マッターホルン北壁登頂の日

7月19日はマッターホルン北壁登頂の日です

7月19日はマッターホルン北壁登頂の日

1967年7月19日、東京女子医大山岳部の「今井通子」と「若山美子」の2人が、マッターホルンの北壁からの登頂に成功しました。この時、まさに女性だけのパーティーでの北壁登攀は世界初のことでした。実はこの登山家「今井通子」は、東京都出身の医師でもあり、女性初のアルプス三大北壁(マッターホルン北壁、アイガー北壁、グランド・ジョラス北壁のこと)登攀、そのアイガーとグランドジョラスの北壁登攀にも成功しました。そしてこの方の本業は、東京女子医科大学泌尿器科の非常勤講師、日本泌尿器科学会指導医・専門医だそうです。

マッターホルン北壁を登攀

マッターホルン北壁を登攀

「マッターホルン北壁を登攀」の登攀というのは、クライミングとほぼ同じ意味を持つ、岩壁をよじ登って進む登山の一種です。また、通常の登山と比べるとずっと体力や筋力を必要とされる命がけのことであり、一歩間違えると崖から真っ逆さまに落ちてしまうほど危険な登山になります。現在でも、日本は多くのクライミング施設がありますが、彼女たちの活躍する前は女性のクライマーなんてありえない時代背景だったようです。

今井通子と若山美子

アイガー北壁日本隊直登50周年記念

「今井通子」さんは、1942年に東京で眼科医の両親のもとで誕生します。そこで様々なことを体験させる教育方針のもとに育ち、登山に興味を持ったのは中学校の頃からだそうです。そして、東京女子医大に入学後、山岳部に入部し積極的に活動しています。「若山美子」さんは、幼少期にソ連侵攻、高校時代には父の会社の倒産を経験しています。それが原因で進学を諦め、就職した会社の山岳部で登山に出会いました。また、後に彫刻作品も残すほどの手先の器用さから、そちら方面でも才能を開花させています。

女性初、アルプス三大北壁登攀を達成

ウエリ・シュテック~生死の稜線上で~

今井さんの両親は、彼女を医者になることを願っていて、命を落とす可能性のある危険な「東京女子医科大学山岳部欧州アルプス遠征隊」のヨーロッパ遠征に猛反対します。しかし、女性初の登攀を成功させたいという2人の思いは揺らがなかったそうです。

1967年7月19日、登攀!

三大北壁マッターホルン

そして、ついに1967年7月19日、40時間以上かけて先頭を交代しながら2人の女性だけのパーティでは初のアルプス三大北壁の登攀を成し遂げました。このように意志の強い女性が次々と現れ、次々と偉業を成し遂げたからこそ、誰でも様々なチャレンジが自由にできる世の中に変わってきたのでしょう。


「マッターホルン北壁登頂の日」に関するツイート集

光化学スモッグの日

7月18日は光化学スモッグの日です

7月18日は光化学スモッグの日
光化学スモッグの日

1970年の7月18日、東京都杉並区で日本で初めて「光化学スモッグ」が発生しました。当時の東京立正中学校と高等学校では、体育授業中にグランドで生徒が突然、目の痛みや頭痛などを訴えて倒れて、計43人の生徒が病院へ運ばれています。また、東京全体的にたくさん人が目やのどの痛みを訴えたといわれています。

光化学スモッグ

工場の排ガスで大気が汚染される

「光化学スモッグ」とは、「光化学オキシダント」の濃度上昇により、大気が全体的にかすんでいる現象のことです。自動車のマフラーや工場の煙突から排出される排気ガスなどに含まれる「窒素酸化物」、塗料や接着剤などに含まれる「揮発性有機化合物」が、太陽から受ける紫外線の影響で化学反応を起こすと「光化学オキシダント」という物質になります。

周りが霞んで見える現象

光化学スモッグによって、街が霞む

そして、この物質の濃度が高くなれば、遠くの山やビルがかすんで見えるようになります。この現象が光化学スモッグといわれるものです。ちなみに、このスモッグという言葉は、イギリスで作られた、煙(smoke)と霧(fog)合わせた言葉だそうです。

人体の影響は?

排気ガスによる大気汚染

この光化学オキシダントは、外気に直接触れるために目や呼吸器の影響を受けやすいそうです。その影響受けたときの主な症状は、目の痛みや咳、気分の悪さなどがあるようです。また、まれに重症化した時は「呼吸困難や手足のしびれ」「めまいや頭痛」「発熱や嘔吐」「意識障害」などの症状を起こすことがあるそうです。

光化学オキシダントで受ける症状

大気汚染を警告する画像

影響を受ける症状は個人差があるそうで、他の人は無症状でも一部の人に症状がみられることもあるようです。幼児など小さい子供、持病などがある人、そしてアレルギー性の結膜炎や喘息などの方は、特に注意が必要だそうです。

症状が現れたときの対処法

光化学オキシダントによる被害

この「光化学スモッグ」によって症状が出た場合は、外での激しい運動は直ちに止めて、目を洗ったり十分にうがいなどをしっかりとし、屋内では窓やカーテンを閉めてゆっくりと休むことを勧められています。しかし、それでも症状が回復しなければ、できるだけ早めに病院に行き、医師の診察を受けてください。この光化学オキシダント、マスクなどでは予防できないそうで、TVやネットなどで光化学スモッグ注意報が発令されたら、外気に触れないよう屋内で過ごすことがベストです。

PM2.5「微小粒子状物質」

PM2.5「微小粒子状物質」

PM2.5「微小粒子状物質」とは、大気中に浮遊する粒子状物質の中で、粒径2.5 マイクロメートル、1マイクロメートルは1ミリメートルの千分の1)以下の粒子のことです。したがって、PM2.5はそれだけ小さな粒子なので、そこで呼吸をすると肺の奥深くまで入っていき、人の健康に悪影響を及ぼすことして注意喚起されています。

九州北部に襲い掛かる有害な黄砂

黄砂は、中国大陸西部から飛来する砂

現在では、この「PM2.5」は時期によっては、九州北部を中心とされる地域で黄砂(毎年3月から5月にかけ、中国大陸西部から飛来する砂のこと)に交じって浮遊して来て、大気が黄色っぽく霞むことがあります。当然、黄砂と共に中国の光化学スモッグを運んでくるために健康への悪影響があるそうです。これは、緊急を要する世界規模の環境汚染対策が望まれます。


「光化学スモッグの日」に関するツイート集

https://twitter.com/5005ayyu/status/1678994502160367616?s=20
https://twitter.com/nakamura_soudan/status/1548535168197341184?s=20&t=Ymwy0jlZFgpa3_B-cRF7EQ
https://twitter.com/nakamura_soudan/status/1545757898839834624?s=20&t=Ymwy0jlZFgpa3_B-cRF7EQ

駅弁記念日

7月16日は駅弁記念日です

7月16日は駅弁記念日

1885年7月16日、日本鉄道東北線の宇都宮駅が開業し、日本初の駅弁が発売されました。そしてこの日は、大宮駅~宇都宮駅が開通した日でもあります。偶然、その駅近くにある旅館に宿泊していた日本鉄道の重役が、旅館白木屋の経営者の斎藤嘉平に駅弁を勧めて、その時から販売を始めています。このことから宇都宮駅は「駅弁発祥の地」とされているようです。

駅弁の中身と値段は?

その弁当は、黒ゴマをまぶした梅干入りの握り飯2個とたくあん2切れを竹の皮に包んだもので、当時の値段は5銭でしたが、まだその時代は一般的に高め設定でした。その時代から132年経った現在では、3500~4千種類にまで増えて、その弁当を列車だけでなく家で楽しむ人もいるほどです。この身近な存在へと変化した駅弁は、最初の駅弁のイメージ「素朴すぎるメニュー」から、「戦争」や「出稼ぎ」、「新幹線」によって変化していきました。

最初の幕の内弁当

最初の幕の内弁当は、1889年に姫路駅で発売されたといわれています。その内容は、白米飯に「肉」「魚」「かまぼこ」「伊達巻」「きんとん」「漬け物」を経木の折りに詰めたものだったそうです。その後の1890年には、寿司弁当が、一ノ関~盛岡間が開通したときに発売されています。

また、駅弁の車内販売は1935年から始まり、幕の内が当時の価格で30銭、寿司が20銭だったそうです。それから月日が経ち、1966年になると、各百貨店で開催されたイベント東京高島屋「お国自慢全国うまいもの有名駅弁大会」などが大当たりして駅弁ブームが始まっています。

京王百貨店の「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」

京王百貨店も1966年から「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」を毎年開催しています。そして、あまりの人気ぶりに来客数がフロアにあふれ、その後は出店ブースを一部減らして通路を広げ、広さ1500平方メートルの催事場スペースを、さらに1割拡大したそうです。2021年の現在も、この全国で有名な駅弁を集めた販売イベントは、各店舗で盛り上がりを見せています。

自宅で楽しめる駅弁

自宅で楽しめる駅弁

このコロナ禍で政府の要請による外食制限などの自粛生活では、弁当を家で楽しむことがメインとなり、むしろ地域の名産を売り込む絶好のチャンスと見ているようで、駅弁本来の目的をすっかり忘れられているように思えます。しかし、個人的には美味しいものであれば、地域の興味が沸いてくるなど、旅行気分を味わえるのは最高です。


「駅弁記念日」に関するツイート集

ひまわりの日

7月14日は「ひまわりの日」です

7月14日はひまわりの日

ひまわりといっても静止気象衛星ひまわりにちなんだ日です。1977年のこの日は、日本で初の静止気象衛星「ひまわり1号」が打ち上げらた日です。

静止気象衛星ひまわり

気象庁と宇宙開発事業団が開発した日本初の静止気象衛星ひまわり。2号を打ち上げてからは「ひまわり1号」と呼ばれています。1977年のこの日、宇宙開発事業団が、アメリカ・フロリダ州ケープカナベラル空軍基地より、日本で初めて本格的な実用気象衛星ひまわり正式名称→「Geostationary Meteorological Satellite:GMS」を打ち上げています。

ひまわりの役割

ひまわりの役割は、地球の観測や雲画像の配信、更に船舶や離島での観測された気象データ、潮位データなどを中継を行っています。 船舶や離島に設置している、気象や潮位を観測する装置で観測されたデータを「ひまわり」の衛星通信回線を経由して自動収集しているそうです。

現在のひまわりは?

ひまわり6号、7号は運輸多目的衛星MTSAT (Multi-functional Transport Satellite) であり、このひまわりは世界気象機関 (WMO) と国際科学会議 (ICSU) が共同で行なった、地球大気開発計画 (GARP) の一環として計画されたもの。

他国にも情報を共有

得られた気象情報を日本国内、更に東アジアや太平洋地域の他国にも提供しているそうです。そして、2015年7月7日より、8号が気象観測を行っています。また、9号が2022年から運用される予定だとか。

最先端の安定的な体制を構築

今後は、世界最先端の観測機能で「ひまわり8号・9号」の2機体制によって、安定的で持続的な気象衛星観測する体制が構築される予定。日本の気象庁が運用している「ひまわり」は、静止気象衛星のシリーズで、世界最先端の観測機能を備えています。以下が主な「ひまわり」の概要です。

1.ひまわり(GMS)

昭和52年に初めて打ち上げられ、3時間ごとのフルディスク観測と12時間ごとの風計算のための観測を行いました。昭和56年にひまわり2号に観測を引き継ぎました。

2.ひまわり2号(GMS-2)

昭和56年に打ち上げられ、ひまわりと同じ観測機能を持ちましたが、可視赤外走査放射計(VISSR)の不具合により運用が一時中止されました。

3.ひまわり3号(GMS-3)

昭和59年に打ち上げられ、ひまわり2号の運用形態と同様に観測を行いました。昭和62年からは毎時の北半球ハーフディスク観測も追加されました。

4.ひまわり4号(GMS-4)

平成元年に打ち上げられ、ひまわり3号と同じ観測スケジュールで運用されました。平成7年にひまわり5号に観測を引き継ぎました。

5.ひまわり5号(Himawari-5)

平成7年に打ち上げられ、赤外バンドが従来の1バンドから3バンドに強化されました。平成17年に運用終了しました。

6.ひまわり8号(Himawari-8)とひまわり9号(Himawari-9)

これらは最新の観測技術を備えており、世界的に注目されています。ひまわり8号は2016年に打ち上げられ、ひまわり9号はその後の運用を担当しています。


「ひまわり」は、地球の観測や雲画像の配信だけでなく、船舶や離島で観測された気象データや潮位データを中継する役割も果たします。また、ひまわり10号の整備も進められており、大気の3次元観測機能などを導入して予測精度を向上させる予定です。

最先端技術、今後の期待

最先端技術が期待の気象衛星
Stefan SchweihoferによるPixabayからの画像

今後、こういった最先端の技術を利用し、気候変化によって災害が起こりそうな状況、それをより早く導き出す技術をさらに発展させ、世界中の人々の命を一人でも多く救ってくれるようになることを願っています。


「ひまわりの日」に関するツイート集

https://twitter.com/minamikaikan/status/1547174004146032641?s=20&t=MDsVubMRUqQCIr9fbVcaSQ
https://twitter.com/hicali/status/1546969346534445056?s=20&t=MDsVubMRUqQCIr9fbVcaSQ

人間ドックの日

7月12日は人間ドックの日です

7月12日は人間ドックの日

1954年7月12日、国立東京第一病院(現在の国立国際医療研究センター)で初めて「人間ドック」が行われました。これは、少しでも多くの人に「人間ドック」の受診を促し、病気の早期発見に繋げて国民の健康増進に役立つようにすることが目的でした。そこで、学術大会の開催や学会誌の発刊などを行う日本人間ドック学会(公益社団法人)がこの日を「人間ドックの日」として制定しました。

人間ドックと健診の違い

人間ドックと健診の違い

一般的な健診は、検査結果が後日送付されるだけですが、認定施設での人間ドックは医師からその日に結果説明があります。また、健診結果やライフスタイルなど状況に応じた専門スタッフによる個別の生活改善や治療のアドバイスを受けられます。そうすることで、健康への意識が向いている検査結果を見て感じたその日から、生活習慣改善への第一歩に繋げることになるとみています。また、精密検査が必要になり、いざ受診するときは率先して検査を勧めてくれて、「受診後のフォロー」もあり、「受けて終わり」ではない継続した健康管理が行えるようです。

人間ドックの歴史

人間ドックの歴史

人間ドックは、日本で80年以上前に産声をあげ、これを最初に組織的に行ったのが1954年7月12日の国立東京第一病院(現在の国立国際医療研究センター)だといわれています。その後は、聖路加国際病院など、全国の病院や施設でこの「人間ドック」が創設されています。ちなみに「ドック」は、船を点検や修理するためのドック(dock)に由来するといわれていて、船が長い航海を終えた後に点検や修理のためにドックに入るように、人間も定期的にドックに入る必要があるという考え方から生まれたものだと思われます。

健康のために定期的な検査を

健康のために定期的な検査を

企業が労働者に行う健診は、労働安全衛生法で義務付けられているようで、費用については企業が負担することになっているそうです。ですが、この健診では病気のおおまかなチェックがメインとなっています。そのためにも特に50代を超えたら人間ドックを積極的に申込み、仕事に影響を与えるリスクを減らすためにも、そして健康になって長生きするためにも短時間で詳しい検査等を受けて病気の早期発見や早期治療、アドバイスを受けてから今後の「健康食育」が行えます。


「人間ドッグの日」に関するツイート集

https://twitter.com/jumbo_g_2020/status/1678289459559940096?s=20

チキン南蛮の日

7月8日はチキン南蛮の日です

7月8日はチキン南蛮の日
チキン南蛮の日

2011年7月8日は、宮崎のご当地グルメとして「チキン南蛮」をPRする同党が発足しました。そして、それをきっかけに宮崎県延岡市の市民グループ「延岡発祥チキン南蛮党」がこの日を記念日として制定しています。

また、この日の目的はマップの作成や給食のメニューにするなど、地域の食文化としての「チキン南蛮」の知名度を上げるためです。ちなみに、日付は「チキン南⇒7 蛮⇒8」という語呂合わせからもきていて、この日を中心にしてチキン南蛮料理教室などのイベントが実施されているようです。

チキン南蛮の発祥は?

チキン南蛮の発祥は?

宮崎県延岡市の発祥で知られている「チキン南蛮」は、昭和30年代に延岡市内の洋食店で、「まかない料理」として作られたのがルーツだとされています。当時は「鶏唐揚げの甘酢漬け」とも呼ばれる料理でしたが、その後はタルタルソースをかけ、その横にサラダなどを添えるスタイルになりました。

そして昭和40年代には、家族で出かける外食のご馳走メニューとして浸透していきます。それがいつの間にか、学校給食や家庭料理、県内全域で飲食店の定番メニューとして普通に食べられるようになったということです。

「南蛮」は来日ポルトガル人とその文化を表す言葉!?

「南蛮」は来日ポルトガル人とその文化を表す言葉!?

チキン南蛮の「南蛮」は、もともと戦国時代に来日してきたポルトガル人や、その文化を表す言葉です。彼らの食文化の中に「南蛮漬け」が存在していて、唐辛子入りの甘酢に食材を漬けてつくられるものでした。そして、この「南蛮漬け」に鶏肉を漬けたりして料理されていたため、「チキン南蛮」と呼ぶようになったといいます。

タルタルのない「チキン南蛮」

タルタルのないチキン南蛮の「直ちゃん」

1964年頃に提供された最初のチキン南蛮は、現在のチキン南蛮に必ず掛けられている「タルタルソース」はなく、揚げた鶏肉を甘酢に漬けただけのものだったようです。そしてその後の1970年頃に初めて現在のようなタルタルソースが掛かった定番のチキン南蛮が人気になったといわれているそうです。(今でも、元祖「直ちゃん」のチキン南蛮は揚げた鶏肉を甘酢に通すだけで、タルタルソースを掛けません)

延岡だけのソウルフードから全国へ

チキン南蛮、延岡だけのソウルフードから全国へ

初めは延岡市と周辺の人々だけしか知られていなかったこのチキン南蛮が、提供店の店舗数や地域の拡大、新規出店する店の増加によって知名度は増え、今やその人気は全国区になっています。宮崎に来てみると、チキン南蛮発祥の地である延岡はもちろん、県内全域にチキン南蛮の専門店が所々あります。

そして、地域の人々はもちろん、県外から訪れた人が「さすが本場の味」として舌を唸らせているそうです。皆さんも、まず宮崎県の延岡市に訪れた際は、一番最初にチキン南蛮の元祖の味を知るために「直ちゃん」に足を運んでみては如何でしょうか!

チキン南蛮レシピ動画集

元祖、直ちゃん直伝のチキン南蛮レシピ

ムネ肉を揚げるときのテクニックを実演にて説明しています。

元祖、直ちゃん直伝のチキン南蛮レシピ

宮崎発のチキン南蛮レシピ

宮崎発のチキン南蛮レシピ

至高のチキン南蛮レシピ

至高のチキン南蛮レシピ

「チキン南蛮の日」に関するツイート集

七夕

7月7日は七夕です

7月7日は七夕

7月7日の「七夕」は、織姫と彦星が天の川を渡り、年に一度だけ会うことができるという中国の伝説に由来する日です。そして、この伝説が奈良時代の日本に伝わって、元々日本にあった七夕信仰と結びつけた行事としての「七夕」へと発展していったといわれます。

また、夏の夜空を見上げると、織姫星(織女星⇒しょくじょせい)はこと座の1等星「ベガ」、彦星(牽牛星⇒けんぎゅうせい)はわし座の1等星「アルタイル」があります。ちなみに、この二つの星とはくちょう座の1等星「デネブ」を加えた三つの星を結ぶと大きな三角形となって「夏の大三角」と呼ばれています。

七夕のルーツ

七夕のルーツ

七夕は、昔から伝わる日本のお祭り行事で、1年の重要な節句をあらわす五節句の一つです。毎年「七夕」7月7日の夜に、短冊に願いごとを書き、飾りなどと一緒に笹の葉に吊るして、星にお祈りをします。ほとんどの人たちが、幼稚園や保育園などで、たくさんの短冊をつるして織姫と彦星にお願いごとをして経験があるのではないでしょうか?
その七夕の始まった起源を調べると、「棚機(たなばた)」「七夕伝説」「乞巧奠(きこうでん)」というキーワード出てきます。

棚機(たなばた)

棚機神社(奈良県葛城市)

「棚機」とは、古い日本の禊ぎ(けがれのある人などや神事に従事しようとする人が、川や海の水でからだを洗い清めること)行事で、女性が着物を織って棚にそなえて神さまを迎え、秋の豊作を祈り人々のけがれをはらうというものだったそうです。また、その行事で 選ばれた女性は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれるそうです。

そして、川などの清い水辺にある機屋(はたや)に籠ると、神さまに心をこめて着物を織り始めます。そのときに使用された織り機が、その「棚機」(たなばた)」というものです。 その後に仏教が伝わってくると、行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるよります。現在では、七夕という二文字で「たなばた」と当て字で読んでいるのは、これが由来となっているとか。

七夕伝説

七夕伝説

この伝説というのは、織姫と彦星の天の川に関係する物語のことであり、実際に夏の空に琴座の「ベガ」と呼ばれている織女星は裁縫の仕事、鷲座の「アルタイル」と呼ばれている彦星(牽牛星)は農業の仕事をつかさどる星から、この物語のきっかけになったようです。

そして、二つの星は旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝いているように見えることから、中国でこの日を一年に一度に会えるの日と考え、そこから有名な七夕の物語が生まれたとされています。

乞巧奠(きこうでん)

乞巧奠(きこうでん)

「乞巧奠(きこうでん)」は、中国の行事7月7日に織女星にあやかり、機織や裁縫が上達するよう祈るという風習から始まったそうです。その風習は、庭先にある祭壇に針などをそなえ、星に祈りを捧げるもので、やがてそれが機織のみならず、芸事や書道などの上達も願うように祈るようになったいわれています。

みんなでコロナが終息するように願いましょう!

七夕の願い事

七夕は願い事をする日であり、そして叶えてくれる日だと、子供のころから信じ続けられるロマンチックな行事でもあります。さあ、今日は「七夕」であり、そして、「ドリカムの日」でもあります。ご存じ「ドリームズカムトゥルー」を辞書で調べると、念願の夢・長年の夢・究極の夢・夢のような話。など、夢かなう時の表現は様々です。

子供のころからの夢をかなえる、苦労に苦労を重ねてようやく夢をかなえる、これ以上ない最高の夢をかなえる等など、夢の実現への思いが詰まっている言葉です。まさに今こそ、みんなでコロナ終息へ向けて願い事を叶えて、元の楽しかった日々に戻していきましょう!


「七夕」に関するツイート集

ワクチンの日

7月6日はワクチンの日です

7月6日はワクチンの日

1885年7月6日、近代ワクチンの父、フランス人科学者ルイ・パスツール博士が開発し、狂犬病ワクチンが、9歳の少年ジョセフ・マイスター君に接種された記念すべき日なのだそうです。そして今、「新型コロナ」ワクチンの進捗状況を簡単に紹介します。

新型コロナワクチンが一番早く完成した国

新型コロナワクチンが一番早く完成した国

2020年、臨床試験に入った新型コロナ(COVID-19)ワクチンは18種類です。他にも29種類が前臨床の段階にあるそうです。しかし、2022年半ばになると世界中にすでに承認された新型コロナワクチンが配られ、4度目の接種を打つ国があるほどになっています。

英アストラゼネカと米モデルナ

2020年前後では、当時先行していたのは英オックスフォード大英アストラゼネカの「アデノウイルスベクターワクチン」と、米モデルナの「mRNAワクチン」。「アデノウイルスベクターワクチン」はP3試験に入っていて、「mRNAワクチン」も7月中にP3試験に入る予定でした。

新型コロナ(COVID-19)ワクチン

ファイザー社のワクチン

そして、米ファイザーは米モデルナ、独ビオンテックと共同開発の4種類の「mRNAワクチン」のうちの1つ「BNT162b1」のP1/2試験で良い結果が得られ、それを発表して7月中にも大規模なP2b/3試験を始めるそうです。さらに、その後2020年12月2日にはイギリスが、世界初のファイザーの新型コロナワクチン承認をしています。 

日本国内の進捗状況!?

アジュバント(ワクチンの免疫原性を高めるために使用される物質のこと)

日本国内は2020年、大阪大とアンジェスが共同開発の「DNAワクチン」が、6月30日にP1/2試験を開始しています。このワクチンの対象は、20~65歳の健康成人です。アジュバント(ワクチンの免疫原性を高めるために使用される物質のこと)を含む同ワクチンを2週間間隔で2回、筋肉内注射をして、安全性と免疫原性を評価されるとの事。

共同開発の「DNAワクチン」

新型コロナウイルス 治療薬・ワクチンの開発動向まとめ【COVID-19】(7月3日UPDATE)

AnswersNews

安心安全なワクチンの提供をお願い

安心安全なワクチンの提供

正直な気持ちは、早くワクチンを完成して欲しいと思っています。しかし、世界中の人命が懸かっています。急ぎ過ぎて、失敗は絶対に許されません。実験検査での問題を解決してしっかり検証し、実際に使用された時に安心安全に投与できるものを作って欲しいです。とりあえずは、それまでの間はマスクやソーシャルディスタンスで感染予防策で凌ぎたいと思います。


「ワクチンの日」に関するツイート集

https://twitter.com/pan_dacco/status/1544227438703480833?s=20&t=NTEigoIiCbkWrrcFs65m9w
https://twitter.com/Shelly_Mima/status/1544153224210370560?s=20&t=NTEigoIiCbkWrrcFs65m9w
https://twitter.com/KeiAqua_Season/status/1542477633929084928?s=20&t=NTEigoIiCbkWrrcFs65m9w

江戸切子の日

7月5日は、江戸切子の日です。

7月5日は、江戸切子の日

江戸切子は、東京都の江東区を中心として生産されている伝統工芸品で、江戸切子協同組合では江戸切子の認知と振興の一環とし、江戸切子の代表的な文様『魚子(ななこ)』から7⇒(なな)月、5⇒(こ)日という語呂合わせにした日を「江戸切子の日」として2008年に制定しています。

江戸切子とは

江戸切子とは

江戸切子(えどきりこ)は、日本の伝統的なガラス工芸品であり、江戸時代の江戸(現在の東京都)で誕生しました。江戸切子は、ガラスの表面に細かい彫刻などを施し、光の反射や透過によって美しい輝きを生み出す技法です。その技法は、1985年に東京都指定伝統工芸品に指定され、2002年には経済産業大臣指定伝統的工芸品として認定されています。

江戸切子の歴史

江戸切子の歴史

江戸時代後期、江戸大伝馬町でビードロ(ガラス製の器具)問屋を営む加賀屋久兵衛らが、南蛮人(ポルトガル人などの西洋人)が持ち込んだ外国製のガラス製品に、切子細工を施したのが「江戸切子」の由来だといわれています。 加賀屋久兵衛(日本近代のガラス職人の草分け的存在)発行の引き札(カタログ)には、当時の扱っていたガラス製品の数々が紹介されており、食器のほか、理化学用・日用品・金魚鉢など、江戸期には多くのガラス製品の商いが行われていたことがわかります。 こうした歴史やその頃に培われた技術が、現代の「江戸切子」として伝承されています。

江戸切子の特徴

江戸切子の特徴

江戸切子は、光の反射が魚卵の連なりに似ていることに由来する魚子など、20種ほどある伝統的な文様は、月日がたっても少しも色褪せることなく現代の食卓を華麗に飾ります。そして、職人たちは伝統的な文様を継承する一方で、独自のオリジナルカットを用いた製品づくりにも貪欲。例えば、厚さ2〜3ミリほどの色被せガラスを削る薩摩切子のぼかしの技は、さらに厚さ1ミリ弱の色被せガラスに繊細な彫りを施し、その「江戸切子」の特徴であるシャープで鮮明な輝きを生み出します。その中でも、上から覗き込むと万華鏡のように光が反射する切子の人気は高い。現在でも日本酒やビール、ワイン用などの形ものが作られ、使い勝手の良さや飽きがこないデザインが追求され続けているそうです。

日本を代表する伝統工芸品

美しさと高い品質の江戸切子

江戸切子は、その美しさと高い品質から、国内外で高い評価を受けているようです。実際にニューヨークやパリ、ロンドンなどで作品を発表し、海外からも注目を集めているそう。また今では、日本文化を代表するものとして観光客に人気があるお土産になっているとか。今後、江戸切子はその繊細な彫刻と輝きを、日本を代表する伝統工芸品の一つの産物として守って欲しいと感じています。


江戸切子の日」に関するツイート集

シーザーサラダの日

7月4日はシーザーサラダの日です

7月4日はシーザーサラダの日

1924年7月4日に、メキシコ ティファナにあるホテルシーザーズプレイスのシーザー・カルディ-ーニ氏が、この日にサラダを生み出したことが由来だとか。

シーザーサラダができたきっかけ

シーザーサラダができたきっかけ

キッチンにあった、「ロメインレタス」や「クルトン」、「パルメザンチーズ」などの材料を集めて作ったサラダが、シーザーサラダとしてアメリカから世界に広がったと伝えられています。

元祖シーザーサラダの作り方

元祖シーザーサラダの作り方

本当のというか、元祖といわれているシーザーサラダのレシピを紹介します。材料は、ニンニク、オリーブオイル。後は、塩、胡椒にレモン、ウスターソース、コドルド・エッグ(沸騰した湯の中に1分間沈めた半生ゆで卵で、アメリカはサルモネラ菌汚染という心配があるため、レシピによってはコドルド・エッグの代用としてマヨネーズを使用することもあります)パルメザンチーズ、クルトン。

作り方

まず、大きなボウルにレタスを入れ、ガーリックオイルを投入して混ぜます。塩とコショウをし、レモンを搾り、ウスターソースを振ります。次に、コドルド・エッグをかけ、残ったガーリックオイルを加えます。チーズを加え、レタスが全体にからむまで混ぜ、最後にクルトンを加え、軽く混ぜたら完成です。

夏はシーザーサラダ

夏はシーザーサラダ

冬だと、野菜料理がたくさんあるから良いけれど、夏は冷えたものを好むためにあまり選択肢がありません。そこで、こういったシーザーサラダなど味付けの工夫で、しっかりと栄養を摂取し、猛暑に負けない健康的な身体を作りましょう!


「シーザーサラダの日」に関するツイート集

https://twitter.com/rinrinmiturin/status/1541384032541626373?s=20&t=Ba1CbKuM5F7ESPvxnTUcxg
https://twitter.com/tn3g_bb/status/1541059726674624512?s=20&t=Ba1CbKuM5F7ESPvxnTUcxg