施されています。

小倉ロールケーキ研究会

「長崎街道」(九州で唯一の脇街道)は「シュガーロード」とも呼ばれていて、「長崎のカステラ」や「小城の羊かん」など、昔から残っているお菓子が多く販売されていることで有名な街道です。その長崎街道の起点でもある小倉に「小倉名物のお菓子」といえるものを作りたいという思いから、この「小倉ロールケーキ研究会」が発足されましたといわれています。

そして、小倉ロールケーキ研究会の活動内容はシンプルで、ロールケーキの食べ比べ会やロールケーキ列車の運行などの楽しいイベントを開催するなど、ロールケーキを通して、街の活性化に一役買っています。さらに毎年6月初旬では、小倉ロールケーキ研究会が小倉で開催されるイベントの一つで、小倉の街にあるバラエティー豊かなロールケーキを堪能することが可能です。

長崎街道

長崎街道

元和元年(1615年)、江戸時代の徳川幕府で武家諸法度によって義務付けられた大名参勤交代が交通整備が本格化すると、まず五街道が造られてその脇街道として「山陽道」や「長崎街道」などの十街道が次々と開通していきました。また、江戸中心の街道を地域の主要な地点を結び、いわゆる街道の大動脈として使用される道として全国に宿駅を整備しています。その中で、豊前小倉と長崎を結ぶ長崎街道は、「九州で唯一の脇街道」といわれていました。

筑前六宿

長崎街道紀行

その長崎街道は、距離が57里(約228キロメートル)あり、そしてこの街道に25ヶ所の宿場がありました。このうち大変な賑わいを見せた、「福岡藩内の黒崎・木屋瀬(現在の八幡西区内)」、「飯塚・内野(飯塚市内)」、「山家・原田(筑紫野市内)」の宿は、それぞれ筑前六宿と呼ばれていました。

鎖国体制、唯一の文化交流ルート

長崎街道筑前六宿開通400年記念事業

長崎街道は、鎖国だった日本の街道の中で、外国との文化交流や通商の窓口であった長崎から、西洋文化や新しい技術などの情報を伝達できる唯一の道として、重要な役割を果たしていたそうです。また、長崎奉行やオランダ商館長が江戸往来、そして九州西半の大名が参勤交代のために利用した他に、多くの学者などや幕府の献上品として「白象やクジャク」、「さとうきび」などの異国の動物や物産を運ぶ際に利用した街道だったようです。

手巻きロールケーキの日

ロールケーキ、イチゴクリーム

ちなみに、毎月6日は「手巻きロールケーキの日」であり、チルドデザートを製造や販売をしている株式会社モンテールが制定しました。そしてこの日付は、やはり「手巻きロールケーキ」の断面が数字の「6」に見えることから、毎月6日を記念日としたそうです。こちらの目的は「手巻きロールケーキ」の美味しさをより多くの人に知ってもらうことだそうです。

その他にも9月9日「秋のロールケーキの日」、11月6日「アリンコのいいロールケーキの日」、毎月22日「ローソンのロールケーキの日」、毎月11日「ロールちゃんの日」などロールケーキの記念日がたくさんあります。確かにロールケーキが嫌いな人っていないと思うので、いくつあっても問題ないですが、できたらそれぞれもっと独創的な名称にするのもインパクトがあって良い記念日になると思うのですがいかがでしょうか!


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6月4日の誕生花「ニッコウキスゲ」

「ニッコウキスゲ」

基本情報

  • 和名:ニッコウキスゲ(日光黄菅)
  • 学名Hemerocallis dumortieri var. esculenta
  • 分類:ユリ科 ワスレグサ属(キスゲ属)
  • 原産地:北海道、本州(中部地方以北)、サハリン
  • 開花時期:7~8月(地域により異なる)
  • 花の色:鮮やかな黄色〜橙色
  • 生育地:高原、湿原、山地の草原など
  • 別名:ゼンテイカ(禅庭花)

ニッコウキスゲについて

特徴

  • 一日花:花は一日でしぼんでしまいますが、株には複数のつぼみがつくため、群生地では長期間花が咲き続けるように見えます。
  • 高さ:草丈は50~80cmほどで、茎がまっすぐに立ち上がります。
  • 葉の形:細長くススキのような葉をもち、草原に風に揺れる姿が美しいとされています。
  • 群生美:特に日光の霧降高原や尾瀬などの群生地は有名で、初夏の風物詩となっています。

花言葉:「心安らぐ人」

ニッコウキスゲの花言葉にはいくつかありますが、代表的なもののひとつが 「心安らぐ人」 です。

この花言葉の由来には以下のような背景があります:

  1. 一面の黄色い花畑が心を癒す風景
     高原に咲き誇るニッコウキスゲの群生は、見る人の心を穏やかにし、安心感を与えるような光景とされています。その静かな美しさが「心の安らぎ」と結びつきました。
  2. 一日花の儚さと優しさ
     一日しか咲かない花ながら、次々に咲いて風景を彩り続ける姿が、控えめながらもそっと寄り添ってくれるような「優しさ」「癒しの存在」として象徴されています。
  3. 「禅庭花」という別名
     「ゼンテイカ(禅庭花)」という名からもわかるように、仏教的・精神的な静寂さや心の平穏を感じさせる花でもあります。

📝 補足

  • 観賞用に庭や公園に植えられることもありますが、自然環境の保護が重要であり、特に群生地では採取禁止が徹底されています。
  • 「キスゲ」は他にも「ユウスゲ」などがあり、混同されることもありますが、ニッコウキスゲは昼間に咲くのが特徴です。

「一日だけの約束」

霧がまだ残る早朝、陽菜(ひな)はゆっくりと霧降高原の木道を歩いていた。足元には朝露をまとったニッコウキスゲが一面に咲いている。その鮮やかな黄色は、目を細めたくなるほどまぶしく、けれどどこか、懐かしい光を放っていた。

 「今日も、咲いてるね」

 つぶやいた声に応える人はいない。それでも陽菜は、となりに誰かがいるかのように歩く。風が花を揺らし、木道の脇に広がる草原から、ほんのりと甘い香りがした。

 ちょうど一年前の今日、ここで別れを告げた人がいた。秋人(あきと)――長年の友人であり、恋人であり、どこか「家族」に近い存在だった。闘病の末、彼は「元気になったら、また来ようね」と言っていたこの場所に、二人で最後に訪れた。

 「ニッコウキスゲってね、一日だけしか咲かないんだよ。でも、群れて咲くから長く咲いてるように見えるんだって。なんか、いいよな。ひとつひとつは短くても、ちゃんとつながっててさ」

 そのときの彼の声が、今も風に溶け込むように聞こえる気がする。

 陽菜は腰を下ろして、鞄から小さな瓶を取り出す。中には、去年ここで秋人が摘んでくれた一輪の押し花。色はすっかり抜けていたが、かすかに残る香りに彼の気配を感じた。

 「秋人、あなたが言ったこと、今なら少しわかるよ。一日しか咲かないからこそ、その花の命は美しくて、優しいんだよね」

 あの日の約束は、もう果たされることはない。けれど、こうして彼とともに過ごした場所に立てば、心のどこかで再会できるような気がした。

 花言葉は「心安らぐ人」。まさに彼のことだと思う。そばにいると、何も言わなくても安心できて、ただその存在だけで気持ちがほぐれていった。短い命の中で、彼は精一杯、陽菜の心に寄り添い続けてくれた。

 空を見上げると、薄い雲の向こうから朝日が差し込み、黄色い花々がいっそう鮮やかに輝く。風に揺れる花の中に、一輪、特別にまっすぐ伸びた花があった。

 「また来年も、来ようね。ひとりじゃないよ。ちゃんと、あなたを連れてくるから」

 陽菜はそっと立ち上がり、押し花の瓶を胸に抱えながら歩き出す。風が背中を押し、草原の奥からまた新しい一日が始まる音が聞こえた。

 ニッコウキスゲの花は、今日も咲いている。

ろうごの日

6月5日はろうごの日です

6月5日はろうごの日

2008年、高齢者福祉の質を向上し、健全な事業の発展を図る活動を展開している神戸市老人福祉施設連盟(一般社団法人)がこの日を記念日として制定しています。そしてこの日付は、「ろう⇒6 ご⇒5」という語呂合わせからです。

また今後は、超高齢社会の中で高齢者や若者が何を考え、何を行うべきかについて双方で議論し合い、共に支え合って、社会の発展に向かうために行動を起こす日となっています。この記念日のキャッチコピーは「高齢者の元気は、若者の元気、社会の元気」です。

老後に向けての準備

年金生活は、収入が極端に下がる

現在の日本の一般的な会社員は、定年になると大半が年金生活となり、収入が極端に下がります。現代人は、生活水準を下げることが苦手な生き物であり、その水準を少しでも下げないように事前にお金を貯蓄しておくことが必要になってきます。しかしながら、老後の資金を考える時に自分は何歳まで生きれるかが予測ができないため、どれくらい蓄えたら良いかが分かりません。

普通は、平均寿命を参考にすれば良いと考えますが、それよりも適切な指標で「平均余命」といわれるものがあります。「平均余命」とは、ある特定年齢の人がその後に平均して何年生きるのかを表す指標で、ある年の厚生労働省の資料では、60歳の平均余命は男性が約24年で84歳、それに対して女性が約29年で89歳という結果が出ているようです。

老後資金は最低でも3000万円が必要!?

老後資金

老後の資金は、一般的には最低でも3000万円が必要といわれています。総務省の家計調査報告によれば、高齢者で無職世帯(夫が65歳以上、妻が60歳以上の夫婦を対象にした世帯)の公的年金は、1ヵ月19万円となっています。家計調査によると、1月の支出は27万円なので、最低限必要な金額からだと月々8万円不足するということです。8万円×12ヶ月で96万円という金額に。

老後が20年とみて、1920万円。25年では、2400万円なので、自動車購入やリフォームなどをプラスすると、年金収入と生活に必要な支出分の不足を埋めるために3000万円という資金が必要となります。

今から資産運用

今から資産運用

老後の年金を上げてもらうことはまず無理なので、若いうちから貯金をすることは大事です。しかし、40代から50代に以上になると、年金生活をあてにしてさほど貯金が無いという方が多いのではないでしょうか?そこで最後の手段として、今からできる唯一の方法の資産運用が残っています。資産運用とは、自身が所持しているお金で資金を増やしていくことですが、資産運用にあたっては「リターン」と「リスク」についてある程度勉強して、慎重に行う必要があります。

金融と経済の関係を勉強しながら、最初は外貨預金などの「ローリスク・ローリターン」そして、投信信託や株式などの「ミドルリスク・ミドルリターン」。ある程度相場が読めるようになれば、先物取引やFX、仮想通貨などにトライします。また、税金対策も重要なカギとなり、NISAなどを利用するという方法もあります。それらの知識を身につけるのは、今からでも決して遅くはないと私は思います。


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6月3日の誕生花「アジサイ」

「アジサイ」

Janet ReddickによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名Hydrangea macrophylla
  • 和名:アジサイ(紫陽花)
  • 科名 / 属名:アジサイ科 / アジサイ属(ハイドランジア属)
  • 原産地:日本(中国や韓国にも自生)
  • 開花時期:6月~9月上旬
  • 花色:青、紫、ピンク、白など(※土壌のpHによって変化)

アジサイについて

CouleurによるPixabayからの画像

特徴

  • 色が変わる花
    アジサイの最大の特徴は「土壌の酸性度に応じて花の色が変化する」ことです。
    • 酸性土:青系の花色
    • 中性〜アルカリ性土:赤やピンク系の花色
  • 花のように見えるのは「がく」
    一般に花だと思われている部分は、実は「装飾花」と呼ばれる「がく」で、真の花はその中央の小さな部分。
  • 長く咲き続ける
    開花期間が長く、梅雨の雨に濡れてもなお美しく咲き続ける姿が印象的。
  • 品種の多さ
    日本原産で、世界中に多くの園芸品種があります。ガクアジサイ、西洋アジサイ、アナベルなど種類も豊富。

花言葉:「辛抱強さ」

YvonneによるPixabayからの画像

「辛抱強さ」という花言葉は、以下のようなアジサイの性質や見た目に由来しています。

  1. 梅雨の雨に耐えながら咲く姿
    • アジサイは湿気が多く雨の続く時期にも色鮮やかに咲き続けます。
    • 長雨や風にもめげずに咲いている様子が「耐える姿」「辛抱する姿」と重なることから。
  2. 花の色が変化しつつも美しく咲くこと
    • 土壌の変化に適応しながら色を変えて咲き続ける様子が、「柔軟に対応しつつ、変わらず咲き続ける強さ」を象徴しています。
  3. 日本の風土と深い結びつき
    • 昔から日本の梅雨時に咲く花として親しまれており、その姿に「耐え忍ぶ」美徳を見出したとも言われています。

「紫陽花坂の約束」

Gabriele LässerによるPixabayからの画像

坂の途中に、一本のアジサイが咲いている。
毎年、梅雨になると、青や紫、時には赤みがかった色を見せて、人々の目を楽しませてくれるその花は、「紫陽花坂」と呼ばれるこの場所の象徴になっていた。

あの坂には、由紀子と祖母の記憶が染み込んでいる。

小学校低学年の頃、雨の日も風の日も、祖母は由紀子の手を引いて、毎朝あの坂を一緒に登った。小さな長靴でぬかるみに足をとられ、泣きそうになった日もある。だが、祖母はいつもこう言った。

「見てごらん、あのアジサイ。どんな雨でも、ちゃんと咲いてる。咲くのをやめないんだよ。あれは“辛抱強い”ってことなんだ」

意味はよくわからなかったが、アジサイを見上げると、確かに強く、堂々と咲いていた。

それから十年以上が過ぎた。
祖母は数年前に亡くなり、由紀子も高校を卒業して、今は東京の大学に通っている。

梅雨の帰省。久しぶりに実家へ戻ると、あの坂道が目に入った。
見慣れたはずの坂道だが、ふと、足が止まる。
青、紫、淡いピンクが混ざるように咲くアジサイは、昔と変わらない。でも、何かが違って見えた。

KIM HOJINによるPixabayからの画像

スマホを取り出し、何気なく写真を撮ると、祖母の声が頭の奥で蘇った。

「咲くのをやめないんだよ」

祖母の晩年、病室で弱々しい声になっても、「もう少しだけ頑張ってみるわ」と笑った姿が忘れられない。
病気に苦しみながらも、誰よりも人を気遣い、咲き続けようとする強さがあった。

そうだ。
アジサイはただ美しいだけじゃない。
雨の中でも咲く花だからこそ、「辛抱強さ」という花言葉が似合う。
移り変わる空模様に合わせて、自分の色を変えながらも、決して根を張ることをやめない。
祖母も、あの花のように、時に泣き、時に笑いながら、咲き続けていたのだ。

mismalによるPixabayからの画像

次の日、由紀子は小さなアジサイの苗を買ってきた。
祖母が育てていた庭の片隅にそっと植える。
雨がやみ、雲の切れ間から差す光が、葉に落ちる水滴を照らした。

「ばあちゃん、私もあの坂のアジサイみたいに、咲き続けるね」

その言葉は、空に向かって放った祈りのようだった。
紫陽花坂のアジサイは、今年も変わらず咲いている。
辛抱強く、しなやかに、雨に打たれながらも。

侵略による罪のない幼児犠牲者の国際デー

6月4日は侵略による罪のない幼児犠牲者の国際デーです

侵略による罪のない幼児犠牲者の国際デー

8月19日は、「侵略による罪のない幼児犠牲者の国際デー」です。この日が記念日とされたのは、1982年にパレスチナ問題に関する「国連緊急特別総会」にて、イスラエルの侵略行為によるパレスチナ・レバノンに住む罪のない多数の幼児が犠牲者となったことを悼んだ事がきっかけとされています。またその一番の目的は、「肉体的」または「精神的」かつ「感情的」な虐待の犠牲者となる世界中の子供たちが経験した苦痛を認識することだとされています。そして、子供たちの権利を守るために国連の義務を再認識する日でもあります。

ユダヤ人がイスラエルを建国

ユダヤ人とアラブ人が争い続ける理由とは

イスラエルとパレスチナの問題は、世界の紛争の中でもで最も解決が難しいといわれていて、70年以上からずっと対立が続いています。イスラエルとパレスチナは、古くから「アラブ系パレスチナ人」と「ユダヤ人」が暮らしていました。しかし、1948年5月にユダヤ人がイスラエルを建国してから大きな問題に発展しました。

ユダヤ人は本来、国家を持たず世界各地に離散していましたが、第2次世界大戦中の「ホロコースト」(ナチス政権とその協力者による約600万人のユダヤ人の組織的、官僚的、国家的な迫害および殺戮)などの悲劇を経て、多くの人々が落着きを求め、それぞれ自身の祖先の土地だとする現在のイスラエルに移り住んだといわれています。

イスラエルとパレスチナの問題

イスラエルとパレスチナの問題(全編)

イスラエルの建国は、国連の「パレスチナ分割決議」に基づいた、この地にユダヤ人とアラブ人の国家を創るというものでしたが、このことが今も続く長い対立の歴史のきっかけになったといわれています。その経緯は、このイスラエル建国に対し、エジプトやヨルダンなどのアラブ諸国は、アラブ人が人口の過半数を占めていることを無視した不当な決議だとして激しく反発し、そこから最初に攻撃を仕掛けて第1次中東戦争が始まりました。その後、この戦争はイスラエルの勝利で終わり、70万人のパレスチナ人は土地を追われます。

終わりなき戦い

イスラエルとパレスチナの問題(後編)

その後もイスラエルとアラブ諸国の戦争が繰り返されます。しかしイスラエルは、周辺国を圧倒する軍事力を備え、多くの土地を戦争で占領していました。その中でも1967年の第3次中東戦争は、「ヨルダン川西岸」と「ガザ地区」、「東エルサレム」などを占領し、支配地域を4倍以上に広げています。国連は度々イスラエルに対し、占領した土地からの撤退を求める決議が採択されています。しかし、それらすべては実行に移されなかったそうです。

この間にパレスチナ人による「民衆蜂起」も起こり、1987年の「第1次インティファーダ」と2000年の「第2次インティファーダ」では、大勢の犠牲者を出しています。このように未だに空爆などが繰り返され、紛争が終わることなく、何の罪もない小さな子供たちまでもが犠牲になっているのが現状です。人種や宗教上の違いの壁は、同じ人間同士としてお互いに理解し合って平和解決できないものなのか!?

ロシアのウクライナ侵攻

2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まって90日以上たった今でも、壮絶な攻防戦が続いています。その中でも、最も残虐な行為と確認された大勢の民間人がロシア軍に虐殺されるというキーウ(キエフ)近郊ブチャの惨劇はあまりも有名です。こちらの戦いは、ロシア大統領のウクライナに対する強制的な「ロシア化」目指すためと思われますが、そのために何も知らない子供までもが犠牲になっています。このようなお互いに得のない戦争は二度と起こらないようにする方法はないかと、いつも考えさせられます。


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6月2日の誕生花「タイム」

「タイム」

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基本情報

  • 学名Thymus
  • 和名:タチジャコウソウ(立麝香草)
  • 科名/属名:シソ科/イブキジャコウソウ属(タイム属)
  • 原産地:地中海沿岸
  • 開花時期:4月~6月(初夏)
  • 草丈:10~30cm(品種により異なる)

タイムについて

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特徴

  • 花の色:淡い紫、ピンク、白など。
  • 花の形:小さな唇形花(しんけいか)で、房状に咲く。
  • 香り:爽やかでスパイシーな芳香。葉や茎にも香りがあり、ハーブとして重宝。
  • 生育環境:日当たりと水はけの良い場所を好み、乾燥に強い。
  • 用途
    • 料理:肉料理やスープの香りづけに。
    • 薬用:抗菌作用、消化促進、咳止めなど。
    • 観賞用:グランドカバーやロックガーデンにも適している。

花言葉:「勇気」

HansによるPixabayからの画像

花言葉「勇気」は、タイムの歴史的・象徴的な背景に由来しています。

古代ギリシャ・ローマでの意味

  • タイムは戦士の象徴でした。兵士たちは戦の前にタイムの香りを嗅いで勇気を奮い立たせたり、タイムを身に着けて戦場に赴いたとされています。
  • 「タイムの香りは勇者の香り」とも言われたほどで、勇気・強さ・行動力の象徴とされました。

中世ヨーロッパでは

  • 女性が戦地に赴く騎士にタイムの花を刺繍したスカーフを贈ることで、「無事に帰ってきて」という願いとともに勇気を讃える意味を込めたと伝えられています。

「スカーフに編まれた願い」

その小さな村は、山と海に囲まれ、風の通り道にひっそりと佇んでいた。季節は晩春、丘の斜面には紫のタイムが可憐な花を咲かせ、空気はほんのりと甘く、どこかスパイシーな香りを漂わせていた。

エリアナは朝早く起きると、村の外れの丘へ向かった。籠を腕にかけ、紫の絨毯のように広がるタイムの花を丁寧に摘んでいく。その手つきには祈りのような静けさがあった。タイムの花はただの薬草ではない。この花は、彼女にとって“希望”のしるしだった。

彼女の恋人である騎士リオネルは、王国の南端で続く戦へと向かったばかりだった。別れの日、彼はただ「戻ってくる」と言い、彼女の頬に触れて旅立っていった。その背中が見えなくなっても、エリアナは立ち尽くしていた。

夜な夜な彼女は、蝋燭の灯りのもとでスカーフを編み続けた。細かなタイムの模様を刺繍しながら、彼の無事と、戦場で必要な“勇気”を祈るように一針一針を重ねた。スカーフに縫い込まれたのは、ただの装飾ではない。古くから伝わる伝承――タイムは戦士の魂に勇気を与えるという言い伝えだった。

「タイムの香りは勇者の香り」。そう教えてくれたのは、彼女の祖母だった。祖母の時代にも、戦はあり、別れはあった。そして、祈りを込めた刺繍が、何人もの騎士の心を支えたという。エリアナは祖母の遺した刺繍帳を開き、同じ模様を繰り返した。

戦から数ヶ月が経ち、村には次第に報せが届き始めた。帰還の知らせ、そして――帰らぬ人の名。

エリアナは毎朝、タイムの花を摘む習慣を続けた。変わらぬ香りに、彼の面影を感じながら。それは、彼女の中で“待つ”ことから“信じる”ことへの移ろいだった。

ある夕暮れ、村の門を越えて一人の男が歩いてきた。鎧の表面には傷があり、歩みは重かったが、まっすぐに村を目指していた。その手には、薄紫色のスカーフが巻かれていた。

「エリアナ……戻ったよ」

彼女は何も言わず、ただ彼に駆け寄り、そっとスカーフに手を添えた。そこには、彼女の針が紡いだタイムの花が、今も鮮やかに息づいていた。

そして、タイムの香りはふたたび二人を包み込んだ。

それは“勇気”が咲かせた、再会の花だった。

雲仙普賢岳祈りの日

6月3日は雲仙普賢岳祈りの日です

6月3日は雲仙普賢岳祈りの日

1991年6月3日、長崎県島原半島の雲仙普賢岳が大火砕流が発生しました。当時、避難勧告地区内で警戒中の消防団員や警察官、取材中の報道関係者などが火砕流に巻き込まれて死者40人、行方不明3人という犠牲者を出しました。この事がきっかけになり、1998年に長崎県島原市が「いのりの日」を制定しています。以降、多くの犠牲者を出した大火砕流の発生時刻である午後4時8分にサイレンを鳴らし、黙祷を行っています。

雲仙・普賢岳の噴火

雲仙普賢岳が噴火

1990年11月17日、長崎県雲仙市の雲仙普賢岳が198年ぶりに噴火しました。その後は、頻繁に火砕流や土石流が発生し、島原市など多くの地域が被災しています。その犠牲者は、翌年の91年6月3日の大火砕流で死亡、行方不明となった地元消防団員や警察官、報道関係者ら43人を含み計44人です。そして、96年の終息宣言後の現在も、溶岩ドーム崩壊の恐れがあることから警戒区域を設定しています。

あの大火砕流から30年、溶岩ドーム崩壊を想定して避難訓練

大火砕流から30年、溶岩ドーム崩壊を想定して避難訓練

1991年の普賢岳大火砕流で43人が犠牲になってから、かれこれ30年となり、現在でも溶岩ドームの崩壊の危険性が高まっているといわれています。その溶岩ドームの崩壊を想定した防災訓練が、麓の島原市と南島原市で合同で行われました。この訓練では、両市民でおよそ2100人の住民や関係者が参加し、それぞれ「情報伝達」や「避難訓練」などが行われました。その中でも「避難訓練」は、地震による雲仙普賢岳の溶岩ドームの崩壊で危険性が高まったという想定で行われました。

保育園の園児も避難訓練

山頂には崩壊寸前の大きな溶岩ドームがある!?

島原市の保育園では、園児や職員40人ほどが避難ルートを歩き、避難所に指定されているおよそ1㎞先の島原中央高校に向かい、避難した園児の確認や保護者への引き渡しが行われました。現在は、雲仙普賢岳の火山活動は落ち着いています。しかし、山頂には崩壊寸前の大きな溶岩ドームがあるので、その危険性は今でも指摘されています。

今回、訓練に参加した園児の母親は「仕事中に溶岩ドームが崩壊して火砕流が発生したら、どう対処していいのか分からないので、避難場所に無事に子どもを届けてくれて、その時の避難対応が確認することができた」と話していました。島原市「安中地区自主防災会」の横田哲夫会長は今回、情報共有などの反省を述べていたとか。

火山の噴火や地震は予測ができない恐怖がある

避難訓練

現在日本では、ほぼ毎年といえるほど様々な自然災害に見舞われ、たくさんの人たちが被害に遭遇しています。台風や集中豪雨、大寒波などは、気象庁から予報によって最低限の命を守る早めの避難が可能です。しかし、火山の噴火や最近の「淡路大震災」、「東日本大震災」など地震は、直前のアラートでしか発生を知ることができないのが現状です。日本は火山列島であるため、これまでも桜島の噴火や阿蘇の噴火が頻繁に発生しています。

火山防災の一環として毎年避難訓練を行う

防災訓練、防災用のヘルメット

それゆえに、桜島など活発な火山の近くに住む方は、災害対策の一環として「雲仙普賢岳祈りの日」や「桜島の日」などのように災害記念日を制定して毎年、避難訓練を行う日を設けて、その時の状況での問題を解決し、速やかに避難できるようにしているようです。現在の科学では、避難訓練こそが、人々の命を守る最高の手段だと思います。


「雲仙普賢岳祈りの日」に関するツイート集

2025年の投稿

2024年の投稿

2023年以前の投稿

6月1日の誕生花「アスチルベ」

「アスチルベ」

基本情報

  • 学名Astilbe
  • 科名:ユキノシタ科(Saxifragaceae)
  • 原産地:東アジア(日本・中国など)、北アメリカ
  • 開花時期:5月~7月(初夏〜夏)
  • 草丈:20~80cm(品種により異なる)
  • 栽培環境:半日陰〜日陰を好む。湿り気のある土壌が適している。

アスチルベについて

特徴

  • ふんわりした花穂:小さな花が羽毛状に密集して咲き、ピンク・白・赤・紫など多彩な色があります。風に揺れる姿が涼やかで優雅です。
  • 耐陰性が高い:半日陰や日陰でも育ちやすく、シェードガーデンに最適。
  • 湿気を好む:乾燥には弱いため、水はけよりも「水もちのよさ」が重視されます。
  • 日本原産種あり:日本にも自生する種(チダケサシなど)があり、和風庭園にもよく合います。

花言葉:「恋の訪れ」

アスチルベの花言葉「恋の訪れ」は、ふんわりと繊細な花穂が、どこか恥じらいやときめきを思わせることに由来すると言われています。

  • 初夏にふわっと咲き出す様子が、恋が芽生える瞬間や、心がふるえるような新しい感情の始まりを連想させる。
  • 花穂がまるで心の奥でざわめく「淡い想い」を視覚化したようにも見えるため、「恋の予感」「恋の始まり」というイメージが重ねられた。

そのため、恋のプレゼントや告白シーンの花束にも使われることがあります。


「アスチルベの咲く頃に」

六月の風が、アスチルベの花穂を揺らしていた。薄紅色の小さな花がふわふわと集まって、まるで誰かの心の中でざわめく感情のように、そっと空気を揺らしている。

市立図書館の裏手にある小さな植物園。その奥の半日陰の一角に、その花は咲いていた。

「……咲いたんだね」

紗耶(さや)はアスチルベの前に立ち止まり、そっとしゃがみ込む。白と淡紅の花がちょうど見頃を迎えていた。彼女がこの場所に来るのは、もう何度目になるだろうか。

ちょうど一年前の六月。図書館のボランティアとして働き始めた頃、この植物園で彼に出会った。名は透(とおる)。物静かで、少しだけ不器用な青年。庭の手入れをしていた彼がアスチルベの花を指差して、「これは恋の訪れっていう花言葉があるんだ」と教えてくれたのが、ふたりの最初の会話だった。

そのときは、ただ「へぇ」と頷いただけだった。けれど、それからの日々で、彼の存在がじわりと心にしみ込んできた。植物のこと、季節のこと、本の話、何でもない会話が重なって、気づけば、透の姿を探す自分がいた。

それが「恋」なのだと気づいたのは、夏が終わりかけた頃だった。

でも、紗耶が想いを伝える前に、透は突然この町を離れた。家庭の事情で、急に引っ越すことになったのだと、館長から聞かされた。

その知らせを聞いた日、アスチルベの花はすでに枯れかけていた。

「恋の訪れ」どころか、恋は始まる前に、終わった――。そう思って、紗耶は何度もこの場所を訪れたが、花が咲いていない季節の植物園は、ただ寂しく、沈黙の中にあった。

そんな日々を越えて、季節は再び巡った。アスチルベの咲く頃が来た。

ふと、誰かの足音が聞こえた。紗耶が振り向くと、そこにいたのは見覚えのある背中だった。

「……透くん?」

振り向いた彼は、少し髪が伸びて、日焼けしていた。

「久しぶり。……咲いてたから、来てみた」

その声に、紗耶の胸がふわりと高鳴る。去年と同じ花の中で、違う気持ちが芽生える。

「アスチルベ、覚えてたんだ」

「うん。……花言葉、ちゃんと、意味があったんだなって思って」

透の視線が、そっと紗耶の目を見つめた。

「俺、あのとき言えなかったけど……会えなくなってから、ずっと考えてた。……もう一度会えたら、ちゃんと伝えたいって」

紗耶は、何も言えなかった。ただ、心が大きく揺れていた。まるで風にそよぐアスチルベの花のように。恥ずかしさと喜びが、ひとつになって波打っていた。

「……それって、恋の訪れ?」

彼女の言葉に、透は照れくさそうに笑った。

「たぶん、もう“訪れ”じゃない。……始まってたんだと思う」

紗耶は静かに頷き、ふたりは並んでアスチルベの花を見つめた。

それは、まるで心の奥に咲いた、淡い想いの形だった。