天ぷらの日

7月23日は天ぷら日です!

7月23日は天ぷら日

毎月23日は天ぷらの日ですが、7月23日頃の「大暑」に夏バテを防ぐ目的で、「疲労回復効果のある天ぷらを食べよう」ということで制定されました。そして、その後から毎月23日を天ぷらの日になったとのことです。

天ぷらは夏バテ予防に良い!?

天ぷらは夏バテ予防に良い!?

毎年、大暑の頃は食欲が落ち、体力が落ちてしまうため、夏でも山菜やキノコ類、肉や魚など栄養価のあるものを、しっかり食べることが重要です。そういったこともあり、「大暑は天ぷらを食べる」という風習が生まれたといわれています。

疲労回復や栄養補給が期待

夏野菜や肉を使った天ぷらは、疲労回復や栄養補給が期待

猛暑が続いて、冷たいものを食べたり飲んだりしていると体が冷えて、胃腸にも良くありません。そこで、疲労回復や栄養補給が期待できる食べ物ということで天ぷらが注目されたようです。

夏野菜や肉を使った天ぷらで夏バテ対策

夏野菜や肉を使った天ぷらで夏バテ対策

天ぷらは、夏バテ対策に効果的な料理の一つです。特に夏野菜を使った天ぷらは、栄養価が高く食欲がない時でもさっぱりと食べられます。以下のレシピを試してみてはいかがでしょうか?

ナスの肉巻き天ぷら

材料(2~3人分)

  • 天ぷら粉:50~80g
  • 水:75~120ml
  • オレインリッチ:400~600ml
  • ナス:2~3本
  • 豚薄切り肉:150~200g
  • オクラ:3~6本
  • 塩:少々
  • 打ち粉(天ぷら粉):大さじ3~4
  • しょうが醤油または田楽みそ:お好み

作り方

  1. ナスはへたを取り、縦に2~3か所皮をむき、4~6等分に切ります。水にさらしてアクを抜きます。
  2. オクラはへたを取り、塩を振って板ずりし、爪楊枝で数か所穴をあけます。
  3. ナスに豚薄切り肉を巻きます。
  4. ボウルに水と天ぷら粉を加え、混ぜて衣を作ります。
  5. フライパンに油を入れ、180℃に熱します。ナスとオクラに打ち粉をまぶし、衣を付けて揚げます(ナス:約3分、オクラ:約1~2分)。
  6. 揚がったら油を切り、しょうが醤油や田楽みそを添えて完成です。

夏でも、熱々で美味しいうなぎを食べるように、栄養価の高い夏野菜や肉を揚げた天ぷらをたくさん食べてこの夏を乗りきりましょう!


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7月21日の誕生花「ミント」

「ミント」

VinceによるPixabayからの画像

基本情報

  • 学名Mentha
  • 科名:シソ科
  • 原産地:寒帯と中・南米、インド、中部・西アフリカを除く、ほぼ地球全域
  • 開花時期:7月~9月(種類により異なる)
  • 草丈:30~80cm程度
  • 多年草/宿根草(寒さに強く、毎年芽を出します)

ミントについて

特徴

  • 爽やかな香り
     ミントといえば、スッとした清涼感のある香りが特徴です。この香りは、主成分である「メントール」に由来しています。種類によって香りの質が異なり、スペアミントやペパーミントなどがあります。
  • 生命力が非常に強い
     地下茎でどんどん増えるため、放っておくと庭一面を覆ってしまうほど。鉢植えでの管理が推奨されるほどです。
  • 薬用・食用・香料としても優秀
     古代ギリシャ・ローマ時代から、消化促進や気分をリフレッシュさせる薬草として使用されてきました。現代でもハーブティーやアロマ、料理のアクセントなど幅広く活躍しています。
  • 小さく可憐な花を咲かせる
     紫や白、ピンクなどの小さな花が、茎の先や葉の間に集まって咲きます。葉に注目されがちですが、花もとても可愛らしいです。

花言葉:「美徳」

Zuzanna ZembrzuskaによるPixabayからの画像

ミントにはいくつかの花言葉がありますが、特に「美徳(Virtue)」という言葉は、以下のような理由に由来すると考えられています。

● 清潔感と誠実さを感じさせる香り

 ミントの香りは、どこか清らかで潔癖な印象を与えます。古くから清掃や空気清浄にも使われてきたことから、「清潔=善き徳」と結びついたとされます。

● 人の心を癒すやさしさ

 ミントは鎮静作用やリフレッシュ効果があり、人の心と体にやさしく働きかけます。そのような内面的な優しさや誠実さ=美徳とみなされたのでしょう。

● 古代神話との関係

 ギリシャ神話では、ミントは冥界の神ハーデスに愛されたニンフ「ミンテ(Minthe)」が変身させられた植物とされています。彼女の純粋な心が、変わらぬ香りと姿で残されたという説話が、花言葉「美徳」に通じるとも考えられます。


「ミントの香りが届くころ」

街の片隅、小さなハーブ専門店「アテナの庭」は、いつも静かに時間が流れている。通り過ぎる人は多いが、その扉を開ける者はごくわずか。けれど、その数少ない誰かの心には、確かな何かを残していく――そんな不思議な場所だった。

 店主の名は、ミナ。年齢不詳で、笑うとどこか懐かしい香りがした。彼女が好んで使うのは、いつもミントのエッセンシャルオイル。店内にはドライミントの束があちこちに飾られ、訪れた者の鼻先を、そっと撫でてゆく。

 ある日、ひとりの少女が扉をくぐった。白い制服に身を包み、うつむいたままの表情。高校帰りらしく、肩には重そうな鞄。ミナは笑顔で「いらっしゃい」と声をかけた。

 「ここ……ハーブ屋さん、なんですよね」

 少女は棚を見つめながら言った。「母が好きだったって聞いたんです。ミントの香りが落ち着くって」

 話を聞けば、少女の母親は半年前に病で亡くなったという。母娘の思い出は少ないが、最期に病室で言った一言が忘れられなかった。

 ――あの香りがあると、心が静かになるのよ。

 少女は、ミントの束を一つ選び、店の奥で丁寧にラッピングしてもらった。

 「ミントにはね、花言葉があるのよ。『美徳』っていうの」

 ミナが包みながら、静かに話し始めた。

 「清らかで誠実な心。人を思いやる優しさ。見返りを求めない、凛とした愛情……そんな徳が、香りの中にあるって、昔から言われてきたの。ギリシャ神話では、冥界の神に愛されたニンフが、姿を変えてミントになったのよ」

 少女は目を丸くして、「ニンフ?」とつぶやいた。

 「そう。『ミンテ』という名の美しい精霊。彼女は、ハーデスという神に愛されたけど、その愛は叶わなかった。けれどね、ミンテの心は、変わらぬ香りとして、ずっと人々に届き続けている。たとえ姿が見えなくなっても、そのやさしさは、誰かのそばにあるの」

 しばらく沈黙が流れた。

 「……母も、そうだったのかな」

 少女が、ぽつりと言った。

 「きっと、そうだと思うよ」

 ミナはそっと包みを手渡した。「あなたが思い出すたびに、その香りは強くなる。美徳って、そういうものだから」

 帰り際、少女は一度だけ振り返った。ミントの香りが、風に乗ってゆっくりと広がっていった。

 その夜、少女は部屋でミントの束を花瓶に差した。母の写真のそばに置いて、深く深く、息を吸い込んだ。

 胸の奥が、少しだけ、あたたかくなった気がした。

 それは、言葉ではなく、香りで伝わる想い。

 姿を変えても、失われないやさしさ。

 ――ミントの香りが届くころ、誰かの心には、確かな「美徳」が宿るのかもしれない。

ナッツの日

7月22日はナッツの日です

7月22日はナッツの日

ナッツの記念は、「7 なな、2 ツー、2ツー」の語呂合わせで、日本ナッツ協会が1996年に制定されています。

ナッツは種実類

落花生、くるみとフルーツ

ナッツは種実類のことをいい、かたい皮や殻に包まれた食用の果実や種子の総称です。一般的に木の実をナッツと呼ばれています。

ナッツは栄誉が豊富!

栄養が豊富なナッツ

ナッツといえば、お酒のつまみというイメージです。しかし、実際おつまみだけではもったいないほど、栄養価が高いそうです。ナッツのひとつアーモンドのビタミンEは、かぼちゃの約5倍含まれていて、食物繊維はキャベツの約5倍。他にも血液をサラサラにするオレイン酸も豊富です。

ナッツを普段の食事に

ピスタチオ

ナッツは、他にもダイエット、メタボや高血圧を予防にも良いとされています。おつまみやおやつだけでなく、普段の食事に上手に加えて、美容と健康のために適度に摂取しましょう!


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日本三景の日

7月21日は「日本三景の日」とその起源

7月21日は日本三景の日

2006年に日本三景観光連絡協議会が制定しています。江戸時代前期の1643年、儒学者であった林鵞峰(林春斎)が著書『日本国事跡考』において、松島・天橋立・宮島を卓越した三つの景観としています。そしてこれが「日本三景」となります。1618年のこの日は鵞峰の誕生日です。

林 鵞峰ってどんな人?

林 鵞峰

林 鵞峰は、1618年7月21日生まれ、林羅山の三男です。江戸時代前期の儒者で、名は「又三郎」「春勝」、「恕」。字は「子和」「之道」。号は「斎」「鵞峰」「向陽軒」などです。

日本三景とは

日本三景とは

日本三景は、広島「宮島」、京都「天橋立」、宮城「松島」の風光明媚な3つのスポット。この三景を回れば、3つの海を巡る旅とされ、長年人々を魅了し続けています。

広島の厳島(宮島)

広島の厳島(宮島)

厳島(宮島)は、広島湾に浮かぶ小さな島です。森林や古い神社仏閣で有名です。沖合に立つ壮大な朱色の大鳥居へ干潮時に歩いて渡ることが可能です。

広島の厳島(宮島)、鳥居。

この大鳥居は厳島神社の玄関口で、12 世期頃に最初に建立されています。近くにある宮島歴史民俗資料館は、19 世期の商家の母屋、土蔵を改修したもので、中に入ると、文化遺産を展示しています。

京都の天橋立

京都の天橋立

京都北部、日本海の宮津湾にある天橋立は、幅約20~170m、全長約3.6km嘴状の砂浜です。そこには、松が約5000本も茂っている珍しい地形で、その形が天に架かる橋のように見えることから「天橋立」の名が付けられました。

宮城の松島

宮城の松島

松島は、宮城県の松島湾内外にある諸島のことあり、また、それら諸島と湾周囲を囲む松島丘陵も含めた修景地区のことです。

コロナ終息後は、日本の素晴らしい景色を楽しみましょう!

コロナ終息後は、日本の素晴らしい景色を楽しみましょう!

未だコロナの感染拡大が収まらない状況です。自粛地域や感染リスクのある地域あることを考えて、今はできるだけリスクが少ない行動が必要です。が、逆にこれから全面開放に備えてお金を貯めて、終息後に一気に発散する手もあります。


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7月19日、8月23日、10月29日の誕生花「ゲッカビジン」

「ゲッカビジン」

基本情報

  • 学名Epiphyllum oxypetalum (クジャクサボテン属)
  • 和名/別名:月下美人/月来香(ゲツライコウ)
  • 原産地:中南米(メキシコ〜中米)の森林に自生する着生サボテン
  • 植物タイプ:常緑多肉の多年生、草丈は1〜2 mほどに成長

ゲッカビジンについて

特徴

  • 開花時期:主に日本では7月から11月にかけて夜に開花。高温期の真夏は避け、適期は夏の夜
  • 一夜花:夕方に蕾が開き始め、夜~深夜に満開となり、翌朝にはしぼむ儚い性質
  • 香り:ジャスミンに似た甘く濃厚な芳香があり、夜空に漂う強い香りは「月来香」の名の通り
  • 受粉の仕組み:夜咲きしコウモリによって受粉される進化を遂げている

花言葉:「はかない恋」

ゲッカビジンには多くの花言葉がありますが、代表的なものとして「儚い恋(はかない恋)」「はかない美」「艶やかな美人」「ただ一度会いたくて」などがあります 。

「はかない恋」「はかない美」

花が一晩でしぼんでしまう短命さに由来し、その儚さが“恋”や“美”に重ねられたからです 。

「艶やかな美人」

大輪の白い花と強い香りが、夜の女王のような艶やかさを感じさせることからです 。

「ただ一度会いたくて」

一夜花の切ない一瞬の出会いを切望するような、ロマンティックな思いが込められています。


🏷️ 名前の由来

  • 月明かりの下で咲くこと:その神秘的な花姿から名付けられたという説があり。
  • 昭和天皇の台湾訪問時のエピソード:皇太子時代の昭和天皇がこの花に心奪われ、「月下の美人」と称されたという逸話も

「ただ一度、会いたくて」

夏の終わり、都会の喧騒を離れた古い山荘に、私は一人で滞在していた。
 かつて祖母が暮らしていたその家には、手入れの行き届かない小さな温室があり、蔦に覆われたガラス越しに、夏の名残の陽が差し込んでいた。

 祖母が大切にしていた花がある。
 それは――月下美人。

 「夜にしか咲かないのよ。そして、一晩だけ。まるで夢みたいな花なの」

 子どもの頃、祖母がそう語っていたのをよく覚えている。私にはその儚さがよくわからなかった。ただ、白く大きな花が夜の暗がりの中にぽっと浮かぶように咲く、その光景だけが妙に心に残っている。

 大学時代のある夜、彼に出会ったのも、そんな夏の終わりだった。

 「咲いたよ」と、彼は一本の枝を見せてくれた。私が通っていた植物学ゼミの先輩で、研究熱心な人だったけれど、不器用で、少し照れ屋だった。

 「月下美人。君に見せたかったんだ」

 満開の白い花は、まるで夜の静寂を引き裂くように、強く甘い香りを放っていた。その一瞬だけ、私の世界が変わった気がした。

 けれど――それきりだった。
 彼は卒業後、地方の研究所に移り、連絡は自然と途絶えた。私も就職して、忙しさにかまけて、あの夜のことは胸の奥にそっとしまっていた。

 そして今年、祖母の十三回忌を機に、この山荘に戻ってきた。
 あの温室に、まだ月下美人は残っているだろうか。そんな思いに駆られ、夕方、庭に足を運んだ。

 温室の中はすっかり荒れていたが、一角にしっかりと根を張った葉が伸びていた。茎の先に、ひとつだけ、つぼみが揺れている。

 ――咲くかもしれない。

 夜が更け、月が昇るころ、私はひとり椅子を出して、温室の前で待っていた。

 そして――
 静かな時のなか、つぼみはゆっくりと開き始めた。

 白く大きな花が、まるで星が地上に降りてきたかのように、音もなく輝きを放つ。ジャスミンに似た濃厚な香りが空気を満たしていく。

 そのときだった。

 「やっぱり、咲いたんだな」

 その声に、私は振り向いた。

 ――そこに、彼がいた。

 白髪が混じりはじめた髪。少し痩せた輪郭。けれど、その瞳は昔と変わらない優しさを湛えていた。

 「……どうして、ここに?」

 「祖母様が生前、君の話をよくしてくれてたんだ。十三回忌だって聞いて、もしやと思って。……それに、この花も」

 彼はそっと、月下美人に目を向けた。

 「たった一晩だけ、咲いて、散る。それがわかっていても、見たくなる。……まるで、君とのことみたいだと思ってた」

 私は何も言えなかった。けれど、彼の隣に腰を下ろし、二人で黙って花を見つめた。

 夜空の下、真白な花が静かに揺れている。

 「はかない恋」
 「はかない美」
 「艶やかな美人」
 「ただ一度会いたくて」

 すべてが、この一瞬に詰まっていた。
 そして私は知った。――それでも、この花は美しいと。
 だからこそ、人はまた、出会いたくなるのだと。

 もう一度。
 ただ一度、会いたくて。

ハンバーガーの日

7月20日はハンバーガーの記念日

7月20日はハンバーガーの記念日

1971年のこの日、東京・銀座の三越デパート1階にマクドナルドが日本初の1号店が開店。当日、1万人以上の行列ができ、1日で100万円以上の売り上げを記録したといいます。そして、この記念日ができたのは開店25周年の記念で制定されたものです。

ハンバーガーの歴史

ハンバーガーの歴史

ハンバーガーの由来として有名な説として、1904年にアメリカで開催された、セントルイス万国博覧会の会場より、「ハンバーガー」としてサンドイッチ風にハンバーグを丸いパンで挟んで販売したのが最初だといわれています。

チェーン店舗スタイルはカンザス州から

チェーン店舗スタイルはカンザス州から

チェーン店スタイルは、1921年カンザス州で始まります。そして、1948年にはカリフォルニア州のマクドナルド兄弟の経営するドライブインで、メニューにハンバーガーを加えてました。これが人気店となり、1955年ではイリノイ州シカゴに第1号店がオープン、今では、ご存じのとおりハンバーガーは世界中で人気のファーストフードとなっています。

日本のハンバーガー文化は米軍基地!?

日本のハンバーガー文化は米軍基地!?

日本でハンバーガーが最初に作られたのは、戦後の佐世保等米軍基地周辺の飲食店でした。当初、地元でも評判だったそう。

東京、原町田にハンバーガーショップが登場

東京、原町田にハンバーガーショップが登場
Stoyan StoyanovによるPixabayからの画像

1970年には東京・原町田にハンバーガーショップが登場、そして翌年は東京・銀座に外資系のハンバーガーショップが上陸、爆発的にハンバーガーの人気が上昇しています。

その後、1973年に登場したテリヤキバーガーなど日本が独自にアレンジ製品も多数開発され、現在に至ります。

今やファーストフード界のキング

ハンバーガーは、今やファーストフード界のキング

マクドナルドは、「あなたが勧めるファーストフード店は何ですか」という、ランキング結果では「ケンタッキー」や「すき家」を押さえてトップとなっています。

自分もドライブ中に小腹が空いた時には、マクドナルドを探してしまい、同乗者も同意が得やすいファーストフードには間違いないですね!コロナ禍で気軽に配達してくれるのも最高です。

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戦後民主主義到来の日

7月19日は戦後民主主義到来の日

66年前の1949年 7月19日に、新たな民主主義が訪れたことを謳った青春映画「青い山脈」が封切られ、記念日とされました。この映画がなぜ、民主主義に関わってくるのかを調べてみました。

青い山脈ってどんな映画?

物語は、東北地方の港町を舞台に、若者の男女交際をめぐる騒動をさわやかに描いた青春小説です。内容は、当時の固い習慣などの古い殻に閉ざされた時代を生きる女子高生を舞台にして、正しいモラルを主張しあうことによって成長していく人間を描いた物語です。

必ずしも伝統は正しい事ではない!?

「昔から皆やっている」、「ルールがある」と言われ、「それに従っていれば」、また「褒めてもらえる」。それだけで自己満足の時代が長年の間続いていました。おそらくこの映画が伝えたいのは、「一部の人の意見だけを尊重せずに、個々の事情を理解した上で自由な環境を作って行きましょう」って事なんでしょうね。

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7月17日の誕生花「ハマユウ」

「ハマユウ」

基本情報

  • 学名:Crinum asiaticum var. japonicum
  • 分類:ヒガンバナ科・ハマオモト属の常緑多年草
  • 原産地:インドネシアとスマトラ
  • 開花期:6~9月、主に夕方から夜間に開花し、芳香を放つ
  • 外観:幅広く厚い葉が放射状に広がり、花茎に白い小花が10個ほど咲きます。花びらは細長く、中心部に赤い雄しべがアクセントに
  • 生育環境:日当たり・水はけの良い砂地(海岸沿い)を好み、暖地向き。地植え・鉢植えどちらも可能で、寒冷地では冬越しに注意が必要

ハマユウについて

特徴

  • 自生地:海岸線に群生し、葉が「オモト」(万年青)に似ているため別名「ハマオモト」とも
  • 香りと開花:夜に開花して強い芳香を放ち、主に蛾などを誘引する虫媒花
  • 種子の特性:種子はコルク質の厚皮で覆われ、水に浮く性質があり、海流に乗って遠くへ拡散・発芽する能力あり
  • 有毒性:全草有毒で、特に球茎は強い毒性を持つが、薬用としての利用もある

花言葉:「どこか遠くへ」

  • 主な花言葉
    • 「どこか遠くへ」
    • 「汚れがない」
    • 「あなたを信じます」

💡由来のひもとき

  1. 「汚れがない」
     神事で使われる白い布・“木綿(ゆう)” に似た清らかな白い花色から
  2. 「どこか遠くへ」
     種子が浮力を持って海流に流され、新たな土地で発芽する姿にちなむ
  3. 「あなたを信じます」
     「遠くへ流れても、必ず根を下ろし花を咲かせる」というたくましさと期待を込めた想いから

「どこか遠くへ、きっと届く」

あの夏の日、彼女は港に立っていた。
 セーラー服の襟が風に揺れ、白いハマユウの花が足元でそっと揺れていた。

「ここ、まだ覚えてる?」
 穂乃香がそう言って微笑んだ。

 海辺のこの小さな町で、僕らは育った。中学三年の夏。図書室で偶然隣の席に座ってから、毎週末、海沿いの堤防で話すようになった。彼女は東京からの転校生で、最初はよそよそしかった。でも、少しずつ距離が縮まり、名前を呼び合えるようになったのは、ちょうどハマユウが咲き始めた頃だった。

「この花、知ってる? ハマユウっていうんだって」
 彼女はそう言って、白く細長い花びらを指差した。

「花言葉はね、“どこか遠くへ” だって」

「なんか、君みたいだな」
 そう言ったら、彼女は少し驚いた顔をしてから、笑った。

 東京に戻ることが決まったのは、その翌週のことだった。

「私、ここが好きだったよ。思ったよりも、ずっと」

 最後に会った日、彼女はひとつだけお願いをしてきた。
 「この花、来年もちゃんと見ておいて。毎年ここで咲いてるか、教えて」って。

 あれから十年。
 連絡先も、手紙のやりとりも、いつの間にか途絶えていた。東京の高校に進学した彼女のその後は知らない。けれど僕は毎年、ハマユウが咲くこの場所に来ていた。

 白い花は、変わらずそこにいた。潮風に揺れながら、まるで何かを待っているかのように。

 ハマユウの種子は海に浮かび、遠くの浜辺まで運ばれていく。その途中で沈んでしまうこともあれば、知らない土地で芽を出し、やがて花を咲かせることもあるという。

 ――どこか遠くへ。それでも、きっと届く。

 ふと、誰かが近づいてくる気配がした。振り返ると、白いワンピースの女性が立っていた。風に揺れる髪の奥に、懐かしい面影があった。

「やっぱり……まだ咲いてたんだ」
 穂乃香だった。

 時が過ぎても、変わらない花の香りと、あの夏の記憶が、確かに僕らをつないでいた。

「ねえ、覚えてる? “どこか遠くへ”って」

 彼女の声に、僕はうなずいた。

 「そして、“あなたを信じます”――だったよな」

 笑いながら見つめ合ったその瞬間、海から吹いた風が、ふたりの間にハマユウの香りを運んだ。

マンデラ国際デー

7月18日はネルソン・マンデラ国際デー

ネルソン・マンデラ氏と国際連合

7月18日は、2009年に国際連合が創設したマンデラデーです。アパルトヘイト撤廃に尽力した南アフリカ共和国の政治家、弁護士のネルソン・マンデラの誕生日が7月18日。彼の67年間の政治生活にちなみ、67分間以上の社会奉仕活動をするように、世界中の人々に呼びかけられています。

マンデラ氏の主な活動

マンデラ氏の主な活動

ネルソン・マンデラは、反アパルトヘイト運動により反逆罪で逮捕。27年間、刑務所に収容されています。釈放後は、アフリカ民族会議の副議長に就任し、その後は議長になっています。

南アフリカ共和国の政治家フレデリック・デクラークと共にアパルトヘイト撤廃へと南アフリカを導き、1994年に大統領に就任しました。就任後は、民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画を実施しています。

アパルトヘイトとは?

アパルトヘイト

アパルトヘイトとは、南アフリカで進められた人種隔離政策。白人と有色人種を分割して統治すること。

世界中で広がる人種差別抗議デモ

世界中で広がる人種差別抗議デモ

5月25日、黒人男性のジョージ・フロイドさんが警察官に首を押さえつけられ亡くなった事件がありましたね。この事を発端に、アメリカ、世界中で抗議活動が広がってます。

日本も同和問題(部落差別)がある

日本も同和問題(部落差別)がある

この差別の問題は、日本も部落差別「同和問題」がありました。歴史的発展の過程でつくられた身分階層構造により、差別で国民の一部の人々が長い間、低位の状態を強いられていました。日常生活で様々な差別を受けるなど、日本特有の人権問題です。

人種や育ちは違っても、同じ人間

人種や育ちは違っても、同じ人間


 現在でも、差別発言や差別待遇等、ネット上で差別を助長した内容の書込みをされる事案が発生しています。たとえ、人種や育ちが違っても、同じ人間である以上は、お互いの辛さを理解しあえばきっと良き友人になれます。

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7月16日の誕生花「ジンジャー」

「ジンジャー」

基本情報

  • 和名:ハナシュクシャ(花縮砂)
  • 英名:Ginger lily(ジンジャー・リリー)
  • 学名:Hedychium coronarium
  • 分類:ショウガ科ハナシュクシャ属
  • 原産地:インドやヒマラヤ地域、東南アジア
  • 開花時期:9月~10月(初夏~秋)
  • 花色:白、黄、オレンジ、ピンクなど
  • 香り:強い甘い香り(芳香性)

ジンジャーについて

特徴

  • 熱帯・亜熱帯性の多年草で、温暖な地域では地植えでも育つ
  • 背が高く(1〜2m)、直立した茎に大きな葉をつける
  • 花は穂状に咲き、ランのような華やかさと甘い香りをもつ
  • 観賞用として人気が高く、切り花やフラワーアレンジメントにも利用される
  • 観賞用のジンジャーはショウガ(食用)の近縁だが、食用部分はあまり使われない
  • 湿気と日当たりを好み、半日陰でも育つ
  • 英名の「ジンジャー・リリー」は、香りと外見がショウガとユリを連想させることに由来する

花言葉:「慕われる愛」

ジンジャーの花言葉の一つに「慕われる愛(Adored love / Admired love)」があります。
この言葉の由来には以下のような点が関係しています。

● 優雅な佇まいと強い香り
ジンジャーの花は大きくて華やか、そして濃厚で甘い香りを放つことから、見る者やそばにいる人の心を引きつける存在。

その優美さと芳香が「人々に慕われる存在」や「思慕の念を集める愛」と重なり、愛される・慕われるイメージが結びついたと考えられます。

● 咲く時期と持続性
夏から秋にかけて長く咲き続け、香りも持続することから、深く続く愛情の象徴とされたとも言われています。


「ジンジャーの香りが残る午後」

古い写真立ての中で、母は微笑んでいる。
白いシャツに、風に揺れるような長いスカート。そして手には、一本のジンジャーの花。

「ねえ、これって、いい香りがするの?」
高校生の私は、その写真を見ながら何気なく祖母に尋ねた。

「ああ、それはね。甘くて、どこか懐かしい香りがするんだよ。あの子のようにね」
祖母は、写真に写る母を「この子」と呼ぶ。まるでまだ隣にいるかのように。

母は、私が五歳のときに病気で亡くなった。
だから私には、母の記憶がほとんどない。けれど、家のあちこちには母の痕跡が残っていて、とくにこの庭に咲く白いジンジャーの花が、何よりの手がかりだった。

ジンジャーの咲く季節になると、祖母はいつもその手入れを欠かさなかった。
「慕われる愛っていうんだよ、この花の花言葉。あなたのお母さんにぴったりだった」

——慕われる愛。

その意味が、当時の私にはよくわからなかった。
けれど、大学生になって久しぶりにこの家へ帰省したある日、ジンジャーの香りに包まれながら祖母が語ってくれた話で、少しだけ理解できた気がする。

母は、誰にでも分けへだてなく接する人だったという。
明るくて、真っ直ぐで、でもどこか儚げなところもあったらしい。

「花みたいな子だったよ。目立とうとしないのに、つい目がいっちゃう。そんな子」

母は庭で植物を育てるのが好きで、ジンジャーを植えたのも彼女だった。
「この花、すごくいい香りがするの。私、この香り、誰かに届いてほしいなって思うの」

その「誰か」が誰だったのか、祖母は何も言わなかった。
けれど、香りが風にのって届いていくように、母の存在もきっと誰かの中に残っていたのだろう。
実際、母の葬儀のときには、たくさんの人が泣いていたらしい。
会社の同僚、学生時代の友人、ご近所の人……。それだけ愛されていたということだ。

その夜、私はひとりで庭に出て、ジンジャーの花の前にしゃがみこんだ。

ふと、風が吹いた。
甘くて、すこし熱を帯びたような、でもどこか懐かしい匂いが鼻をかすめた。

私は、そっと目を閉じた。
——きっと、誰かを心から想う気持ちは、こうして香りのように残っていくのだ。
それがすぐそばにいても、遠く離れていても、時間がたっても。
だから「慕われる愛」というのは、ただ与えられるものじゃなくて、生き方の中ににじみ出るものなのかもしれない。

次の日、私は庭に新しいジンジャーを一株植えた。
隣には、古い木の名札を添えて。

 「For Mom ——慕われる愛の記憶」

香りは、記憶を運ぶ。
風に揺れるたび、誰かの心をそっと撫でるように。
ジンジャーの香りが残る午後、その意味を私は少しだけ理解した気がした。